競馬への望郷 改版 (角川文庫 て 1-12)

著者 :
  • KADOKAWA
3.77
  • (6)
  • (8)
  • (12)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 78
感想 : 9
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041315149

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「人は誰でも自分に似た馬をさがして賭ける。片目の男は、片目の馬に賭け、聾唖の男は声の出ない馬に賭ける。だから、みなしごの鉄ちゃんが孤児の馬をさがして賭けたのも、不思議なことではなかった。」(p.91)

    この本の競馬観が端的に表れている箇所です。
    馬券で勝てそうだから賭けるのではなく、自分を重ねた馬に賭ける。
    当然、競馬で大当たりしたような愉快な話は少なく、むしろ人生と敗北とが競馬を通じて語られていくと言った調子です。

    人生に負けた者が、競馬によって再度勝負する機会を得て、また負けていく。
    そのくせどの短編も、読後感がとてもいい。

    現在の中央競馬の一般レジャーぶりとは正反対の考え方ですが、そこはもちろん同じ競馬。
    登場する馬は1960~70年代が中心で、ハイセイコー以外は正直何のことやらなのですが、東京競馬場の魔の第3コーナー(p.45)の話の続きにはサイレンススズカを挙げずにはいられないし、「日本一の逃げ馬は?」(p.119)と聞かれれば登場人物達にパンサラッサの勇姿を語りたい気持ちに駆られてしまいます。
    それに、時代は違ってもダービーはダービーだし、東京競馬場は東京競馬場です。(改修で条件は変わっているかもしれませんが。)

    時代も馬もコースも人も入れ替わってしまっても、それでも通じるものがあります。
    読み終わって、タイトルの「競馬への望郷」が、ぴったりとハマりました。

  • 書いたものが多すぎて全集が出せない作家ベスト1ではないかと個人的に考えている寺山修司。文章が気取っているからなど拒絶反応を起こす知り合いもいたが、寺山はかっこいいんだからいいじゃないか。
    短歌に俳句に詩に芝居、小説、映画、戯曲、エッセイと、もう天才ですよ。
    大学生の頃にハマり、古本屋で何十冊も買って読んだものの、自分がギャンブルをしないせいか、競馬ものは一応買ってはいたものの敬遠していたのだが……。

    馬や騎手の知識がなくても面白く読める。競馬をやりたくなるというのではないが、馬と人との悲喜こもごものドラマは読ませる。
    寿司屋の政とかトルコの桃ちゃんとの話など、時代の空気も感じられていいなぁ。

  • 昨年の凱旋門賞の頃には高橋源一郎『競馬漂流記』を読んでたことを思いだし、では今年は、とチョイスしました。
    競馬のドラマ的な部分を、ファン、競走馬、騎手に分けて、それぞれ煮詰めたような作品です。レースに勝って伝説になる馬、馬券に負けて消えていく仲間、連戦を戦い抜く騎手の人生観、どこを読んでも胸に刺さります。

    加えて、この作品自体も次のドラマに繋がっていることを知りました。
    騎手、吉永正人の章で、最後著者は吉永のこれからの活躍を願い、文体を強めます。「馬主各位。調教師各位。もっと吉永に乗るチャンスを与えてやってください。人生で一番大切なものを失った男は、きっとレースで何かを取り戻すはずである。」
    JRAのWebサイトのコラム『競馬を愛した人々』ではこの先のエピソードがあります。昭和58年皐月賞、寺山が自身のコラムに吉永の乗るミスターシービーが本命と書きます。体調不良を理由にコラムはこれが最終回となりますが、ミスターシービーは見事皐月賞を勝ち、続けてダービーを制するのです。
    この年のダービーが5月29日。同月4日に寺山は47歳の若さで生涯を終えています。吉永の栄冠を願いながら、その瞬間を見ることなく。

    このエピソードを知って再度吉永の章を読み返したのであります。

  •  よかった。面白かった。前作「馬敗れて草原あり」よりよかった。

     書かれた時代が時代なので古い話が多いのは当然。騎手伝記で語られる騎手達に至っては、今やとっくに現役を退いており、“騎手の父”となっている者も少なくない。昔日の時代を感じられる書である。過去の競馬を知れるのはよい。

  •  競馬と人間が織りなす人間味のある物語が詰まった本。古い本だけど、今でも共感できる。

  • 競馬のロマンを語るとき、避けては通れない本。競馬をただのギャンブルとは思ってない人に是非オススメ。

  • 新宿の古本屋で偶然見つけた寺山修司の絶版本!
    しかし、あまり競馬に興味がないので、またあとで読みます。

  • 競馬ってただのギャンブルじゃないんだなあ・・・馬にも競馬場にも馬券を買う人にもドラマが。

  • ふりむくな ふりむくな 後ろには 夢がない。「さらばハイセイコー」から始まる、競馬叙情。寺山修司の競馬への愛は惜しみなく、そしてどこか哀しみを帯びている。

全9件中 1 - 9件を表示

著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

寺山修司の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×