生きるヒント 自分の人生を愛するための12章 (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 611
レビュー : 53
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041294185

作品紹介・あらすじ

「悲しいではないか」かつて明治の青年たちは、顔を合わせるとこう挨拶したという。「悲しいではないか」、悲しみを知っている人間だけが、本当の喜びを知ることができる。「歓ぶ」「悲む」「笑う」「飾る」「占う」「買う」「歌う」「想う」-。日々の感情の起伏の中にこそ生きる真実がひそんでいます。常に時代を予感し、人の「心と体」について深く洞察する、日本を代表する作家からあなたへ、元気と勇気が出るメッセージ。

感想・レビュー・書評

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  • ある意味、青春の門あたりは五木寛之好きだったけど
    思想に偏りを感じてからは
    他のはふーん。
    多分念仏の思想が大。

  • 生きるヒントであり、押し付けず、寄り添うような形で進んでいきます。読みやすくあたたかい。

  • マーク・トウェインの言葉:「私は天国へは行きたくない。なぜならば、天国にはユーモアというものが存在しないからだ ユーモアの源泉は、哀愁である 悲しむことを忘れた人間に、本当の喜びが訪れるわけはないとぼくは思います

  • 迷っている時に読むと良い指針になってくれると思った。

  • 歓ぶ、惑う、悲む、買う、喋る、飾る、知る、占う、働く、歌う、笑う、想うというカテゴリーに分けて、人生のささやかな喜びを教えてくれる。

  • 少し変わる
    何かが変わる。

  • 人生は生まれた時から死へむかって1日ずつ接近してゆく旅。自分の五感(第六感も)を大切にして感謝の気持ちで過ごすこと。謙虚にそして自分を肯定しつつ。

  • さくっと読める長さ。生きていくうえで、うんうんそうだよね、確かに、と頷ける内容や、新しい知見もあり、こう思っていたのは私だけじゃなかったのか!や、そうかこういう捉え方もできるのか、と考えながら読めた。

    以下読書メモ
    >>>>>
    ・〈よろこばせ上手〉は、自分を喜ばせることから始めた方が良さそうです。その結果として、他人に対してもひらかれた暖かい視線で接することができるのではないかと思います。

    ・ 知恵の悲しみ=知的に充実すればするほど、大きな悲しみを味わうことになりかねません。

    ・ 偶数と奇数と比べてみると、偶数は、割り切れて合理的で儒教に近い。奇数は、2で割ると必ず一つ残る。その一つ余った存在に気づき、受け入れるのが道教だというのです。本来、人生や人間の存在など、公式で割り切れないものばかりです。割って割り切
    れない存在を許容することが大切なのではないか。奇数に興味をもつことは、惑いの時代を楽しく生きていく上でのヒントになると思います。

    ・ 惑うというのは、実は、人間に与えられたすごい能力の一つなのではないかと思います。惑っている人間にしか見えない大事なものがあるにちがいない。惑って立ち止まった人間にしか、美も、真実も、見えないのではないか。

    ・ 真のユーモアの源泉は、哀愁である。 byマーク・トウェイン
    → この言葉は、私たちにさまざまなことを考えさせます。私たちが本当に明るく生きるためには、暗さを直視する勇気を持たなければならないのではないか。本当のよろこびというものを知る人間は、深く悲しむことを知っている人間なのではないか。

    ・アサガオの蕾は朝の光によって開くのでないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。

    ・ ただ、私たちは、悲しむべきときに悲しまない人間にだけはなってはいけないと思うのです。暗いものを暗いと感じ、悲惨なものを悲惨と見、そして怒るときは怒り、その気持ちを率直に友人や家族たちにぶちまけて悲懺慷慨するような、そんな人間のありかたのほうが、魅力的に感じられるだけです。

    ・シャー・アッバス・ホテルというイランで最も古く最も美しいホテル

    ・農夫、漁民、山の民たちは、それまでは、物言わぬ砂のような大衆でありました。「物言えば唇寒し」で、ひとことでも危険なことを言ったり、お上の批判や悪口を言ったら、すぐに首が飛ぶ。ただ黙々と蟻のように働けばよいのだという長い習慣の中で、余計なことを一切言わない。実用的な用件以外に言葉を発することを忘れてしまった無数の人々に対して、蓮如は、まず、自分たちの念仏に関心のある人は集まれ、と呼び掛けます。村落の中の有力者や親切な人の家に、まず、みんなで集まりなさいと。朝は星がのこっているうちから働いて、日が暮れても働いて、家に帰ったうに倒れて寝るという生活をしている人たちに、それ以外の時間を持ちなさい、念仏をする時間を持ちなさい、法話、つまり信仰について語りあう場を持ちなさいと、しきりに言うわけです。その信仰を語りあう場というのが、「講」とよばれた組織なんですね。それによって牛馬のように働き、食べて、寝るだけだった人々が、田植えの時期をどうする、水の配分をどうするという実利的なこと以外の精神のありかたについて喋り合う場を持ちはじめるのです。集まり、そこで、宗教的、哲学的な、つまり、極楽とは何だ、本当に念仏の力はあるんだろうかとかいった、信仰について語り合うことをはじめたのです。

    ・ 私たち日本人は、〈喋る〉ということに関して十分になれていないし、まだまだ熱心ではありません。多く喋ることによって試行錯誤をくり返し、喋ったための失敗も重ねることが大切なのです。しかしその失敗の中から、やがて洗練された喋り手、深みのある喋り手として、私たちは成長していくことができるのではないか。そのためには、まず喋ること。人がなんといおうと喋ることによって人間は成長するのです。よきお喋りのできる女性こそ、魅力的な女性であると、ぼくは固く信じています。

    ・ 物を〈知る〉ということは逆にそれだけ悲しみが深くなったり、憂鬱さが色濃く感じられたりする、そういう感じも一面ではあるのです。〈知る〉ということは、じつは悲しいことではないか、つらいことではないか、ふっとそんなふうに思う。

    ・ 見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしないほうがいい、という意味でしょうが、じつはもっと深い意味があるような気がする。つまり、われわれは〈知る>ということをとても大事なこととして考えています。しかし、ものごとを判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や固定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それに触れること、体験すること、そしてそこから得る直感を大事にすること、それが大切なのだ、と言っているのではないでしょうか。

    ・実際にものを見たり接したりするときには、これまでの知識をいったん横へ置いておき、そして裸の心で自然に、また無心にそのものと接し、そこからうけた直感を大切にし、そのあとであらためて、横に置いていた知識をふたたび引きもどして、それと照らしあわせる、こんなことができれば素晴らしいことです。そうできれば、私たちのうる感動というものは、知識の光をうけてより深く、より遠近感を持った、豊かになることはまちがいありません。

    ・ 柳宗悦が戒めているのは、知識にがんじがらめにされてしまって自由で柔軟な感覚を失うな、ということでしょう。おのれの直感を信じて感動しよう、というのです。どんなに偉い人が、どんなに有名な評論家が、自分とまったく正反対の意見をのべていたり解説をしていたとしても、その言葉に惑わされるなということです。

    ・自分の感性を信じつつ、なお一般的な知識や、他の人びとの声に耳をかたむける余裕、このきわどいバランスの上に私たちの感受性というものは成り立たねばなりません。それは難しいことですが、少なくとも柳宗悦の言葉は、私たちに〈知〉の危険性というものを教えてくれます。

    ・しかし、できれば私たちはさまざまのことを多く知り、知る歓びの中に生きながら、しかもその知識によって惑わされないような、こういうと、言葉は矛盾しますが、そのふたつの難しさの中で、きわどいバランスをとって生きていかなければいなりません。勉強をすることは、大事なことです。本を読み、知識をうることは歓びです。もしかわりに、それが悪いことだとしても、人には何かを知らずにはいられない本能というものがあります。私たちは人間として、本来、知ることを喜ぶ気持ちを持っている。しかし、知ることの危うさ、知ることによって失うものの大きさというものにも気づかないわけにはいきません。このプラスとマイナスの、ふたつの極の間をさまよいながら私たちは生きているのです。つい、ため息が出てしまいそうですが。

    ・今でもチベットやインドのほうでは、山を聖なる山として崇拝し、その山の麓を、足で歩かずに、膝で尺取り虫のように進みながら何年間もかかって巡礼をしている人もいます。そんなふうに山を深く尊敬しているのを見て、何をやっているんだろうと笑う人もいるかもしれないけれども、ぼくはかえってそういう人びとに、ある崇高なものを感じたりすることがあるんです。

    ・空気や水はもちろんのこと、社会からうけるさまざまな精神的な養分、それに太陽の光や、あたたかさや、その他もろもろの資源を、目に見えない根を、この宇宙全体に張りめぐらしながら、人間は自分の命をささえ、そして生きつづけているのです。生きる
    ということ自体がじつは労働の所産であり、目に見えない努力がそこに払われている。そのことを考えますと、どのように生きるかということよりも、ただ生きてこの世に存在しているということ自体が、すでに驚くべき価値ある行為であるように思えてくるのです。

    ・生存していること、この世の中に存在していること、このことで人間は尊敬されなければならないし、すべての人は自分を肯定できる。人は己れの人生をそのまま肯定しなければならない。余力があれば、世のため、人のためにも働けるにちがいない。いまはただ、こうして暮していることだけでも、自分を認めてやろうではないか、と。そこから、本当に希望のある、前向きな人生観が生まれてくるのではないでしょうか。そんなふうに今、ぼくは人生というものを受けとめているところです。

  • 読んでおいて損はない

  • 職場のロッカーに「積読本」だった本書。福祉の先輩が意図的に置いて行ったんだと思い、取りあえず読み始めた。

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著者プロフィール

1932年福岡県生まれ。戦後朝鮮半島から引き揚げる。早稲田大学文学部ロシア文学科中退。’66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、’67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、’76年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。’81年から龍谷大学の聴講生となり仏教史を学ぶ。ニューヨークで発売された『TARIKI』は’01年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門銅賞)に選ばれた。また’02年度第50回菊池寛賞、’09年、NHK放送文化賞、’10年、長編小説『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞を受賞。主な著書に『戒厳令の夜』『ステッセルのピアノ』『風の王国』『親鸞』(三部作)『大河の一滴』『下山の思想』『孤独のすすめ』など。

「2021年 『海を見ていたジョニー 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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