- KADOKAWA (2025年2月15日発売)
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感想 : 27件
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784041159569
作品紹介・あらすじ
「M-1グランプリ」で準優勝するまでの道のり、人気絶頂で多忙な中でも年間500ステージをこなす芸との向き合い方、そして次に目指す笑いとは――。
お笑いコンビ“和牛”のツッコミとして時代を駆け抜けた男はどんな景色を見てきたのか。漫才師としての区切りを自らつけるためのエッセイ。
みんなの感想まとめ
テーマは漫才師としての経験や哲学、そして今後の展望を深く掘り下げた内容で、著者の生々しい思いや信念が余すところなく語られています。自身のコンビの解散を契機に、これまでの道のりや価値観を独自の視点で綴り...
感想・レビュー・書評
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川西さん、本当によく書いて下さいました。ありがとうございます。
読み終わった後、こうした感想を抱く本に出会ったのは何年ぶりだろうか。あまりにも強く、そして堅くのこる読後感。著者が書く通り、これは終わりであり始まりであるのだ。
ひたすら湧き出てくる感想をブクログに流したいと思ったのも初めてだ。せっかくだから長文を書こうと思う。少なくとも2025年上半期の中で一番の読書体験だろう。
お笑いに詳しくなくても良い。エンターテイメントの世界を、その上で繰り広げられる物語を楽しんだことがある人は一度は目を通してほしい。小説でもアニメでもエッセイでもゲームでも漫画でも舞台芸術でも詩歌でも音楽でもラジオでもなんでも良い。エンターテイメントを楽しみ、その受け手となったことがある人は読んでほしい。それらを一度でも作ったことがある人はなおさら。ブクログで本の感想を書いたことがある人はもちろん。
まず前提の話からすると、私は著者のファンだ。そして、著者が舞台上で表現する漫才のファンだった。
M-1グランプリ5年連続決勝進出。うち3年連続3回準優勝。こんな記録は並大抵の努力で作れるものではない。今やM-1グランプリは決勝に進出するだけでも漫才師として一流であり、漫才師として食べて行けることの証明となる時代だ。まぁ違法賭博で大変なことになっているのが2025年3月という現実ではあるが、それは大会の本質とは離れたところにある。
実際、M-1グランプリ2024のファイナリスト、敗者復活組も含めた全10組のうち、9組が2回目か初めての決勝進出者だった。4年連続ストレートで決勝に行った真空ジェシカはとんでもない実力者である。
そんな大会で5年連続、ファイナリストになった。著者は超一流の漫才師であった。揺るぎのない事実である。
話を本筋に戻す。私は著者の漫才のファンであり、漫才師としての著者のファンであった。著者が翌春の解散を発表した2023年12月12日。私の頭に浮かんだ言葉は「どうして?」だった。
どうしてこれだけの漫才師が解散するのか。M-1が悪いのか?一度でも優勝していたら解散はなかったのか?どうして?
漫才だけではない。著者がプロの料理人だった相方と一緒にご飯を作り食べる様子も私は好きだった。漫才師さんの関係性って良いな。そんな感情も著者からもらったものだった。
2024年3月、前年末の予告通り著者と相方は解散した。
以後、なかなか著者の姿をみることはなかった。劇場に立つこともぼちぼちとしかなかったらしい。
20回記念大会となったM-1グランプリ2024のPV。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「リライト」をバックに、大会をきっかけとして名を挙げた漫才師たちの映像が流れる中、著者のコンビは名前のみだった。切なかった。
大会のオープニングには、出番前に相方に微笑みかける著者が映った。切なかった。
もっと言うと昨年12月第3週の朝ドラにちらっと著者が出て、その週末にM-1があって、週が明けたら著者の元相方がラヴィットとNONSTYLE石田さんのラジオに出ていた。切なかった。
そんな「どうして」「切ない」を2025年になって吹き飛ばしてくれたのが本書だ。
前振りが長くなった。これでよかったのだ。この本を書いて、著者は次に進む。その覚悟が詰まった本だった。
これはエッセイだがエッセイなのか?と何度も読みながら思った。たくさんのすでに本書を手に取った読者が言っているとおり、これは「芸に対する理論」なのだ。
芸とは何か。
芸の中におけるお笑いとはなにか。
お笑いの中における漫才とは何か。
漫才の中にある賞レースのための漫才とは何か。
そもそも何故お笑いは文化であるのか。
テレビと舞台の違いとは何か。
「漫才」「ネタ」「コメント」を発する際に誰が責任を負うべきなのか。
バラエティとネタ見せ番組と舞台の違いは何か。
漠然とした「どうして」と「切ない」に関して、著者は一つ一つ丁寧、精巧、誠実に回答してくれた。
これだけの漫才師がなぜ漫才師を辞めるに至ったのか。それでも、誰がどうみても超一流の漫才師として考えたことを全て書き残しておきたく、ひたすら書いていったのだと思う。そしてそれは貴重な理論として形になった。
お笑い芸人さんの養成所にはもちろん置かれるべき本だし、あらゆるエンターテイメントの作り手に刺さる言葉がたくさんある。自分が表現したいこととその受け取られ方には当然差異があり、時と共に変化する。
著者が漫才師として、テレビに出る芸人さんとして活動する中の葛藤も詳細に、でありながら真摯に伝わってくる。これは芸術論の一つであり、その中でどう生きるべきなのかという提示でもある。
私の予測でしかないが、著者はお笑いは愛玩ではなく、愛であるべきだとこの本で一番に伝えたいのだと思う。
"(前略)そんな風に人が持つ本質というのはあって、そこに与えてもらったいろんな栄養の中から、それぞれが好きなものを摂取して育っていくものなんだと思う。だから、誰かを自分が用意した檻の中に閉じ込めて愛そうとすることは、きっと愛しているのではなく”愛玩したいだけ”なんだと思う。"
"人が人を愛玩する対象として見ることは、やはり何かがおかしい。あくまで人は人を愛すべきであって、愛玩しようとした時点できっとその人が大切にしたいのは“自分”なんだと思う。"
この言葉を著者から聞くことができただけでも背筋が伸びた。
エンターテイメントを受け取る時、それを提供してくれる人を自分の檻の中に入れてしまおうと思っていないか?受け手としても、曲がりなりにこうして本の感想をぽちぽちと書く人間としても考え続けたいことだと思う。
そして、著者はお笑いは愛に還るべきだと訴えている。著者の言う愛。東大阪という郷里と、大切なご家族。
最後の章は涙なしでは読めなかった。行が離れていて、ページには白が目立つ。でもこの空白が必要だと思った。著者は、人を笑わせるということは根源的な愛の中になければならないと伝えたいのだろう。品なく誰かや自分を貶めることなく、誰かを笑わせたい。その一本、線の通った意思は著者が言う通りに頑固であり、そしてとてつもなく素直だと思う。
どうか、この本を取って最後の一行にたどり着いてほしい。
「どうして」「切ない」を繰り返した私が恥ずかしい。漫才師という看板を下ろして次のステージに向かう著者のファンで私はあり続ける。新しい漫才は見られなくとも、これが一番良い選択だったのだ。
こんなにも丁寧に自分の思考を言葉にしてくれたエンターテイナーのファンでいつづけたいと思った。
川西さんの新しい始まりが祝福に満ちていますように。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自身のコンビの解散を機に、これまで見てきたこと、考えてきたこと、大切にしてきたこと、これからのことを余すことなく語ってくれている一冊。あまりに生々しい。
これからお笑いやエンタメに関わる人、何かを表現する人は必読の一冊だと思う。ここまで生の声を、体験した本人が書いている本にはそうそう出会えない。あまりにも貴重だ。
自伝は時系列を軸に書く人が多いと思うけれど、この本は違う。
軸になっているのは川西さんの価値観。
一章、漫才師としての歩みは短く、たった24ページでもうM-1の決勝まで到達する。
第二章『テレビとの付き合い方』で、舞台とテレビで求められることの違いについて、笑いの哲学書を読んでいるかの如く語られる。作り込むこと、隙を見せること。どんな意識でテレビに出ていたか。ネタと笑いの責任の所在と矛盾。テレビに出ることで決めた自分の在り方。
三章では笑いについて。「技術論」「人間力」「自虐的な笑い」以外にも、これまで芸人が語ってこなかった「茶化す」こと、「冷笑」することに触れているのはびっくりした。ここまで考えられるからこそ、あんな面白いネタを作ることができたんだと思う。
単純に「面白い」で片付けられない一冊。これから一生、川西さんが何をするのか追っていきたい。 -
余すことなく川西さんの今までが綴られていた。
漫才への熱意、貫きたい信念、どれも頑固というよりも、本当に漫才師が好きなんだなぁ、という気持ちで溢れていた。
何より、こんなに読ませる文章が書けることに衝撃を受けた。
漫才の構成と同じで文章の繋がりがプロだな〜と思った。
こんなに素敵なエピソードで1冊を完成できるということは、本当に今まで真摯に向き合って歩んできたんだろうな。
まだ見ぬ弟子へ、届きますように。 -
漫才師の和牛の片方の川西賢志郎さんの本。和牛は知っていても、どちらがどちらかはっきりわからない状況。でも、それなりの地位も人気も集めていたのに、突然の解散。人それぞれながら、人生とはわからないもんですな。
でもその20年間の芸人生活においては、それなりの経験、言葉が発しられる、例えば、・舞台における本物のプロの仕事とは“一本のネタを100回とも同じようにやれるが、客前で100回とも違うことをやる”ことだと思っていると。
・芸人とはその字の通り、“芸”と“人柄”だと言われることがある。“芸”を磨くことも大事だが“人柄”を育むことも大事。芸人とは一つの生き様を見せるべき存在であれと思う。・優秀な芸人とは、“常識な人”かというと、そうではない。なぜなら、常識を知った上で壊さなければならないからだ。
・笑いとは何なんだろうか。人によって答えが違うし、違わなければおかしいもの。でも、すべてに共通して言えることは“自己表現”でしかないんだと。
落語をするようになってから、いいわけではないですが、笑いというのは、受け手が100人いれば、微妙に違う100の笑いがあると、この頃つくづく感じます。逆に言えば、全員にウケなくても良いと居直って落語をしています。
でも、本音は、全員のおおきな声での大爆笑なんですが・・・・。 -
解散の原因が知りたいといった野次馬精神で読む本ではない。お笑いの世界を知ってもらおうという意図で書かれた本でもないだろう。
この本は、著者が自身の経験を通して導き出した「現代人が人生を歩んでいく姿勢」というのを本質的に捉えた作品である。 -
川西さんの漫才師論が詰まった1冊だった。
解散の真意が何かわかるかもしれないと思ったが
そこについては何一つ書かれていなかったが
なんとなく想像はできた。
そしてどれほど真剣に漫才と向き合っていたか
というのがひしひしと伝わった。
私はもともと和牛の漫才ファンだったこともあり
最後の一文を読んで本を閉じた瞬間
なんとも言えない気持ちに涙が止まらなかった。
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笑いとは何か、芸人とは、漫才師とはどうあるべきか、など川西さんが感じ考えていたことが書かれてます。
言葉を大切に扱う方なんだなという印象が強く残りました。
あと本の締めくくり方が格好よくて
「おぉ…」と声に出た。 -
和牛は巧みな伏線回収が秀逸で驚かされた。
そんな和牛・川西さんの、解散後の本ということで読まずにはいられない。
解散理由は報道や番組で知ることとなったが、川西さんがテレビよりも劇場でやっていきたいという理由がここには詰まっていた。
読み終わると、和牛のネタがいかにして練られたものかが伝わってくる。
ただ、この本の中には水田さんの名前は出てこない。その点は少し残念な気もしたが、仕方のないことだ。
最後に、川西さんのお父さんとの突然の別れには驚いた。全く知らなかった。辛い時も気丈に振る舞う川西さん。頼もしく思えた。
YouTubeやたまにテレビで見かける川西さん。
これからもがんばって活躍してほしい。
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和牛の若手時代から解散、そしてその後について、川西さんの思いが語られたエッセイ。
真面目で不器用な漫才や大事にしている人に対する思いが綴られていて、もっと和牛が好きになった。でももう漫才を見ることができないのが寂しい。 -
漫才への想いが伝わった
いつかまたスタンドマイクの前に立って欲しい -
いろんなことを真摯に考えているひとなんだなあと思いました。【2025年2月23日読了】
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家族とのエピソードは涙無くして読めなかった。終わりは決してネガティブなことだけではない、始まりがあるから頑張れるんだと思った。お笑いに対しても誰よりもも真面目に考え、漫才に対して一生懸命だったと伝わった。だからこそ長く続けてほしかった。この決断が川西さんにとって本当の始まりであることを願う。
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こんなに真摯に笑いと向き合っている人だったんだと初めて知った
やっぱりもう一度川西さんの漫才がみたくなった -
和牛の川西さんの本。
解散直後に、自分の漫才師道?を語った本。
こういう考えの人なんだー、と意外な驚き。
水田さんの話はなく、和牛の本ではなく、川西さんの本でした! -
某ネット番組で某氏が絶賛していたため購入。
お笑いにそれほど興味もなく、どちらかというとあまりすきではない私ですが、非常に面白く読めました。
というよりそういう人の方が面白く読めるはず。
著者の葛藤に共感できるから。
そして最後で泣かされました。
彼のようなお笑いの人が増えるといいなと思います。
こたけ正義感と何か一緒にやったら面白いのでは? -
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えらいこ難しいこと考えられてる方だなと
少し意外な印象
お父様のお話、人生には始まりしかない
胸を打ったので星4
川西さんを今後も応援します
