- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041117798
作品紹介・あらすじ
ロシア革命直後のウクライナ地方。成り上がり地主の次男坊ヴァシリの書物に耽溺した生活は、父の死後一変した。生き残るために、流れ者のドイツ兵らとともに略奪、殺戮を繰り返し、激動の時代を疾走する。
感想・レビュー・書評
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これは何かの寓話ではない。
舞台はロシア帝国が共産主義化する前夜のウクライナ地方。時は20世紀初頭、赤軍、白軍、さらには地元のごろつきどもが群雄割拠する激動の時代。
語り手の「ぼく」は、不思議な縁から地主となった父親のもとに生まれ育ち、ゲーテやトルストイなどを読み、少なからず教養もある。兄が1人。キエフ(キーウ)に住み、夫の土地には近づきたがらない母親が1人。そして父親のビジネスパートナーであるシチェルパートフという男が界隈で実権を握っている。それはそれである程度の秩序は保たれていたのだ。
この設定からも、半獣半人のミノタウロス神話が下敷きにされているのがわかる。何かの教訓を伝えたかったのか?
本作はそんな生易しい小説ではない。この小説にはミノタウロスという言葉は一度も出てこない。
本作のなかには、1913年に前後する激動を生きた1人の青年の人生がたしかに実在している。それがミノタウロスに似ている、というだけのことなのだ。
時代の雲行きがあやしくなってくる。地元のごろつきグラパクが武装して近隣の街を荒らし始める頃、ウクライナ地方もまた激動の波にのみこまれつつある。国内の混乱に加え、オーストリア軍が進出しつつある。
多感な「ぼく」の周囲でも、次から次に不穏な事件が起き始める。そしてそれは一部、「ぼく」の自業自得でもある。
殺られるなら殺るしかない。最初は1人殺すだけでも一大事だったが、2人、3人と殺すうち、「ぼく」はまるで坂を転げ落ちるようにして殺しを何とも思わなくなっていく。
いわば「ぼく」が、悪漢、つまり”獣”になり果ててゆく過程を、格調高い硬質な一人称文体で綴ったのが本作の哀切きわまりないところ。
もはや生き残るためには殺しや略奪が不可欠な状況におかれた「ぼく」は、置き去りにされたオーストリア兵ウルリヒ、狡猾なちんぴらフェディコと組む。
3人の悪漢はつかのまの協力関係を結ぶが、互いが互いをすぐに裏切るから一筋縄ではいかない。
友情の青々とした芽が頭をもたげかけるが、それはすぐに摘みとられてしまう。
物語はしだいにこの3人の関係に焦点をむすびながら、うんざりするような毎日を克明に描く。けっきょく彼らの周囲には歴史などない。ただそれでも生きなければならない日々があるだけだ。理念や理想という高級な概念もない。
しかし「ぼく」はそれをいくらか本を通して知っている。だがそれが頭のなかで熟成する前に、現実が次から次に襲いかかってくる。気がつくとまた、人を殺している……
読みながら何度も、自分はいまキリル文字で書かれた小説の、抜群にうまい翻訳を読んでいるのだという錯覚にとらわれた。いくらかはこの時代のことを身をもって知る者が作った物語かと。どんな細部の描写に分け入っていってもそこにはれっきとした、生き生きとした現実がある。
ましてや、日本語話者である作者がこれを書いた(実在させた)のだとすれば、二重に驚くべきことだ。 -
正直辛かった。
名前もストーリーも頭に入って来ない。
時代背景とか予習しとけば良かったな。 -
摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB50268607 -
帯の「目を背けるな。未曾有の時代を生きる現代人、必読の書」に ふ~~ん と思い、読み終わってからは、なんで必読??
人という存在から獣に近い存在にひたひたと自然の流れの中で移っていくのにすくんでしまった。一度してみると二度目三度目とどんどん平気になっていきエスカレートしていく。面白いわけではなく興奮もせずただしたいからする。あぁこの人たちは刹那の今を思いのままに生きているのかもしれない。同じ世界に生きていたら私もそうなるのかな
色々あるけれど、今の世界で幸せを感じていられます。
著者プロフィール
佐藤亜紀の作品





