- 本 ・本
- / ISBN・EAN: 9784041115480
作品紹介・あらすじ
がんの特効薬になる幻の植物「奇跡の百合」を見つけるため、大手製薬会社に所属するクリフォードは南米アマゾン奥地への探索チームを結成した。植物研究者としてメンバーに加わった三浦は、ボディガート役の金採掘人ロドリゲス、植物ハンターのデニス、環境問題に取り組む大学生・ジュリアと共にアマゾンに分け入ってゆく。一癖も二癖もある怪しい奴らと共に、緑の地獄ともいうべき過酷な自然と対峙する三浦。さらには正体不明の2人組の男から命を狙われることに――。手に汗握る密林サバイバル!
感想・レビュー・書評
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アメリカの製薬会社が、がんの特効薬になる幻の植物「奇跡の百合」を探索するため南米アマゾンの奥地へ向かう。
そのメンバーに加わった植物学者の三浦は、他に目的があった。
一瞬の油断もならないくらいの密林。
その中で男たちの真の目的が明らかになったとき…
獰猛な肉食動物からいかに命を守るのか、もそうだが
アマゾンでの出来事は、現実とは思えないほど。
インディオの存在やセリンゲイロの集落でゴム採取する集団。
まさにサバイバルである。
そして、シナイ族という失われる種(ロスト・スピーシーズ)の存在。
すべてが明らかになるにつれ、過酷な現状に目を瞑りたくなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ブラジルが背景となる作品は久々だ。今話題となっている、直木賞受賞作家の垣根涼介さんの『ワイルド・ソウル』以来(2004年作、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞と、史上初の3冠受賞)。内容はほとんど忘れてしまったが、ブラジルに移住した日本人移民の生き残りが日本政府に復讐を計画するストーリーで、手に汗を握りながら超熱く一気読みした。異国ブラジル独特の熱気に咽せ、当時大学生だった遠住みの息子と携帯で長く感想を言い合った。
下村さんによるブラジルストーリーに期待を寄せた。
がんの特効薬ともなる幻の植物「奇跡の百合」を見つけるために、大手製薬会社に所属するクリフォードが南米アマゾン奥地への探索チームを結成する。植物研究者としてメンバーに加わった三浦は、ボディガート役の金採掘人ロドリゲス、植物ハンターのデニス、環境問題に取り組む大学生・ジュリアと共にアマゾンに分け入ってゆく。ほどなくして、三浦は「奇跡の百合」ではなくアマゾンで行方不明になった恋人・沙穂の探索が目的ということがわかる。彼女はアマゾンで絶滅危機の惧れがある部族の言語を研究する言語学者だった。タイトルのロスト・スピーシーズとは植物の種子のみではなく絶えてしまう部族も示していた。世界の言語は500年で半減し、今は6千から7千あるが、百年後は半減すると言われている。「英語の一人称は単数形だと"I"だけだが、日本語には私、俺、僕、あたし、うち、わし、わい、自分、拙者と性別や立場で使い分けている。日本語でも一人称を統一すべきという主張もあるけど、多くの言語はそうした欧米人の価値観による”正しさ”で奪われ消されてきた」と、沙穂に語らせている。更に、沙穂が語る普遍文法の考え方も興味深かった。人間は生まれながらにして文法がゲノムに組み込まれているから言語を獲得できるという説だ。
ブラジルはアマゾンに生えているゴムの木からゴムを採取して経済的に発展したが、ゴムの木の種が他の国に植えられ競争が熾烈化。ゴムの木を伐採して劣悪な環境になるのを防ごうと守る環境保護を貫く人たちとの攻防も描かれている。
シナイ族として地球上にたった2人だけ生存する少女。彼女らは本当にインディオを保護をする団体に守られるのだろうか? 疑問が残る。
興味深い話の種も多数蒔かれている反面、あちこちに散漫してしまったのが惜しまれる(参考文献も数多い)。盛り上がるシーンが突然に途切れ、帯に書かれた『一瞬も油断できない密林サバイバル』のサスペンス要素は、水を差されたようにも感じられた。 -
新薬開発のため、アマゾン奥地にあるという「奇跡の百合」を探して、製薬会社社員、植物ハンター、植物学者、用心棒は行く。そこに環境に興味のあるという現地女子大生、奥地に住むゴム取り人たちの集落、先住民、さらにはワニ、毒蛇、ヒョウも出てきて、息をもつかせぬ先行き。ゴム取り集落には戦後ブラジル移民として親に連れられやってきた日本人もいた。
最後に明かされる真の目的がかなりおもしろい。乱歩賞受賞の「闇に香る嘘」では満州開拓移民を扱ったが、今回はブラジル移民、ブラジルのスラム、砂金取りたち、ゴム採集、アマゾン開発など社会的要素もからませる。
「小説野生時代」2021.6月号~2022.4月号連載。
2022.8.26初版発行 図書館 -
<愚>
本作著者は1981年生まれ現在43歳。僕の二回り下。若い。こういう若い作家を贔屓として新しい作品をどんどん読まないと前/後期記高齢者の方が多い現在の僕の贔屓作家さん達の作品はじり貧になってゆくばかりだ。事実贔屓老年作家さん達の新作刊行のインターバルは長くなる一方である。(この事は先だって浅田の次郎吉オヤビンの似非新作『完本 神坐す山の物語』の感想文で一件り書いた)
ところがところが である,自分より二回りも若い奴(いきなり「やつ」ですから,笑う)が書いた本だと思うと つい上から目線というか,常に文章を疑ってかかって読んでいる自分に気づく。これは気分良くない。そんなよこしまなこと考えないで少々 あれ?と思っても素直に納得して楽しく物語を読み進めればいいではないですか自分,と思うのです。で,しばらくは穏やかに読むのですが,少しするとまた気になる言い回しなどが出て来て,つい,なんだこりゃ!と始まってしまうのでございました。一体に何様のつもりなんだ僕。笑う。
早速重箱の隅をつついたようなヤジ揶揄は始まるw。アマゾンにてヤシの木の樹種の特定にはその葉を見る必要があるのに葉のなる枝が有るのは「数十メートル」も上方なのだ,という意味の記述がある。おーいヤシの木の背の高さはどんなに高くても30mくらいだぞー。数十メートルってあんたゴジラじゃあるまいし 一体何を思って書いてるんだぁ。「十数メートル」の間違いなのかぁー。笑う。カドカワの編集者及びに校閲担当さんは何してるのだ。レベルが低いわぁ!
ところで上記 ヤシの木 についてGoogleで調べる際に「アマゾンのヤシの木,背の高さ」などと入力するともうEコマースのAmazonページのURLしかヒットしないのだ。なんだか盆栽みたいな観葉植物ヤシの木を売ってるAmazonサイトやその他全部アマゾン。笑う。南米アマゾンと書いてもダメ。何を書いても アマゾン という語句が混じっていると全部 EコマースAmazonへのLinkが出る。もうこのネット世界からリアルアマゾンは無くなってしまった!本当に何と入力すれば実アマゾンを調べられるんだ!?
さて逃避行。漁船が対岸に激突。アマゾンジャガーに襲われて一旦は逃げ出した漁船について「…爆発しちまう前に必要な荷物を回収して…」という件りがある。ん?なんで爆発するんだ。只の漁船だろ。なんか爆発物積んでたっけ。僕がどこか読み飛ばした?少しページ戻って読み返すがそういう事は何処にも書かれていない。やはり僕はこの著者を上から目線でみて本書を読んでいる。だからこんなイヤミな事ばかりに気づいてこうやって書き立てるのだ。相手はプロだからいいのだ。こうやって他人の間違いを指摘するのは子気味良いのだ。
ところがこれが数十ページあとで本当に爆発炎上してしまうのだ。しかも船内に残してきた必需品を首尾よく回収した直後に。アマゾン川のディーゼルエンジン漁船は岸に激突すると爆発炎上する事になっているのか?うーむうーむである。それともこの漁船がそのままそこに残っていたら後からなにかストーリー上でまずい事になるのだろうか。もう爆発してしまったんだから分からないのかも知れないが,そういうつもりで気にかけて読んでると,うーむやはりそういうことか,と気づいて溜飲が下がるかもしれないぞ,笑う。
結果 船の爆発は後の何にも関係はなかった。この作家 一事が万事そうみたいで書いてるその時の単なる思い付きで色々ハプニングを書き立てるが,一応ミステリー作品(なんと江戸川乱歩賞を獲っているらしい。ウソだろうきっとw)のくせに それが後々何かの伏線になる様なことはまず無い。そういう奥が読める作家ではない。こいつバカじゃないか,とも思うがなぜか作家業が出来てるんだよな。世の中不思議だなぁ。
この物語の時代の特定が僕には出来ない。とりあえずのキーワードは携帯電話もしくはスマホだ。物語にはそう云うモノがあるのかないのかの記述が一切無い。無いんだから無い事にしているのだろうけど,携帯電話って1990年代の初期にはもう世界のコンシューマーに広がり始めていた。この物語に一切登場しないということはそれ以前の時代設定なのか。80年代。今から40年以上前の事だな。当然本書の著者は下手するとまだ生まれていない。
恐らく携帯電話があると,先の船の爆発件と同様に なにかこの本のストーリーが成り立たない事があるのだろう。ついでに言うと本書には一切の通信手段が登場しない。無線も使わなければ電話も無いのであった。この僕の感想でのちのち時代設定 について触れるがデジタルカメラはある。なのでスマホはともかく無線やトランシーバーは絶対ある時代なのだが…。まあこういうのを「蓋然性が低い!」というのだ。SFやファンタジーというジャンルで書くならそういう事は一切問題にはならないけれど,どうやらそういう作品ではない様だしな。笑う。
時代特定の手がかりになりそうなこういう記述がある。本文147ページで゙登場人物の一人がこういう発言をしている。「俺が生まれたころは第二次世界大戦の真っ只中でな…」この人物ゴム採集人のゴルドという名の男だがまあ成人だ。根拠は無いが仮に25歳としよう。二次大戦の真っ只中を1942年だとすると25足して1967年。うーむ携帯電話があるわけはないな。まあ正解か。
本作 アマゾンの原生林の中をとにかく あっちからこっち こっちからあっちへと逃げ回るシーンが多いのだがインディオの部落へと逃げている最中の道行を描写した場面にこういうのがある。(155ページ)「…途中,木の枝に胎盤がぶら下げられていた。まじないだろうか。」 この情景の前後にこの記述に至る背景や関連事項は何もない。僕はビックリしたので何度も読み返したがまちがいなく,木の枝に「胎盤」がぶら下がっている,と書いているのだ。この作家なんだかおかしいぞ。異常作家だな。公安さん,こいつには監視を付けた方が良いかも。
本書,いくらでも突っ込む話題がある。実は本書は「言語」が重要なキーワードになっているのだが。P165に「…英語の一人称単数形だと『I』だけだし…日本語には『私』『俺』『僕』『あたし』…――と性別で使い分けたりする。」 英語を僕はその昔義務教育で教えられた時に 一人称は『I』『my』『me』『mine』と念仏の様に唱えて四つ覚えさせられた。でもこの作家には『I』以外は一人称じゃ無いのか?この作家一体何を言ってるんだ。(きっとここは どれか参考文献からの部分的書き写しなのだ,笑う)
アマゾン川をカヌーで逃避行中の話。332ページで一旦停まったカヌーのエンジンをその場面を継続したまま次の333ページで(再度)止めている。332ページではスクリューに藻がからまってエンジンは止まってしまったのであるが,その藻を取り除きに川に入り手を出す時に危ないので「止めた」のだった。おいおい一旦止まったエンジンをそのままもう一度止めるのはあまりにも蓋然性が無いだろう。本書を無蓋然性小説と名付けて進ぜよう。笑う。しかし作家自身の愚はもう仕方ないとしても天下のカドカワの校正者はいったい何をしてんだ!
どうやら散文的かつ修飾過多な情景描写ばかりのこの作家の手法は巻末に載せているあれこれの参考本から丸写ししたものが多い様な気がする。加えて前後の繋がりを全く考えなく只読んで気持ちが良いだけの文章ばかりを書く。ここまで論理的でない,つまり辻褄を全然合わせる気も無い文章で小説を書く作家もどき には初めて出会った。驚愕である。
時代の設定についてもこの愚作者は何も考えてなどいなくて ゆきあたりばったりである事が最後に露呈する。エピローグには現物として「小型デジタルカメラ」が登場するのである。先の僕の証拠を示した考察的解説では,一次大戦真っ最中に生まれた,云々から,物語の時代は1969年頃の筈だった。が,ななんとそこにデジタルカメラが登場するのである。もうむちゃくちゃである。スマホはあえて隠蔽したのにデジカメ出すのかお前は,笑う。
デジカメが世界で最も早く一般市販されたのは日本で1980年代の後半である。この物語のなかで日本人の三浦がリオデジャネイロの貧民街にすむジュリアに進呈した小型のデジタルカメラはごく一般の市販品だと思う。それはいくら早くとも1990年代のものである。1969年にあったわけがない。たとえカドカワという大手から出版されていても三流作家の小説なんて所詮こんなものなのだなぁ,と強く思った。
大変辛辣で失礼な事を作家や出版社相手にまたも書いてしまったが,物語があまりにも稚拙な出来なのでなんだか小説というモノをバカにしているように感じたから。僕も読書が好きなので小説/物語書きを生業とするならもう少し気合を入れて色々と考証してマジメに仕事しないと僕の様な毒読者は怒るぜ!まあもっとも僕としては,ここは(特にコメント欄は)絶対に誰にも読まれてなどははいないから書いているのだが。笑う。 -
奇跡の百合を探すため、植物学者の三浦は、製薬会社の社員クリフォードたちとアマゾンのジャングルに挑む。三浦は別の目的のために。
最初から安全は確保されていなかった。銃撃戦の末、船を乗り捨てアマゾンを彷徨う、ゴム採取人の集落を目指して。
アマゾンの利権を巡る争いに巻き込まれながら、真の目的、インディオの確保にも巻き込まれる。
三浦はインディオを守りながら、アマゾンの自然とも闘いながら奔放する。 -
幻の植物「奇跡の百合」を見つけるため、アマゾンの奥地へと踏み入ることになったチーム。とある目的のある植物学者の三浦もそのチームに同行するが、その道中で遭遇する恐るべき野生生物や謎の襲撃者たち。そして森の中で暮らすゴム採取人たちと森林開発者との争いにも巻き込まれることに。終始スリルに満ちた冒険ミステリ。
読んでいる分には楽しいのですが。アマゾンの奥地って行きたくありません。圧倒的な自然って素晴らしくはあるのだけれど。人間が太刀打ちできるものではない気がして、恐ろしくも思えました。ブラジル入植の歴史もまた重いです。しかしどこでも搾取するものとされるものとがいるのは、都会と変わらないんだなあ。
滅びゆくものというのはいつの時代にもあって、仕方がないことでもあるのですが。どうせ滅びるのだから好きにしてもいい、というのは傲慢でしかありませんね。 -
勿論標準以上の面白い作品なのだが、他の下村作品と比較するとストーリは少し落ちる感じ。だが、アマゾンの密林の生態描写やセリンゲイロの生活、戦後棄民された日本人の実態等物語のピースひとつひとつは丁寧に調べ上げれらた上で、下村氏に見事に調理されており、読み応えは十分あった。表題のロスト・スピーシーズやミラクルリリー等ネーミングセンスも際立つ。
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まさにハリウッド版冒険活劇アドベンチャー気分で読んでしまいました。危機ありスリル満点のサバイバル、ぜひ映画化期待しています。はたして「奇跡の百合」はみつかるのか?ハラハラドキドキ読む手が止まりませんでした。
著者プロフィール
下村敦史の作品





