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本 ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784041108932
作品紹介・あらすじ
シェフの亮は鬱屈としていた。創作ジビエ料理を考案するも、店に客が来ないのだ。そんなある日、山で遭難しかけたところを、無愛想な猟師・大高に救われる。彼の腕を見込んだ亮は、あることを思いつく……。
感想・レビュー・書評
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初めて読んだ作家さんでしたが時期といいタイムリーな、クリスマスから年末年始にかけてのストーリーで、山で遭難するは、地元の猟師に助けられるは舞台は京都の山奥だし、3拍子揃って楽しめました。
しかも美味しいジビエ料理の匂いが漂ってくるはです。
私も地産地消のジビエには興味あるのですが、生々しい解体現場のこととか許可がいることとか知ることができてためになったしテンポよく読書できて嬉しかったです。
みかんとヒヨドリってタイトルがどこで出会うのかずーと気になって読んでましたけど、絶品の組合せなんですね。
作中出てきた人類の祖先の話、そこに留まる者と進んでいく者の話はよかったです。そしてオーナーのまえむきな発想、ジビエを愛する自由奔放さ、ああいった考えの人ってソンケーします。
また1人推しの作家が増えました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
レストランのシェフ潮田と、ハンターの大高が山奥出会うことから物語が始まります。
近藤さんの文章はとても滑らかで読みやすいです。
テーマはジビエ。潮田の作るフレンチの美味しそうなこと!私も地域柄、ジビエを食べる機会があります。猪の焼き肉、猪バーガーどれも美味しいです。大高のような狩猟生活も憧れます。アウトドア全開で楽しそう。でも、魚はさばけますが、野禽や鹿、猪をさばくのはとてもじゃないけど無理です。また、マダニやヒルなども無理。
せいぜいキャンプあたりが調度よいでしょう。
大高はまた、命をいただいて生きているとの思いが強いです。私は釣りをしますがそこまで罪深さを感じることはありません。もちろん大事に食べます。
また、潮田のようにジビエからいろんな料理のアイデアが自由自在になるのも羨ましいところ。粗雑な私に料理は無理ですが、こんな風に料理してみたいと思える場面がたくさんあります。
私は出勤中に猪にあったり、鹿、狸、鼬、猿にあったりします。最近ではキョンが大発生しています。
ただ、駆除するのではなくジビエがもっと広まるとよいと思いました。
また心に残った言葉がひとつ。
「何か新しいものが入って便利になると、また新しいものが入り込んでくる。」
洗濯も炊事もボタンひとつで事足りる。
クルマにはナビがつき、スマホは持ち歩き式のコンピューター。
なのにいつも忙しいのは不思議です。
便利になった分だけ、もっと難しいことが入ってくるのでしょうね。
大高が「今の生活を複雑にしたくない。」と頑なになっているのも頷ける気がします。
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表紙の絵に誘われて、作者名も見ず、内容も分からないいまま図書館から借りてきた。
結果、大成功!
面白かったー!!
なんだこれ、面白い以外の感想が出てこない。
とりあえず、今までなんとなくジビエ料理って食べずにきたけど、食べてみたいと思うようになった。
どこで食べられるのかな??? -
2023.7.18 読了 9.5/10.0
食をめぐる、食べることそのものを問う物語
人間は生きている以上、食べることから逃れることはできない。そして食事のたび、取捨選択を迫られる。
「何を食べるか」「どう食べるか」、あるいは「誰と」「どこで」「いつ」。
この物語は、ジビエを介してその取捨選択に向き合い続ける人々を描いている。
【命を平等に見ることの矛盾】
飼っている小鳥と、撃たれた小鳥。山に連れて行く犬と、そこに横たわる鹿。これら二者の間にどれほどの距離があるだろう。
命を等しく見るのなら、鹿と犬の延長線上に人間もいる。
では、命を等しくみた場合、食物にさえならない害虫はどうだろうか。
ノミやゴキブリを殺すことを「残酷だ」と叫ぶ人々はいるだろうか。動物実験のサルやラットに対して同情心を持っても、飛べなくしたハエの遺伝子解析実験に心を痛めることはないのは、何故だろうか。
〜〜〜〜〜印象的な言葉〜〜〜〜〜
"よく考えれば、人は野山で一晩過ごしただけで死んでしまいそうになるのに、野生動物はその環境で日々生活し、食べ物を探し、敵から身を守っている。賢くないはずがないのだ。
なのに、人間は野生動物たちよりも自分たちの方が賢いと思い込んでいるのだ"
"不思議な気がした。養豚場の写真や動画はメディアに出ることがあっても、食肉処理施設にスポットが当たることはない。ぼくたちは、肉になった姿だけしか知らない"
"命から、適切に管理された肉になるまでに多数の工程がある。多くの人は、そのことをすっかり忘れて生きている。
牛でも豚でも同じだ。食肉処理施設で、人の目に触れることなく行われるだけだ"
害獣の焼却施設にて
"だがここにいる鹿は、肉になることすらない。焼かれて、そのまま骨になる。
この施設が悪いわけではない。必要があって建てられたものなのだろう。だが、胸が張り裂けそうに傷んだ。
殺しながら、食べることさえせず、ただ命を無駄に投げ捨てる。手間さえかければ美味しく食べられるものを、焼いて骨にして捨てるのだ。
殺さなければ良いという問題ではない。(害獣に食い荒らされる)畑の作物も、森の木々も、それで生活している人たちがいる以上、守らなくてはならない。
誰が悪いわけではない。なのに僕は、そこに傲慢の匂いを感じ取る。
傲慢なのは、殺して持ち込む人ではなく、ここで働く人でもない。
命と食べ物を効率で簡単に切り分けてしまう社会こそが傲慢で、それには僕も否応なく加担している"
"そう。殺し、食べるのは生き延びるためだ。ぼくたちは、殺した命に責任がある。彼らを殺してまで生きようとしたのだから、なんとしても生き延びるべきだ"
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この本が見事なのは、読みやすくて美味しそうな物語という"お皿"に、これら食をめぐる問題や食べることそのものへの問い、社会に生きる私たちも効率的な食社会に組み込まれていること、などなどを読みやすく"調理"してさらりと載せて私たちの前に運んでいることだ。
圧巻の読後感。食べることを意識して暮らすことの大切さを痛感しました。 -
ダメなことかもだけど、スーパーでみるパックのお肉しか見たことなかったから、こんな風にして生き物を殺んだったな・・・。と改めてよく考えた一冊。みかんの香りのひよどり、食べてみたい・・・。お恥ずかしいことに、ひよどり自体も食べたことはないのだか。
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安定の、近藤さんの”お食事モノ”。
フレンチのシェフ・潮田は、猟に入った山で遭難しかけたところを、偶々通りかかったハンターの大高に助けられます。
ジビエ料理を扱う潮田は、無愛想だけど腕の良い大高の捕った肉を店に出す料理に使いたいと契約を持ちかけますが・・。
雇われシェフとしてなかなか店の利益に貢献できない焦りを抱える潮田と、孤高のハンター(猟師)大高との距離感が徐々に縮まっていく過程描きつつ、"ジビエ"というテーマを軸に、"命を頂くこと"について考えさせられる、何気に深い内容となっております。
私は、所謂"畜産肉"を使った料理しか食べたことがないので、潮田の創るジビエ料理の数々が美味しそうで、特に"みかんをいっぱい食べたひよどり"が、どんな風味なんだろう?と、すごく興味を抱きました。
野生肉を使うジビエを描く上で、やはり解体シーンも出てくるのですが、近藤さんの文体が巧みなおかげで、グロ耐性の弱い私でもちゃんと読めました(※でもグロはグロなので弱い方は要注意です)。
さらには料理の話だけではなく、大高の住まいが放火されたり、罠に細工がされたりと何者かの悪意が見え隠れするというミステリ要素も絡めつつ展開するので、その辺りも引き込まれて読ませるものがあります。
印象的だったのは、害獣の焼却施設の場面で、年間千頭以上の鹿や猪が"処分"されているということです。
"害"といっても人間側の都合ではあるのですが、悩まされている地域の人々にとっては深刻な問題ですし、その一方で動物愛護団体の方々の主張もあったりするわけで・・。
私なんかは"処分"されるなら"美味しくいただく"方が良いのでは?なんて思ってしまうのですけどね。
解説の坂木司さんも触れていましたが、狩猟に対して"野生肉を食べるなんて残酷"というバッシングがあるのに、海の魚を釣る漁師の方はそうでもないと書かれていて、確かに!と思いました。
そういえば"天然のウナギを食べるなんて残酷!かわいそう!"とかいう意見はあまり聞かないよな・・とその辺の矛盾を感じた次第です。(あ、「ウナギ愛護団体」とかあったらスミマセン)
そんな訳で、面白いのは勿論なかなか奥深い内容で、これは良作でしたね。
あと何といっても、潮田の愛犬・ピリカと大高の愛犬・マタベーが、可愛い&健気&賢いと三拍子そろったいい子たちで癒されました。
もし続編があれば是非読みたいです~。 -
まず、何よりも犬を飼いたい、と感じさせます。
主人公のシェフが飼うピリカというメスのイングリッシュ・ポインターが見せる感情の機微の描写に愛おしさを感じます。
みかんとひよどりという平仮名のタイトルからは軽妙な物語をイメージしますし、大半はそうなのですが、要所要所で強いメッセージ性を感じます。
巻末の坂木司さんの解説にある二項対立の話は、読んでいる際に薄々感じていたことが言語化され、膝を打ちました。男と女、都会と田舎、自然と人工、栄光と挫折、そして価値観の対立。こうした対比が物語に深みを与えています。
普段見られない世界に触れられる貴重な読書体験になりました。続編ができると嬉しいですね。-
お心遣いありがとうございます!( ^ω^ )
そうなんですね。7月は毎年寝不足気味ですが、結局、最後まで見れることは稀で、落車(この業界で...お心遣いありがとうございます!( ^ω^ )
そうなんですね。7月は毎年寝不足気味ですが、結局、最後まで見れることは稀で、落車(この業界では寝落ちのことをいいます)してしまいます。休息日のTV視聴が一番健全ですね。
ロードレース中継では、ダイナミックな地形や世界遺産などの夏から秋にかけての綺麗な景色と、長い道のりの番組をつなぐ必要から培われた、実況・解説陣による取り留めないけど、面白みのある、会話のような進行が魅力です。
ツールが終わると、3大大会の最後のスペインで開催されるブエルタ・ア・エスパーニャが始まります。実況の音声をラジオのように聞きながら、読書をする日々、悪くないですよ(*´꒳`*)
暑い夏ですが、楽しく過ごしましょう。ではまた2023/07/15 -
harunorinさんは今月、落車の日々なんですね!
慣れない言葉を使ってみたくて、言わせて頂きました=(^.^)=
実況の音声をラジオの...harunorinさんは今月、落車の日々なんですね!
慣れない言葉を使ってみたくて、言わせて頂きました=(^.^)=
実況の音声をラジオの様に聴きながら、読書をする日々。。。
それ、良いですねえ(*^^*)
好きなもの二つ同時に楽しめる至福の時間ですね
色々参考になりました
ありがとうございます♪
体調にお気をつけて
またお邪魔させてもらいますね2023/07/15 -
2023/07/15
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シェフの料理に対するこだわりのストーリーだと思って読み進めたが、思いのほか深みのある内容だった。
料理人を目指しフランスで修行し自信に満ち溢れた潮田だったが何度も店を潰し上手くいかず、オーナーの澤田にジビエの店を任されるが赤字続きで、今後の存続に悩んでいた。ヤマドリを目当てに犬を連れ猟を始めるが、山で遭難しかけたところ、狩猟を生業としてる大高に助けられる。
複雑な生き方をしたくないという大高を世間と距離を置いた世捨て人だと理解していた潮田だが、次第に大高の世界、生き物の命と直接向き合い、山や木々の声を聞く。捨てたから、社会と距離を置いたわけではない。大高の世界は、社会とは別の豊かさで満たされていると理解するようになる。
林業、漁業、畜産
人間が生きていくということ
命の恵み
生き物の食材と家族(ペット)との線引き
生きていくために残酷な行程も必ずある
ただ当たり前ではなく、命をいただく感謝は忘れてはいけないとつくづく考えさせられた
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ピストロ・パ・マル シリーズも好きだが、こちらもシリーズ化して欲しい!シェフの亮、狩人の大高はじめ、それぞれの人間性や関係性がとても良い。
いのちをいただくということ…食べ物をもっと大切にしようと思ったし、ちゃんと料理しようと反省した。
世の中が便利になればなるほど工程が複雑化され原点が見えないものだけれど、そんな日常に日々感謝できる心を持ちたい。
著者プロフィール
近藤史恵の作品





