- Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041273142
作品紹介・あらすじ
京で将軍義輝に会い、朝廷から従四位下近衛少将に任ぜられて春日山に帰国した景虎は、翌永禄3年(1560)7月、房州の里見氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の大軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固く、囲みを解いて鎌倉に向い、八幡宮神前で景虎の関東管領就任式が行われ、憲政から上杉の家督も譲られて、名を政虎と改めた。そして、永禄4年8月、上杉・武田両軍は川中島でついに一大決戦の時を迎えた。放生月毛の馬を駆り、単騎武田陣営に突入する政虎。その時、春日山城下の病床では、政虎の心の妻乃美が、その武運を祈りつつ、静かに息を引き取ろうとしていた。…
感想・レビュー・書評
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内容
京で将軍義輝に会い、朝廷から従四位下近衛少将に任ぜられて春日山に帰国した景虎は、翌永禄3年(1560)7月、房州の里見氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の大軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固く、囲みを解いて鎌倉に向い、八幡宮神前で景虎の関東管領就任式が行われ、憲政から上杉の家督も譲られて、名を政虎と改めた。そして、永禄4年8月、上杉・武田両軍は川中島でついに一大決戦の時を迎えた。放生月毛の馬を駆り、単騎武田陣営に突入する政虎。その時、春日山城下の病床では、政虎の心の妻乃美が、その武運を祈りつつ、静かに息を引き取ろうとしていた詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
上杉謙信の話。興味深くも楽しく読め、この著者の本もっと読みたいという気になってくる。歴史の流れ人物像など想像が広がった。
【流れ】
後に長尾が上杉氏となり、豊臣秀吉によって会津に移され、徳川家によって米沢に移される。
【人物像】
・上杉謙信
宗教心厚く、他の人のために動く
越後守護、その後関東管領
正直者、短気なところも
女性を寄せ付けない
独断で戦の戦術を決める
毘沙門天
・武田信玄
野心家、戦闘力もさることながら、裏工作も得意
戦術の大綱は自分で決めるが、各将に十分検討させ議論す
信濃守、信濃守護
風林火山 -
京で将軍義輝に会い、朝廷から従四位下近衛少将に任ぜられて春日山に帰国した景虎は、翌永禄3年(1560)7月、房州の里見氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の大軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固く、囲みを解いて鎌倉に向い、八幡宮神前で景虎の関東管領就任式が行われ、憲政から上杉の家督も譲られて、名を政虎と改めた。そして、永禄4年8月、上杉・武田両軍は川中島でついに一大決戦の時を迎えた。放生月毛の馬を駆り、単騎武田陣営に突入する政虎。その時、春日山城下の病床では、政虎の心の妻乃美が、その武運を祈りつつ、静かに息を引き取ろうとしていた。…
2003年11月9日再読 -
読了。
著者プロフィール
海音寺潮五郎の作品





