天と地と〈5〉 (角川文庫)

  • 角川書店
3.18
  • (1)
  • (1)
  • (15)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 70
感想 : 4
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041273142

作品紹介・あらすじ

京で将軍義輝に会い、朝廷から従四位下近衛少将に任ぜられて春日山に帰国した景虎は、翌永禄3年(1560)7月、房州の里見氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の大軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固く、囲みを解いて鎌倉に向い、八幡宮神前で景虎の関東管領就任式が行われ、憲政から上杉の家督も譲られて、名を政虎と改めた。そして、永禄4年8月、上杉・武田両軍は川中島でついに一大決戦の時を迎えた。放生月毛の馬を駆り、単騎武田陣営に突入する政虎。その時、春日山城下の病床では、政虎の心の妻乃美が、その武運を祈りつつ、静かに息を引き取ろうとしていた。…

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 内容
    京で将軍義輝に会い、朝廷から従四位下近衛少将に任ぜられて春日山に帰国した景虎は、翌永禄3年(1560)7月、房州の里見氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の大軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固く、囲みを解いて鎌倉に向い、八幡宮神前で景虎の関東管領就任式が行われ、憲政から上杉の家督も譲られて、名を政虎と改めた。そして、永禄4年8月、上杉・武田両軍は川中島でついに一大決戦の時を迎えた。放生月毛の馬を駆り、単騎武田陣営に突入する政虎。その時、春日山城下の病床では、政虎の心の妻乃美が、その武運を祈りつつ、静かに息を引き取ろうとしていた

  • 上杉謙信の話。興味深くも楽しく読め、この著者の本もっと読みたいという気になってくる。歴史の流れ人物像など想像が広がった。

    【流れ】
    後に長尾が上杉氏となり、豊臣秀吉によって会津に移され、徳川家によって米沢に移される。

    【人物像】
    ・上杉謙信
    宗教心厚く、他の人のために動く
    越後守護、その後関東管領
    正直者、短気なところも
    女性を寄せ付けない
    独断で戦の戦術を決める
    毘沙門天


    ・武田信玄
    野心家、戦闘力もさることながら、裏工作も得意
    戦術の大綱は自分で決めるが、各将に十分検討させ議論す
    信濃守、信濃守護
    風林火山

  • 京で将軍義輝に会い、朝廷から従四位下近衛少将に任ぜられて春日山に帰国した景虎は、翌永禄3年(1560)7月、房州の里見氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の大軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固く、囲みを解いて鎌倉に向い、八幡宮神前で景虎の関東管領就任式が行われ、憲政から上杉の家督も譲られて、名を政虎と改めた。そして、永禄4年8月、上杉・武田両軍は川中島でついに一大決戦の時を迎えた。放生月毛の馬を駆り、単騎武田陣営に突入する政虎。その時、春日山城下の病床では、政虎の心の妻乃美が、その武運を祈りつつ、静かに息を引き取ろうとしていた。…

     2003年11月9日再読

  • 読了。

全4件中 1 - 4件を表示

著者プロフィール

(かいおんじ・ちょうごろう)1901~1977。鹿児島県生まれ。國學院大學卒業後に中学校教諭となるが、1929年に「サンデー毎日」の懸賞小説に応募した「うたかた草紙」が入選、1932年にも「風雲」が入選したことで専業作家となる。1936年「天正女合戦」と「武道伝来記」で直木賞を受賞。戦後は『海と風と虹と』、『天と地と』といった歴史小説と並行して、丹念な史料調査で歴史の真実に迫る史伝の復権にも力を入れ、連作集『武将列伝』、『列藩騒動録』などを発表している。晩年は郷土の英雄の生涯をまとめる大長編史伝『西郷隆盛』に取り組むが、その死で未完となった。

「2021年 『小説集 北条義時』 で使われていた紹介文から引用しています。」

海音寺潮五郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×