霊長類 南へ (角川文庫)

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  • 角川書店 (1986年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (270ページ) / ISBN・EAN: 9784041305195

AIがまとめたこの本の要点

プレミアム

みんなの感想まとめ

人間の醜さと無力さを描いたこの作品は、核戦争という極限の状況下での人々の思考や行動をシミュレーションしています。1969年に発表された本作は、冷戦時代の緊張感を背景に、米ソの対立が引き起こす理不尽な核...

感想・レビュー・書評

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  •  昔、読んだことがあり、ふっと手に取ってみて、読みだしてみたらおもしろくって一気に読了してしまった。
     こんな勢いで本を読み終えたのは本当に久しぶり。やっぱり筒井康隆の小説だねえ。

     この本が、最初に出版されたのは、1969年10月、世界は冷戦下さながらであり、70年安保でざわついていた時代だ。
     米ソの対立の中、このころ力を伸ばしつつあった中国がもとで、最終核戦争が勃発、人類が滅亡してしまうというストーリー。それも何とも理不尽な形での核戦争の始まりという如何にも筒井康隆らしいきっかけ、案外世の中の大事なことっていうのがこういうつまらない、ナンセンスなことから始まるのかもしれないよという気にもさせられる。
     核戦争が始まると人類が滅亡するまで、それほど時間がかからないということにも驚かされる。
     
     この小説も、筒井康隆のいわゆる疑似イベントものと言えるもので特殊な状況の中に置かれた時に人はどう思考し、行動するのかというシミュレーションしたものである。

     その時、人類はかくも醜く、感情をむき出しになるのか、「霊長類」ということは、人であることをやめて、もはや猿やゴリラなどど同じ次元の生き物になってしまうということなんだろうな。
     もし、その時が起こればできるだけ人間として死んでいきたいなあとは思うが、どうだろうかな、自信はないなあ。本書では、人間として死んでいったのは、主人公たち3人だけだ。

     一時、SF作家を中心に人類の滅亡をテーマにした小説というのがよく書かれていたが、今やあまり見受けないような気がする。社会情勢、国際情勢は、今の方が危険なところもあり、リアリティ感があるような気がするのだが、こういうテーマが書きつくされたということなのだろうか?
     核戦争の恐怖感って、今の時代共有されているんだろうか。マスコミや政治家たちの発言に全く感じられないのだが・・・。

     しかし、この小説、筒井康隆だから許してもらえる表現も多々あり、今、この内容を発表しようとするとコンプライアンス的に不適切ということになるんだろうな。
     現代語訳「霊長類南へ」というのが将来できるんだろうか、それはそれで恐ろしい。

     
     

  • 「なんでや。なんで死なんならんねん。馬鹿で阿呆で、愛嬌があって、おっちょこちょいで、おもろい人間が、その人間が、なんで全部死んでしまいよるねん。そんな阿呆なこと、あるかいな」
    おれたちは抱き合い、わあわあ叫んだ。
    「こんなしょうもないこと、あってたまるか」

    1969年に創刊された筒井康隆の中編SF。1970年には第1回星雲賞(日本長編作品部門)を受賞した。

    ドタバタ騒ぎから偶発的に始まってしまった核戦争によって、人類が滅びゆく阿鼻叫喚の大惨事を、皮肉の利いた軽いノリで書かれている。

    読んでいて気持ちが良い。

    ———あらすじ(公式より)———

    毎読新聞の記者澱口は、恋人の珠子をベッドに押し倒していた。
    珠子が笑った。「どうしたのよ、世界の終りがくるわけでもあるまいし」

    その頃、合衆国大統領は青くなっていた。日本と韓国の基地に爆弾が落ちたのだ。

    大統領はホットラインに手を伸ばした。

    だが遅かった。爆弾はソ連にも落ち、それをアメリカの攻撃と思ったソ連はすでにミサイルを……。

    ホテルを出た澱口と珠子は、凄じい混乱を第三京浜に見た。破滅を知った人類のとめどもない暴走が始ったのだ。

    ———感想———

    めちゃくちゃ面白い。

    瀋陽ミサイル基地での軍人のモメ事から、ミサイル係がボタンを押してしまう。玉突きの核戦争が始まり、北半球の都市はほとんどが壊滅してしまうものの、東京は無事。

    偏西風に乗ってやってくる放射能からどのように生き延びるか———人間のエゴにまみれた逃亡劇が最高すぎる。

    高速道路はパニックで事故の嵐。要人を乗せたヘリコプターは国会議事堂に激突。羽田空港では飛行機にしがみつき逃げようとする群衆たち。

    筒井節で綴られたドタバタ悲劇(喜劇?)が面白すぎて、何度も声に出して笑ってしまった。

    無数の死に様を表現することで、澱口や亀井戸の生への執着が際立っているのもさすがでした。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    毎読新聞の記者澱口は、恋人の珠子をベッドに押し倒していた。珠子が笑った。「どうしたのよ、世界の終りがくるわけでもあるまいし」その頃、合衆国大統領は青くなっていた。日本と韓国の基地に原爆が落ちたのだ。大統領はホットラインに手を伸ばした。だが遅かった。原爆はソ連にも落ち、それをアメリカの攻撃と思ったソ連はすでにミサイルを。ホテルを出た澱口と珠子は、凄じい混乱を第三京浜に見た。破滅を知った人類のとめどもない暴走が始ったのだ。

  • NONSENSEという言葉に尽きるそんな話

  • ポスト・アポカリプス小説を漁っていた時に読んだ作品。期待したほどではなかった記憶が。

  • [偶発的な核ミサイル発射により引き起こされた、世界規模の核戦争。
    放射能におびえる人間の狂気じみた行動を描写。]

    筒井がこの作品の表題を『霊長類南へ』と、一風変わったものにしたのにはやはり何かしら理由があってのことだろうが、果たしてそれはいかなる理由によるのだろうか。『霊長類』と人類を表現するのはなぜであろう。『南へ』というのはやはり人類が放射能を避けて南へ移動するからだろうが。
    実は、この作品が自らのアイデンティティを保つためには他の表題は考えられないのであり、また、この中にこそ作品最大の『毒』が入っているのである。『霊長類』この呼び方はきわめて冷徹であり、まるで滅び行く一つの対象物としての見方ではあるまいか。何を隠そう、筒井はこの作品を神の視座から描いているのだ。筒井は一貫して絶対者の立場に立ち、人々を見下ろす形で作品を描き上げた。筒井はそのため、人類をもはや超越してしまい、一種の絶対存在となったのである。場面がよく切り替わるという効果的な演出はツツイヤスタカ神が目をいろんなところにやっているためなのである。神となった筒井は人間に対して、下手に愛着を表現することもない。それゆえ完全に冷徹、冷静である。
    人間への愛着がなければ、人間はサルともゴリラとも大して差はなく、同じ一つの霊長類であると比較的容易にいえる。これが表題に『霊長類』を使わせる理由であろうが、さらに大きく皮肉が入っているような気がする。サルやゴリラは自ら絶滅することはない。人間のように理性を持たずとも、自己保存の本能があるゆえに内的な理由により滅びることはないのである。しかし、サルやゴリラよりも高等とされる我々人間は理性も本能も持ち合わせてはいるが、たとえば核などの使用により内的理由で滅びうるのである。理性があるから我々はサルやゴリラよりも高尚であるといえるのだが、理性によりサルやゴリラでも作らない自己破滅の道を我々は作った。さすが人類。こういう皮肉が私には感じられるのである。
    この作品で筒井は“生”を描いている。間接的な描き方ではあるが、かえって明確的である。淡々と生を語るのではなく、まずいきなり無数の死に様を表現する。そこに見られるのは極度の生への執着、大いなる生の有意味性にすがる霊長類どもの姿なのである。“生”を、対概念である“死”を大量に表現することによっていっそう際立たせている。書き方が間接的、かつ明確的といったのはこういう点においてである。核戦争下という極限状況において人間がいかに醜悪であるか、エゴイズムがいかなる形で顔をのぞかせるかが繊細に描写され、そこには人間が本来有するはずの理性のひとかけらさえ垣間見ることはできない。異常なまでの生への執着心、果たして生にどれほどの魅力を感じているのだろうか。ショーペンハウエルは世界を支配するものとして、盲目的な生への意志(Wille zum Leben)をあげたが、まさにこの小説がそれを証明しているかもしれない。自己保存の本能、即ち生存への本能の描写は、ここでも『霊長類』というタイトルを輝かせる。
    最後になるが、核軍備下における生命の無力さとはいかなるものなのだろうか。今でこそ核削減の交渉は続いており、着々とその数は減ってはいるが、この作品がかかれた時代は東西イデオロギーの対立の構図がはっきりしていた冷戦時代の只中だった。かなりのリアリティをもちえたのは事実である。核の脅威は決して消えうせることはない。次の瞬間にも我々は“ジュッと蒸発する”かもしれないのだ。

    • amesaburouさん
      核戦争の脅威を描いたSF作品は『猿の惑星』とかいろいろあるけど、永遠のテーマかもしれないな。
      核戦争の脅威を描いたSF作品は『猿の惑星』とかいろいろあるけど、永遠のテーマかもしれないな。
      2010/08/30
  • ライムスター宇多丸師匠が「WALL・E」の映画評の中で作中に登場するゴキブリの描写について語る際、本作のエンディングの描写を彷彿させるって言うてました。

  • そうそう、この本だった。タイトルから内容が思いつかず、長らく忘れていた。面白かったからまた読みたいなぁ。

  • 下らない理由で世界が滅ぶ時代。

  • 「不謹慎」と連呼する人に今こそこの本を読ませたい。どういう状況になろうと表現に枷を嵌めてはならない。

  • 一切感傷に逃げることのない(リアリズムでもない)、スペクタクル終末もの。

  • 081226(n 090112)

  • 終わり方がすき。

  • いやはや、これは面白い!

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著者プロフィール

筒井康隆……作家、俳優。1934(昭和9)年、大阪市生まれ。同志社大学卒。1960年、弟3人とSF同人誌〈NULL〉を創刊。この雑誌が江戸川乱歩に認められ「お助け」が〈宝石〉に転載される。1965年、処女作品集『東海道戦争』を刊行。1981年、『虚人たち』で泉鏡花文学賞、1987年、『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、1989(平成元)年、「ヨッパ谷への降下」で川端康成文学賞、1992年、『朝のガスパール』で日本SF大賞をそれぞれ受賞。1997年、パゾリーニ賞受賞。他に『家族八景』『邪眼鳥』『敵』『銀齢の果て』『ダンシング・ヴァニティ』など著書多数。1996年12月、3年3カ月に及んだ断筆を解除。2000年、『わたしのグランパ』で読売文学賞を受賞。

「2024年 『三丁目が戦争です』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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