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本 ・本 (1152ページ) / ISBN・EAN: 9784041117200
作品紹介・あらすじ
〈憑き物落とし〉中禪寺洲齋。
〈化け物遣い〉御行の又市。
〈洞観屋〉稲荷藤兵衛。
彼らが対峙し絡み合う、過去最大の大仕掛けの結末は――?
文学賞3冠を果たした〈巷説百物語〉シリーズ堂々完結!
下総国に暮らす狐狩りの名人・稲荷藤兵衛には、裏の渡世がある。
凡ての嘘を見破り旧悪醜聞を暴き出すことから〈洞観屋〉と呼ばれていた。
ある日、藤兵衛に依頼が持ち込まれる。老中首座・水野忠邦による大改革を妨害する者ども炙り出してくれというのだ。
敵は、妖物を操り衆生を惑わし、人心を恣にする者たち――。
依頼を引き受け江戸に出た藤兵衛は、化け物遣い一味と遭遇する。
やがて武蔵晴明神社の陰陽師・中禪寺洲齋と出会い、とある商家の憑き物落としに立ち会うこととなるが――。
感想・レビュー・書評
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『巷説百物語シリーズ』七作目にして完結編。
下総国に暮らす狐狩りの名人・稲荷藤兵衛は、凡ての嘘を見破る〈洞観屋〉としても知る人には知られる存在です。
ある日、藤兵衛に老中首座・水野忠邦による大改革を妨害する者達を炙り出してほしいとの依頼が持ち込まれますが・・。
やっっっと読み終わりました~・・というか、ついに読み終わってしまいました(寂)。
・・にしても、マジで分厚すぎるでしょ!
京極さんの長編モノはほぼ読破してきて、そのヴォリュームに関しては慣れている私ですが、それでも本書の物理的な迫力には圧倒されちゃいましたね。
漬物石レベルの重さ(物理)と格闘しつつも、まさにシリーズの集大成ともいえる圧巻の読み応えで、結果本の重さなぞどうでもよくなってくる面白さでございました。
(ただ、気が付いたら腕がこわばっているという・・笑)
さて、物語は藤兵衛視点で語られていきます。
依頼を引き受け江戸に出てきた藤兵衛は、助っ人の“猫絵のお玉”、“猿猴の源助”らと共に探っていくうちに〈化け物遣い〉達と出会っていく流れで、『巷説』ファンにはお馴染みのメンバーが次々と登場してくるたびにワクワクしちゃいました。
おぎん姐さん、治平さん、徳次郎さん、林蔵はん、小右衛門さん等々・・これまで登場した主要キャラが勢揃いの豪華さでございます。
そんな中、『巷説』メインの双璧、又市と百介が名前は出てくるのにずっと姿を現さないのがまた気になるんですよね。
とはいえ、姿を見せなくても、裏で動き回って大仕掛けを巡らせている又市の存在感はやはり凄い・・できれば表立っての又さんの活躍を観たかったのですが、彼に代わっての狂言回しとして〈憑き物落とし〉中禪寺洲齋が登場!
もう“中禪寺”ってだけで、京極ファンはテンション上がっちゃいます。
終盤での、中禪寺洲齋VSラスボス“女傑”のやり取りは、手に汗握るものがありましたし、『巷説』の過去作すべてが繋がってくるのが明かされる〈憑き物落とし〉っぷりは流石でございました。
それにしても、今回は 仕掛けが大掛かりだったせいか、バトルが壮絶で人死にが多く出てしまったのが 切なかったですね 。
特に治平さん・・泣けてくる・・(´;ω;`)ウッ…
そして、最後の最後に戯作者“菅丘先生”と“八咫烏”をチラっとだけ登場させて幕を閉じるという心憎さが粋ですね~。
そんな訳で『巷説百物語シリーズ』を読んできて良かった!と思えるような、総まとめに相応しい物語でした。
(ただ、シリーズを読み始めたのが20年以上前なので、正直過去作の内容はうろ覚え状態でして・・できれば1作目から本書までを通しで読み返したいですね~)
シリーズは“これで終いの金比羅さん(by林蔵)”なのでしょうけど、今後シレっと外伝的なお話を出して頂いても、こちとら大歓迎でございますよ~。 -
めちゃくそ面白かった、、、
でも、これで終わり、、寂しい。
フィジカルに、もう、凶器になりそうというか、
鈍器?な厚みにはなっているが、
どっこい、あっという間に引き込まれて、
ぐわーーっと読んでしまった。
早よ読みたいけど、早よ終わってほしない
ああ、悶えたわ、、読み了てもぅた(涙)
江戸古事記というか、
アマテラス&トヨウケビメオマージュというか
ミステリなんで、なんもネタバレしたくないので
多くは書けない(くっ)
とにかくおもろい、仕掛けもなにもかも面白いし
なんちゅうても、今作はアクションがたまらん
京極本ってやっとうはそんなに記憶にのこらんかった(主観)
んだが、今作はバトルシーンが良かった。
相変わらず良え刺さるセリフも多いし、
なんせ藤兵衛とか又市とかカッコよすぎ
もっと読みたいのに、、 -
<徳>
この百物語シリーズ本がどれも物凄く厚くて,とてつもなく重い事については今迄何度も触れて来たので直接はもう書かない。でも気にはなる。巷説百物語を全巻積み上げると果たして何cmで何kg位になるのだろう。でもいつも全巻が手元にあるわけでは無いので即実行してみる訳にはゆかない。ええと全部で何冊だっけ。『巷説百物語』『続巷説百物語』『後巷説百物語』『前巷説百物語』『西巷説百物語』『遠巷説百物語』そして『了巷説百物語』全部で7冊かぁ。あ,なんだ,これWikiに載ってんじゃん。あーあ。徒労だった(笑)。
7冊なら単行本でまあ50cmくらいかな。何気に書いたけど50cmってめっちゃ凄いよ。重さは同じく単行本でまあ7㎏はかるく超えるかな。絶対持って運ぶのは嫌だ。なんなら持ち上げるのもかんべんして欲しい。京極夏彦はんはキットこういう事をやって僕ら読者を困らせる事にいわゆる人生のヨロコビ を感じているのだとしか思えない(笑)。まあ読み応えあって面白いからいいけどね。
巷説と云えば 南こうせつ という歌手がいるw。僕ら世代のフォークソング的隊大スターだ。かぐや姫という3人組のグループで『神田川』『妹』『赤ちょうちん』などのヒットをはなった。で,この こうせつ という名前は本名らしい。もし漢字で書くとするとするとやはり巷説 かな(笑)。 お前何が言いたいんだっ,って別に 南こうせつってそうだったな と思ったので書いてみただけだよ。ああつまらなくてすまなかった。
面白い表現を見つけた。京極ハンならではの気づきなのだろう。藤兵衛の言をそのまま引く「八里半と書かれた辻行燈が見えた。後半里で九里 ―― 栗になるという,焼き芋屋の看板文句である」 なるほど面白い。でも僕は実際にこの様な看板なり行燈を見たことは無い。僕はもう立派な前期高齢者だから記憶にまなんとか残っているであろう向こう60年位の間に見たことがない。う-む昔は焼き芋屋って沢山有ったし,今でも屋台の焼き芋屋は時々見かけるのになぁ。今度気を付けて見てみよう。実は「八里半」って書いてあったりして♪
他にも気になる表現はいっぱいある。文意を書き抜く。「悪行を褒めるものもいれば,善行を蔑(さげす)む者もいる。人は事実を語る顔をして感想を語るから。妬(ねた)む者は善行でも貶め,畏れる者は悪しき行いでも讃える。」藤兵衛(京極はん)のこの言には参った。まさに御意!である。「人は見たいものだけをみて,信じたいものだけを信じる」という事だ!
「村八分」という言葉が出て来る。ここのところ久しく聞いていなかった言葉だ。火事と葬式以外は一切付き合わないで仲間外れにする,と云う意味だ。昔の村地域社会における差別やいじめの一表現だ。ところが先の新型コロナバウラス禍津 では火事はともかく葬式すらできなかった。葬式に参列しないではなくて,葬式そのものが出せなかったのだ。なんとまあ恐ろしい事よなぁ。そういえば京極ハンは時代小説作品ばかりなので新型コロナバイラス禍津に関しては全く関知せずとも好かったのだな。稀な事よのう。
洲齋の言に「神は崇めれば護り。崇めずば祟る」がある。この言にて,あがめるという漢字と たたる という漢字がとても似ていることに僕ははじめて気づく。まあどちらも普段使いする言葉では無いが,かんむり部首のつくりが上向きか下向きかが違うだけでこの意味の違いになる。 呪い と 祝い みたいなものか。日本語漢字にはしばしこのような例が見られて僕は驚く。
さて少し話題は横道に逸れて僕が普段からとても気にしている【いつまでも「マスク」をしている人】の事。今2024年の日本。物を食べたり飲んだりするとき以外はずっとマスクを付けている人が一定の割合で居る。なんならこの夏の35度を超える猛暑でもその手の人達はマスクを外さない。たぶん寝てる時もマスクしてるのだろう。また,一人だけで乗ってる車の運転者でもしっかりマスクしてる人が居る,この人は一体何のためにマスクをしているのだろう。何?それは女性に多くて化粧をしていないから…。うーむ。
だが男性にもお一人で車中マスクしてる人はいる。そいつも化粧が理由か?(笑)。衛生上の理由ではなくて 貌を見られたくない という理由でマスクをしている人がいる。あんた犯罪者かぁ?(笑) 冗談はともかく,もうこうなると多分その人はマスクが心地よいのでしょうね。しないと不快で気分が悪い!という訳ですな。パンツと一緒(笑)。僕には到底理解できないし,欧米の人達からも理解は到底してもらえないでしょうね。ま,他人に迷惑は掛かってないしその人の自由ですけどね(笑)。
さて閑話休題。627ページに次の文意の下りが或る。額三は50両を超えるまでは“お恵み”として金を都合してくれる(但し50両を超えた時点でといち の利息の返済義務が生じる!) 件の福ノ屋 から10両借りてそれを使い果たして回らなくなり 追加で借りる時に新たに10両だけを借りるのではなく何故か20両借りてそこからのっけに借りた10両は返して手元に残った10両を回転資金とした。まあ結局借金は20両に増えるのだが。
これには一体どんな意味があるのだろう。最初この下りを読んだ時はなるほどなぁ と一旦は思ったものの少し読み続け話が進むと 結局50両までは元金は返さなくとも良いし利息も発生しないのだから同じじゃないか!いったいこの借金10両の時に20両借りて10両返す行為のどこに(京極ハンの)意図があるのか僕は分からなかったのだ。
さてここからは僕の妖しい 【ある暑い夜のゴキブリ撃退物語】 但し不思議もからくりも無くてちょっと怖いだけ(笑)。 夏の暑い夜,我が家一階の台所にこの夏初めてのゴキブリが現れた。割と大きくて昨年見たことある奴らより色が黒い。さてどうするかと考えて階段下の収納スペースを探ってみると『くもフマキラー』という殺虫スプレー缶があった。僕には買った覚えが無いのでたぶん連れが買ったのだろう。蜘蛛用でゴキに効くのかいなーと思いながらも すぐには他の方法を思い付けなかったのでそれを件のゴキに向かって噴射した。
思いのほか噴射力が強くて逃げ回るGゴキに少し離れた位置から連続噴射! やつは1.5m程は走って逃げたがそこでくたばった。で,そのGゴキの逃走中になんと別の個体がどこからともなく表れた。もしかすると最初の個体を助けに来たのか,というタイミングだった が,そんな訳はないか。なんでも食べるGのやつらは平気で共食いするらしいからなあ。で,そいつにも くもフマキラー をお見舞い。見事粉砕した。
ダイニングの床には2個の死骸が転がっている。さて二階へ戻って寝る支度をするかと振り向くと もう一匹こいつは今回いちばんでかいBig Gがキッチンの床を堂々とこちらに向かって横切ってくるではないか。すかさずくもフマキラー噴射。こいつは大きいだけあっておよそ2mも逃げ回ったであろうか。でも蜘蛛フマキラーの威力は強烈で見事に撃退。これで3匹を殺害してやった。ちなみにGは一匹見つけると100匹はいると言われているらしい。と云う事はうちには,わぁもう300匹もおるんかい!
実は僕はこのGゴキ事件が起きる前に 二階の自室でGibson J-45を弾きながら『どうしてこんなに悲しんだろう』を拓郎のオリジナルより半音高いD#キーで最後まで歌いきっていた。来週ライブだから。流石にD#だと 歌い終わった後のど左奥手前に少し違和感があったのだがこのGゴキ事件で使った くもフマキラー の噴射を少しくは吸い込んだらしくのどのその左奥手前部分が段々とイガイガして痛くなってきた。最後は大事には至らなかったものの,うがいしたりウイスキーで消毒したりw で大変だったのだ。Gゴキめ只ではくたばらんのう。
さて,翌朝会社に行く前に死骸の始末をしようと思ったらなんと1匹増えて合計4匹の死骸が台所とダイニングの床に転がっていた。噴霧して床に付着した「くもフマキラー」の上をあとから通ったやつがおっ死んだのだろう。『くもフマキラー』の毒効果持続力恐るべし。ちなみに僕自身蜘蛛は苦手ではあるが決して殺したりはしない。蜘蛛は益虫であってヤモリ同様に家の守り神だとも思っている。ではなんでゴキブリは何にもしないのに見つけたらひどい目にあわすのだろう。差別だろう。Gコキブリハラスメント略して「Gハラ」なのだ。
さて長い横道から戻って再度閑話休題。遠山左衛門金四郎による本筋の状況説明と講釈(724ページ辺り)を読むと,ようやく一体に誰が何の目的で何をやろうとしているのかの外郭が見えて来る。まあこの内容は現代においても自分の手では何も作れない資本家の搾取行為によって世の中は成り立っていて「金は金のある所にしか集まって来ない,貧乏人はずっと貧乏のままなのだ!」という事の理屈が分かる。だが物語の更にその細部への理解は陰陽師洲齋の説明を待たねばならぬがまあこれで時は少し稼げたw。
さてここで再箸休め?に話題を変えて。世の中に昔あった【部活の『しごき』】はいつから始まったんだ!僕は中高生時代サッカー部に入っていた。(高校全国大会出場一歩手前の試合で惜敗する位には強いサッカー部だった) 当時監督や先輩たちからそれはひどいしごきを受けた。うさぎ跳びは言うに及ばず「練習」という大義名分に隠れたほとんど拷問に近いモノだった。でも,かくいう僕も先輩格になった時には同じように後輩をしごいた。その後輩も多分年長になった時に新入生をしごいたのだろう。と云う具合に,しごきは順繰りに伝わって輪廻していったものである。
しかしいつの頃からかその悪しき習慣は途切れて今しごきはもう無いらしい。それはいい事だと思うけど僕のここでのモンダイ提議は「しごきはいったいいつ始まったのだろう?」という事だ。その一番最初にしごきを始めた奴らは先輩からのしごきを受けていない筈なのだ。だって最初に後輩をしごいた奴なのだから。その最初にしごいた奴を見つけ出してあらためてしごかない事にはこのモンダイの根本的解決は無い!みんなで最初にしごいた奴を見つけ出してしごこう。なぁに簡単だ。順番に先輩をたどって訊いてゆけばいいのだ。(笑)
ところで,僕は巷説百物語シリーズをおそらくは全巻読んでいるがもうこの歳なので中身を詳しく覚えているわけでもない。まあ御行小股潜りの又市はもちろん読み知っている(あまり本人がしゃべっている場面はみたことなくて事実本書でもうんざりするぐらい話には上がるが本人はちっとも登場しないw),陰陽師中禪寺洲齋もどれかの巻に何度かは登場していた記憶がある。
が,稲荷藤兵衛と言う本巻の主役格はこの『了巷説・・・』以前の今までの物語にも登場していたのだろうか。賢明なる読者諸兄姉様方,厚かましいお願いですが稲荷藤兵衛が既刊のどの巻に登場しているか僕に教えて欲しいものです。
さてこの本の分厚さと重さについてもう一下り書くとする。これだけ厚いと(なんと1100ページを超えている) 当然読むにも日にちが掛かる。まあ四六時中本を読むだけの生活など出来る筈も無いのでウイークデイの一日に読書に使う時間はまあせいぜい3時間くらい(通勤電車中を含む)。僕の場合読むのに大体1ページに1分掛かるので60分では60ページつまり最大3時間だと180ページ読める計算になる。こりゃ7日もあれば読了出来る計算になる。ところが現実はそうはいかない。
一日に3時間読むって言ったってその間にはトイレに行くかもしれんし,くしゃみもする,なんなら僕はほとんどの場合お酒を飲みながら読んでいるので「グビリ」と遣る=読んでいない“間(マ)”もある(なんだそれw)。そして並の本とこの巷説百物語の最大の違いは「重さ」。とても通勤列車の中で読む為に毎日会社までこの重さを持ち歩く気にはならない。なので7日ではとても読了には至らないのだ。
で,ここでの話のポイントは実は「栞紐」。普通は栞紐を引っ張って読み始めるべきページを開くのだが,段々とページが進んでくるとこの 紐で持ち上げる紙の枚数が多くなってきて重い!僕の場合500ページを読んだあたりから栞紐だけで持ち上がるのはほとんど不可能になった。紐を持つ指の“碑つまみ力”が本の重さに負けるのだ。いったいこの本どんだけ重いんだ。おーいKADOKAWAさんよー,栞紐の太さや材質は大体どの本でも同じだけれど,京極の百物語本だけはもっと太く頑丈にした方がいいぞぉー!
京極夏彦は独特な漢字を随所に沢山使う。固有名詞に使うのではなくて普通の言い回しで使う。芸が無いが以下羅列してみる。 『為た(:した。と読ませる。たしかに「為した」なしたならば普段から使うなぁ)』, 『慥かに(:たしかに。漢字変換可能第二候補)』, 『識る』(これはもう僕も普段から使ったりし始めたw), 『屎(糞はもちろん知っていたが,この屎は本書で初めてお目に掛かった)』,
『貌(たいがいは頑なに一種類だけ使う京極だが本作では珍しく「顔」も使っている。まあ使い方の基本に従っているだけだとも言えそうだが)』, 『扠(さて,と読む。これも実はPCでの漢字変換候補にズバリあるんだ)』, 『謂わば(いわば,だ。同じくPCで変換可能)』
『塵芥(ゴミ,と読ませている)』調べるとどうもゴミという言葉の漢字はあまり使われないのだが書き言葉にはもっぱら塵と芥が単一で用いられるそうだ。でも芥はゴミとは読まないよなー。芥川賞ってゴミの賞だったのか?(笑), 『鏖(みなごろし と読む。普通は「皆殺」でしょうにw)』 なんとこれもPC漢字変換できる。一体どうなっているんだ。こうなると京極ハン,PCで漢字変換しながら「お,これ知らなかった字だ,おもしろい,使おう」なんてやってるんじゃないか,と変に勘繰りたくなる(笑)。
この本を読んでいてふと思ったのだけど,江戸時代というのはなんと長い時代だったのだろう。昭和は来年2025年で100年(昭和100年)になるが,長かった様に思われる昭和も64年しか続かなかったのだ。その事を考えると江戸時代のおよそ250年というのはこりゃめちゃ長い。人間にとって250年はいかにもいかにも長い時間なのだ。このように長い間同じ政権が続いた国って他にあるのだろうか。王制や帝政ならばもちろんもっと長く続いているのもあろうがそれらは実質の政権を握り司っているわけではないのだ。
さて本書。 『了』おわり という題名が付いてはいるがこの巷説シリーズが本書で終わるなんて事はどこにもなんにも書いてなどいない。次巻『続了巷説百物語』はキットもっと分厚く重いのだろう大(笑)。で,本書は¥4000なのだがもうその辺が限界だ。エンタメ本が4000円超えるともうそれは学術書か事典みたくなってしまうのであった。やれやれ。 -
この一冊がこれまでの巷説シリーズを大河ロマンにしました。それは、ロシアの大文豪も真っ青になるくらいの、あるいは顔を赤らめるくらいの、大河小説です。
これまでの主人公の活躍を描かずに、彼の動きを伝えてくる。ずっと読者の思いを募らせる。たいしたテクニックです。この騙りに乗せられながら読む楽しさが読んでいる間、ずっと続きます。
今回は活劇が多い印象です。しかも、映像が浮かんでくる。むしろ、自分がカメラマンになって映像を撮っているような気分。京極夏彦さん、映画監督にチャレンジするのだろうか、と思うほどの活劇描写。黒澤明監督の映像の美しさを彷彿とさせるものでした。
陰陽師が「世の中には」とか「この世には」とか話し始めると、この一言が誘う世界に引き込まれていく、抜け出せなくなる。
おぎんさんはいつでも妖艶な美しさ。そして、強い。おぎんさんの出番にはいつも惚れ惚れします。
そして、登場する大河ロマンの仕掛け役。その人が着る鮫小紋。白っぽい鮫小紋。この場面で鮫小紋を着せるセンスの良さにうっとりしました。
そして、いつまでも動き続ける八咫烏、又一。妙に落ち着いた大団円とせず、物語は生き続けるのですね。これまでのシリーズが、一冊で完結しているように見せて、大河ロマンの一部であったように、すべての物語は、一部始終でありながら、一部分でもあるのだと感じ入りました。 -
これは現代資本主義社会へのアンチテーゼ……としても読めるのかも知れない……。
著者プロフィール
京極夏彦の作品






確かにそう!
寒々となんか絶対しないですよね!
暑苦しいというか、何というか…
でも、何かある!っていう根拠のない確信が!
っ...
確かにそう!
寒々となんか絶対しないですよね!
暑苦しいというか、何というか…
でも、何かある!っていう根拠のない確信が!
ってパターンで読んでしまいます(^◇^;)
高めて読んでください。
オールスターです!!
高めて読んでください。
オールスターです!!