- Amazon.co.jp ・本 (552ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041304136
作品紹介・あらすじ
平和そのものに見えた団地内に突如、怪文書が横行し始めた。プライバシーを暴露した陰険な内容に人々は戦慄! 金田一耕助が近代的な団地を舞台に活躍。新境地を開く野心作。
感想・レビュー・書評
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団地内にプライバシーを暴露する怪文書が横行し始めた。その相談を受けてやってきた金田一耕助。その矢先、団地のダスター・シュートからタールまみれの女性死体が発見される。村から団地へと舞台を変え、複雑さを増した事件に金田一が挑む!
生々しく秘密を暴露する怪文書!顔が判別できず過去も定かではない死体!「白と黒」という言葉に隠された意味とは!近くて遠い団地内での人間関係。隣に住んでても扉を閉めればわからない。まさに人間の心を象徴しているよう。個々人が抱える秘密が密接に絡まり合って、大きなパズルを完成させていく。
横溝正史が今まで描いてきた村社会的な土地に染み付いた過去が生みだした事件ではない。新しく完成した団地に住む人々はまっさらな生活をそこで始めていく。ただ、それでもそこへ来るまでの人生はそれぞれにあるのだ。それは火種となって、ふとした衝撃で目覚めるのを待っている。団地が起こした恐るべき人間関係の化学反応が見事だった。
終盤まで犯人がわからず、あやしい人だらけで困った(笑) キーワードとなる「白と黒」もまったくわからなくて、それが明かされた時は「ああー!」と思わず声が出てしまった。ちょっとした描写にも伏線が隠されていて、読み直すのが楽しそう。それにしても、事件は解決してもこの団地どうなるんだろ…って心配になる。事故物件すぎる(笑)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
現代風の珍しい作品。結構地味に好き。子供とて大人顔負けに何かを考え、行動してるものだ。京美ちゃんの歪んだ笑顔が後味。
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金田一耕助シリーズとしては珍しい、団地を舞台に行われる連続殺人事件。
ある怪文書をきっかけに、様々な事情を抱えた人物が登場し、展開される物語は正に奇々怪界。
タイトルにもある白と黒の意味がわかった時の爽快感と、結末の意外性が読んでいて心地良かった。 -
戦前と戦後の人間が違うことが描かれているように、戦後すぐと令和の人間は全く違うと感じた。現代を生きる人にはあまり解けなさそうな事件になってることや、貞操や家庭意識について、当時はそんなんだったんだなーと知られたことが面白かった。
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金田一耕助の推理小説を久しぶりに読み返してみた。昭和の団地を舞台にした長編だったが、話が長過ぎるのには辟易した。しかも令和の今では考えられない差別的な内容が全体を通して流れている。読み疲れた。
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横溝正史のミステリ作品集『白と黒』を読みました。
『人形佐七捕物帳 新装版』、『悪魔の降誕祭』に続き横溝正史の作品です。
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平和そのものに見えた団地内に突如、怪文書が横行し始めた。
プライバシーを暴露した陰険な内容に人々は戦慄!
金田一耕助が近代的な団地を舞台に活躍。新境地を開く野心作。
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地方の村や大家族、風俗的な舞台などが多かった金田一耕助シリーズが現代の団地を舞台にした長篇作品です。
1960年(昭和35年)10月11日、金田一耕助は、古いなじみの元ホステス・須藤順子の案内で、彼女の住む日の出団地を訪れた… 近頃団地内に怪文書が出回っており、それが順子を悩ませているという、、、
Ladies and Gentlemenという書き出しで始まるその文書は活字を切り貼りして作られており、順子の夫・達夫に宛てて順子の不倫を暴露したものだった… 一方その頃、団地内のダストシュートで女の変死体が発見され、身につけた物から女は団地に隣接する洋裁店・タンポポの主人と見られたが、塗装用タールの下敷きとなっていたため、その容貌がわからなくなっていた……。
眼前で起きた恐ろしい殺人に団地の人々の恐怖は頂点に達する…… 謎のことば「白と黒」の持つ意味とは? 団地という現代都市生活特有の複雑な人間感情の軋轢と、葛藤から生じる事件に金田一耕助が挑戦する!!
怪文書を作成・送付した人物、殺人を犯した人物、遺体を隠した人物… それぞれが、異なる動機で犯罪を犯していたので、単純な殺人事件が複雑怪奇な事件に変貌していたんですねー 新興団地を舞台に金田一耕助が活躍するという意外性も印象的で面白かったですね。 -
前年から1961(昭和36)年に連載終了。これまでに読んできた横溝正史作品は戦前から戦後間もない頃の作品ばかりで、映画化もされた有名作はその頃のものが多いようだが、果たして後年の作風はどんな感じだろう? そう思ってとりあえず読んでみた。
本作の舞台は1960(昭和35)年の東京で、5階建て20棟から成る当時としては巨大な新築団地である。団地住まいという新しい生活様式がにわかに出現してきた時代と思われる。作者自身がこの新しさについて簡潔に指摘している。
「日本全国にニュー・タウンとよばれる団地が、ぞくぞくと建設されるにしたがって、そこに居住するひとたちの社会心理学というものが、ちがごろ問題になってきている。
団地という従来にまったく見られなかったタイプの住居と、そこにおける生活が日本人の社会心理に、どのような影響をおよぼすだろうかということは、これからますます必要になってくる研究課題にちがいない。」(P.63)
東京の都市化による必然的な心身まわりの激変のプロセスが見られたのであろう。団地の生活という密室の孤独化は、確かにこれより昔の「長屋」生活とはまったく異なるものであったが、この作品で描かれているのはまだそのプロセスの入り口あたりのようだ。分厚い壁によって隣の世帯とは隔絶しているが、電話はまだ各戸に敷かれておらず、敷地内の公衆電話を共用するかたちであった。
そのうえ、近所の世帯同士がそれなりに交流しあっている様子が描かれている。この様はたぶん、その後出現する「ママ友社会」とは少し違う、「隣近所」のつきあいの状態だったとおぼしい。
だが、戦後間もない時代に横溝正史が『八つ墓村』『獄門島』『犬神家の一族』等の名作で描いてきたのは、田舎の地主的な大所帯に、大勢が同居しているような家庭生活であって、それゆえに沢山の容疑者や、複雑に絡み合う愛憎関係が物語を支え、推進してきたのだった。
しかし本作のような「団地」社会では、そこまで密接な人間関係は自然には成立しがたい。そのために本作では緊張感を欠いたゆるさや、わざと込み入らせたような不倫関係の導入が目立つように思った。
特に真ん中辺りではすっかり緊張感が失われていて、横溝作品を読んでいて初めて退屈を感じた。団地の関係者たちの様々な場面が牧歌的に描かれ、殺人事件という緊迫が鈍らされてしまっている。
ところが本作では最後の方になって、やけに性的関係の露出が強烈に描かれている。この作品が、私の知る限りではテレビドラマ化されていないようなのは、恐らく、この性テーマゆえに扱いがたかったからではないか。
この最後の部分、昔には書き得なかったものではないかと思われ、大変興味深かった。この主題がもっと作品全体に浸透して緊迫感をもたらせば、さらに面白い小説になったのではないかと思う。
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