レモンケーキの独特なさびしさ

  • KADOKAWA/角川書店
3.40
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本棚登録 : 337
レビュー : 31
  • Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041104859

作品紹介・あらすじ

「種明かしをするわけにはいかないので、ここではただ、この本を書いているあいだ、感じやすい(sensitiveである)とはどういうことかについてたくさん考えていた、とだけいっておきましょう」――エイミー・ベンダー

9歳の誕生日、母がはりきって作ってくれたレモンケーキを一切れ食べた瞬間、ローズは説明のつかない奇妙な味を感じた。不在、飢え、渦、空しさ。それは認めたくない母の感情、母の内側にあるもの。
以来、食べるとそれを作った人の感情がたちまち分かる能力を得たローズ。魔法のような、けれど恐ろしくもあるその才能を誰にも言うことなく――中学生の兄ジョゼフとそのただ一人の友人、ジョージを除いて――ローズは成長してゆく。母の秘密に気づき、父の無関心さを知り、兄が世界から遠ざかってゆくような危うさを感じながら。
やがて兄の失踪をきっかけに、ローズは自分の忌々しい才能の秘密を知ることになる。家族を結び付ける、予想外の、世界が揺らいでしまうような秘密を。

生のひりつくような痛みと美しさを描く、愛と喪失と希望の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 面白かったです。エイミー・ベンダーの本を読むのは久しぶりでした。
    料理を食べると、作った人の感情が解ってしまう力を持つローズが哀しくも、でも料理に携わって生きていこうとする光を感じました。
    彼女の家族もつらくて…ローズの兄のジョゼフは世界を手離して、椅子になってしまうのでしょうか。そこがよくわからなかったのですが、この作者さんらしい不思議さでした。
    空気を読む、とかのレベルでなく、人の感情が解ってしまうというのは大変な能力です…人の秘密や、知りたく無いことまで知ってしまう、というのは悲劇です。
    それでも絶望せず、最後は進む道を獲得するローズが眩しかったです。ローズの能力を知っている、ジョゼフの友人のジョージが良い人だったというのもありますが、ローズ自身の力も大きいのではないかと思いました。
    アメリカの料理は美味しそうだというより大柄だなと思っていたのですが、ローズが働くカフェの料理は優しく美味しそうでした。

  • ローズは9歳の誕生日のために母親が焼いてくれたレモンケーキを食べたときに、母親がそれを焼いたときの虚ろな気持ちを感じ取ってしまう。以来、ローズは何を食べても、その食べ物の素材や調理について、産地だけでなく関わった人間の感情にまで及ぶ膨大な情報が読み取れるようになってしまい、美味しく食べることができなくなってしまう。とくに母親の料理がひどい。無機質な工場生産のチップスのほうがよほど美味しく食べられる。人なつこく明るい子だったローズは次第にエキセントリックな子になってゆく。

    5歳年上の兄ジョゼフは、天才すぎて偏屈、コミュ障。唯一の友達は同じく天才だが社交的で明るいジョージ。ローズはジョージにほのかな思いを寄せている。父は弁護士で収入も良く大らかで優しい。母は美しく子供たちを愛しており、とくにジョゼフを溺愛しているが、相変わらずローズにとって母の料理は最悪。ある日、母の料理から明るい感情を読み取る。12歳にしてローズは、母が父以外の男性と恋をしていることを料理の味から知ってしまう。同じ頃、兄ジョゼフが突然「消える」ことが何度か起こる。そしてローズが17歳のとき、ついに兄が本格的に失踪し・・・。

    食べ物から一種のサイコメトリーができてしまうローズの不幸。一見幸福そうな家族を覆う見えない亀裂。母親の不倫を知りながら、おかげで母親の料理の味がマシになったことを喜び、それを容認してしまうローズは悲しい。彼女の特殊能力に本気で向きあってくれたのはジョージだけだが、ジョージにとってローズは親友の妹に過ぎない。ローズに奇妙な能力がある以上、ジョゼフの失踪にも何かしらの超常能力があることは予想できたえけれど、突拍子がなさすぎてとても怖い。

    そして家族の中では一番平凡で常識人だと思っていたお父さんが、終盤でするある告白。兄妹が突然変異でなかったことに安心する反面、一歩間違うと超能力SFになっちゃいそう。でももちろんそんな物語ではない。兄妹のそれぞれの能力は、何かしら繊細な個性を暗喩しているだけなのかもしれない。最終的にローズは、その自分の繊細さと折り合いをつけ、うまくやっていける方法を模索していく。大きな絶望と、少しの希望。タイトルが秀逸。

  • 子供の頃の私は、用水路に落ちた汚い葉っぱのようなもので、生きてるのか死んでるのかわからず、むしろ自ら仮死状態を装っていました。

    時々まれに覚醒することがありました。その1つに、自宅にて、ロッテから発売していた「ジャフィ」というオレンジジャム入りのチョコレートビスケットを見つけた時です。後からなんと言われようが、とにかく限界まで味わいたい、とリミッターが外れる美味しさでした。エイミーベンダーはもう読まないつもりでしたが、表紙のずるさに負けました。また余計なことを書いて感想は書かないというね。。。

  • エイミーベンダー、待望の長編第二作品目。
    訳本が発売されるまでの6年間、ペーパーバックを買って原文に挑戦しようかとも思ったものの、菅さんの訳文も読みたい上にそもそも私の読解力では英文ままなんて無理であったので、文字通りの待望。
    買って直ぐ読もうかと思ったものの、自分のタイミングで読みたかったので、結局随分と間が空いてしまった。

    感じやすい/sensitiveこと、について思って書いたと作家あとがきにあったが、その中でも、過ぎることと足りないことの線引きはどこにあるのか?という疑問が自分のなかのそれとピッタリ寄り添って、長年感じていた疑問がローズという少女の形をとって目の前に現れてくれた感覚に陥った。
    確かに一見、物語のあらましを上澄みだけ文字に起こせばファンタジックということばで簡単に片付けられそうなものなのだろうけれど、作者の微細な心の揺れが突拍子もない出来事を語る節々で現実世界にくっついて離れない。
    それは「レモンケーキの独特なさびしさ」というタイトルに収束する。ローズの生と兄ジョゼフの生と両親の生、欠落と過剰。
    長編第一作目『私自身の見えない徴』にも感じたことだが、短篇作品に在る、息を吸うと満ちるのに手に取ろうとするとすり抜けていくような感覚を内包しながら、ひとつの軸をもって展開されるひとつの生に、読者のわたしはいちいち涙ぐんでしまう。大切な作品のひとつになりました。
    菅啓次郎さんの訳も素晴らしい。「母」「ママ」「彼女」ところころ変わる形容など、細かいところもいちいち気にかかってしまう(いい意味で)。

  • エイミー・ベンダーは、はっとするような言葉で読者を引き寄せたりしない。訥々と単純な言葉を重ねてゆく。けれどもその言葉の組み合わせが穏やかではないので、とても非日常的な物語が展開する。しかしそれもよくよく眺めてみれば、誰にでもある小さな違和感を少しだけ別の出来事のように描いてみせるだけなのだ。決して大袈裟に言ったりしないだけで。

    sensitiveとtoo sensitiveの間のどこに線を引けばよいのか、という問い掛けが日本の読者に向けた作家の文章の中に出て来る。恐らくその疑問に対する物語であることが本書の全てであり、結果として、自分を取り巻く世界に対して生まれて初めて抱いた違和感が、実はまだ身体の中に記憶として残っていることを、読み進める内に気付かされることになる。もちろん本書の主人公のように、皆その違和感を、例えばピーマンが食べられるようになるように飲み込み、気にしないようにすることを覚えてゆく。それがsensibleであると、自分を取り巻く社会が要求していることに従うことを受け入れるのだ。たとえそれを善しとしなくとも。

    違和感に共感するという自家撞着。けれども鬼束ちひろの言葉に耳を傾けたり、エイミー・ベンダーの文章に身を寄せたりする人がいるという事は、それが誰にでもある違和感だと言うことを示している。岡崎京子の言葉にあるように『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』。あるいは、忘れたフリをしてしまうね。

  • 本当にこの人の翻訳がとても読みづらくて苦手。でもエイミーベンダーの小説の雰囲気は好き。でも私が読んでいるのは翻訳版のみ。結局私はこの読みづらい翻訳の雰囲気が好きなのか?

    "そんなにちがったことだったのだろうか、私がまだ工場で作られ自販機で売られる食べ物を食べるのを好んでいたことは?… そのころ私は十二歳くらいだった。学校であの自販機がなかったなら、いったいどうやって一日を過ごせたことか、わからなかった。私は、ありがとうというお祈りを自販機にむけ、毎晩それに商品を補充する人、また商品を買う人にもむけた。
    それははたしてカードテーブル用の椅子を選ぶことと、それほどちがったことだったろうか、ただ私の選択は私がこの世界に留まることを許し、彼の選択がそうでなかったことを除けば?"

  • 特殊能力やアリエナイコトが起こるこの物語を、ただ深い意味のないファンタジーと捉えることもできるかもしれない。
    でも、誰かの心の中で起こることは、その人の中での真実。現実とそうでないことの境目は、常に曖昧だ。自分には信じられないからと、それを嘲笑ったりたしなめたりすることが、なんの役に立つのだろう?
    著者のエイミー・ベンダー氏に、「あなたはどこまで他人の真実を受け入れられますか?」と聞かれているようだった。

    “食事はあいかわらず食事だし、食べ物はあいかわらず決まったはじまりと終わりのあいだにある、そして私は自分に食べられるもの食べられないものを自分で決められる、と。そして父の場合は完全に避けて通ることもできる病院であり、おじいちゃんの匂いの場合はどうやらお店でのことらしかったけど、もし、ジョゼフが毎日感じたことにはそんなはっきりしたかたちがなかったのだとしたら、どうだろう?避けることも、変えることも、できなかったのだとしたら?いつもそうだったとしたら?”

    わたしたちは例え家族であっても、肌をどんなに重ねも、感覚を、思考をひとつにすることはできない。椅子になってしまったジョゼフは、その孤独さを常に感じていたのかもしれない。
    愛情を注いでも、あなたが必要だと言っても、それは彼の孤独をさらに強めるだけで、彼の救いはただのものになること。ローズはそれを理解したが故に、あの「最後のお願い」をしたのではと思う。

    わたしはローズのようにその選択を尊重できるだろうか。彼の選択を尊重するということ、それが正しいのかすら、今のわたしには、わからない。

  • わからない。
    とにかく訳のせいなのか文章が周りくどくて読み辛かった。
    装丁の額に入れて飾っておきたくなる綺麗さは出会った本の中で一番。

  • 2019.02.27読了 14

  • おもしろかった。半分くらいご飯の話していた気がするけど、主人公の能力の影響で、読んでいてもお腹がすいてこなかった。著者のあとがきの「感じやすい人々」という表現はなるほどそうかと思った。どこか発達していると人の感情の機微に気が付きやすくて、生きづらい。うまい呼吸の仕方を見つけられる人もいれば、特定のものごとを避ける人も出てくるし、もちろん生きていけない人もいる。そういう話なんだなあと思った。
    訳のせいか元々の文章のせいか分からないけど若干読みづらい文章だった。

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著者プロフィール

1969年生まれ。カリフォルニア大学出身。小学校教諭をつとめた後、最初の短篇集『燃えるスカートの少女』(角川文庫)で鮮烈なデビューを果たす。2010年に刊行した長篇第二作目となる本作は全米ベストセラー入りを果たし、新たな代表作に。邦訳に長篇『私自身の見えない徴』、短篇集『わがままなやつら』がある。2013年には三作目の短篇集『The Color Master』を刊行。南カリフォルニア大学で教えながら精力的に執筆活動を続けている。ロス・アンジェルス在住 。

「2016年 『レモンケーキの独特なさびしさ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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