喜べ、幸いなる魂よ

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041114865

作品紹介・あらすじ

18世紀ベルギー、フランドル地方の小都市シント・ヨリス。ヤネケとヤンは亜麻を扱う商家で一緒に育てられた。ヤネケはヤンの子を産み落とすと、生涯単身を選んだ半聖半俗の女たちが住まう「ベギン会」に移り住む。彼女は数学、経済学、生物学など独自の研究に取り組み、ヤンの名で著作を発表し始める。ヤンはヤネケと家庭を築くことを願い続けるが、自立して暮らす彼女には手が届かない。やがてこの小都市にもフランス革命の余波が及ぼうとしていた――。女性であることの不自由をものともせず生きるヤネケと、変わりゆく時代を懸命に泳ぎ渡ろうとするヤン、ふたりの大きな愛の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 舞台はフランドル地方の小都市シント・ヨリス

    生涯単身を選んだ

    半聖半俗の女たちが住まう

    「ベギン会」という共同体

    これはフィクションなのかと 思わずググって

    しまいましたけど 本当にあったんですね
    精一杯自由に生きるヤネケと

    それを支えるヤン



    後半 時代の流れが

    二人に思わぬ試練を

    投げかけますが

    これもまた人生



    最後には決着らしきものは

    ないものの 共白髪になるまで

    一生懸命に生きた二人の人生を

    うらやましく感じて

    本を閉じました

  • Kathleen Battle / キャスリーン・バトル「Kathleen Battle Sings Mozart / キャスリーン・バトル、モーツァルトを歌う」 | Warner Music Japan
    https://wmg.jp/kathleen-battle/discography/22999/

    大蟻食の生活と意見 – by Tamanoir
    https://tamanoir.org/

    「喜べ、幸いなる魂よ」 佐藤 亜紀[文芸書] - KADOKAWA
    https://www.kadokawa.co.jp/product/322102001022/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      知を探究する「幸いなる魂」はどこまでも晴れやかだ――佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』レビュー【評者:川本 直】 | カドブン
      https://...
      知を探究する「幸いなる魂」はどこまでも晴れやかだ――佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』レビュー【評者:川本 直】 | カドブン
      https://kadobun.jp/reviews/entry-45526.html
      2022/04/05
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      【オンラインイベント情報】2022/05/29 (日) 20:00 - 21:30 川本 直 × 豊崎 由美、佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』...
      【オンラインイベント情報】2022/05/29 (日) 20:00 - 21:30 川本 直 × 豊崎 由美、佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』KADOKAWA)を読む | ニュース | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
      https://allreviews.jp/news/5861
      2022/05/25
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      第74回読売文学賞受賞! 佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』|株式会社KADOKAWAのプレスリリース
      https://prtimes.jp/m...
      第74回読売文学賞受賞! 佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』|株式会社KADOKAWAのプレスリリース
      https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000012058.000007006.html
      2023/02/14
  • 18世紀、ベルギーのフランドル地方。亜麻糸商の家に引き取られたヤンの、愛と家族と商売を中心とした半生の物語。
    簡潔なようで、ほんの少しの加減でさりげなく迫ってくる心理描写にぐっとくる。
    登場人物の気持ちが痛いほど伝わってくることが何度かあって、その緩急が病みつきになってしまうのだ。

    物語の後半ではイギリスの産業革命の足音が聞こえてきて、それを目の当たりにしたところで、うわっと思った。
    紡績機を初めて目にした時の恐怖と興奮。大変なことになる、震えが来そうでも冷静に先を読もうとする彼らに、実際には雇用とか賃金とか、人から機械へ転換していくのってどうだったんだろうとふと気になった。

    さらにフランス軍に占領されたりもして、色々と大変なこともある。
    そんな中でのあの共犯者めいた雰囲気には、いやー商人強いなと思う。
    それに商人だけじゃなく、女性もみんな強かな魂を持っていると感じられて、清々しくもあった。

  • この時代のフランドル周辺の話をどこかで読んだ事がある、漫画だったような気がするけど、タイトルが思い出せない。鼻歌で曲名が分かるアプリ?があるらしいけど、本にもそういうのあれば良いのに。ネットで探すのには記憶がふんわりし過ぎてて、絞り切れないんだよな。

    ヤネケもテオもヤンも、この時代じゃなくて現代に生まれて居たら、もっと幸せな生き方が、本人の力を自由に発揮出来る生き方があっただろう。
    それなのに、孤児のヤンだけが、ヤネケとテオに御膳立てされるようにして、ヤネケとテオの家を継ぎ上手く社会に適合して生きて行く。その皮肉さに苦しむヤン。家に縛られる人と、そこから逃げて自由に生きる人。

    この時代のこの地域ならではの、雰囲気や社会背景、風俗など、タイトルは思い出せないけど、前に読んだ漫画で知っていたので、余計に楽しめた。

    読後感は清々しさが残った。でもヤネケとテオの子供、レオに立場が近い人が読んだら、ヤネケにイラッとしそうだ。
    レオの主張からマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を思い出した。ベギン会の「外出する時は必ず2人で」という決まりとか、侍女たちの外出する時の決まりと同じで、あれっ?と思った。ペギン会に興味を持ったので、自分でも調べてみたい。

  • 舞台は18世紀ベルギー、フランドル地方。
    この時代この地域を舞台にした小説を読んだことも知識もなかったので、わくわくしながら読んだ。
    主人公は親を亡くし、父の同業者だったファン・デール家に引き取られたヤン。
    義父となったファン・デール氏は、ヤンを家に迎える道中、ヤンが来ることでうちの子たちも鍛えられるかもな!と言ったが実際に鍛えられたのはヤンの方だった。
    というか人生通してヤンは鍛えられた。
    ファン・デール家の双子の姉ヤネケと弟テオは優秀で、特に姉のヤネケは異常に頭がいい。
    そんなヤネケは生殖行為というか繁殖に興味を示し、ヤンと性的なあれこれを実験のごとく試していく。
    そして若いながらに2人の間で子どもができてしまい、彼女は家を離れて子どもを生みその後ベギン会に入り、ヤンはというと自分は働きながらヤネケと子どもと一つ屋根の下で生活することを見据えてファン・デール家の仕事をこなしていくのだが……

    ヤネケは医者である叔父に似て人でなしなのだとよく描写されるが(実際たしかになかなか合理的すぎて酷いことを言うな〜と思うこともあるが)、好奇心旺盛で頭が良くて研究が好きで、意志が強くて、とても魅力的な人物だ。口調といい、作中で一番好きなキャラクターかもしれない。彼女の母、ファン・デール夫人も好き。
    アンナも好きだ。この時代に女だてらにこの身一つで大工仕事で食っていくなんてカッコ良すぎる。そして勤勉で口が堅くてフランクだ。

    ベギン会は作中の架空の団体なのかと思いきや、巻末の解説を見るに実在したらしい。
    信仰心を持った女たち(修道女ではない)が集まって暮らしながら互いのプライバシーは守られ、自分たち個人個人で生計を立てて食っていく。お金を貯めて家を買ったりもする。
    なんだろう、なんかちょっと、それすごくいいじゃん…と思った。なんなら羨ましいとさえ思ってしまった。
    参考文献が載っているので、ベギン会など…ひいては女性史について調べてみようと思う。

    作中には女性が集まるベギン会はもちろん、男性修道院もちらりとその名前が出てくる。
    しかし(主題じゃないからかもしれないが)男性修道院に嫌がらせがあったり、子どもを作れなんて外から罵られる描写はない。
    だが作中でベギン会の敷地に向かって、十数歳頃の少年たちが女性を蔑称する言葉(ここでは書けません苦笑)を叫び、しょんべんを引っ掛けるなどのいやがらせをする描写や、女性だけの集落を快く思わない男たちの、女性だけで暮らすなんて意味がわからないという無理解(というか人として尊重してないからこその発想だろうな)や女性蔑視の心が描写されている。
    彼らの(というか主に作中に出てくる、とある男の主張なのだが)女は子どもを産むためだけにある。それ以外は装飾品で、頭を使った学問も手足を使った商いもする必要はない。子どもを産んで産めなくなったら子どもを産む女のサポートに回るか産婆になれ。…というのがその男の主張なのだが…まあ、作中では他の登場人物にもさすがにそれはお前…といった感じであしらわれている。
    まあこの怖いところは、現代日本にも割とこういう発想の男(たまに女も)って、まだいるよね…?って話。
    数百年経っても変わらないのか…ところは違うが……
    ただこの作品に登場する女性たちはなかなか強く、その利発な発言や振る舞いにも心がすく。
    ベギン会の女たちも、それ以外の女たちも。

    そして彼らの長い長い人生の中で、ヤネケとヤンの関係性にもいろいろと思いながら、どうか2人のその後が穏やかで有りますように。と思ったのだ。
    この物語は、男のヤンと女のヤネケの、長い長い物語であったのだから。
    いろいろと考察を深めたい物語だった。

  • 舞台は18世紀のフランドル地方(ベルギー)。亜麻を扱う商家で一緒に育てられたヤンとヤネケの人生を追う物語。

    女性の二通りの生き方ーー俗世で夫や家族に尽くしながら生きるか、生殖の責任から逃れて生涯単身のまま信仰に生きるかーーを示しながら、二つの生産活動(子どもをこの世に送り出すことと、学問的な知的生産)を対比的に描く。前半は動植物へ投じられた科学的な目線を通して、繁殖するということはどういうことなのかと巡らせられる考察が印象的だった。

    時代は過渡期で、信仰と科学のパラダイムが入り混じり、産業革命により機械が人の仕事を奪う予感が示され、フランス革命によって政教分離が一層推し進められる片鱗が見せられる。この大きな時代の変化のうねりの中で、力を合わせてともに生きるヤンとヤネケの姿に胸が熱くなった。

    引用
    120p 先生は、かつては神についての全き知識を持っておられた。今は神への全き愛に生きておられる。
    224p 「(…)ああ、レース作って、それで自分で生きていけるんだ、って思ったらー何だろう、すごく強くなった、って感じ?その感じはね、綺麗なお嬢さん、より全然いいんだよ」

  • 1700年代のフランドル地方。幼馴染みの二人。当時の市民の生活、亜麻糸の商い、ベギン会と呼ばれる女性の共同体、産業革命などにも触れながら、男女の関係の本質を見つめるよい本。

  • 面白かった!
    なんと言っても、ヤネケの「人でなし」がいい。クールさがいい。男とか情とかに全く重きを置かず、自分のやりたい研究ばかり突き詰めていくのも爽快なら、男の名前で発表や出版が叶うならそれでいいじゃんという合理も爽快。
    賢くて軽快で。こんな女に40年も惚れ続けてその気持ちが決して叶わないのも、幸せなのでは。

    テレーズの「レース作って、それで自分で生きていけるんだ(略)綺麗なお嬢さん、より全然いいんだよ」のセリフが素晴らしい。
    当時の資本や生産性や搾取についても血の通ったリアルな描写。
    いろいろ面白かった。

  • 18世紀フランドルの都市、シント・ヨリス。亜麻商を営むファンデール家に引き取られた少年ヤンは、双子のヤネケとテオ姉弟に翻弄されることになる。成人前にヤネケを妊娠させてしまったヤンは結婚して子を育てようと考えるが、産後ヤネケは街にある女性だけの自治体〈ベギン会〉に入ってしまう。ヤネケの目的は学問に専念し、テオの名前で著書を出版することだった。実在したベギン会という半聖半俗の共同体の面白さを軸に、革命の火の粉が飛んでくるなか市政にたずさわっていくヤンと、数学を通じて革命後の世界を見通す天才ヤネケのつかず離れずな40年を描く。


    読み終わってまっさきに思ったんだけど、帯が嘘つきすぎだよね。佐藤亜紀ファンには単なる恋愛小説じゃないことは最初からわかってるし、佐藤亜紀の小説は全部愛の物語ではあるけど、この帯から切ない幼馴染ラブを期待した人はどうすればいいの(笑)。でも、「なんだこの女!ヤンが可哀想!」と怒りながら読むのもこの小説を楽しむ一つの読み方ではあると思う。
    帯でいうと、「エゴイスト」という表現ももしヤネケが男性だったらついてたかなって疑問はある。子ども(と要介護の親)をかえりみず研究に没頭、というのは天才男性フィクションならあるあるで、それをわざわざ「エゴイスト」ってあんまり言わないんじゃないかな。対象が男性の場合、「天才」の語に含まれてる概念かなって感じがする。
    ヤネケとヤンは世間的なジェンダーロールを巧妙に反転させた二人で、ヤンはいわゆる「待つ女」の男性版のような描かれ方をしている。女性キャラでやられたらゲロ~ッとなることをヤンがやるとけなげで可愛いような気がしてきて、「待つ女」の魅力を知ると同時に男に反転したら結局そういうキャラを可愛いと思うんかい、という自分の罪深さにも向き合わされる。ヤンは作中トップクラスの恋愛脳でもあり、ヤネケを見て「おれにまだ惚れてるっていうその表情が見たかった」とか感慨に浸るところは爆笑してしまった。「まだ」もなにもヤネケがお前に惚れてたことはないよ!
    レオがヤンの想いに気付きながら自分の母親がヤネケだとは思ってなかったりとか、結婚後のアマリアがヤネケに嫉妬しながらもベギン会に快く協力しつづけていたりとか、傍目から見て「ヤンは惚れてるかもしれないがヤネケは脈なし」なんだろうなという状況証拠がいくつもある。ヤネケはそもそも恋愛をしないタイプの人なんだと思うけど、ヤンの恋愛脳はバッチリ理解して利用してるから本当にタチの悪い女ではあります。
    『スウィングしなけりゃ意味がない』の読後に、「ブルジョワの甘ちゃんでハンパな不良で本当はいつでもお父さんの庇護下にあることを無条件で信じてるファザコンのボンボンを書かせたらほんっっっとに右に出る者がいない」と感想を書いたんだけど、本作ではまさかその力を使って読者にネトウヨの性差別主義者の親になる気分を味わわせてくれるとは。舞台にベギン会を選んだこと自体、時勢に対する直球のアンサーなんだろうなと思っていたけど、レオがフランスから帰郷するといよいよセント・ヨリスがインターネットと化していく。カリカチュアが容赦なくて面白かったけど、個人的には少し醒めるポイントでもあった。
    ベギン会を主題としながら、語り手がヤネケじゃなくヤンに設定されているところが本作のミソだと思う。合理家のヤネケは仮に男性だったとしても社会的に共感されづらい人物だよ、と読者にわからせるために「人でなし」仲間のマティリス叔父さんまでいる。時折ヤネケ視点の語りが挟まるのはずいぶん親切だなと思ったけれど、そうやってヤネケの考え方を覗かせてもらってもなお、私はこの人を好きかどうか決めかねる。いや、小説の登場人物としてはガンガン話を回してくれるので好きだが、友だちになれるか自信がない。ベギン会で誰が好きかで言うとアンナが好きなわけだが、それはアンナがわかりやすく「頼りがいがあって面倒見のいい姉御キャラ」だからだと思う。でも、ヤネケが大多数の人にとって共感しやすくもなく、理想として憧れるような女性でもなく(学問で身を立ててるのはめちゃくちゃかっこいいが)、別に連帯もしない人だということが重要なのだと思う。男性社会から求められる女性像はやらないし、女性社会から求められる女性像もやらないよ、ということ。誰の幻想も背負わずに、常に自分の欲望を精査し、責任を持って決断を下すということ。
    男性社会の求める女性像をやってそのまま死んでいったのがカタリーナとアマリアだ。この二人のことはずっと考えてしまう。カタリーナは長女を産んですぐベギンに行かせてヤネケの授業を受けさせようと決めていたけど、それは彼女自身の人生を省みてのことだったのかとか。そして母の願いどおり堅い意思でベギンに入会したテレーズがヤンをどう思ってるのかとか。あるいは、ベギンのように大きく取り上げられはしないけど、テオの死に際してひっそりと語られる街のゲイコミュニティのこととか。ヤンはヤンで男性社会に求められる男性像をしっかり務めたゆえに面倒事を押し付けられて市長にまでなっちゃうし、商売のために二度も自分の意思と関係ない結婚をするし、そもそも養子のヤンがファンデール家の存続に一番責任を感じているという歪みがある。修道院長の半生も気になったなぁ。感動作というよりはコミカルな群像劇で、コンパクトな作品だけど、やっぱりある時代のある街をまるごと感じさせてくれるような奥行きが行間に漲っている。

  • 激動のフランス革命のただ中ではなく、余波に揉まれる地域を舞台に、したたかに生きている人間たち。
    フランドル自体がそうであるし、その中でのベギン会がそうで、その中のヤネケがそうである。
    「したたか」というイメージが強く残るのが著者の作品の特徴だなと改めて思う。

    時に激しい水の流れに、意固地に抗って結局流されてしまったりへし折れてしまうのではなく、葦のようにのらりくらりと、しかし誰よりも地に足をつけて飄々と乗り切るしたたかさ。

    いちおう宗教的な集まりであるベギン会もヤネケにとっては快適な住処以上でもそれ以下でもない。嘘も方便。超合理的。

    サイコパスにも見える彼女が、唯一、非合理的に、いわゆる人間らしい心の揺らぎを垣間見せる対象が他でもない息子レオなのだが・・ヤンとヤネケ以上に「常識」を逸脱したこのふたりの特殊な関係性!ラストにかけての一連の流れのとんでもない面白さを導入材に、この作品の言わんとすることがぐわーっと体内に流れ込んでくるというか。

    ある程度の「自由」を手に日々を送っていると思われる今の時代のこの国の私たちの中にもいろんな色眼鏡やレッテルが溢れているわけで、それよりもっともっと不自由な価値観だらけだったはずのこの小説の舞台でこんなにも生々しい人間のそのものを描いてくれる佐藤亜紀さんが好きです。色眼鏡を放りなげ、全ての衣を脱ぎ捨ててぶつかってほしい一冊。

    経済も政治も、人間の愚かさも計算に入れて軽やかにコントロールできてしまうヤネケはかっこいいなあ。

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著者プロフィール

1962年、新潟に生まれる。1991年『バルタザールの遍歴』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞。2002年『天使』で芸術選奨新人賞を、2007年刊行『ミノタウロス』は吉川英治文学新人賞を受賞した。著書に『鏡の影』『モンティニーの狼男爵』『雲雀』『激しく、速やかな死』『醜聞の作法』『金の仔牛』『吸血鬼』などがある。

「2022年 『吸血鬼』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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