- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041116371
作品紹介・あらすじ
深夜胸をしめつけられるような息苦しさに襲われたルーアンのホテル、真夜中の階段を登っていく何者かの足音が聞こえるリヨンの学生寮、三浦朱門とともにうなだれた人影を見てしまった熱海の旅館――3つの怪現象をつづる「三つの幽霊」。6月の雨の中、夜道を疾走するタクシーで、どこか違和感のある運転手が突然話し始めた奇妙な話とラストに震撼する「蜘蛛」、夫に殺される予知夢におびえる女性を襲う、ある恐ろしい出来事を描く「霧の中の声」など。「人一番怖がりだった」ことで有名な著者が贈る、世にも不思議な、背筋が凍り付く14話の恐怖譚。
感想・レビュー・書評
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怖がりで幽霊を信じていなくてちょっとシタゴコロのある遠藤周作が、「周作恐怖譚」という連載のため実地取材した怪談集。…となっているけれど、一部以外はドキュメンタリー風の怪談小説であって、完全実体験ではないってことでいいんですよね。
幽霊を信じていない遠藤周作本人が体験した三つの不思議な話。ルーアンの宿屋で感じた重苦しさと生臭さ、誰もいないはずのリヨンの学生寮に出入りする足音、そして熱海の宿で見たのは亡霊なのか?
三つ目の熱海の経験というのは作家の三浦朱門とともに泊まった宿での出来事であり、三浦朱門も別のエッセイで書いている。高名作家が同時に体験した怪奇現象(?)というのは珍しいようだ。 /『三つの幽霊』
顔反面のびっしりとした赤い痣。それは痣ではなく蜘蛛の卵だという。…ぐええええ(´д`)
前半にちょっと書かれた、病院でご遺体の手が、自分の手を求めるように動いたというエピソードも怖かった。 /『蜘蛛』
古道具屋で買ったカメラで撮った自分の顔に浮かび上がる奇妙な黒痣。 /『黒痣』
最初の話で語られた熱海の宿に改めて取材にいった、というお話。ちょっととぼけた感じ。ラストは、いたのかいなかったのか。 /『私は見た』
十年前の不審死事件を取材に行った記者は、被害者そっくりの男を見る。 /『月光の男』
妻に対して安心しきっている夫。だが二人の妻の話をしよう。リヨンで、恋人に夢中になったために子供を殺すシングルマザーの話。
もう一つは身近に日本の話。結婚した男は暴力夫になった。ある日赤ん坊は夫にそっくりだと気がついて。…いやああああこれは止めて(;´Д`)、本当に実話なの!? /『あなたの妻も』
怪談は、夏の良き物語だということもある。それを崩してよかったのか。 /『時計は十二時にとまる』
開けてはいけないといわれた部屋には、硝子瓶に浮かぶ人の目玉のようなものが。そしてその部屋で行われる賭けを覗き見してしまって。
==これはラストの言葉を信じていいんだよね。それにしてもたちが悪いけど。 /『針』
自分がベテラン兵としていじめた初年兵に再会した男。
==怖い思いをしたけど、まあ自業自得。 /『初年兵』
ジプシー女と結婚の約束をしたが、すっぽかした男に現れたのは呪いか。 /『ジプシーの呪』
気の弱い男。子供が病気でも、後輩に強請られれば金を貸してしまい取り立てることもできない。そんな男の前に現れたのは、過去の罪を思い出させる男だった。
==過去の罪はともかく、現在の相手に対してはさすがに気弱すぎ。 /『鉛色の朝』
予知夢を見るようになった女。夫は真面目だが締め付けが激しく人生に輝きも見えない。そして夫が自分を殺す夢を見るようになる。 /『霧の中の声』
明るい女学生の書いた文学作品は、かつて文壇から干されてすでに死んだ作家のものと酷似していた。死にながら作品だけ生かせるためにはどうすればよいのだろう。 /『生きていた死者』
オバケの扮装をした店員たちがお客を楽しませる酒場で、ドラキュラに扮した店員が近づいた客が倒れるようになる。本当にドラキュラなのか。
==まあこれはオチが、それはそれで酷いやつだなと。 /『蘇ったドラキュラ』
T大生だと嘘をついた青年は、黙っていてやるから学生運動家リーダーのふりをしろと脅迫される。
==追い詰められた人間の心理。本人はある意味スッキリしたのか? /『ニセ学生』詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
どの話も、昭和の香りがして、そして、不気味で、遠藤周作の筆致に引き込まれる。
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遠藤周作さんご自身の怪奇体験が面白かった。わりとミーハーなのねと。
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半世紀以上前に書かれた本とは思えないくらい楽しめた。
とにかく、読みやすいという印象。 -
針を読みたくて読んだけれど、怪奇小説の名の通りホラーというよりも奇妙な風味を楽しむ短編集。
説明が足りない印象ではあるけれど、描写が適当なのでそれが更に風味を濃くしていて物足りないとは思わなかった。
第三者の視点が描かれている中で、ふと読者の視点が入っているように感じた。読者自身も目撃者の1人であるように錯覚させられた。 -
ぜんぶがぜんぶ怖い話ではないけれど、
バラエティに富んでいて面白かった。 -
今の時代にそのままかぶせたら怪奇というには物足りなさを感じてしまうかもしれません。
でも私は好きです。心臓を直撃するような恐怖より背中にじりじり感じるこの雰囲気。いい意味で嘘も誤魔化しも通用した時代なのかもしれないですね。そういえば幼い頃テレビでよく幽霊特集みたいなのがあってわくわくして見ていたなぁ -
刺さらなくてきつい
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週刊新潮に連載した「周作恐怖譚」を1959(昭和34)年に単行本として刊行した『蜘蛛——周作恐怖譚』に4編を加え、1970(昭和45)年、『遠藤周作怪奇小説集』と題して出版されたもの(を、『怪奇小説集』と更に改題して1973年に講談社文庫で出したもの)。
中学生の頃私は北杜夫のユーモア・エッセイが好きで、その流れでついでにちょこっと読んでみたのが確か『遠藤周作ユーモア小説集』だった。これの巻末にオマケとして一編だけ怪談が入っていて、これがやたらに怖く、ショッキングだった。このとき味わった恐怖感の味が、ずっと記憶に残っている。私がホラー小説を好んで読むようになったのはずっと先、特にここ数年のことだ。
中学生にトラウマを与えた遠藤周作の「怪奇小説集」が一昨年角川文庫でリバイバル出版されたようで、先日書店で見つけて早速買ってみた。
・・・・・・が、全体としては玉石混淆である。というか、これら全作品をすべて「怪奇小説」とか「恐怖譚」と呼ぶのは無理がある。ただの「ややサスペンスフルな短編」や、ギャフンとオチの付くユーモア(というか、意地の悪い)短編も入っている。「怪奇小説集」と題された本を積極的に手に取った読者に対しては絶対に読ませるべきでないようなものもあった。
それでも、本書の最初の方の数編はけっこう怖く、特に「蜘蛛」など、ちょっと卓越したホラー小説である。
「週刊新潮」に連載された「周作恐怖譚」は、ふつうにフィクションの態で始まる小説よりも、筆者遠藤周作がエッセイ風に語り出す「実話系」が多く、この手のもののハシリであろう。
もっとも、小説家が書く小説だから、フィクションも混ざっているのだろうと思う。どこまでが事実なのかは誰にも分からないだろうが、楽しんで読めればそれでよい、という主旨と受け取るべきだ。
そうやって前半の「怪奇」「恐怖」を楽しんだ読者は、後半は気持ちを入れ替えて読まなければならない。