豊臣家の人々 新装版 (角川文庫)

  • 角川書店 (2008年2月23日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (528ページ) / ISBN・EAN: 9784041290095

作品紹介・あらすじ

貧農の家に生まれ、関白にまで昇りつめた豊臣秀吉の奇蹟は、彼の縁者たちを異常な運命に巻き込んだ。平凡な彼らに与えられた非凡な栄達は、凋落の予兆となる悲劇をもたらす。豊臣衰亡を浮き彫りにする連作長編。

みんなの感想まとめ

豊臣家の人々を描いた本作は、豊臣秀吉の周囲に生きる人々の運命を通じて、栄光と凋落の物語を紡いでいます。著者の描写は生き生きとしており、まるでその時代に身を置いているかのような臨場感があります。秀吉の魅...

感想・レビュー・書評

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  • すっかり流し見になってしまった
    今年の大河ドラマなのだけど
    4月にNHKで放送された「菜の花忌シンポジウム」で本著が取り上げられていたので、手に取りました。

    司馬遼太郎さんの本を読むのは実に○十年ぶり。
    昔、父の書棚から数々の名作を拝借して、長い通学時間に読んでいたのを思い出しました。

    やっぱり面白い!
    まるでその場にいたかのような描写で引き込まれます。
    稀代の人たらしである秀吉に振り回されて、一族の様々な人の人生が流転していく。

    小早川秀秋や宇喜多秀家など
    戦国武将としてしか認識していなかったのですが、秀吉との関係性が本著でよくわかりました。

    司馬さんはとにかく明るくて賑やか華やかな秀吉が好きで、
    家康が嫌いなのかな?
    昔、他の作品読んだ時にも感じたような。。家康はほんと陰湿な印象です。

    結びの一文。余韻がすごい。
    「豊臣家の栄華は、秀吉という天才が生んだひとひらの幻影のようであったとすら思える。」

  • 豊臣家ゆかりの人物にスポットを当てた短編集。
    司馬遼太郎さんが、豊臣家に潜入、密着取材してきたかのようで、とにかく面白かったです。秀吉の弟妹、妻妾、実子、養子など、一人ひとりの人物像がリアルに迫ってきました。豊臣家の内情がよく分かりました。

    司馬遼太郎さんの小説を読む前は、戦国の世は男性中心と決め込んでいました。北ノ政所、淀殿、2人の女性抜きにしては豊臣家は語れないとあらためて思いました。北ノ政所は、秀吉にとっても家康にとってもキーパーソンでした。

    政治的理由での結婚、離婚。人が外交上のやりとりとして物のようにあつかわれている悲しさ。戦国の世の悲哀が、じわりじわりと伝わる濃密な一冊でした。

    • koba-bookさん
      豊臣家の人々、読了おめでとうございます!
      「司馬遼太郎さんでめぐる日本史の旅」で言えば、次のおすすめは、以下のあたりかと!

      ○戦国を深める...
      豊臣家の人々、読了おめでとうございます!
      「司馬遼太郎さんでめぐる日本史の旅」で言えば、次のおすすめは、以下のあたりかと!

      ○戦国を深めるなら
      「覇王の家」→家康の生涯を描く。小説というより考察みたいな?
      「国盗り物語」→太閤記、の、前史です。主人公は前半が斎藤道三、後半は、織田信長です!

      ○「竜馬がゆく」の幕末に戻るなら…
      実は、関ケ原で敗者になった、毛利・島津・長宗我部のDNAが、結局倒幕を果たすので、物語はつながってます。
      「燃えよ剣」→文句なく、圧倒的に、面白いです。新選組。土方歳三。
      「世に棲む日々」→幕末長州、吉田松陰&高杉晋作が主人公です。

      もちろんそれ以外でも!司馬遼太郎さんも楽しんでください〜
      2025/06/20
    • くにちゃんさん
      分かりやすい本のガイド、ありがとうございます。

      Koba-book2011さんの「豊臣家の人々」のレビューに、「・・・・いきなり『豊臣家の...
      分かりやすい本のガイド、ありがとうございます。

      Koba-book2011さんの「豊臣家の人々」のレビューに、「・・・・いきなり『豊臣家の人々』を読んで、どんな味わいなのか、ちょっとわかんないです」とありましたが、まさにその通りで、おすすめしていただいた順に読んでいったら、理解が深まったばかりでなく、本当に心に沁みました。

      次に読むのは、“どちらにしようかな!”と迷ってしまいます。楽しみです!!


      2025/06/21
  • わりと俯瞰的に書かれてることもありそれほどのめり込むという感じにはならなかったが政治的でおもしろい。周りはずいぶん振り回されたかもしれないが、何より家柄の時代に諸説あるが百姓程度の人間が一代限りとはいえ天下を取ったんだから大したものだ。

  • 尾張・中村の貧農の家に生まれながら、関白となり栄耀栄華を極めた豊臣秀吉。 その一族、縁者たちが、異常な運命に翻弄されながら、豊臣家凋落とともに非業の死を迎えるまでの軌跡をたどった<司馬遼太郎>の名作文学。・・・甥・秀次「殺生関白」、弟・秀長「大和大納言」、秀吉の遺子・秀頼「淀殿・その子」・・・〝秀頼には辞世もない。辞世だけでなく、彼の人柄や心懐を推し測るべきなにものも、その23年の生涯のうちに残さなかった。秀頼は影のように生き、死んだ〟・・・。

  • 人々を振り回す秀吉の魅力!身分の軽重と人間の出来不出来は関係がないし、豊臣の時代は秀吉の力だけで成り立っていたのがよく分かった。

    豊臣家の最後の二人、淀殿と秀頼の話も初めて知ったけど、哀れでありながら、世間を知らずに育つ/育てるというのは身を滅ぼしてしまうなぁ。所謂毒親やね。
    天運が強すぎた秀吉は、悪運の淀殿を引いてしまったんやねぇ。

    令和になってから、うちの近所の神社で豊臣秀吉の木像が見つかったそうで。江戸時代にこっそり作られたくらい、大阪の人たちは秀吉さんが好きやってんな〜しみじみ。

  • 特に前半の話が面白い。
    秀吉が権力を手にする実力がありながらも子宝に恵まれなかったこと、晩年に秀頼が生まれたことで豊臣家の人々(実際にはほとんどが養子に来た他人)の運命が目まぐるしく悪い方に転がっていく。
    秀次、小早川秀秋は凡庸、宇喜多秀家は他人事、秀長は影が薄い、北政所と淀殿は対立しているなど、後ろ向きな話ばかりで逆に滑稽になる。
    この本を読む限りは秀長はたいした人物に思えなかったが、大河ドラマ「豊臣兄弟!」ではどのように描かれるのか楽しみ。

  • 太閤記→関ヶ原→城塞→そして豊臣家の人々!っていうこの究極のリレーを、本好き歴史好き司馬好きの全ての人と分かち合いたい。
    長編三作のなかでちらっとしか語られなかった人物たちについての列伝。これだけ語ることがありながら長編の方ではぐっと抑えていたり、列伝では人物重視で関ヶ原の戦いが三行で終わったりする、抑制力やテンポ感が見事。

  • 豊臣家に関わる人々が描かれてる。秀次はただの一般人なのに秀吉の縁戚ってだけで位を与えられそして秀吉によって殺しれるの哀れすぎる。
    北政所も自分で豊臣家を起こした自負があるからこそ淀を嫌い自分手で家を終わらせるために家康と近しくなったったのだろう。結局淀が孕ったことで尾張派閥と近江派閥ができこれが後々関ヶ原の結果へと続いていくと思うと秀吉も悔やまれるだろう?

  • 短編集だが、まるで一編の大河小説のように感じた。有名なエピソードを含め豊臣家の栄枯盛衰がよく語られていて、とても楽しく読めた
    司馬遼太郎氏はやはり超一流の語り手だ

  • 豊臣秀吉に関わる様々な人物を通して豊臣家の栄華と転落を描いた人気作品。

    現在放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも関係し、大変読みやすい内容でオススメです。

    甥の秀次の運命、晩年の秀吉の衰え振りがあまりにも悲劇すぎるのを司馬遼

  • 優秀な軍師・竹中半兵衛や秀長がいたにもかかわらず崩壊していく豊臣家の様子が面白かった(笑)あまり歴史小説に登場しない人についての話とかもあって楽しめた(笑)

  • 一族のなかから天下人が出てくると周りも幸せになる、とは限らない。

  • どれも非常に面白いものばかりだった。小早川秀秋や、宇喜田秀家、結城秀康など、戦国の一場面一場面ではよく見るが、秀吉との関係性などよくわかっていない部分が多かったが、それを知ることが出来てとても面白かった。そして、中でも、最後の淀殿と秀頼の物語は、まるでその場に立ち会っているかのような生々しいリアルさを感じて、圧倒された。

    秀吉という傑物の存命中、豊臣家は大阪城の如く絶対的な強さと安定を誇っていた。しかし、その秀吉がこの世を去ると同時に、もう一人の傑物である家康が動き出す。家康を止められるのは秀吉ただ一人。その秀吉を失った今、誰も家康を止めることはできない。淀君や秀頼が叶う相手ではなかった。

    豊臣家の栄華は秀吉の死とともに急激に失速し、その豪華絢爛な光景は瞬く間に色を失い、目が覚めた時、目の前に見えるのは砂上の楼閣だった。
    豊臣家とは、まるできらびやかな幻…
    --こんな余韻に包まれている。

  • 秀吉晩年期から豊臣家が抱えていた問題を、さまざまな人物を通して見ることができる

    『豊臣家の人々』『関ケ原』『城塞』の3冊を読めば、豊臣家の事業継承がいかに失敗したか見えてくる

  • ※2011年7月沖縄共同病院に入院中に妻が購入
     入院中に読了
     とても面白く2回読了
     2017.5.6売却@Book Off

  • 数年前に読んだ本。
    ふと思い出したので目次見つつ投稿。

    豊臣秀吉の縁者というのは少なく、多くは義理の繋がりの人間です。小早川秀秋、宇喜多秀家、結城秀康などが世間的に知られている名前でしょうか。

    他には北政所などの話も入っています。
    司馬殿の考え方はどこか豊臣家に対する愛があるように思います。他の著書の中でもどこか思い遣りを感じました。表現が慮るようなものが多く、それを妨げた人物の行動は痛烈です。
    例えば小早川秀秋、彼自体は再評価する動きもありますし、決して暗愚な人物ではないと思います。
    ただ、無能レベルまでの表現が使われていたので、おや?と感じました。
    ただし、著者の小説ではこのような人物については手厳しく書かれており、読書の心境をわかっているかのような書き方をされています。

  • 人間味溢れる秀吉も、晩年の姿は痛々しくただの老害でしかなかった。それでも戦国の世を華やかにした秀吉はやはり天才だと思う。そして一代限りで幕を閉じた豊臣家は彼が作った夢物語だった。

  • 貧農の家に生まれながら関白となり、位人臣を極めた豊臣秀吉の奇蹟の栄達は、その一族、縁者たちを異常な運命に巻き込んだ。平凡な彼らに与えられた非凡な栄誉と境遇は、ときに豊臣凋落の予兆となる悲劇をもたらす。甥・秀次、正室・北ノ政所、弟・秀長、妹・朝日、養子とした皇族や武将、そして大坂城に散った淀殿と秀頼。彼らの運命を描きながら、豊臣の栄華と衰亡の軌跡をたどる司馬文学の傑作。

    秀吉は
    1)卑賤から身を起こし
    2)二十年で天下人となったが
    3)政権は一代しか続かず
    4)晩年まで実子にめぐまれず
    5)嫡男はその生母とともに自殺し
    6)血統は絶やされた
    という、特異ないきさつを持っています。

    「秀吉は、信長や家康とちがって、
    豊臣家の藩屏となるべき血縁者をほとんど持っていない」
    【新潮文庫『関ヶ原』(中)P.458】

    1)殺生関白
    2)金吾中納言
    3)宇喜多秀家
    4)北ノ政所
    5)大和大納言
    6)駿河御前
    7)結城秀康
    8)八条宮
    9)淀殿・その子

    1、関白豊臣秀次…秀吉の実姉おとも(後の瑞龍院日秀)の再婚相手で、尾張大高村の百姓弥助(後の三好武蔵守一路)の子。次弟は秀勝。三弟は秀俊で豊臣秀長の養子。初め三好孫七郎秀次と称し、河内2万石から、秀吉の後継者となり、尾張伊勢100万石、位人臣を極め関白。暗愚で残虐非道な振舞いの為、高野山へ追放され切腹。妻妾は幼児諸共、京都六条磧で刑戮され尽くした。

    2、金吾中納言小早川秀秋…北ノ政所(秀吉正室寧々)は杉原助左衛門定利(のち木下と改姓)の子に産まれたが、早くから伯母の浅野家の養女となった。生家杉原家の当主家定は寧々の年子の弟にあたるが、その5男を豊臣家の養子に入れた。秀秋である。12歳で従四位下右衛門督(唐名を金吾将軍)、15歳で参議、16歳で権中納言という異数の累進を遂げるが、その人となりは愚人であった。慶長の役では総帥を勤めるが、秀吉の癇気に触れ越前に改易されるも、家康の取りなしと、秀吉の薨去で封地を守り、やがて関ヶ原での寝返りが東軍勝利の主因となった。秀秋は歴史に於いて、豊臣家を滅ぼす役割しか演じなかった。

    3、備前中納言宇喜多秀家…秀吉が織田家の将として中国攻めの頃、播磨の秀吉と安芸の毛利家の間にあった、備前・美作の大名宇喜多直家が織田方に降った。その際秀家は人質として安土へ行くが、父直家の死去の際、秀吉が見せた厚情を生涯忘れなかった。後、豊臣家の養子となり、五大老の一人となり、勇猛な備前兵の大軍を率いて関ヶ原では獅子奮迅の働きをするが破れ、薩摩に逃れた後、八丈島に流される。内政や政治・権謀に暗く、可憐な迄に豊臣家への素直な忠義を貫いた。豊臣家の養子達の内、彼一人が秀吉の遺志に応えた。関ヶ原の敵味方全てが既に滅んだ、4代将軍家綱の明暦元年まで長生した。享年84歳。

    4、高台院北ノ政所…秀吉の正室、寧々である。勃興期の織田家で未だ下級物頭の秀吉(当時木下藤吉郎)と結婚し、前田利家・まつ夫婦とは垣根一つを挟んだ仲であった。やがて異数の累進を遂げた秀吉によって、従一位という女性最高の位を得てもまるで権柄ぶらず、尾張の頃の言葉と物腰を貫いた。やがて豊臣政権が固定し、秀吉の寵が淀殿に移り、その膝下に石田三成、小西行長らの近江系官僚が政治を執ると、次第に寧々の周りには加藤清正、福島正則、浅野幸長らの尾張系の荒大名がその庇護を受けるようになり、寧々自身が徳川家康を頼りにした為に、遂には関ヶ原での尾張系大名と、黒田長政、小早川秀秋の東軍参加への道が出来ていく。秀吉と寧々が作り上げた豊臣家という存在を、淀殿に継承させる事を潔しとしなかった心情が伺える。それを見届けるかの様に、家康の寄進に依る京都東山の高台寺に於いて、秀吉の菩提を弔いつつ、3代将軍家光の寛永元年9月、76歳の生涯を閉じた。

    5、大和大納言豊臣秀長…秀吉の異父弟小一郎。秀吉はお仲(大政所)と百姓で織田家の足軽弥右衛門との子であるが、小一郎は継父竹阿弥との子である。秀吉は此の継父と合わず早く家を出た為、兄弟の邂逅は、秀吉が士分に取りられた後である。以降は竹中半兵衛に薫育され、天性の調整と内治の天稟を持ち、その温厚さ故に広く慕われて、豊臣政権の基礎を固めた。大功を立てても秀吉や配下に譲り、自己は目立たず兄の影に従う篤実さを生涯持ち続けた。惜しくも小田原征伐の頃の天正19年正月23日、大和郡山城で死去。享年51歳。秀長の早世が豊臣家の衰亡を早めたと言っても過言ではない。

    6、駿河御前旭姫…秀吉の継父の子で異父妹にあたる。小一郎秀長の実妹。秀吉が異数の出世を遂げ始めた頃は、尾張中村の水呑百姓に嫁いでいたが、その夫は俄かに侍に取り立てられ、佐治日向という名を与えられるが、程なく死ぬ。次に副田甚兵衛という秀吉の直参に嫁ぐが、此の男も大した才覚も無く、小身のままであった。やがて徳川家康との間に小牧長久手の戦いが起こり、家康有利での講和後、秀吉は何とか家康を籠絡せんものと外交を仕掛けるが、旭姫を甚兵衛と離縁させ、家康に嫁がせるという手を打ち、更に生母大政所を人質に浜松に下らせた。此の後に家康は本拠を駿府に移したため、駿河御前と称せられた。僅か3年半後の天正18年8月聚楽第で死去。享年48歳。直後に小田原征伐が起こっている。彼女もまた、秀吉の異常な運勢に、運命を変転された一人であった。

    7、越前少将結城秀康…実父は徳川家康であるが、生母おまんが出自の卑しい侍女であって家康は喜ばず、徳川家で重んぜられなかった。小牧長久手の戦の後の講和で徳川家から人質として豊臣家に送られるが、秀吉は秀康を大変愛した為に、彼もまた実父以上に秀吉を思慕した。のち秀頼が生まれた為に、常陸の名族結城家を継承し、徳川家に戻される形で家康に従った。秀康は異母弟で徳川家の世子秀忠を遥かに凌ぐ器量を備え、剛毅果断で、周囲を静まらせる威徳を備えていたが、反って家康は此れを恐れ、刺激せざるよう扱われた。よって秀康は一度も戦場に出ていない。関ヶ原の後は越前若狭75万石を領したが、大坂の陣の起こる前の慶長12年病没。享年34歳。徳川の血を持ち、豊臣の養子であり、類稀な将器を備えながら一度もそれを顕す機会を得ず、遂に若くして空しく世を去った。政治に翻弄されきった人生であるといえよう。

    8、八条宮智仁親王…父は誠仁親王(正親町天皇の養嗣子)、母は勧修寺晴子。兄は周仁親王で、正親町天皇を継ぎ、後の後陽成天皇となる。智仁親王は今出川(菊亭)晴季の斡旋で、関白に就いた秀吉の養子になっている。皇族が臣下で、しかも氏素性もしれない秀吉の養子になるなど、史上唯一の事である。親王は非常に聡明で、和学に通じ、後に幽斎細川藤孝より『古今集』解釈の秘伝、「古今伝授」を受けている。後鶴松の誕生を機に、第二皇位継承権者として皇族に復すが、絶頂期の秀吉を間近に見て育ったため、その感興は秀吉を眩しく捉え、聚楽第、伏見城、そして秀吉自らの縄張りによる自身の八条宮邸などの桃山文化の美術・建築に強く影響を受け、豊臣家が滅んだ後、桂離宮を造営し、其処に住んだ。同時代の日光東照宮と美意識の対極として今に語られる。3代将軍家光の寛永6年没。享年50歳。

    9、淀君・豊臣秀頼…淀君は北近江小谷城主浅井長政と、信長の妹お市の方との長女。秀頼、幼名は拾、秀吉と淀君の次男(長男鶴松は夭逝)。世界史上にも極めて類稀な強運によって人臣の栄華を極め尽くした秀吉と豊臣家。此処まで見てきた様に、俄かに立ち上った異常過ぎる強運は、彼の周囲の人々をも巻き込み、彼らは皆数奇な生涯を送った。その最も象徴的なものが、淀君と豊臣秀頼であろう。織田家の血を引く淀君は、武家の貴種の血統を崇拝する性癖がある秀吉に溺愛され、二度も豊臣家の世継を生んだ為に、異常な権勢を持つに至った。その側近は、石田三成以下の近江系の文治派の吏僚大名で構成された為に、正室北ノ政所を戴く、加藤清正・福島正則以下の尾張系の武断派大名らと、豊臣家を真っ二つに割って抗争した。此の間隙を利用して関ヶ原の戦いを起こし、遂に天下を得て幕府を開いたのが徳川家康である。豊臣家は65万7千4百石の一大名に転落し、家康はその生存中に豊臣家を滅ぼすべくあらゆる手を打ち、その命運を追い詰めてゆく。三成亡き後の大坂城内には既に人無く、無能な家老の片桐且元、淀君の乳母大蔵卿の縁者の大野治長・治房兄弟、秀頼の乳母の子、木村長門守重成など、淀君を中心とする閨閥の支配する家となっており、情報の漏洩、家臣の離反、秀頼が家康に伺候させられた事に依る家格の失墜など、大坂の陣に到る前に、家康に調略され尽くしてしまう。中でも最大のものは秀吉が大坂城内に貯蔵していた夥しい金銀を、秀吉供養や秀頼祈願の為と称して、莫大な出費を強いた事で、汲めども汲めども一向に減らない莫大な金穀の量に、家康も舌を巻いたと伝わる。やがて方広寺大仏と大仏殿の再建に到って漸く尽き、方広寺鐘銘事件によって武力討伐へと発展していく。
     淀君その人は、美貌以外の何の能力も無い女性であり、己の地位だけに拠って、遂に大局に盲目な儘であり、家康に脅され、宥められ、すかされる度に家康が思うが儘の愚かな反応のみを繰り返した事には、当の家康でさえ苦りきった思いを持った事であろう。大坂の陣では真田幸村、後藤基次、長曾我部盛親、毛利勝永、明石全登といった名将を有しながら、彼らを信頼せず、夏の陣で豊臣家の滅亡寸前になってさえ、秀頼を陣頭に立たせて士気を鼓舞する事さえしなかった。その秀頼は22年の生涯で、名前以外の何の声も痕跡も残さず、大坂城山里廓の焔硝蔵の爆砕と共に此の世から消滅した。

  • 秀吉の親族たちはそう多くないのにもかかわらず、みんな翻弄されていて、不憫。

  • 源頼朝、足利尊氏らは源氏の宗主であり、それぞれに鎌倉、室町幕府を開く。幕府を開くためには征夷大将軍でなければならない。しかし、源氏でなければ征夷大将軍は宣下されないのだ。秀吉は源氏の姓を得ようし、足利義昭に乞うてその養子になろうとしたが承知されない。なので、秀吉は人臣最高の職である関白という資格をもって天下を治めようとした。関白は藤原氏でなければならないという。秀吉は近衛家の養子になり藤原秀吉を名乗ることで無事に関白の資格を得るに至る。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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