本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784041114865
作品紹介・あらすじ
【第74回読売文学賞(小説賞)受賞作】18世紀ベルギー、フランドル地方の小都市シント・ヨリス。ヤネケとヤンは亜麻を扱う商家で一緒に育てられた。ヤネケはヤンの子を産み落とすと、生涯単身を選んだ半聖半俗の女たちが住まう「ベギン会」に移り住む。彼女は数学、経済学、生物学など独自の研究に取り組み、ヤンの名で著作を発表し始める。ヤンはヤネケと家庭を築くことを願い続けるが、自立して暮らす彼女には手が届かない。やがてこの小都市にもフランス革命の余波が及ぼうとしていた――。女性であることの不自由をものともせず生きるヤネケと、変わりゆく時代を懸命に泳ぎ渡ろうとするヤン、ふたりの大きな愛の物語。
みんなの感想まとめ
自由を求めて生きる女性と、彼女を支える男性の愛の物語が描かれています。18世紀のベルギー、フランドル地方の小都市シント・ヨリスを舞台に、ヤネケは「ベギン会」という共同体で独自の研究を続ける一方、ヤンは...
感想・レビュー・書評
-
当時のベルギーそのままを描いたような、海外文学を読んでいるかのようだった。
ヤネケとヤンの一生は、憎らしくて、苦しくて、それなのに最後に思うのは、優しくて温かい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
舞台はフランドル地方の小都市シント・ヨリス
生涯単身を選んだ
半聖半俗の女たちが住まう
「ベギン会」という共同体
これはフィクションなのかと 思わずググって
しまいましたけど 本当にあったんですね
精一杯自由に生きるヤネケと
それを支えるヤン
後半 時代の流れが
二人に思わぬ試練を
投げかけますが
これもまた人生
最後には決着らしきものは
ないものの 共白髪になるまで
一生懸命に生きた二人の人生を
うらやましく感じて
本を閉じました -
-
知を探究する「幸いなる魂」はどこまでも晴れやかだ――佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』レビュー【評者:川本 直】 | カドブン
https://...知を探究する「幸いなる魂」はどこまでも晴れやかだ――佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』レビュー【評者:川本 直】 | カドブン
https://kadobun.jp/reviews/entry-45526.html2022/04/05 -
【オンラインイベント情報】2022/05/29 (日) 20:00 - 21:30 川本 直 × 豊崎 由美、佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』...【オンラインイベント情報】2022/05/29 (日) 20:00 - 21:30 川本 直 × 豊崎 由美、佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』KADOKAWA)を読む | ニュース | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
https://allreviews.jp/news/58612022/05/25 -
第74回読売文学賞受賞! 佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』|株式会社KADOKAWAのプレスリリース
https://prtimes.jp/m...第74回読売文学賞受賞! 佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』|株式会社KADOKAWAのプレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000012058.000007006.html2023/02/14
-
-
18世紀、ベルギーのフランドル地方。亜麻糸商の家に引き取られたヤンの、愛と家族と商売を中心とした半生の物語。
簡潔なようで、ほんの少しの加減でさりげなく迫ってくる心理描写にぐっとくる。
登場人物の気持ちが痛いほど伝わってくることが何度かあって、その緩急が病みつきになってしまうのだ。
物語の後半ではイギリスの産業革命の足音が聞こえてきて、それを目の当たりにしたところで、うわっと思った。
紡績機を初めて目にした時の恐怖と興奮。大変なことになる、震えが来そうでも冷静に先を読もうとする彼らに、実際には雇用とか賃金とか、人から機械へ転換していくのってどうだったんだろうとふと気になった。
さらにフランス軍に占領されたりもして、色々と大変なこともある。
そんな中でのあの共犯者めいた雰囲気には、いやー商人強いなと思う。
それに商人だけじゃなく、女性もみんな強かな魂を持っていると感じられて、清々しくもあった。 -
この時代のフランドル周辺の話をどこかで読んだ事がある、漫画だったような気がするけど、タイトルが思い出せない。鼻歌で曲名が分かるアプリ?があるらしいけど、本にもそういうのあれば良いのに。ネットで探すのには記憶がふんわりし過ぎてて、絞り切れないんだよな。
ヤネケもテオもヤンも、この時代じゃなくて現代に生まれて居たら、もっと幸せな生き方が、本人の力を自由に発揮出来る生き方があっただろう。
それなのに、孤児のヤンだけが、ヤネケとテオに御膳立てされるようにして、ヤネケとテオの家を継ぎ上手く社会に適合して生きて行く。その皮肉さに苦しむヤン。家に縛られる人と、そこから逃げて自由に生きる人。
この時代のこの地域ならではの、雰囲気や社会背景、風俗など、タイトルは思い出せないけど、前に読んだ漫画で知っていたので、余計に楽しめた。
読後感は清々しさが残った。でもヤネケとテオの子供、レオに立場が近い人が読んだら、ヤネケにイラッとしそうだ。
レオの主張からマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を思い出した。ベギン会の「外出する時は必ず2人で」という決まりとか、侍女たちの外出する時の決まりと同じで、あれっ?と思った。ペギン会に興味を持ったので、自分でも調べてみたい。 -
舞台は18世紀のフランドル地方(ベルギー)。亜麻を扱う商家で一緒に育てられたヤンとヤネケの人生を追う物語。
女性の二通りの生き方ーー俗世で夫や家族に尽くしながら生きるか、生殖の責任から逃れて生涯単身のまま信仰に生きるかーーを示しながら、二つの生産活動(子どもをこの世に送り出すことと、学問的な知的生産)を対比的に描く。前半は動植物へ投じられた科学的な目線を通して、繁殖するということはどういうことなのかと巡らせられる考察が印象的だった。
時代は過渡期で、信仰と科学のパラダイムが入り混じり、産業革命により機械が人の仕事を奪う予感が示され、フランス革命によって政教分離が一層推し進められる片鱗が見せられる。この大きな時代の変化のうねりの中で、力を合わせてともに生きるヤンとヤネケの姿に胸が熱くなった。
引用
120p 先生は、かつては神についての全き知識を持っておられた。今は神への全き愛に生きておられる。
224p 「(…)ああ、レース作って、それで自分で生きていけるんだ、って思ったらー何だろう、すごく強くなった、って感じ?その感じはね、綺麗なお嬢さん、より全然いいんだよ」 -
舞台は18世紀ベルギー、フランドル地方。
この時代この地域を舞台にした小説を読んだことも知識もなかったので、わくわくしながら読んだ。
主人公は親を亡くし、父の同業者だったファン・デール家に引き取られたヤン。
義父となったファン・デール氏は、ヤンを家に迎える道中、ヤンが来ることでうちの子たちも鍛えられるかもな!と言ったが実際に鍛えられたのはヤンの方だった。
というか人生通してヤンは鍛えられた。
ファン・デール家の双子の姉ヤネケと弟テオは優秀で、特に姉のヤネケは異常に頭がいい。
そんなヤネケは生殖行為というか繁殖に興味を示し、ヤンと性的なあれこれを実験のごとく試していく。
そして若いながらに2人の間で子どもができてしまい、彼女は家を離れて子どもを生みその後ベギン会に入り、ヤンはというと自分は働きながらヤネケと子どもと一つ屋根の下で生活することを見据えてファン・デール家の仕事をこなしていくのだが……
ヤネケは医者である叔父に似て人でなしなのだとよく描写されるが(実際たしかになかなか合理的すぎて酷いことを言うな〜と思うこともあるが)、好奇心旺盛で頭が良くて研究が好きで、意志が強くて、とても魅力的な人物だ。口調といい、作中で一番好きなキャラクターかもしれない。彼女の母、ファン・デール夫人も好き。
アンナも好きだ。この時代に女だてらにこの身一つで大工仕事で食っていくなんてカッコ良すぎる。そして勤勉で口が堅くてフランクだ。
ベギン会は作中の架空の団体なのかと思いきや、巻末の解説を見るに実在したらしい。
信仰心を持った女たち(修道女ではない)が集まって暮らしながら互いのプライバシーは守られ、自分たち個人個人で生計を立てて食っていく。お金を貯めて家を買ったりもする。
なんだろう、なんかちょっと、それすごくいいじゃん…と思った。なんなら羨ましいとさえ思ってしまった。
参考文献が載っているので、ベギン会など…ひいては女性史について調べてみようと思う。
作中には女性が集まるベギン会はもちろん、男性修道院もちらりとその名前が出てくる。
しかし(主題じゃないからかもしれないが)男性修道院に嫌がらせがあったり、子どもを作れなんて外から罵られる描写はない。
だが作中でベギン会の敷地に向かって、十数歳頃の少年たちが女性を蔑称する言葉(ここでは書けません苦笑)を叫び、しょんべんを引っ掛けるなどのいやがらせをする描写や、女性だけの集落を快く思わない男たちの、女性だけで暮らすなんて意味がわからないという無理解(というか人として尊重してないからこその発想だろうな)や女性蔑視の心が描写されている。
彼らの(というか主に作中に出てくる、とある男の主張なのだが)女は子どもを産むためだけにある。それ以外は装飾品で、頭を使った学問も手足を使った商いもする必要はない。子どもを産んで産めなくなったら子どもを産む女のサポートに回るか産婆になれ。…というのがその男の主張なのだが…まあ、作中では他の登場人物にもさすがにそれはお前…といった感じであしらわれている。
まあこの怖いところは、現代日本にも割とこういう発想の男(たまに女も)って、まだいるよね…?って話。
数百年経っても変わらないのか…ところは違うが……
ただこの作品に登場する女性たちはなかなか強く、その利発な発言や振る舞いにも心がすく。
ベギン会の女たちも、それ以外の女たちも。
そして彼らの長い長い人生の中で、ヤネケとヤンの関係性にもいろいろと思いながら、どうか2人のその後が穏やかで有りますように。と思ったのだ。
この物語は、男のヤンと女のヤネケの、長い長い物語であったのだから。
いろいろと考察を深めたい物語だった。 -
18世紀フランドルの都市、シント・ヨリス。亜麻商を営むファンデール家に引き取られた少年ヤンは、双子のヤネケとテオ姉弟に翻弄されることになる。成人前にヤネケを妊娠させてしまったヤンは結婚して子を育てようと考えるが、産後ヤネケは街にある女性だけの自治体〈ベギン会〉に入ってしまう。ヤネケの目的は学問に専念し、テオの名前で著書を出版することだった。実在したベギン会という半聖半俗の共同体の面白さを軸に、革命の火の粉が飛んでくるなか市政にたずさわっていくヤンと、数学を通じて革命後の世界を見通す天才ヤネケのつかず離れずな40年を描く。
読み終わってまっさきに思ったんだけど、帯が嘘つきすぎだよね。佐藤亜紀ファンには単なる恋愛小説じゃないことは最初からわかってるし、佐藤亜紀の小説は全部愛の物語ではあるけど、この帯から切ない幼馴染ラブを期待した人はどうすればいいの(笑)。でも、「なんだこの女!ヤンが可哀想!」と怒りながら読むのもこの小説を楽しむ一つの読み方ではあると思う。
帯でいうと、「エゴイスト」という表現ももしヤネケが男性だったらついてたかなって疑問はある。子ども(と要介護の親)をかえりみず研究に没頭、というのは天才男性フィクションならあるあるで、それをわざわざ「エゴイスト」ってあんまり言わないんじゃないかな。対象が男性の場合、「天才」の語に含まれてる概念かなって感じがする。
ヤネケとヤンは世間的なジェンダーロールを巧妙に反転させた二人で、ヤンはいわゆる「待つ女」の男性版のような描かれ方をしている。女性キャラでやられたらゲロ~ッとなることをヤンがやるとけなげで可愛いような気がしてきて、「待つ女」の魅力を知ると同時に男に反転したら結局そういうキャラを可愛いと思うんかい、という自分の罪深さにも向き合わされる。ヤンは作中トップクラスの恋愛脳でもあり、ヤネケを見て「おれにまだ惚れてるっていうその表情が見たかった」とか感慨に浸るところは爆笑してしまった。「まだ」もなにもヤネケがお前に惚れてたことはないよ!
レオがヤンの想いに気付きながら自分の母親がヤネケだとは思ってなかったりとか、結婚後のアマリアがヤネケに嫉妬しながらもベギン会に快く協力しつづけていたりとか、傍目から見て「ヤンは惚れてるかもしれないがヤネケは脈なし」なんだろうなという状況証拠がいくつもある。ヤネケはそもそも恋愛をしないタイプの人なんだと思うけど、ヤンの恋愛脳はバッチリ理解して利用してるから本当にタチの悪い女ではあります。
『スウィングしなけりゃ意味がない』の読後に、「ブルジョワの甘ちゃんでハンパな不良で本当はいつでもお父さんの庇護下にあることを無条件で信じてるファザコンのボンボンを書かせたらほんっっっとに右に出る者がいない」と感想を書いたんだけど、本作ではまさかその力を使って読者にネトウヨの性差別主義者の親になる気分を味わわせてくれるとは。舞台にベギン会を選んだこと自体、時勢に対する直球のアンサーなんだろうなと思っていたけど、レオがフランスから帰郷するといよいよセント・ヨリスがインターネットと化していく。カリカチュアが容赦なくて面白かったけど、個人的には少し醒めるポイントでもあった。
ベギン会を主題としながら、語り手がヤネケじゃなくヤンに設定されているところが本作のミソだと思う。合理家のヤネケは仮に男性だったとしても社会的に共感されづらい人物だよ、と読者にわからせるために「人でなし」仲間のマティリス叔父さんまでいる。時折ヤネケ視点の語りが挟まるのはずいぶん親切だなと思ったけれど、そうやってヤネケの考え方を覗かせてもらってもなお、私はこの人を好きかどうか決めかねる。いや、小説の登場人物としてはガンガン話を回してくれるので好きだが、友だちになれるか自信がない。ベギン会で誰が好きかで言うとアンナが好きなわけだが、それはアンナがわかりやすく「頼りがいがあって面倒見のいい姉御キャラ」だからだと思う。でも、ヤネケが大多数の人にとって共感しやすくもなく、理想として憧れるような女性でもなく(学問で身を立ててるのはめちゃくちゃかっこいいが)、別に連帯もしない人だということが重要なのだと思う。男性社会から求められる女性像はやらないし、女性社会から求められる女性像もやらないよ、ということ。誰の幻想も背負わずに、常に自分の欲望を精査し、責任を持って決断を下すということ。
男性社会の求める女性像をやってそのまま死んでいったのがカタリーナとアマリアだ。この二人のことはずっと考えてしまう。カタリーナは長女を産んですぐベギンに行かせてヤネケの授業を受けさせようと決めていたけど、それは彼女自身の人生を省みてのことだったのかとか。そして母の願いどおり堅い意思でベギンに入会したテレーズがヤンをどう思ってるのかとか。あるいは、ベギンのように大きく取り上げられはしないけど、テオの死に際してひっそりと語られる街のゲイコミュニティのこととか。ヤンはヤンで男性社会に求められる男性像をしっかり務めたゆえに面倒事を押し付けられて市長にまでなっちゃうし、商売のために二度も自分の意思と関係ない結婚をするし、そもそも養子のヤンがファンデール家の存続に一番責任を感じているという歪みがある。修道院長の半生も気になったなぁ。感動作というよりはコミカルな群像劇で、コンパクトな作品だけど、やっぱりある時代のある街をまるごと感じさせてくれるような奥行きが行間に漲っている。 -
1700年代のフランドル地方。幼馴染みの二人。当時の市民の生活、亜麻糸の商い、ベギン会と呼ばれる女性の共同体、産業革命などにも触れながら、男女の関係の本質を見つめるよい本。
-
面白かった!
なんと言っても、ヤネケの「人でなし」がいい。クールさがいい。男とか情とかに全く重きを置かず、自分のやりたい研究ばかり突き詰めていくのも爽快なら、男の名前で発表や出版が叶うならそれでいいじゃんという合理も爽快。
賢くて軽快で。こんな女に40年も惚れ続けてその気持ちが決して叶わないのも、幸せなのでは。
テレーズの「レース作って、それで自分で生きていけるんだ(略)綺麗なお嬢さん、より全然いいんだよ」のセリフが素晴らしい。
当時の資本や生産性や搾取についても血の通ったリアルな描写。
いろいろ面白かった。 -
-
激動のフランス革命のただ中ではなく、余波に揉まれる地域を舞台に、したたかに生きている人間たち。
フランドル自体がそうであるし、その中でのベギン会がそうで、その中のヤネケがそうである。
「したたか」というイメージが強く残るのが著者の作品の特徴だなと改めて思う。
時に激しい水の流れに、意固地に抗って結局流されてしまったりへし折れてしまうのではなく、葦のようにのらりくらりと、しかし誰よりも地に足をつけて飄々と乗り切るしたたかさ。
いちおう宗教的な集まりであるベギン会もヤネケにとっては快適な住処以上でもそれ以下でもない。嘘も方便。超合理的。
サイコパスにも見える彼女が、唯一、非合理的に、いわゆる人間らしい心の揺らぎを垣間見せる対象が他でもない息子レオなのだが・・ヤンとヤネケ以上に「常識」を逸脱したこのふたりの特殊な関係性!ラストにかけての一連の流れのとんでもない面白さを導入材に、この作品の言わんとすることがぐわーっと体内に流れ込んでくるというか。
ある程度の「自由」を手に日々を送っていると思われる今の時代のこの国の私たちの中にもいろんな色眼鏡やレッテルが溢れているわけで、それよりもっともっと不自由な価値観だらけだったはずのこの小説の舞台でこんなにも生々しい人間のそのものを描いてくれる佐藤亜紀さんが好きです。色眼鏡を放りなげ、全ての衣を脱ぎ捨ててぶつかってほしい一冊。
経済も政治も、人間の愚かさも計算に入れて軽やかにコントロールできてしまうヤネケはかっこいいなあ。 -
佐藤亜紀の作品の中では読みやすくこなれている。
ヤネケはじめ登場人物のキャラクタが魅力的だし、舞台設定も恐らく深い史実の取材、勉強の上に構築されているのだろうが、その辺りをひけらかすこともなく空気感を醸すことだけに集中している感じで、いつもながら素晴らしいなと思う。
いまの日本の作家の中でこれだけ地に足をつけた形で海外を舞台に作品を書く実力を持った作家さんはそういないのでは?堀田善衛、皆川博子、米原万里に並ぶ筆力の作家だなと思う。
18世紀フランドル
ペギン会
亜麻
-
18世紀後半のベルギーを舞台にした小説で、ヤンとヤネケという主人公の男女2人の人生を描いている。
まず、ベルギーを舞台にした小説を日本人が書いているということが、とても珍しいように思う。私は以前ベルギー企業の日本支社に勤めていて、たいへん馴染みのある国なので、ベルギーが舞台ということだけでもかなり嬉しい。しかも、ヘントやコルトレークという滞在したことのある街も出てきて、風景や空気感を思い浮かべながら読めたのも楽しかった。ベギン会の修道院跡も訪れたことがあるのだけれど、いまいちどういう場所なのか理解しないままだったので、この小説を読んで、納得ができたこともとても良かった。そしてベギン会を先進的と感じた。
物語の本筋、主人公の男女2人の関係もとても現代的に感じたが、実在のモデルなどはいるのだろうか?女性を蔑視する男性も多いなか、人として敬意をもって接してくれ、女性であってもその意志を尊重してくれるヤンの懐の深さがとても素敵。18世紀後半という時代の話だけれど、登場人物たちの話し言葉も現代的(少しアニメっぽい?)なので、とっつきにくさもない。特にヤネケの話し方が、彼女の人間性をよく表現しているようで、良かった。 -
歴史小説であり、背景の地方都市や商業に関する部分は史実を元にしている。また、女性差別や家族関係など現代に通じるテーマを扱ってもいる。
登場人物が魅力的で、中でもヤネケは「人でなし」ではあるが、制度や価値観に縛られずあらゆる障害を軽々と乗り越えてゆく。一方ヤンは男性という役割から逃れることが出来ず、家族や仕事のためにがんじがらめになる。しかしどこまで行っても「まとも」である彼も、苦労人として共感を誘う。
半世紀にわたる物語なので、途中子供が生まれることもあれば、誰かが死ぬこともある。だが、そこに必要以上の悲壮感は無い。作者はエモーショナルになり過ぎず、軽やかな文体でそれらを書き紡いでゆく。その文章のリズムは読んでいて非常に心地よかった。
クライマックスにはある事件が待ち受けているが、どこかユーモラスな雰囲気があり、読み終えたとき心に、体に、温かいものが広がるのを感じた。 -
長い長い物語。出会い、戯れ、離れ、惹かれ、理解し、助け合い、協力し、それぞれの人生を過ごしながらも常にその存在がそこにある。ヤンとヤネケの関係は、「愛」というより「信頼する同志」「同じ時代を生きてきた戦友」を感じさせた。全編に渡って駆使される、時制や場面を一気に飛び越えるかのような文章が、分かりづらいながらも魅力的だ。ただ、物語自体にはさほどの推進力がないので結構退屈。それに、レオの成長後の姿にはがっかりだったけれど、母親を放棄したヤネケにそれを批判する権利はないだろう、とは思った。
帯を見たときはヤネケの物語だと思っていたけれど、これはヤンの物語だった。人の好みは様々だ。ヤンが幸福ならそれで良い。 -
これまで読んだ佐藤亜紀さんの作品の中で最も読みやすかった。
主人公ヤンの一生みたいな話なので中弛みがなく、最初から最後までぐんぐん読めてしまう。
18世紀の話だけど現在の問題点や関心事に通ずる内容で、興味と共感を持って読んだ。
これまでの佐藤亜紀さんの作品とはちょっと毛色が違って、これはこれで、なんか、とっても良かった。
今まででいちばん主人公が生きている感じがした。
良き人物というか共感できる主人公で、事実や物の描写より心情描写に重きを感じて読みやすい。
物語の先には占領という激動の時代が到来するけどそこは書かずにその手前で終わっているのが良いと思った。
終わり方がすごく良くて、じわぁっと沁みた。 -
商家の子テオとヤネケと養子ヤンの10代から50代(たぶん)の波乱の人生。
ヤンとヤネケの名前が似てるのでこの二人が兄妹だったっけ?と混乱するし主人公たちがややこしい結婚して(最後のは立場上しかたない面もある)そのたび子供が増えるし。
陰の主役はべギン会だな。自分で稼いだお金で生活できてプライバシー保てるなら最高。
白髪のヤネケをお嬢様と呼ぶ女中はいったいいくつなのだ? -
ああー。すっっごくよかった。産業革命やフランス革命が起きる少し前の時代、神の信仰者たち、商人たち、農民たち、それぞれの生き甲斐みたいなものを人々が誰しも何かしらもっていた時代。「無作為で無目的な自然」の力か、神の思し召しか、運命や偶然が錯綜する中で、かすかに灯り続ける小さな恋をめぐる壮大な物語。時折ヤンを襲う、痛み、という表現がハマり過ぎてもう。心も体もすり減るようなクソ忙しい日々の中、登場人物がみんなみんな良い奴で、亜麻糸のようだった髪が白髪になり、幸福に包まれるエンディングに僕の魂はおおいに救われる。世代が移って同じ名前が引き継がれる感じ、あの「百年」の全体小説を彷彿とさせながら読み進めるのも楽しい。涙があふれてしまった美しい一箇所、久しぶりに読書で砂金を見つけたような気分で、僕はまたひとつ、心を豊かにする言葉と出会えたような気がする。この人の他の小説も気になるが、いつかヴォルテールの『カンディード』も挑戦してみたい。
-
またまた読み応え抜群の小説を読んでしまいました。「今年の○冊」みたいな今年の書籍を振り返ってる記事なんかにも、よく登場しているだけある!
ページをめくるとまず18世紀のフランドル地方の地図。たくさんのカタカナの登場人物一覧。あれ、これ佐藤亜紀さんの小説だったよね?と表紙に戻る。そして不思議な気持ちで、注意深く登場人物を追いながら読み進めると、あっという間に18世紀のヨーロッパへ飛べた。
いやあ、ヤネケというとんでもなく聡明な女性が、かっこいい。自らの研究を広めたいために男性の名前で本を出すのだけれども、その本に対する質問が俺にきちゃうのでイヤだ、と名前を貸している男性が愚痴るとヤネケは、
「知識なんて別に誰のものでもないんだし、正しい筋道は誰が言ったって正しい筋道だからね」p208
とスパッと言い切っちゃうんだから!
当時の様子を想像しながら読めるのも楽し、ヤネケに翻弄されるヤンとのやりとりも興味深く、ユーモアもあっておもしろい。
大昔の他国の話なのに、十分に伝わってくる人々のくらし、家族、思想、宗教、ジェンダーの問題。大昔の他国でも、抱える悩みや心配はいつの時代も誰の心にも同じように住まい、それらを受け止めて自分の力で考え、生き抜いていかねばな、ヤネケのように。
この本が好きな人におすすめの本
著者プロフィール
佐藤亜紀の作品
本棚登録 :
感想 :
