さかさま世界史 英雄伝 (角川文庫 緑 315-6)

著者 :
  • KADOKAWA
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041315064

感想・レビュー・書評

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  • 歴史上の人物について寺山修司が文献を調べた上で語っていく英雄伝。
    嫌いであろう人についてボロクソ書いているのは面白かった。イソップのことはどうやら嫌いらしい。
    イソップ童話が奴隷思想というのは興味深くてなんだか納得した。

  • 【275】

  • 寺山修司は多才で博学多識、ニヒルで包茎に厳しい男はいません。彼の包茎に対する厳しさは何処から来ていたのか、彼自身がそうだったのかもしれません。閑話休題。この本は彼の思想や書かれた時代背景に基づいて、歴史上の偉人を再解釈しております。再解釈することもあれば皮肉る、おちょくる、包茎野郎と罵ることもございます。たいへん寺山修司ワールドを楽しめる一冊ですので、是非お手にとって欲しいです。

  • (1995.08.16読了)(1988.10.15購入)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    世界史上の英雄達の虚飾に満ちた本体を見破り、たちまち滑稽なピエロにしてしまう寺山修司の鋭い目。その昔、我が国最初の国家統一を行なった聖徳太子を、高額紙幣の亡霊となって今もなお国家統一のため活躍中と皮肉り、主体性がなく「学校ごっこ」に至るまで三遷させられた孟子に対し、「お医者さんごっこ」を禁じられて家出したが私は一遷で充分だったとうそぶく。卑近な問題を調味料に、強烈な風刺と卓抜なユーモアでどんな大人物も見事に料理して見せる、ユニークなやぶにらみ英雄伝。

    ☆寺山修司の本(既読)
    「人生なればこそ」寺山修司著、大和書房、1967.10.01
    「家出のすすめ」寺山修司著、角川文庫、1972.03.25
    「幸福論」寺山修司著、角川文庫、1973.01.30
    「書を捨てよ、町へ出よう」寺山修司著、角川文庫、1975.03.10
    「誰か故郷を想はざる」寺山修司著、三笠書房、1984.03.15
    「さらば箱船」寺山修司著、新書館、1984.08.25
    「母の蛍」寺山はつ著、新書館、1985.02.15

  • 0419-0501
    /////
    世界史上の英雄達の虚飾に満ちた本体を見破り、たちまち滑稽なピエロにしてしまう寺山修司の鋭い目。その昔、我が国最初の国家統一を行なった聖徳太子を、高額紙幣の亡霊となって今もなお国家統一のため活躍中と皮肉り、主体性がなく「学校ごっこ」に至るまで三遷させられた孟子に対し、「お医者さんごっこ」を禁じられて家出したが私は一遷で充分だったとうそぶく。
    卑近な問題を調味料に、強烈な風刺と卓抜なユーモアでどんな大人物も見事に料理して見せる、ユニークなやぶにらみ英雄伝!

  • 世界の偉人を寺山修司が再解釈する本。
    文献を漁ってしっかりと調べた上で
    自己の経験や思想などから語る。
    大きなポイントは偉人を
    あくまで一人の人として扱うこと。
    母親との関係を想像して書いているのが目に付くが
    それは寺山自身の出生と大きく結びついている。
    各偉人を通して
    自分自身を語っている本だ
    と言えるかもしれない。
    基本的に人をあくまで一人の人として見る姿勢や
    反権威・反権力的な考え方は
    なんだか非常に親近感を覚える。
    また、昭和49年に書かれた本なのに
    個人を尊重する考え方やその他もろもろが
    非常に現代的なのに驚く。
    エジソンの発明に対する考察など
    それをインターネットという文字に置き換えても
    すべて当てはまるようなものだ。
    ある種の人間の発明の本質そのものを見据えている
    ということだと思う。
    そういう洞察の深さも寺山の面白さの一つだ。
    ユーモラスで風刺で時にセンチメンタルで
    サクサクと読めてしまう本でした。
    しかし、昭和49年にすでに
    「マザー・ファッカー」って言葉を使ってるなんて
    なんて男だ。

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著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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