新訳 赤毛のアン (1) (角川文庫)

  • KADOKAWA (2025年3月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (496ページ) / ISBN・EAN: 9784041160084

作品紹介・あらすじ

Anne of Green Gables
By Lucy Maud Montgomery,1908

これからの女の子たちへ。かつての女の子にも。
【NHKアニメで話題】
本当の子じゃない。でも、家族になれた。――永遠の名作を新訳&完全訳で。

偏屈な年寄り兄妹マシューとマリラは、孤児院から働き手として男の子を引き取ることに。なのにやってきたのは、赤毛でそばかすの少女アン。マリラはアンを追い返そうとするが、アンは号泣し…。自然豊かな美しい島を舞台に、夢見る少女が起こすおかしな騒動。そそっかしくて失敗ばかりのアンが感動をもたらします。泣いて笑ってキュンとする、世界中の少女が恋した名作を新訳・完訳で。アンが親しんだ英文学の徹底解説も掲載。

「新訳 赤毛のアン」シリーズ、1~3巻を、2ヵ月連続刊行
1巻『新訳 赤毛のアン』発売中
2巻『新訳 アンの青春』2025/4発売
3巻『新訳 アンの初恋』2025/4発売

英文学研究の第一人者だから訳せた、文学少女としての『アン』。
訳者あとがきで、アンが親しんだ文学作品についても徹底解説!

カバーイラスト/金子幸代
カバーデザイン/鈴木成一デザイン室

※本書は二〇一四年三~四月に角川つばさ文庫より刊行された児童書『新訳 赤毛のアン(上) 完全版』、『新訳 赤毛のアン(下) 完全版』を一般向けに大幅改訂したものです。なお、訳者あとがきは書き下ろしです。

感想・レビュー・書評

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  • 子供の頃は『赤毛のアン』が嫌いだった。
    理由はわからない。
    たぶん、引っ越してきた自分は慣れない土地で苦労しているのに、やってのけているアン・シャーリーに腹が立っていたのかもしれない。

    私が『アン・ブックス』に手を出したのは、大学生になってからだ。

    大学の本屋に、村岡花子訳の『赤毛のアン』が10巻ずらりとあるのを見たのだ。
    「へえ、『赤毛のアン』て子供の読むもんだと思っていたけど、こんなにあるんだ」
    だったら、読んでみようかなと思って手をだしたのが、『アン・ブックス』に夢中になるきっかけだった。

    以来、私は「村岡花子訳の」『赤毛のアン』のファンである。
    他の翻訳は、なんか違う。
    「やっぱ、村岡花子訳よねー」と長らくきたけれども、このたび、またしても新訳がでた。

    河合祥一郎訳である。

    なぜその気をおこしたのかは、わからない。
    女性ではなく男性が、翻訳家というよりは文学者である人物が訳したということに、心を引かれたからかもしれない。

    恐る恐るページを開いてみた。

    実は、最初に「おかしみ」を覚えたのは目次である。
    『第1章 レイチェル・リンド夫人、驚く
     第2章 マシュー・カスバート、驚く
     第3章 マリラ・カスバート、驚く
     ・・・』
    いきなり「驚く」の3連発で始まることに、なんともいえないおかしみを覚える。
    それから第38章まで、章立ては続くのだが、言葉の選択に、センスの良さを感じる。
    これは、見出しだけではなく本全体に感じることで、モンゴメリにはモンゴメリ独特のユーモアがあるのだが、それが、この訳文にはよく現れていると感じる。

    文章には読み手との相性というものが、どうしても、ある。
    その人の時代や、出生地などに、文章というものは左右される。

    料理にたとえてみよう。
    レシピどおりに真面目に煮物を作っているのに、なぜか先生の味にならない、なんか違う。
    醤油を、先生とは違う銘柄の、その地方独特のものをつかっていたから、だからかー! 
    ・・・・・・というようなものだ。
    その地方では、その醤油はごくごくありふれたもので、醤油といえばそれなんである。
    どの料理にも、その醤油の風味がする。
    それはその地方独特の味わいだ。

    文章にも、時代や出生地の味わいが、その醤油のようにあるものなのである。

    村岡花子の翻訳は1952年だ、いかんせん古い。
    これは想像だが、村岡花子の翻訳には、その出生地(山梨)、活動地(東京)でも、「今はもう使わないねえ」という表現があるのではないか。

    アンの周りの人物の使う言葉は、あなたの周辺のおじさん、おばさんが使う言葉であるほうがよく、すると、翻訳者の出身地や時代は、あなたに馴染みのあるものが望ましい。

    なじみのない醤油を使う文章というのも存在するので、つまるところ、好きな作品というのは、翻訳をアップデートして読むというのも、楽しみのひとつといえる。

    個人的な話をさせてほしい。

    今回、『赤毛のアン』を新たに読んでみて、アンをもらいうけたカスバート家の人物マシューが、私の祖父に似ていると、改めて思ったのだ。

    同じ屋根の下に、祖父と私は住んでいた。
    祖父は人との接触があまりうまくなく、真面目なおとなしい性質で、小さな頃の私はよくいっしょに遊んでいた。

    私の自転車の補助輪をまず片方とったのは、祖父だ。
    祖父の運転するバイクの後ろに乗って、あちこちよく出かけていた。
    ある日、カーブを曲がりそこなってバイクが倒れたのをきっかけに、それを私が大きくなったしるしとして、バイクに乗るのはよしてしまったが。
    写真には、祖父に手をひかれた幼児の私がいる。

    私と祖父は仲がよかったのに、いつからだろう、あまり交流をしなくなった。
    大きくなるにつれ、私の意識が外に向いて、あまり家の中のことに興味がなくなったからかもしれない。

    アンは大きくなっても、マシューと仲が良かった。
    ”魂の響き合う友”だったのだ。
    いっぽう私は、祖父に寂しい思いをさせていたのかもしれないと、悔やんでいる。

    マシューの描写を見ると、私はちょっと辛い。

  • 河合さんが赤毛のアンを新訳!?と情報解禁の際に驚いたものの、考えてみればシェイクスピアが全編に散りばめられたアンの世界を、シェイクスピアの第一人者である河合さんが訳すのはとてもわくわくする流れで、大好きなアンの世界にまた新たな魅力が沢山見つかりそうで胸が高鳴る。

    不思議の国のアリス同様、沢山の翻訳家さんが訳してきた世界的文学作品であり、有名な名称や言い回しが多い作品だけに、新しく訳すことの難しさやどこに特色を付けていくか、往年のファンの方々への配慮など、細部に渡り大変でチャレンジングな訳業をこうして大御所である河合さんが新たに担ってくれたことに歓びを噛みしめながら読んだ第一巻。

    一番馴染みのある村岡花子さん訳での呼称や言い回しなどと比べてみるだけでも違いに個性が垣間見えてとても面白く、長い時間をかけて久しぶりにじっくりとアンの世界に浸ることができた。今年は新しくNHKでアニメ「アン・シャーリー」も放送されたので、アニメの新旧・小説での新旧を平行して鑑賞し、自分好みのグリンゲイブルズを脳内に展開していくのにも絶好の機会ではないだろうか。

    「歓喜の白路」は「喜びの白い道」、「輝く湖水」は「きらめきの湖」、「恋人の小径」は「恋人の小道」など、少しずつ様変わりをしているが、「すみれの谷」や「樺の道」など名称もそのままにアヴォンリーの豊かな景色が受け継がれている。

    『訳者あとがき』に河合さんご本人が書かれているように、「シェイクスピアを専門とする英文学者の私が本書を訳す意義は、その文学性を余すことなく汲み取るところにあると考え、その点を特に配慮して丁寧に訳した」とあるように、豊かな空想力を持つアンを包む世界は少女特有の夢見がちで傲慢できらめく世界でありながら、シェイクスピアのように詩的でロマンチックな憂いを纏っている。

    少女から女性へと成長していくアンの姿は、時に読者自らの忘れがたき時代の姿となり、希望や絶望、くるくると目まぐるしい感情に翻弄された眩しい季節の中の少女として心地よく甘い痛みが遠くから押し寄せてくる。

    ページを閉じてなお、詩に始まり、詩に終わる構造を持つ美しいアンの物語を河合訳で読み直すという僥倖が始まったばかりであるという興奮が胸を満たす。「神、空に知ろしめし、世はすべて、こともなし」。

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著者プロフィール

1874年カナダ、プリンス・エドワード島生まれ。1908年に最初の長篇小説『赤毛のアン』を出版。世界的ベストセラーとなる。オンタリオ州に移り住み、その地で数々の作品を執筆した。42年トロントにて逝去。

「2012年 『パットの夢』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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