書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041315224

感想・レビュー・書評

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  • 寺山の価値観と詩の詰め込まれた本
    彼の一部を読み取ることができるのではないか、と思った本。
    好き嫌いがあるようで、友人は、無理だったと言っていた。

  • 評論集。途中の詩集は、正直、さっと読んだ。
    氏と私の年齢差は24歳。金田ストライクや、ファティング原田などの共通項がかろうじてあるくらい。
    素材はもちろん古いが、氏が言いたいことはわかるようになってきた。
    その一つが「無菌状態で育った個体は、外界では生きられない」ということ。

  • セックス競馬野球セックスの話。
    一点豪華主義の話は好き。

  •  1975年に初版が出ているので、今から30年以上前の本です。寺山修司という名前は、天井桟敷と関連してたまにいくつかの本で見ていたので、どんな人なのだろうと読んでみましたが、さすがに古臭いという印象がぬぐえませんでした。

     当時は鮮烈だったのかもしれませんが、今はその使っている単語が古めかしかったり、話題も興味をそそられなかったりして、今一つピンときませんでした。

     古典なのでしょうか?

  • タイトル詐欺は言い過ぎですが、、、
    この本で初めて寺山修司の世界を知ったので、正直タイトルとはギャップがありました。
    難解な文章ではないのに、読みにくかった。
    最後に読んだ巻末の中山千夏さんの解説でその読みにくさの正体がやっと腑に落ちた感じでした。
    うん、理解する必要はなくて、感覚で読む本だな、と。

    でも、あまり知らない世界を垣間見ることが出来た点は良かった気がします。
    あとは、「言葉のあーてぃすと」だなぁと思いました。
    もうだいぶ前にこの本を読んだ人から「一点豪華主義」って言葉を耳にしていて
    随分と長いこと頭の片隅にこびりついていたんですが、
    まあ、そういったスパッと来る言葉の使い方がうまいなぁと。
    なんというか、キュッと心をひきつける言葉が随所に出てくるなぁと。
    物事を適確に表してるというよりは、心をひきつける寺山修司語?のようなものが散りばめられています。

    小説?
    ノンフィクション?

    いや、文章のアートだなぁ、と。

    10ページごとくらいで一つの話になってるので、一冊読みきれない時間のサイクルでしか読書が出来ない人には良いと思います。

  • ことばで人を、世の中を斬ろうとしている人。

    本質の、大きなところに遡って思考するようにしたい。


    ・ぼくたちには日常生活内の「冒険」が必要である。
    生き方としての一点豪華主義。

    ・ホームに帰ることがよしとされていた時代の、ホームベースに帰る野球人気。

    ・あらゆる既成概念への造反は、やがて国家という概念への疑いにたどりつく。

    ・ライスカレー人間は、現状維持型の保守は、ラーメン人間は、欲求不満の革新派。

    ・勝負の世界で、何よりも大きな武器は不幸。

    ・三分三十秒で命をかける、競馬。

    ・わかれは必然的だが、出会いは偶然的である。

    ・あらゆる文明の権力から、自らを守るためには速度が必要。

  • タイトルは、知っているが
    映画も本も見ていなかった。

    100%理解する必要はない本 
    おそらく作者も「わかるよ」と言っている人はきらいじゃないだろうか?

    堕落するにも 気合とセンスが必要な時代は 大変だったろうな

    あぁ 銃を撃ってみたい そして死のう

  • しばし東京を離れます。旅のおともに。

  • 私が読んだのは1971年に芳賀書店から発行された表の赤い本でした。表紙には競馬のイラスト、裏表紙はモンローの写真です。本の中にもいろいろな仕掛けがしてあり、これが寺山修司の世界だなと実感。寺山修司を知るうえでとても参考になった。

  • 表紙が着物の女性の絵の文庫を持っています。前の、つまり短パンの足姿を写した表紙のほうが良かった。

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著者プロフィール

詩人、歌人、劇作家、シナリオライター、映画監督。昭和10年12月10日青森県に生まれる。早稲田大学教育学部国文科中退。青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、中村草田男らの知遇を得て1953年(昭和28)に全国学生俳句会議を組織。翌1954年早大に入学、『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞、その若々しい叙情性と大胆な表現により大きな反響をよんだ。この年(1954)ネフローゼを発病。1959年谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始め、1960年には篠田正浩監督『乾いた湖』のシナリオを担当、同年戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季で上演され、脱領域的な前衛芸術家として注目を浴びた。1967年から演劇実験室「天井桟敷」を組織して旺盛な前衛劇活動を展開し続けたが、昭和58年5月4日47歳で死去。多くの分野に前衛的秀作を残し、既成の価値にとらわれない生き方を貫いた。

「2024年 『混声合唱とピアノのための どんな鳥も…』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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