生きるヒント 自分の人生を愛するための12章 (角川文庫)

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  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041294185

作品紹介・あらすじ

「悲しいではないか」かつて明治の青年たちは、顔を合わせるとこう挨拶したという。「悲しいではないか」、悲しみを知っている人間だけが、本当の喜びを知ることができる。「歓ぶ」「悲む」「笑う」「飾る」「占う」「買う」「歌う」「想う」-。日々の感情の起伏の中にこそ生きる真実がひそんでいます。常に時代を予感し、人の「心と体」について深く洞察する、日本を代表する作家からあなたへ、元気と勇気が出るメッセージ。

感想・レビュー・書評

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  • 1.著者;五木氏は小説家・随筆家。少年時代は、父親から古典の素読や詩吟を教えられたそうです。小説を読む事を禁じられたので、坪田譲治や江戸川乱歩を隠れて愛読。中学以降は、ドフトエフスキー・ゴーリキー等を読み漁る。「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー。「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、「青春の門」で吉川英治文学賞他、多数受賞。「大河の一滴」等、仏教に関する著作も多い。
    2.本書;1990年代に雑誌「ミセス」に連載された。「生きるヒント」シリーズは累計600万部を超えたヒット作品。著者のあとがきです。「僕らは鋼鉄のような強い意志を持った人間ではありません。迷いながら、その時々の気分で生きている適当な生活人です。そんな人間が、少しでも元気で、少しでも自信を持って生きてゆけるような、そんな“生きるヒント”を探してみました」と。30年間経っても、風化しない著者のメッセージが、私達の人生に勇気をくれます。「歓ぶ」~「想う」までの12章構成。
    3.個別感想(印象的な記述を3点絞り込み、感想を付記);
    (1)『1章;歓ぶ』より、「僕はこの年になっても、安いコロッケをトースターで焼いて食べながら幸福を感じる事が出来ます。超一流の料亭で御馳走になっても不味いものは不味い。・・・私達は歓びを持って生きたい。それを持っているだけではなく、自分から探し出す事に慣れなければならない。どんなに詰らない事であってもいい、それを今日一日の収穫として大事にしたい」
    ●感想⇒❝よろこぶ❞とは、❝喜ぶ=一般的に嬉しい時❞・❝悦ぶ=他人を喜ばす時❞・❝歓ぶ=歓声をあげる程に嬉しい時❞などがあります。五木氏は、❝歓ぶ❞を使っていますが、私は単純に❝喜ぶ❞を使います。私は物事に感動した時に喜びます。これまでに、幾多の喜び(感動)がありました。家族を持った時(結婚・子供の誕生)、進学・就職、海外での経験(アルゼンチンでタンゴショーの舞台を見た時;ベテラン歌手が歌唱を終えた際、観衆が総立ちになり、拍手とアンコールの嵐に包まれた)など、枚挙にいとまがありません。最近では、そのような大きな喜びは減りましたが、五木氏の様に、コロッケの美味しさに舌鼓を打つ喜び、早朝にコーヒーを飲みながら読書する喜び、庭の花木の成長を育む喜び等、生きる喜びを噛みしめています。心の持ち方一つ。喜びは何処にでもあるのではないでしょうか。
    (2)『2章;惑う』より、「“本を読む” “芝居を見る” “音楽を聴く”・・これらはみんな、昔は趣味と考えられていた。しかし、僕はそれを単なる趣味でないと思うのです。それは人が生きていく事の本質なのではないか。人間は、本来そういう事をする為に、生きているのであってその時間と余裕を生み出す為に働くのです。働く事自体が目的ではない」
    ●感想⇒“人間が生きていく事の本質”と“働く事自体”の考え方について、私の考えは、五木氏とは少々異なります。 “本を読む” “音楽を聴く”・・等は、確かに心の豊かさをもたらします。しかし、“働く事” も重要な意味を持っています。働く事には、①世の中の利便性を高める ②家族の生活を支える ③自己実現(高度な人間欲求の満足感)等の意義がある考えます。“仕事と人間の本質”をグッドバランスで維持することが大切と思うのです。こうした考えは、五木氏のような小説家と私のようなビジネス社会で生きてきた者という生活体験の差から生じるのかも知れません。いずれにせよ、“刻苦勉励、骨身を惜しまない生き方”をしたいものです。
    (3)『7章;知る』より、「私達が注意しなければならない事は、安易にマスコミから流れ出す情報を鵜呑みにして、何かすべての真実を知ったつもりになってしまう事でしょう。私達は疑い深くなければならない。そして情報というものに対して一方的な受け身の姿勢でいてはならない。何か変だな、と心の片隅でふっと感じた時には、その感覚を信じて、大きく自分の目を見開き、世間で言われている一般的な知識というものに疑いの目を向けなければならない」
    ●感想⇒久しく情報化時代と言われて、良くも悪くも情報が市中に氾濫しています。私達は、新聞・テレビ・雑誌等、情報の嵐に晒されています。例えば、テレビが、××にガン抑制効果があると放映すると、××は品薄となり、店頭から一時的に姿を消します。マスコミには、ともすると世論を誘導する力があるように思えます。従って、私達は自分なりの判断基準を持って、それらに対抗しなければなりません。知人に、新聞は全国紙しか読まないという人がいます。しかし、知識人の中には、“地方紙の方が、事実を誠実に伝えている”と言う人もいます。何事も偏りのない情報収集が必要ですね。先人の知恵に謙虚に学び、真実を見極める力を養い、人伝でなく可能な限り現地現物に徹して、自分の目で事実を確かめる事です。“百聞は一見に如かず”ですね。
    4.まとめ;作家が人生や生き方について書いたエッセイーは多くあります。本書は、それらとは一線を画しています。著者は言います。「これはいわゆる“人生論”ではありません。また、生きる思想というような大袈裟なものでもありません。タイトルどおり、生活していく上でのちょっとした“ヒント”です」と。私は、難解な言葉や、著名な思想家の言葉を頻繁に引用している本を好みません。本書は、自分の考えを、語るように平易な言葉で綴っており、理解し易く仕上がっています。前述(2)で書いたように、私の考えとは少し異なる点もありますが、本書をいつもそばにおいて、生活の中で迷いが生じた時に、読み返したい一冊です。(以上)

  • ある意味、青春の門あたりは五木寛之好きだったけど
    思想に偏りを感じてからは
    他のはふーん。
    多分念仏の思想が大。

  • 生きるヒントであり、押し付けず、寄り添うような形で進んでいきます。読みやすくあたたかい。

  • マーク・トウェインの言葉:「私は天国へは行きたくない。なぜならば、天国にはユーモアというものが存在しないからだ ユーモアの源泉は、哀愁である 悲しむことを忘れた人間に、本当の喜びが訪れるわけはないとぼくは思います

  • 最後の章「想う」の死生観がとくに気に入った。

  • 暗い後ろ向きな内容や、共感できない部分もあるけど、考え、努力し、自分の存在価値を認識して生きていくことの大切さを確認しました。フランクルの夜と霧を引用。

  • 1章「歓ぶ」では、『歓び上手』って素敵だな、思いましたし、3章「悲しむ」で『悲しいではないか』と明治のころの文学青年や政治青年らが挨拶を交わし議論する話では、日本が成熟していく過渡期の良き時代に思いを馳せ、アサガオ研究家の話で『アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと闇の深さが不可欠である』という報告に、詩的な感動を覚えたと言う著者の感性にこそ感銘を受けました。
    7章「知る」では、柳宗悦の言葉『見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ』ー見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしない方がいい、は同感です。アートを見るとき、人と接するとき、先入観によらず自身がどう思うかを大切にしたいと常々思っているから。
    最後の著者からのメッセージでこれは「人生論」ではなく生活していく上でのちょっとした「ヒント」ですと仰っておりましたが、生きて暮らしているだけですごい、とちっぽけな自分でも認めてもらえたような気持ちになれるいい本でした。

  • 人生は生まれた時から死へむかって1日ずつ接近してゆく旅。自分の五感(第六感も)を大切にして感謝の気持ちで過ごすこと。謙虚にそして自分を肯定しつつ。

  • 迷っている時に読むと良い指針になってくれると思った。

  • 歓ぶ、惑う、悲む、買う、喋る、飾る、知る、占う、働く、歌う、笑う、想うというカテゴリーに分けて、人生のささやかな喜びを教えてくれる。

  • 少し変わる
    何かが変わる。

  • やはり、小説家は文章が上手い!

  • 休学している今、私を支えてくれる一つになった。
    こうして自分と向き合っている時間が生きる糧になるんだと励まされたように思う。

  • 救われた、自分を許すことができそう

  • さくっと読める長さ。生きていくうえで、うんうんそうだよね、確かに、と頷ける内容や、新しい知見もあり、こう思っていたのは私だけじゃなかったのか!や、そうかこういう捉え方もできるのか、と考えながら読めた。

    以下読書メモ
    >>>>>
    ・〈よろこばせ上手〉は、自分を喜ばせることから始めた方が良さそうです。その結果として、他人に対してもひらかれた暖かい視線で接することができるのではないかと思います。

    ・ 知恵の悲しみ=知的に充実すればするほど、大きな悲しみを味わうことになりかねません。

    ・ 偶数と奇数と比べてみると、偶数は、割り切れて合理的で儒教に近い。奇数は、2で割ると必ず一つ残る。その一つ余った存在に気づき、受け入れるのが道教だというのです。本来、人生や人間の存在など、公式で割り切れないものばかりです。割って割り切
    れない存在を許容することが大切なのではないか。奇数に興味をもつことは、惑いの時代を楽しく生きていく上でのヒントになると思います。

    ・ 惑うというのは、実は、人間に与えられたすごい能力の一つなのではないかと思います。惑っている人間にしか見えない大事なものがあるにちがいない。惑って立ち止まった人間にしか、美も、真実も、見えないのではないか。

    ・ 真のユーモアの源泉は、哀愁である。 byマーク・トウェイン
    → この言葉は、私たちにさまざまなことを考えさせます。私たちが本当に明るく生きるためには、暗さを直視する勇気を持たなければならないのではないか。本当のよろこびというものを知る人間は、深く悲しむことを知っている人間なのではないか。

    ・アサガオの蕾は朝の光によって開くのでないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした。

    ・ ただ、私たちは、悲しむべきときに悲しまない人間にだけはなってはいけないと思うのです。暗いものを暗いと感じ、悲惨なものを悲惨と見、そして怒るときは怒り、その気持ちを率直に友人や家族たちにぶちまけて悲懺慷慨するような、そんな人間のありかたのほうが、魅力的に感じられるだけです。

    ・シャー・アッバス・ホテルというイランで最も古く最も美しいホテル

    ・農夫、漁民、山の民たちは、それまでは、物言わぬ砂のような大衆でありました。「物言えば唇寒し」で、ひとことでも危険なことを言ったり、お上の批判や悪口を言ったら、すぐに首が飛ぶ。ただ黙々と蟻のように働けばよいのだという長い習慣の中で、余計なことを一切言わない。実用的な用件以外に言葉を発することを忘れてしまった無数の人々に対して、蓮如は、まず、自分たちの念仏に関心のある人は集まれ、と呼び掛けます。村落の中の有力者や親切な人の家に、まず、みんなで集まりなさいと。朝は星がのこっているうちから働いて、日が暮れても働いて、家に帰ったうに倒れて寝るという生活をしている人たちに、それ以外の時間を持ちなさい、念仏をする時間を持ちなさい、法話、つまり信仰について語りあう場を持ちなさいと、しきりに言うわけです。その信仰を語りあう場というのが、「講」とよばれた組織なんですね。それによって牛馬のように働き、食べて、寝るだけだった人々が、田植えの時期をどうする、水の配分をどうするという実利的なこと以外の精神のありかたについて喋り合う場を持ちはじめるのです。集まり、そこで、宗教的、哲学的な、つまり、極楽とは何だ、本当に念仏の力はあるんだろうかとかいった、信仰について語り合うことをはじめたのです。

    ・ 私たち日本人は、〈喋る〉ということに関して十分になれていないし、まだまだ熱心ではありません。多く喋ることによって試行錯誤をくり返し、喋ったための失敗も重ねることが大切なのです。しかしその失敗の中から、やがて洗練された喋り手、深みのある喋り手として、私たちは成長していくことができるのではないか。そのためには、まず喋ること。人がなんといおうと喋ることによって人間は成長するのです。よきお喋りのできる女性こそ、魅力的な女性であると、ぼくは固く信じています。

    ・ 物を〈知る〉ということは逆にそれだけ悲しみが深くなったり、憂鬱さが色濃く感じられたりする、そういう感じも一面ではあるのです。〈知る〉ということは、じつは悲しいことではないか、つらいことではないか、ふっとそんなふうに思う。

    ・ 見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしないほうがいい、という意味でしょうが、じつはもっと深い意味があるような気がする。つまり、われわれは〈知る>ということをとても大事なこととして考えています。しかし、ものごとを判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や固定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それに触れること、体験すること、そしてそこから得る直感を大事にすること、それが大切なのだ、と言っているのではないでしょうか。

    ・実際にものを見たり接したりするときには、これまでの知識をいったん横へ置いておき、そして裸の心で自然に、また無心にそのものと接し、そこからうけた直感を大切にし、そのあとであらためて、横に置いていた知識をふたたび引きもどして、それと照らしあわせる、こんなことができれば素晴らしいことです。そうできれば、私たちのうる感動というものは、知識の光をうけてより深く、より遠近感を持った、豊かになることはまちがいありません。

    ・ 柳宗悦が戒めているのは、知識にがんじがらめにされてしまって自由で柔軟な感覚を失うな、ということでしょう。おのれの直感を信じて感動しよう、というのです。どんなに偉い人が、どんなに有名な評論家が、自分とまったく正反対の意見をのべていたり解説をしていたとしても、その言葉に惑わされるなということです。

    ・自分の感性を信じつつ、なお一般的な知識や、他の人びとの声に耳をかたむける余裕、このきわどいバランスの上に私たちの感受性というものは成り立たねばなりません。それは難しいことですが、少なくとも柳宗悦の言葉は、私たちに〈知〉の危険性というものを教えてくれます。

    ・しかし、できれば私たちはさまざまのことを多く知り、知る歓びの中に生きながら、しかもその知識によって惑わされないような、こういうと、言葉は矛盾しますが、そのふたつの難しさの中で、きわどいバランスをとって生きていかなければいなりません。勉強をすることは、大事なことです。本を読み、知識をうることは歓びです。もしかわりに、それが悪いことだとしても、人には何かを知らずにはいられない本能というものがあります。私たちは人間として、本来、知ることを喜ぶ気持ちを持っている。しかし、知ることの危うさ、知ることによって失うものの大きさというものにも気づかないわけにはいきません。このプラスとマイナスの、ふたつの極の間をさまよいながら私たちは生きているのです。つい、ため息が出てしまいそうですが。

    ・今でもチベットやインドのほうでは、山を聖なる山として崇拝し、その山の麓を、足で歩かずに、膝で尺取り虫のように進みながら何年間もかかって巡礼をしている人もいます。そんなふうに山を深く尊敬しているのを見て、何をやっているんだろうと笑う人もいるかもしれないけれども、ぼくはかえってそういう人びとに、ある崇高なものを感じたりすることがあるんです。

    ・空気や水はもちろんのこと、社会からうけるさまざまな精神的な養分、それに太陽の光や、あたたかさや、その他もろもろの資源を、目に見えない根を、この宇宙全体に張りめぐらしながら、人間は自分の命をささえ、そして生きつづけているのです。生きる
    ということ自体がじつは労働の所産であり、目に見えない努力がそこに払われている。そのことを考えますと、どのように生きるかということよりも、ただ生きてこの世に存在しているということ自体が、すでに驚くべき価値ある行為であるように思えてくるのです。

    ・生存していること、この世の中に存在していること、このことで人間は尊敬されなければならないし、すべての人は自分を肯定できる。人は己れの人生をそのまま肯定しなければならない。余力があれば、世のため、人のためにも働けるにちがいない。いまはただ、こうして暮していることだけでも、自分を認めてやろうではないか、と。そこから、本当に希望のある、前向きな人生観が生まれてくるのではないでしょうか。そんなふうに今、ぼくは人生というものを受けとめているところです。

  • 読んでおいて損はない

  • 職場のロッカーに「積読本」だった本書。福祉の先輩が意図的に置いて行ったんだと思い、取りあえず読み始めた。

  • 最終章の「想う」が良い

  • 仏教(浄土真宗)の信者でもある五木寛之さんのエッセイ。押し付けがましいところが一切なく、肩の力が抜けていて自然体で読み易い。
    『見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ』柳宗悦(心偈より)…見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしないほうがいい→予備知識や固定観念が邪魔になる事がある。直感を信じよ。
    『人生に希望はあるか、という問題ですが、ぼくはやっぱりないと思います。』
    『人間の一生というものが死へむかって進んでゆく旅行である』等々。
    2巻目以降も出ているみたいなので機会があれば読んでみたい。

  • 割と普通とは反対の考え方をしていて面白かった。
    明るく明るくと、プラスに考え過ぎず的なのも、なんだか良かった。
    明るくないとさも悪いみたいな、ネガティブは悪いこと?みたいな意見は「確かに。そういう世の中になってきているのが、問題かもな」と思わなかった考えが生まれたりした。最後の12章が良かった。

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著者プロフィール

1932年、福岡県生まれ。作家。生後まもなく朝鮮半島に渡り幼少期を送る。戦後、北朝鮮平壌より引き揚げる。52年に上京し、早稲田大学文学部ロシア文学科入学。57年中退後、編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、2010年『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞受賞。ほかの代表作に『風の王国』『大河の一滴』『蓮如』『百寺巡礼』『生きるヒント』『折れない言葉』などがある。2022年より日本藝術院会員。

「2023年 『新・地図のない旅 Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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