- KADOKAWA (2025年2月28日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784041158074
作品紹介・あらすじ
大学生の時に友人からの性暴力にあったスミレ。
限界に達した心を抱え、困難な状況にある人たちをケアする街に辿り着く――。
『消えない月』『神さまを待っている』『若葉荘の暮らし』、
現代女性の寄る辺なさに真摯に向き合い、そっと軽くする――著者最新作!
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「それぞれに過去はあって、これからどう生きていくのか悩んで、
闘っていることはわかるから、気にせずに自分のことだけ考えていればいいの」
大学生の頃、自分のことを好きだという友人から性暴力を受けたスミレ。
忌まわしい記憶を胸中に押し込めながら社会人として過ごしていたが、久しぶりに会った女友達から、
彼が当時のことを美しい思い出として吹聴していたことを聞いて、何もできなくなってしまう。
行政がケアを目的に作り上げた街で暮らすことになり、
いじめや虐待など、暴力を受けてきた人々と関わりながら、自分はどう生きていくのか、模索していくが――。
人の心は、あまりにも繊細で複雑だ。
痛みと再生を真っ向からとらえた物語。
感想・レビュー・書評
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タイトルの意味通りの物語。
現実にこの物語の舞台となる街は存在してるのか?と考えてしまう程度にはリアリティはあります。恐らくそこに集う人々が現在の社会が形成する歪みの被害者だから。
しかしながら最近の著者の物語はデリケートかカテゴリーかつピンポイント的に誰かに発信されてる気がします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
アサイラムとは避難所のような意味合いがあるらしい。主人公のスミレは大学生の頃に受けた性暴力により、仕事を辞めざるおえない状況に陥ってしまう…。そんなスミレがたどり着いたのが、性暴力のみならずDVや虐待、いじめなどの被害者を集め心のケアを受けられる地域だった。被害者同士やカウンセラーとのつながりを得ることになったスミレは…。
罪を犯した人には刑務所がある、でも被害を受けて心に傷を受けた人たちの救済の場は?って考えるとないんですよね…!この作品では、被害者の心の負担を最小限にできるよう行政サービスを行き届かせています。実際にあったらどうだろう?とか、ちょっと考えちゃいました。こんな地域があったなら、いけないこととは思いつつも偏見の目で見ちゃう気がします。
被害を受ける人がいなくなれば、それが一番いいことなんだと思います。それに必要なことはなんだろう?教育かな…??被害を未然に防げるシステムとかもいいかも…!いずれにしても、この作品は、読んでいてキツイ作品でした。-
2025/05/13
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2025/05/13
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ultraman719さん、おはようございます。
そうなんです!加害者は護られていて
被害者は護られない…それは問題ですよね!
だけど...ultraman719さん、おはようございます。
そうなんです!加害者は護られていて
被害者は護られない…それは問題ですよね!
だけど、この作品読むと、
ここまで護ってくれるのはどうなの?とも…
私、ひねくれてるんでしょうね…思っちゃうんですよね…。2025/05/13
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アサイラム=避難所という意味らしい。アラブの国のご挨拶かと勘違いしていた。
街全体が避難所になっているこの場所では、性加害や虐待に遭った人々が暮らす。
過去に何があったか、お互いに話す必要はない。仕事も体調をみながら自由に休める。金銭的な公的サポートもある。理想的な場所にみえるけど、どこか宗教的な雰囲気もあって…できることならお世話になりたくないなと思った。
なるほどと思った表現は、性被害≒性加害。
加害者がいることで被害者が生まれるというのはその通り。だから、「性加害に遭った」という表現なのだと。日本では加害者がばかりが優遇されていると感じてるので、アサイラムほどまでいかないまでも、もう少し被害者が守られるといいなと思う。 -
加害に遭った人たちの街が本当にあるのかと思って思わずネット検索してしまった。実在はしないよう。世の中にこういうコミュニティがあってもいいと思う反面、コミュニティ内で全てが完結してしまうのもこわい。
当事者にならないと本当の辛さはわからないけれど、自分がニ次加害を無意識に加えないように、自分の物差しを常に疑うようにしたい。
自分が我慢すればいいみたいな風潮はやっぱり無くなってほしいし、自分自身もやらないようにしていこうと思う。
読みながらあっちこっち思考が飛んで、色んなことを考えさせてくれる本。というより、考えざるを得ない状態になってしまう。 -
加害行為により傷ついたひとたちの再生への話です。深く考えさせられるため、読後感はかなり重めです。
被害者への支援の必要性が、今になってやっとクローズアップされてきたように思います。その究極系とも言えるのが、作中に登場する街です。行政がここまで取り組むことは十中八九ないので、実現することはないのでしょうが。。
この話の中で難しいと感じたのが、二次的な加害行為についてです。性加害では特に、そんなの大した事ないしいつまで引きずっているの、と言ってしまいそうになる自分に気付きました。被害者をただただ追い詰めてしまう言葉です。
街でのルールとして、他者に深入りしない、噂話をしない等がありました。それはすなわち、それらの行為が二次的な加害行為になりやすいということだと思います。誰も傷つけることなく生きていきたいものですが、少なくとも不用意な一言をなくす努力を続けていきたいと思います。 -
出会ったから傷ついたり、前に進めたり、その出会いを静かに深いところから見つめているような本。
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犯罪に遭った被害者が保護される場所はあるのだろうか。まだ加害者の方が刑務所に入っていたりと世間から隔絶されており、守られているような気もする。
一方、被害者は誰も守ってくれない。特に性被害に遭った人は、世間からなぜかバッシングを受ける。被害者の態度、見た目が相手の性欲を煽ったのではなどと。これには納得がいかないが、残念ながら世間は被害者に厳しい。
"アサイラム"はそんな被害者を保護してくれる場である。外部の世界に出なくても、そこで生活が完結するようなコミュニティである。
そんな場所でも、なぜか世間からの視線は冷たい。税金使ってそんな場所作って…という視線だ。私も実際アサイラムのようなコミュニティがあったら、あえてバッシングこそしないものの、素晴らしい取り組みだとは思わない気がする。
コミュニティの内部がどうなっているのか分からないからだ。この本の主人公のスミレも、アサイラムにいることを宗教と言われたりしているが、これはもうどんなに説明しても、分かってもらえないと思う。
結局、被害者の気持ちは、被害者にしか分からない。私が唯一、ハッとしたのは、加害者に謝ってほしいかと問われたスミレが、「謝ってほしくない、許さなくてはならないから」と答えたところである。
そこだけが、被害者ができる最後の抵抗なのかもしれない。 -
辛かった。
アサイラムは避難所を意味する。
困難な状況にある人をケアする目的で行政が創り上げた街。
この街では性加害に遭った人やいじめ、DVを経験した人達が生活する。
文中に何度か宗教という言葉が登場するが、そんな空気感があった。
最も辛く感じたのは、性加害に遭った人への心無い言葉。
自分を責める当事者に追い打ちを掛ける言葉の数々。
責められるべきは加害者だ。
仮に自業自得だと思ったとしても声に出す必要などない。
居場所があることは心の支えになる。
だがアサイラムが無くても安心して生きていける社会になって欲しいと心から願う。 -
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<按>
前半読んでて思ったこと。著者 畑野智美は「でも」とか「だが」「しかし」などという感じの接続詞をあまり使わないなぁ。接続詞は前後の文章の内容を考えて使わないと意味のない接続詞になってしまう。何も考えずに多用すると存外そういう事になっている場合が多い。そういう文章を読んでも気にならない人はそれでもいいのだろうけれど僕はかなり気になる。
『加害行為に遭った人』という云い方をしている。これは『被害に遭った人』と同じ意味だろう。だとすると『加害行為』と『被害』は全く同じことなのか…と ふと思いながら読んでいたら,まさにその事が本に書かれていた。そんな事普通は考えないのかも知れない。でも畑野智美,そして僕は考えるのだ。それが良いかの悪いかはマジ認知症予備軍の僕には分からないのだれど。笑うう馬。
聞きなれない本の題名『アサイラム』の意味は本文後半にも説明されているし おそらく多くの読者諸兄姉様達が感想文に書いてくだすってもいるでしょうから僕は書きませんが。なんだかこの畑野智美の書き下し作品はまずこの題名ありきで書き始められた様な気もする。あまり明確な理由は僕には在りはしないけれど。
著者46歳 畑野智美の近貌がものすごく気になったのでネット検索した。割りと沢山の画像があった。なんだかまことに それらしきひと だなぁと思った。それらしき がどういうことを意味するのかは人によって感じ方が違うと思うけど僕の場合はまあ察してくださいまし。で,皆様もごらんになって それらしき を感じて欲しい。
最後半で主人公女性が車を運転する描写がある。(道路にたってる)目づらしい標識や一方通行の道 が苦手らしい。誰がって そりゃ著者の畑野智美の苦手に決まっている。畑野さん 大体は常識や蓋然性がキチンとあって面白い小説を書くが 時々そしてその内容が自分自身の経験から書いているだろう内容の中に おや? と思う事がある。あくまで僕が思うだけなので他の読者諸兄姉皆様がどうかは分からないですが。いやはやこれもこの本が面白い理由なのかな。
終わりはハッピエンドでもなければバッドエンドでもない。何の結論も無いまま流れる様に終わってゆく「流し終わり」(Byりょうけん)だ。まあこの終わり方なら楽でいいし下手に結論を無理やり持ってくるよりよほどましなのだろうなぁ。 -
読んでて苦しくなった。
大なり小なり日々暴力にさらされても、なんとか我慢して、順応することが良しとされる、そんな世界に確かに私たちは生きてるんだということをこれでもかというほど見せつけられた気分。
そして悲しいのが、自分もその鈍感さゆえに、人を傷つけてきただろうことにも思い至ってしまうことだ。 -
性加害、いじめ、虐待、DVなどの被害者のために作られた街のお話です。
こんな街が現実にあったら救われる人は多いんじゃないかな…というか、現実がこの街みたいに優しい世界だったらいいのになぁと思います。
日本にはまだまだ性加害やいじめなどの完全に犯罪なのに犯罪となかなか認定されず被害者が泣き寝入りするしかない事件が山ほどあって、本当に暗澹たる気持ちになります。
被害を受けて仕事を辞めざるを得なくなったり、転校したり、なぜいつも被害者ばかりがこんなに苦しまなければならないのか…。
主人公のスミレは大学時代に同じサークルの男性からの性加害に遭います。数年後サークル同窓会で、同じサークル仲間が全員そのことを知っていたことを知ります。更に、サークル仲間たちは、その事件を男性側の片思いが成就した甘い恋愛事だと思っていたと知り、強いショックを受け仕事に行けなくなります。
友人女性から「みんなが(そういう体験が)あること」「気にしすぎ」「自意識過剰」などと言われるのが最悪のセカンドレイプで…。
でも、セクハラや性暴力を容認し、女性の人権をないがしろにする社会にその友人も順応させられてるんだよなぁ。
被害者たちの街で心と身体を回復させ社会に復帰するのにも、当然その人その人でハードルは異なる。
スミレのまわりにはスミレと同じ性加害の被害者もいるが、同じような経験をしていても、人それぞれにバックボーンは異なる。スミレのように比較的良好な親子関係で学歴が高く仕事ができる女性もいれば、中卒で家族仲が悪く彼氏の家を転々としていたような女性もいる。
人によっては辛い経験を乗り越えるのではなく、被害を無化して以前と同じような環境に戻ろうとする人もいる。
なんで?と思ってしまうが、本人には避難する原因となった被害の他にも周りが気づかないようなコンプレックスやトラウマがあって、優しくて正しいこの街で疎外感を深めてしまうこともある。
被害者の救済や社会復帰は本当に難しいものだと思いますが、主人公がなんとか前向きに新しいことに挑戦するラストに少し希望がありました。 -
アサイラムとは避難所や隠れ家などの意味があるそうだ。
今のこの時も逃げられない苦しい最中にいる人達がいる。逃げるのは悪じゃない。生き延びるための術だ。声高らかにそう知られないのはなぜだろうか。
あなただけじゃなく、他の人だって少々嫌なことがあったって無かったことにしてなんとか生きているのよ、そんな友達の言葉は何も救わない。
今までなら、そうすべきだった。無かったことにして笑顔を張り付けて、普通の人のフリをして今日もきっと明日も生きる。嫌だったことをイチイチ気にして気に病んで普通の生活を失うことをみっともない。堪え性がない。我慢がたらない。大人げない。そういって片付けた。
でももう、そんな時代じゃない。そういうことなんだろうと思う。そんなの美徳じゃない。耐えぬいたからといって讃えられることでもない。自分の人生だから自分で決めていい。嫌なものには嫌だと言っていい。嫌な場所からは逃げればいい。生きるのを躊躇うほど苦しいならば、生きるために何を選ぼうととやかく言うのは違う。
あなたは苦しいのに耐えられるけれど、私は耐えられない。ならば、耐えられない自分を責める前に逃げて息をしましょう。生きるために息をしよう。誰かの救いになればいい。 -
「優しさ」の基準や価値観が同じだったので、安心して読むことができた。
情景の描写が綺麗で、見たことない街並みが頭の中に浮かび上がってくるようだった。
本当にアサイラムが存在していたら良いのになと思う。 -
他の方の感想で「この作者は登場人物たちを甘やかさない」とあったが、読んでいて確かにその通りだなと感じた。
何らかの加害にあった被害者たちが前と全く同じように生きていくことは難しく、人生の再構築を行わなければならい辛さがある。
皆幸せになってほしいけど…実際には遠くで、あるいは近くで見守り/見守られながら祈ることしかできないのがもどかしい。
著者プロフィール
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