星と祭 (角川文庫 い 5-4)

著者 : 井上靖
  • KADOKAWA (1975年3月発売)
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  • 14レビュー
  • Amazon.co.jp ・本 (616ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041216323

星と祭 (角川文庫 い 5-4)の感想・レビュー・書評

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  • 17歳の娘を不慮の事故で失った男の、彼なりの弔いの境地に至るまでの8年にも及んだ物語です。

    遺体が見つからないまま琵琶湖の底のどこかに眠り続ける娘と架空の対話を重ねて7年の時を過ごして8年目、ふとした縁から娘と共に事故にあって死んだ青年の父と2人で、土地の人々に慈しまれながら湖を守るように長い年月佇み続けてきた湖畔の十一面観音像巡りをし、ヒマラヤで月を眺めて生死を超越した永劫を感じ、春の夜の琵琶湖の上でようやく長い長い殯(もがり)に終止符を打ち、彼なりの形で娘の葬儀を終えます。

    遺族である父親2人のもがきや哀しみ、美しい十一面観音たち、厳しい環境の中で誰かのために祈り続けながら生きるヒマラヤの人々などが、静謐で淡々とした言葉で丁寧かつ濃密に描かれています。

    生者と死者の関係の築き方は人それぞれであり、私はこの主人公がしたようには死別した家族を思い弔うことはしないだろうけど、多分、模索の仕方を求めて今後10年位の周期で読みかえすようになるだろうな、と思った作品です。

  • 仏像をめぐる小説ということで、以前購入していたもの。無性に読みたくなって読んでみると、舞台が琵琶湖だった。魂が琵琶湖を求めていたのか(?)。

    会社の休み時間に読み始めましたが、30頁もたたないうちに、目に涙がうるうるたまってしまって、、、大変でした。全編を通して特に「泣かせる演出」があるわけでもないのに、いろんなところでうるうる来たのは、井上靖の文章の巧さなのか。
    物語は淡々と進み、ヒマラヤに行ったり、観音様を見たり、琵琶湖で月見をしたり、その間にいつのまにか訪れている救いに、読後感は最高。

    難しい漢字がたくさん出てくるわけでも、描写が特別美しいわけでもないのに、悲しい場面はとても悲しく、綺麗な場面はとても綺麗に、残酷な場面はとても残酷に、切ない場面はとても切なく書き上げるのが、この井上靖という人で、不思議なことに読み出したら途中でやめることができないパワーがあって、固い内容や長い文章にもかかわらず、すぐに読めてしまう。谷崎や三島もいいけれど、井上靖は私の中では「小説家中の小説家」という位置づけで、私は好きです。

  • 心のありようで受ける印象は違う。
    自分が見ている世界(景色、人や物)を今どのように受け止めているか。
    世界(景色、人や物)が変わるのではなく自分が変わる、心のありようで良くも悪くもなるということを主人公の架山から教わった。

  • 琵琶湖が舞台、なので気になって読んだ。ストーリー自体はちょっと重くてあまり入り込めなかったけれど、十一面観音の魅力は私も実感してみたい。

  • 琵琶湖と十一面観音。そしてヒマラヤでの観月。僕をネパールへ誘った本。

  • 滋賀を舞台とした小説で一番好きな本は何かと問われれば、迷わずこの本をあげよう。17年前、琵琶湖で娘を失った架山。遺体はあがらないまま、架山にとって彼女は永遠に「生と死」のはざまにいる。いつしか架山は、十一面観音の不思議な安らぎに魅了され、琵琶湖の周りにある古寺を巡り始める・・・という内容だが、その皎々たる満月の光が、琵琶湖の面に照り渡る様や、それぞれその村の娘の面差しを映したような観音様の美しさが、文中に出てくる「永劫」「殯」といった言葉とともに、静かな情景を描き出す。

  • 大津などを舞台とした作品です。

  • 7年前に湖での事故で娘を亡くした架山。その悲しみをいやすべくヒマラヤの月を見、同じく息子を亡くした父親と共に琵琶湖のほとりの古寺へ十一面観音巡りをする。

    それぞれ1人一人の癒し方があるんだよね。ヒマラヤに行ってみたいと思ってしまいました。十一面観音ってどういうのなんだろうか。

  • 娘を亡くした父親が、何度も事故現場である琵琶湖へ足を運び、娘と一緒に亡くなった男性の父親と湖北の観音様をお参りする。

    男性の父親の信仰心が哀しい。

    信仰は人によって習慣であり、救いにもなる。

  • 愛する娘を湖で失った会社社長架山は、悲しみを癒すべくヒマラヤで月を観、娘と共に死んだ青年の父親に誘われ琵琶湖周辺の古寺を巡った。--・死・を深く観照した香り高い名作」――また井上靖です。タイトルと、それにぴったりの装丁が素晴らしくて読んでしまいました。恋人と共に琵琶湖に沈んだ娘。父親は娘の恋人の父親と共に琵琶湖で二人を捜索し、十一面観音を拝む。また違う一面を見ることができた気がします。これまで親子愛だったり、大人の恋愛を題材にした小説を読んできたので、ここまで全面に「死」をモチーフにした小説は新鮮でした。「死」は、小説にするときに最も重いテーマだと思います。それを井上靖は、死者との対話というかたちで描き出してます。すべては架山の頭の中の一人会話なんだけど、実際に死者と対話しているようなリアリティがあります。娘の死によって起こる様々な感情。加山は当初、娘の恋人を激しく憎んだ。その親も。恋人が誘わなかったら、娘は死ななかったかもしれない。その悲しみを癒す為、加山は琵琶湖周辺の十一面観音を拝んでまわり、そしてヒマラヤの月を見た。この小説のなかで最も重要なのは、ヒマラヤで月をみる場面だと思う。山が、死者との会話を引き立たせている。山はいいな。井上靖の小説にはよく山が出てくるけど、そのたびに、山に登ろう、と思う。そして、主人公が感じた気持ちを、自分も感じてみたい、とちょっと張り切る。山の場面は、読んでてすごく気持ちいい。興奮したり、切なくなったり、いろんな感情を楽しめるから。でも一番たのしみなのは、文字を通してでも山に対峙して、自分の小ささを感じる事。小説には直接関係ないけど、結局そう感じる事で気分良くなりたいだけ。自分の無力さを知って、元気が出てくることがよくある。山には、そういう人を圧倒して、勇気付ける力があるから、井上さんも、ヒマラヤを死者との対話の舞台に選んだんじゃないかなあ。そこで、こんな対話のやりとりがある。「人間が死んで、永劫の時間に繰り入れられてしまうと、それでその人の生きた意味も、死んだ意味も消えてしまうと、君は言ったが、果たしてそうだろうか。君が亡くなって、七年経ったが、君が生き、死んだ意味は、まだ消えていない。父親の心の中に消えないで残っている」「そうです。だから、悲しいんです。大三浦さんも、お父さんも可哀そうなんです。いつまで経っても大三浦さんは息子さんのことを、お父さんはわたしのことを忘れることができないで、悲しんだり、悔んだりしています。もう肝心の私たちは死んでしまって、何も考えられなくなってしまっているというのに。――お父さんは、ヒマラヤに来たおかげで、暫くわたしのことを思い出さないでいらしったけど、また、だめね。そろそろ、くよくよし始めていらっしゃる」これは、一人二役の対話です。架山が娘として、自分の問いに答えてるわけです。でも、どうしても娘が生きてて、父親に話しかけている感じがする。それはきっと、七年経っても忘れることができない架山の悲しみと葛藤が、娘の魂を、死んだ日そのままに残しているからなんだろう、と思う。そして、ヒマラヤから帰ってきた架山は、色々なことに気付き始める。自分はずっと恋人が悪い、と憎み続けていたが、その親である大三浦も、同じように娘を、そして自分を憎んでいるのだ。そして決心した架山は、十一面観音のもと、琵琶湖の上で、霊を祀るというかたちで、自分の気持ちを納得させることができた。ようやく死者との対話が終ったのだった。なんだかバイブルを発見してしまった、という気持ちです。人生を考えるに当たって欠かすことのできない要素がたくさん詰まっているこの小説。私たちは普段、「死」を意識しないで過ごしているけど、突然親しい人の「死」に直面したときどうするのか。私は多分、再びこの小説を手に取り、死者と対話する。そして、今はまだ分からないこの小説の、本当に伝えたかったところを理解するのではないか、と思う。なんだかとても長くなってしまいましたが、読み終わったとき、自分の中に残しておきたいものがたくさんある!と思ったので。ここまで指を酷使して書き連ねました。井上靖さんは、多分同じような死を体験しているんだろうな。そうじゃないとこの小説は書けません。大事な事に触れられる機会を与えてくれて、どうもありがとう、と言いたいです。自分で書いてて思いますが、感想の内容が重いです。小説の内容に関わらず。もっと明るく、振り返って読んだ時に自分で楽しくなるような感想を書きたいです――

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