炎の武士 (角川文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041323403

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  •  4つの短編の内、「炎の武士」を読了。
     武田軍に取り囲まれた長篠城から一人脱出して、味方の徳川軍へ知らせに行く、鳥居強右衛門のお話。
     NHK大河ドラマ「どうする家康」でも、「鳥居強右衛門」のエピソードは描かれていた。
     「どうする家康」での瀬名姫とのエピソードはだいぶ史実を捻じ曲げて描かれているようだが、「鳥居強右衛門」のエピソードは、ほぼ同じだった。
     戦国時代の武士は、後ほどの江戸時代の武士とは、だいぶ違っていたようだ。
    この時代、殿様の為、死ぬということはなく、自分の命が何より大事だったようだ。
     そんな中でも、殿様の為、自分の命をかけて行動する強右衛門は特異な存在だった。
     最後は武田軍に捕まり、味方の城兵の前で、裸で貼り付けにされ、四方から槍で刺殺された。体から迸る鮮血は炎の様だった事と、その心意気から「炎の武士」として後世に伝えられた。


     2つ目の短編 色「いろ」を読了。
     新選組の土方歳三について、お房との出会いのエピソードが書かれている。
    始めは色事としてのつきあいだったが、次第に恋心に変わる土方歳三の胸の内を現している。最後は北海道の五稜郭での戦争で壮絶な死を遂げる。
     土方歳三の出自は農民で、武士ではないが、その心意気は武士だった。


     3つ目の短編 北海の猟人「間宮林蔵」
     間宮林蔵の名前はどこかで聞いている(学校で習ったか?)が、詳しい事は何も知らなかった。 端的に云うと、「間宮海峡」を発見した人。
     幕府からの命により、蝦夷地へ赴き、困難を極め、まだロシアも詳しく知らないカラフトを調査した。結果、カラフトは大陸続きではなく、島であることを確認した。
     後に、オランダ人としてシーボルトが長崎へやって来た。
    シーボルトはドイツ人で日本を調べるスパイだった。
     林蔵の上司である、高橋景保はシーボルトが見せた「世界周航記」欲しさに、「日本図」「カラフト図」と交換してしまった。禁制品を外国に渡すことは重罪だった。
     高橋景保は獄中で死亡し、世間から、林蔵は高橋景保を幕府に売ったというそしりを受ける。
     後に林蔵は幕府の隠密(スパイ)となり、生涯を終える。
     林蔵の死後、シーボルトは「ニッポン」を出版した。そこには、シーボルトが命をかけて日本から持ち帰った、林蔵の「東韃紀行」「北蝦夷図説」を載せた。
     これによって、林蔵の業績と「間宮海峡」の名は世界諸国に紹介された。
     林蔵は、上司のいう事も聞かず、幕府の慣行も無視する自由人であった。
     後世に名を遺す人は、人から奇人変人と言われようと、初志貫徹をする人のようだ。


     4つ目の短編 ごろんぼ佐之助
     新選組隊士 原田佐之助のお話。
     「ごろんぼ」とは伊予(愛媛県)松山あたりの言葉で、「ごろつき」という意味。
     ごろつきの佐之助が新選組に入隊し、局長の近藤勇でさえも「原田には斬られるかも知れんな」と言わしめるほどの剣士になった。
     新撰組隊長の芹沢鴨暗殺、池田屋斬りこみ、鳥羽伏見の戦いに出ている。
     幕府の衰えとともに、新選組も衰えて行ったが、最後は上野の戦争で、彰義隊に入り、官軍の記録では、死亡したことになっていた。
     明治になり、佐之助の弟の大原丑太郎のもとへ老紳士が訪ねて来た。
     50年以上も会っていない、死んだものと思っていた兄の佐之助だった。
     今は満州で馬賊の頭領をしていると言って、金二千円也(現在の百万円ほど)を祝儀袋に入れ、弟夫婦へ渡し、去って行った。その後の佐之助の消息は分からない。
     この人も奇人変人だった。

  • 男たちの生を描いた三編。表題作の「炎の武士」の鳥居強右衛門の姿も感動するが、個人的には「色」の土方歳三の生き方に興奮する。

  • 佐之助 格好良し

  • 天正三年(一五七五)初夏、三河の長篠城は、武田勝頼の軍勢一万七千に包囲され、落城寸前。城を守る奥平信昌の兵は五百あまり。窮状を伝えるため鳥居強右衛門は武田の包囲網を破り、織田・徳川の陣地にたどり着き、四万の大軍が救援に向かっていることを聞かされる。だが、その帰途、強右衛門は武田方に捕らわれ、援軍は来ないと告げるよう強いられるが…。表題作「炎の武士」ほか、男たちの劇的な生を描いた傑作三編を収録。


    2008.6 読了

著者プロフィール

大正十二(一九二三)年一月二十五日、東京市浅草区聖天町生まれ。昭和十(一九三五)年、下谷区西町小学校卒業、株式仲買店勤務。昭和十四年より三年ほど証券取引所にあった剣道場へ通い、初段を得る。旋盤機械工を経て昭和十九年、横須賀海兵団入団。敗戦の翌年、東京都職員として下谷区役所の衛生課に勤務。昭和二十三年、長谷川伸門下に入る。昭和二十五年、片岡豊子と結婚。昭和二十六年、戯曲「鈍牛」を発表し上演。新国劇の脚本と演出を担当する一方、小説も執筆。昭和三十年、転勤先の目黒税務事務所で都庁職員を辞し、作家業に専念。昭和三十五年、『錯乱』で直木三十五賞受賞。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の三大シリーズや『真田太平記』等、数々の小説で人気を博す一方、食や映画、旅に関する著作物も多く上梓した。受賞歴はほか吉川英治文学賞、大谷竹次郎賞、菊池寛賞等。平成二(一九九〇)年五月三日、入院していた東京都千代田区神田和泉町の三井記念病院で死去。小社では同じく単行本未収録のエッセイ集『一升桝の度量』(二〇一一)と初期戯曲集『銀座並木通り』(二〇一三)を刊行している。

「2022年 『人生の滋味 池波正太郎かく語りき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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