- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041211045
作品紹介・あらすじ
肺病でレイテ島に上陸した田村一等兵。死の予感から、島に踏み出した田村が見たものは。ミンドロ島で敗戦を迎え、米軍捕虜となった著者が、戦地と戦争の凄まじい有様を渾身の力で描き、高い評価を得た一冊。
感想・レビュー・書評
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戦時中の兵隊たちの常軌を逸した行動たちと、不思議とそれが自然と生まれていることに納得させられる。
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難解だった……。
ただ、日本から遠く離れた南の島という舞台で、戦争という異常な状況が、全てを狂わしてしまうんじゃないかと思った……。 -
人がモノになる瞬間がとてつもなく恐ろしい。戦争は人を人でなくす。
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戦争の悲劇を描いた戦争文学作品『野火』を読了。
悲劇的な内容はともかく、
哲学的でもあり、文学作品としてとても名作だと感じました。
前半部分をあまり文章が頭に入ってこない精神状態で読み進めてしまったことが悔やまれますが、
現代人が一生に一度は読んでおくべき名作だと思います。
『戦争を知らない人間は、半分は子供である。』
という文章が胸に突き刺さる思いでいます。
重ね重ねで申し訳ないですが、
最後にもう一度この言葉で締めくくりたいと思います。
“現代人が一生に一度は読んでおくべき名作だと思います” -
あまりしっくり来る小説ではなかった。
しかしながらこの本を評しているモノをいくつか読んで、えらく突っ込んで書いているモノが多いなっと気にかかり、あっさりとゆくのを躊躇する。
元々戦争小説が私は苦手なのだろうと思う。
映画であるならば戦争物は好きなのになんでだろうか。
そう考えてみておそらく、距離の取り方の違いだろうと思う。
映画は視覚的に表現されているが故に、映像自体は第三者となる。
そうなれば事象に対する当事者であるというニュアンスが存在しないことでリアリティーが幾分かそがれる。
もちろん視覚特有のリアリティーは存分にあるが、時々あまりにもなまなましい映像があると、
「やり過ぎじゃない?」
という言葉をこぼすことがある。
それこそ映画が第三者であり、たとえノンフィクションであってもそれを撮っているときには演出を持ったフィクションであるという観念が見るモノに与える境界線の限界部分を示しているのではないだろうかと私は思う。
一方で、本は、いや文字は実態がない。
言葉はその人の中に吸収されて、個々の人の中に独自に描かれる。
その方が力としては弱いととらえる人のほうが多いかもしれないが、読んだ上でのビジョンは自分の中の何かしらの経験によって「錬成」される。
それは自分の経験などの近しいモノとわずかにかすれつつも行われると私は考えている。
だからこそ、深い経験による何かにかすれたときその結果はとても生々しい色を生むことがある。
私の場合はその「錬成」はまだしも、かすれる行為による消耗が激しいのか、正直に言えばそれにげんなりとしてしまう。
今回もその感は否めなかった。
とはいえ、
「これをただの戦争小説とは読むな。」という意見もみた。
そう思い読み方を変えてみようと思った。
確かにこの物語は戦争というのを一つの設定、それも空間の狭まれた一つの「はこ」として人間をあぶり出している。
”はこ”か、
前回の「魔の山」でのベルクホープ然りのニュアンスでとらえろという意味なのだろうが、それは”ぶれる”ようにおもえる。
確かにカニバリズムという結構な題材を持ち出すにはそれぐらい重い要素が必要だろう。
そして作者はレイテ島での悲惨な戦争経験の持ち主であり、この深いリアリティーをしてこの物語を作り上げている。
そうなると単純な戦争の威力をまざまざと感じるモノになってしまわないか。
戦争体験を感じることに対して私はけして否定的な意見を言っているのではない。
ただ、この小説はそこで終わっているのではないのだ。
忘れてはいけないのは「文学」であると言うこと。
本能的な欲求による、カニバリズム。
極限の状態に見いだした”神”の名のもとに行われた殺人。
それもその神はイエスの容貌に近しい形こそしているがなにが詰め込まれているかわかったものではない。
日本人の信仰は「神の存在の是非」ではなく「神の不確定」にあるとのだと私は思っている。
だからこそ、その肖像はあらゆる形をして、信仰は都合よく、いわば柔軟すぎていかほどにもゆがむ。
しかしながらだからこそ日本人の行動規範然り、”存在する神”も私たちを「見ている」のだ。
神の目
神の裁き
導き
そうして
『死んだ人を食うかもしくは、理性の名の下に人を殺すか。』
という極限の状態で主人公は天秤にぶち当たる。
置き換えて考えて見ると言うのも変な話だが自分であったならどちらの行動を取るだろうか。
どちらが、選べる訳のない果てしない問答であり、物語の結末は狂気に行き着く。
いや、狂気と言うよりかは”神が彼に宿った痕跡”にかれは染まってしまったのだろう。
なるほどね。
ほら、重いんだって。
正直、
このテクストを丁寧に分類しようとしたり、読み解こうとするとどうも行き詰まってしまう。
第一に戦争という”ハコ”はヒューマニズムに行き着きがちだし、更に加わるカニバリズムと言う題材はそれだけでこちらの口をうまい具合にふさぎ込んでしまう。
悲哀を説きたいか、
戦争はいけない
戦争は残酷
戦争は愚か
そうして悲しい。
すべての要素は確かにあるがさらに深いのだ。
その向こう側にある「人間の本性」をうまく描いている。
戦争の強烈な重みだけに埋もれてしまわないように、払拭するようにどこかしらあどけない表現で人々を描く。
でも、それがかえって私たちの現実に”かすれ”近づける。
山で出会った彼が初めてカニバリズムと葛藤することとなった将校のあたりとか、
あれは私にとってかなりキタものだった。
この人の比喩や言葉の表現を絶賛する声も多いがその辺は私はあまりピンとこなかったな。
ロマンチズムの問題か、
そりゃ戦争小説にロマンチズムなんて、この二つの言葉を並べて書くだけでも違和感を与える。
そこら辺もひっくるめて見直すためにも再読すべきなのかもしれないけど、
「初見を大切に、」
ということにしてこの辺で撤退したい。
こんなに歯切れの悪い感想文も我ながらいやになるモノだ。
そう思いつつ、出してしまうけれども。
果たしてこんな様子で「俘虜記」なんていつか読めるのだろうか。 -
081209(n不明)
090111(s 090216)
091128(s 091230) -
戦後62年を迎え、戦争の記憶が忘れ去れている今日に、日本兵の戦いを語り継ぐ一冊。現代では想像もつかない、「生きることへの執着」をリアルに表現している。
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極限まで追い込まれた精神状態で”生きる”こと…戦争という現実は想像を超える地獄です。