- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041109434
作品紹介・あらすじ
国家に親代わりを求めた男。
殺人犯なのに刑務所で生存権を主張し続け、法廷で無期懲役に万歳三唱をした犯人・小島一朗。
誰も踏み込まなかったその内面に、異端の写真家が迫る。全真相解明、驚愕の事件ルポ!
犯人はいったい何者なのか?
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【新幹線無差別殺傷事件】
2018年6月9日、走行中の東海道新幹線の車内で男女3人が襲われ、2名が重軽傷、男性が死亡した。「刑務所に入りたい」という動機だったため、一審で無期懲役となった際に小島一朗は法廷で万歳三唱をした。控訴せず20年1月に刑が確定。小島は刑務所内で生存権を主張し続けている。
―――
2008年以降の通り魔殺人事件の犯人は前科前歴なし、両親は揃っており、貧困家庭でもなく友人関係に問題もない、「普通」の者が多い。
だが、「死刑になるため」「刑務所に入るため」と彼らは犯行に及ぶ。
約3年にわたる取材で理解不能な動機、思考を浮き彫りにする驚愕のルポ!
【目次】
序章 鞘─―刑務所に入る夢を叶えた男
第一章 心――写真家が人殺しに興味を持つ理由
第二章 偏―─歩み寄る難しさ
第三章 記―─「むしゃくしゃしてやった、誰でもよかった」の真相
第四章 凶―─餓死することを止め、生きる選択をした
第五章 会―─アクリル板越しの作り笑顔
第六章 家―─浮かび上がるいい子
第七章 迷―─食い違う家族の言い分
第八章 裁―─真実が語られない虚無な裁判
第九章 答――刑務所でしか手に入らないもの─
第十章 辿―─犯行時のシミュレーションから感じること─
最終章 刑―─自傷行為を通して得られる愛
あとがき
主要参考文献一覧
感想・レビュー・書評
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【感想】
本書のタイトルである「家族不適応殺」とは、「殺人を犯すほどの凶悪な人間が生まれた理由は、育った家庭と折り合いがつかなかったからだ」ということを意味する、筆者の造語である。厳しいしつけ、虐待、過保護など、強いストレスを受けながら育ったことで、大人になって精神疾患を抱えたり、自己肯定感が低すぎて人間関係が上手く行かなかったり、異常な家庭に適応しすぎて社会適応ができなくなるなど、様々な苦難に直面する。結果、社会生活が上手く行かずに異常な犯罪を引き起こす。従来の凶悪殺人犯が「生まれながらに特異な人間だった」ことが多かったのに対し、この「家庭環境による歪み」は、近年の凶悪犯によく見られるようになった特徴だ。
では、本書に出てくる小島一朗は、果たしてどちらだったのか。
その問いは判然としない結論で終わってしまった。小島は犯行に至った心理を法廷で明らかにせず、本人の望み通り「無期懲役」を食らい、今も刑務所の中で暮らし続けている。
本書は、2018年6月9日に、東海道新幹線「のぞみ265号」車内で発生した殺人事件の犯人・小島一朗を追ったノンフィクションだ。小島は車内で1人を殺害、2人に重症を負わせ、警察に逮捕された。拘置所では一貫して「刑務所に行くのが子どものころからの夢だった」「無期懲役になって一生を刑務所で過ごしたい」と主張していた。筆者は獄中の小島と数年に渡って面会・手紙のやり取りを続け、彼の生い立ちと犯行の裏にあった真意を解き明かしていく。
では、小島はなぜ異常行動に走ったのか。生まれに原因があったのか、それとも育ちに原因があったのか。本書では親族への聞き取りを交えながら真相に迫っているが、結局のところはっきりしないままであった。
というのも、小島と小島の家族の間で、証言が食い違っているのだ。岡崎の祖母は小島を「可愛い孫」だと言うが、母親は「悪魔みたいな子」だと言っている。両親は小島が歪んだ理由を「岡崎の叔父夫婦の虐待のせいだ」と説明しているが、対する叔父夫婦は「両親の育児怠慢のせいだ」と批判している。小島自身は「父親以外の全員のせいだ」と証言し、肩を持ってくれている岡崎の祖母にさえ冷たい態度を取っている。
本書を読めば、「小島が狂ったきっかけは家庭環境のせいだ」と一概に言えないことが分かる。小島本人は「一宮の祖母にひどい虐待を受けた」と言っているが、岡崎の祖母や母親は「虐待なんか無かった」と述べている。また、母親は10年間ずっとボランティア活動に勤しんでおり、世のため人のために尽くす真面目な女性だ。親の性格に難があったとは考えにくい。
また、小島自身の精神に問題があったのも確かだ。小島はADHDと猜疑性パーソナリティ障害を患っており、責任能力は低い。小島はある意味で、ものすごく正義感が強いが、同時に酷く歪んでいる。虚言癖も強い。母親は小島の性格について、「鬱と躁が酷い。180度言うことが変わるから。私たちの前では、『死にたい死にたい』ってロープまで持っていたのに、警察には『死にたいなんて一度も言ってない』とか言ってるんだから全部嘘ですよ」と語っている。実際、筆者との手紙のやりとりでも、字面こそ真面目そうでありながら内容はちんぷんかんぷんで、筆者を煙に巻こうとしている様子がうかがえる。
本人が一貫して主張しているのは「ずっと刑務所に入りたかった」ということだ。それは刑務所が、小島いわく一種の「温かい家庭」であるからだ。刑務所は基本的人権が守られており、ルールが決まっている。ルールが決まっているということは法律が通用し、しかも拘束されるから出て行けと言われない。衣食住が保証されている。小島が望んでいた「岡崎の家」の温もりが、「ただ生きているだけでいいんだ」という安心感が、刑務所の中にはある。だが、これは果たして本心なのか?犯してしまった罪に向き合わず、謝ることができない男の認知の歪みがもたらした、自己逃避ではないのか?
筆者は小島との対話の中で、「小島の答えは初めから全て決まっている。プレゼンを聞かされているようだ」と述べている。裁判でも終始その姿勢を貫き、全てが闇の中のまま終わっていった。
小島「分かった。分かった。分かったのだ。私が刑務所に入った目的が。それは『観察室に入る』こと。観察室に一生入り続けること。観察室は『岡崎』だ。私はついに『岡崎』に辿り着いたのだ。(略)私は『岡崎』に居続けてやるんだ。万歳、万歳万歳。私は万歳を三唱する。観察室は素晴らしい。観察室は素晴らしい。観察室は素晴らしい。私は最高に幸福だ。……なんて冗談ですよ。」
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【まとめ】
1 刑務所を望んだ男
2018年6月9日、走行中の東海道新幹線の車内で男女3人がナタで襲われ、女性2名が重軽傷、男性1名が死亡した。
一審で無期懲役を言い渡された小島一朗は、急に証言台の前に起立すると、厳粛な雰囲気をぶち破るように大声を発した。
「はい!控訴は致しません。万歳三唱させてください」
「止めなさい」
「ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!」
裁判長の制止を無視して、いきなり腕を3回振り上げ、大声で万歳三唱したのだ。場違いな行動に周囲はただただ呆気にとられていた。被害者側の弁護人は皆、絶望的な表情を浮かべている。小島の主任弁護人は、嫌悪感を隠そうともせず小島から離れた。傍聴席にいた被害者の関係者らしき男女は、警察官にエスコートされ、目に涙を浮かべながら逃げるようにして外へ出ていった。
小島は、一生刑務所で暮らすために無差別殺人を起こしたのである。
2 小島は特殊な人間なのか?
従来の無差別殺人犯に共通していることは、性格の異常性、攻撃性、重い精神障害や妄想、度重なる前科前歴である。無差別殺人を犯した彼らは極めて「特殊な存在」だ。
しかし、ここ10年ほどの間に起きた無差別殺人は、前科前歴がなく、重い精神障害や暴力性もなく、どこにでもいる普通の青年による犯行が目立つ。そして、その背後には家族が存在する。2008年の3月と6月に立て続けに起きた「土浦連続殺傷事件」と「秋葉原通り魔事件」は、いずれも犯人に前科前歴はなく、友人もおり、重度の精神障害も見受けられない。事件後、周囲の人間が「なぜ?」と困惑するような、普通の青年なのだ。
小島は、筆者との手紙のやりとりの中で次のように語っている。
「真面目な話、実際、私は人を殺して初めて基本的な人権を認めてもらったのです。これが救済といわずして何を救済と?私はいままでの人生で、拘置所が一番『幸福な生活』をしていることは間違いないのです」
まるで、一般社会よりも刑務所のほうが基本的人権が認められていると言わんばかりだ。そして明らかに、刑務所を福祉施設のつもりで捉えている。一体なぜ刑務所を切望しているのか?そして、彼の犯行動機は何なのか?
3 むしゃくしゃした出来事
小島は自身の犯行動機を「むしゃくしゃした出来事があった」ためと語る。
小島は精神鑑定において多動性・不注意ともに高い数値が見られる、いわゆるADHDであった。殺傷事件を起こす半年前、小島はA型作業所を辞め、冬の裏寝覚で即身仏になるべく短期間ホームレス生活をしていた。しかし、寝泊まりしていた東屋で警察官から過度な職務質問と暴行を受ける。自殺を思いとどまり、人を殺して刑務所で一生を過ごすことに決めたのはそのときだ。
「子供の頃から刑務所に入りたかったけれど、そこまでのことをするのはどうかな、と思っていた。だが、警察すら、法律を守る気がないのに、自分だけ守っていてもしかたない。自分の人権は守られないのに、他人の人権を守っていてもしかたない。そう思って、人を殺してでも刑務所に入ろうと思った。どうせ刑務所に入るなら、無期刑になって一生を終えたい。3人殺したら死刑になるから2人までにしようと思っていた。1人殺して、2人に重傷を負わせたから、これでもう無期刑が狙えると思った。それに1人殺すのに手間が掛り過ぎて、肉体的にも精神的にも疲れてしまったので、あのときはもうあれ以上、やることはできなかった。刑務所でどのような矯正をされようと、反省もありえないし、更生もありえない。もし有期刑になって、出所することになったら、また人を殺す。刑務所がなぜ幸福な生活であるか知ることはできない。それは信じることだ。」
4 生い立ち
小島一朗は、1995年に愛知県岡崎市に生まれた。小島が生まれると、母方の祖父は、岡崎市にある自宅の敷地内に小島と母親が住むための家を建てた。これがのちにキーワードとなる「岡崎の家」だ。この敷地には他に、祖父母が暮らす母屋と、伯父家族が暮らす家が建っており、この3つの家は全て大工をしていた祖父によって作られた。
小島はこの「岡崎の家」で3歳まで過ごし、昼間は祖父母に、夜間は母親の手で育てられる。当時、両親は別居しており、年子の姉は、父親とその祖父母に育てられていた。3歳になると、小島と母親は、父親の住む一宮市の家に引っ越し、はじめて家族全員が揃う。年子の姉と、両親、父方の祖父母の6人家族の生活が始まった。
ところが父方の祖母は、小島の存在を快く思わなかったらしい。「お前は岡崎の子だ。岡崎に帰れ」「お前は私に3年も顔を見せなかった」と繰り返し苛められた。これが小島にとって、物心ついてからの一番古い記憶になる。一方の姉は、生まれてからずっと一宮市の家で暮らしているため可愛がられ、小遣い、服、部屋、物、菓子など、ことごとく差をつけられていたという。
小学生まではじっと耐えていた小島だが、中学生になって口答えするようになった。すると、 祖母の行動はエスカレートしていった。「私はあんたの女中じゃない」と言って、小島に食事を作らなくなり、勝手に食べようとすると、包丁を振り回して「食べるな」と言う。風呂に入ろうとすると、これも「入るな」と包丁を向けられた。
当時、小島の部屋には、母親がどこからか貰ってきた冷蔵庫とガスコンロがあり、お年玉を削って自炊で食いつないでいたという。ときには雑草、猫じゃらし、イネ科のイヌムギや、虫、鮭なども食べていたそうだ。
中学2年生のとき、小島は家庭内暴力で警察沙汰を起こしている。小島いわく、「ご飯が食べられなかったから、少年院に入って国に食わせてもらおうと思った」という。
小島が求めているのは、衣食住があって命が無条件に守られる場所だった。それが岡崎であり、刑務所だったのだ。
「三食ご飯が食べられて、衣食住があって、人間関係があればよかったんです。今はそれさえもなくなって、保護室に入りたいと思っています。刑務所は、私がどんな罪を犯した人間であろうと、命を助けざるを得ない場所ですから。どこまでも反抗し続けられる環境がそこにある。それが『岡崎』的なところです。何をやっても自分の命は失われない。法律が守られていれば、私に何かあったときは医療処置を取らなければならないわけですから。もしも、法律が守られなくて死んでしまうなら、それはそれで構わないんです。でも、法律上は私が死んだら困ることになるから医療処置が取られます。そういうことでしか刑務所が『岡崎』的なところはありません」
しかし、筆者が家族に会った際の印象、そして家族一人ひとりの証言からは、小島家が冷酷な人間とは思えない。岡崎の祖母から見た小島一朗は、「おばあちゃん想いの優しくて良い子」だった。母親の意見も、「子どもの頃から正義感が強かった」である。そして祖母も母親も、驚くほど人当たりが良かった。少なくとも母方の家庭には、外側から見る限り、愛情の欠如は感じられない。
小島の証言と家族の証言にはいくつもの食い違いがある。いったい何が本当なのか?
5 虚無の裁判
小島は裁判でも一貫して「刑務所に入りたいから人を殺した」と証言する。
検察「刑務所に入ったら好きなものを食べられませんよ?」
小島「はい、それでも刑務所のほうが良い生活ができると思ったからです」
検察「人にも会えないし、テレビも携帯も使えないし、自由はないですよ?」
小島「それでも私は、刑務所は良い生活だと思っているのです」
検察「刑務所では、嫌でも働かないといけないよね?」
小島「当然それは良い生活だと思っています」
検察「刑務所のどこが良い生活なんですか?」
小島「どこが良い点かを説明すると、そこが改悪されてしまう恐れがあるため、ご説明いたしません」
こんなトンチンカンなやりとりが延々と続くのだ。
一方で、小島を弁護するはずの家族は互いにその責任を押し付け合っていた。父親と母親は家族内で虐待があったことを否定し、事件が起きた原因を「岡崎の叔父夫婦がいじめていた」と証言した。対する叔父夫婦は両親を批判し、「一朗の母親は面倒をみない、父親は相談にも応じない」と述べている。岡崎の祖母は「私は一朗が孫5人の中で一番かわいいと思っている」「小島の証言にある養子縁組を解消するなんて絶対に言っていない」と強調する。一宮の祖母は供述調書すら無い。
小島は法廷で、常に自分を悪く見せるよう立ち回っていた。遺族への謝罪はせず、反省の色を見せず、検察の質問に対してはふざけた調子で回答する。反省すれば有期刑になるかもしれず、刑務所で一生を過ごすことが叶わなくなるからだ。小島は「もし有期刑になったら釈放後再び殺人を犯し、戻ってくる」とまで述べている。全ては無期懲役になるためのパフォーマンスなのだ。
小島は最終陳述でこう述べている。
「私は無期刑になるために無差別殺人を起こし、この法廷でも無期刑になるように証言いたしました。しかしどのような判決が出ても、私のほうから控訴はいたしません。死刑になったら潔く諦める。(略)有期刑になったら、刑期を終えて出所すると、必ずまた人を殺します。刑務所でいかなる肉体的精神的苦痛を受けようとも、私が更生し、矯正されることはまったくありえません。無期刑になったら、二度と普通の社会に出れないよう全力を尽くします」
6 国家に家庭を求める
小島は、なぜ刑務所に入ることを所望したのか。筆者がたどり着いた答えは次のとおりだ。
小島は手紙に何度も「生存権」という言葉を書いている。一宮の家では「ご飯を食べるな」と言われ、岡崎の家からは伯父によって追い出された。そして、最終的に向かった裏寝覚では、警察から「出ていけ」と言われている。その際、小島は執拗に生存権を主張したが、認められていない。
小島が裏寝覚で食事を取らない生活を続けていれば、いずれ餓死しただろう。しかし刑務所では、彼がいくら食事を拒否しても強引に生かされる。ガリガリに痩せて骨と皮だけになっても、点滴を打って、死なせないための処置が取られる。なぜなら、刑務所では法律により、被収容者を死なせてはいけないと決まっているからだ。つまり、法律さえ正しければ、小島は法によって生かされることになる。
彼は、食事を拒否することで自ら「死」に向かい、法によって「生かされる」ことで、人間には生存権があることを証明したいのではないか。
彼にとって、理想の家庭は「岡崎の家」だ。しかし現実では望めども手に入らない。その代わりとして、国家に家庭を求めた。
彼は法律によって自分の命が守られるかを確認し続けようとしている。必要最低限の生きる権利。生存できる場所としての家庭。しかし、小島にとってはそれは刑務所に入らなければ手に入らないものだった。刑務所と切れない関係を結ぶために、人を殺すしかなかったのだ。
彼は事件を起こす前、「刑務所の代償行為」として精神科に入院していた。しかし、精神科に法律はない。異議申立てすれば「嫌なら出ていけ」と言われるだけだ。一方、刑務所は、絶対に「出ていけ」と言われない。法律がある限り、決して見捨てられることはない。
彼にとって、法律を厳守する刑務所こそが自分を確実に守ってくれる母であり、家庭だった。そこにいれば、助けてくれて当たり前、かまってくれて当たり前、生かしてくれて当たり前。自分はこの世に必要な人間なのか、生きていてもいい存在なのか。彼にとって、それを確認できる場所は、刑務所のシステム以外になかったのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょっと言葉が出てこない。この犯人像は…。
死刑にはならないように、でも有期刑ではなく無期懲役となるように、計画的に無差別殺傷事件を起こした男を、継続的に取材したノンフィクション。ことさらに残虐な描写をすることなく、生育歴や人間関係を呑み込みやすいストーリーにまとめることもなく、取材者の実感に即して綴られている。覗き見趣味を煽るような事件ノンフィクションは苦手だが(読んでみたくなるのがイヤなのかも)、そういうたぐいではない。
犯人の小島は子供の頃から、刑務所か精神病院で暮らしたいと言っていたそうだ。理解に苦しむその願望はなぜ生まれたのか。不安定な生育環境や虐待、発達障害やパーソナリティ障害など、いくつもの要因が複雑に絡まり合っているのだろうが、それが無差別殺人につながっていくところに、戦慄を覚えずにはいられない。犯人の母や祖母がどこにでもいそうな、いや、と言うより社会的にも人間的にも普通以上にちゃんとした人に思えるのがつらい。
たまたま新幹線で犯人の隣に座り、いきなりナタで切りつけられた女性二人は、東方神起のコンサートの帰りだったそうだ。そこに割って入って犯人に立ち向かい、命を落とした男性は、後方ドア近くのすぐに逃げられる席に座っていたという。そのことが心から離れない。 -
よくぞ、ここまで取材を重ね
よくぞ、ここまで綴られた
と思いました
読み進むうえで
何度も ふぅっ とため息
あまりに やりきれなくて
他の本に手を出し
しばらくして
また読みだすという
やりきれなさ、
まるで不可解、
理解不能、
それらを上回る
筆者の「なぜ?」の究明
に助けられて
なんとか最後まで
辿り着きました
あとがきの中で
インベカヲリさんが
ー個人を掘り下げることは、社会を見ることに繋がると 思っている
と言っておられる
確かにそうなんだろうけれど…
美輪明宏さんの本のどこかにあった
「根っからの悪人というのは いるわよ」
という言葉が浮かんできました -
被告の万歳三唱の場面から始まる、2018年東海道新幹線車内殺傷事件のルポ。「こんな事件あったな」と図書館でなんとなく借りたのだけど、小島(犯人)と著者の手紙のやりとりと面会、犯行前の出来事、小島の家族への丹念な取材など、読み応えのあるルポだった。
第一章で挙げられている類似事件を思い出すためググったり、大阪のビル放火事件をふと思い出しながら大晦日に読んだのだけど、小島と家族の言葉(言い分)は結局何が本当で何が正しいのか不明のままで、こういう類の事件は結局永遠にすべてを理解することはできないのだな、とか、小島の動機や彼にとっての刑務所の役割だとか、なんともモヤモヤが残る読後感だった。
(もちろん解明されればそれでOKとか、小島の生い立ちが悪かったとか、社会がうんぬんとかで全てを片付けられる問題ではないのだけど……難しい) -
2018年6月に起きた「新幹線無差別殺傷事件」。その加害者の動機と論理に迫るルポルタージュ。筆者がたどり着いた答えは、本の帯にあるように「国家に親代わりを求めた」ということ。
本書を読む限りでは、こうした事件を起こした要因の多くは本人の精神疾患や生育環境に因るようだが、「刑務所に入ること」に加害者は当初から異常なほど固執していた。一般的には、刑務所とは「不自由な場所」であり入りたくない場所であるが、この事件の加害者にとっては積極的に入りたい場所と捉えられている。
それは、刑務所とは人間どうしの複雑なコミュニケーションよりも明確で確固とした規則や規律によって運営されており、その規則や規律にさえ従うことができればそれでいい場所だから。死にたいと思っても、収監中の囚人は生かさなければならないということすら法によって定められている場所だから。自傷行為をしても看守が必ず止めてくれる。ハンストをしても胃に挿管されて無理やりにでも食べ物を摂取させられる。それらを通すことによって、自分には生きる権利があると実感できる。
著者自身もあとがきで触れているが、事件の被害に遭われた方、亡くなった方、そのご家族の方のことを思うと、実際の事件を題材にした文章を「消費」するように読むことは適切ではないのだと思う。刑務所が刑務所としてではなく福祉施設としての役割を担うようになっているということが言われて久しいが、本書からは刑事司法、福祉、家族とはなんだろうか、どうしたらよかったのだろうかといろいろ考えさせられた。 -
2018年に東海道新幹線車内で起きた無差別殺傷事件。「刑務所に入りたい」という動機。無期懲役となった犯人の実相に迫るノンフィクション。
何とも後味の悪い作品。もちろん筆者のせいではない。犯人の意図の通り無期懲役の判決。無作為に殺された被害者のことを考えるとやりきれない気持ちになる。
筆者は3年間にわたり被告との面会、親族への取材を通じて犯人の実像に迫ろうとするが、結局犯人の本心には近づけない。
模倣犯まで生まれる無差別殺傷事件。結論こそ掴めないが事件の真相を丹念に取材した一冊でした。