- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041126523
作品紹介・あらすじ
かつて、貧しさと戦争によって恋人デイジーと引き裂かれたジェイ・ギャツビーは、帰還後、巨万の財を築いてニューヨーク郊外のロングアイランドに豪邸をかまえ、夜ごと豪華なパーティを開いていた。それらはすべて、人妻となって対岸の館に住むデイジーを、わが手に取りもどすためだった。その狂おしいまでに一途な情熱が、やがて思いがけない悲劇を引き起こす――。
1920年代のアメリカ社会に生きた人々の栄華と退廃、失われた青春の夢を描く、「ジャズ・エイジの旗手」フィツジェラルドの、非の打ちどころがないと言われる最高傑作!
感想・レビュー・書評
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何回読んでも誰が訳しても最高の一冊。
愛する人への愛を貫けてギャツビーは幸せだったのでしょうか?
わたしはそう思います。
「ギャツビーは緑の灯火を信じていた。
年々僕たちの前からあとじさりしてゆく底抜け騒ぎの未来を信じていた。そのときになれば、肩透かしを喰らうのだが、そんなことはかまわないー明日になればもっと速く走ろう、さらに遠くへ腕を差し伸ばそう。…そして、ある晴れた朝ー
だから過去のなかへ絶えず引き戻されながらも、僕たちは流れに逆らって船を浮かべ、波をきりつづけるのだ。」
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1920年代のアメリカを象徴する作品らしい
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アメリカ文学史上、最も無茶でカッコいい男性。
読んだら誰もがギャツビーのことをそう思うから読み継がれてきているのだなと思う。 -
読了まで時間がかかってしまった。いつか読み直したい。
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舞台は狂乱の二十年代。東部の軽薄な人々と交際しながらそこに馴染めないギャツビーの人生を描く。昔同じ立場であったデイジーが東部人と同じ思考に染まっていく中、ギャツビーの純粋さが滑稽に見えて来る。フィッツジェラルドも当時の売れっ子として名を馳せたが、心にどこかでその風潮に疑問を持っていたのではないか。そしてその疑問を皆が持っていたからこそ当時売れたのであろう。
角川版は表紙がレンピッカでまさにピッタリである。 -
新旧映画も観たことがあるし、宝塚でもやるし、かなりの有名作品だけど、プルーストさん同様形容詞過剰な文章なので読みにくい。意識高い系の人が「好き」って言ってそう。
特に前半が間延びしていてキツかったので、そこは短くしたうえでギャツビーとデイジーが再会してからをもっと掘り下げて欲しかったです。
プルーストさんの『失われた時を求めて』のような長編ではなく、薄い1冊であったことは助かりました。
デイジーとトムは実はお似合いのハイクラス出身の軽薄夫婦で、生真面目で視野の狭い下層階級出身のギャツビーだけが勝手に盛り上がって愛に殉じてしまった喜劇でした。
デイジーも娘に対して女は美人でちょっとおバカなほうが生きやすいと言っているから、実は軽薄を演じているうちにそれがデフォになってしまったのかもしれません。
物語中の季節は夏で、秋の気配とともに話は終焉する。
これは彼らの人生のなかで若さを持て余すくらいの真夏の季節が過ぎ、秋の気配を感じるお年頃といった二重の意味を感じました。
深読みすれば、人間とは…人生とは…ということを学べる教材にもなるお話でした。 -
1920年代の米国の富裕層を舞台にした、小説。経済格差の歴史は長いなと感じた一冊でした。