ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041366035

感想・レビュー・書評

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  • 1935年(昭和10年)。三大奇書、第二弾。
    夢野久作の代表作。小栗虫太郎「黒死舘殺人事件」、中井英夫「虚無への供物」と共に、本邦ミステリの三大奇書と呼ばれている。実際、半ば発狂していないと書けないのでは、と思うくらい奇想天外かつ型破りな作品であり、こんなサイケデリックな作家が戦前の日本にいたということ自体が驚異的である。

    精神病院で目覚めた記憶喪失の青年が、自分は何者で何故ここにいるのかを探るうちに、不吉な事件の影が見えてくる。「キ○ガイ地獄外道祭文」、「胎児の夢」など訳の分からない作中作が大量に挿入されており、読者を戸惑わせる。「ドグラ・マグラ」とは、作中で主人公が見つけた、狂人が書いたという推理小説のタイトルに由来しているが、その意味するところは不明。

    結局、内容を知るには自分で読むしかないのだが、読んだところで理解したと言えるかどうか。伝統的に何故か推理小説に分類されており、メタ・ミステリ(超推理小説)と呼ばれているらしいが、この物語にカテゴライズは無意味な気もする。強いて言えることがあるとすれば、好きか嫌いかくらいだろう。

  • 傑作です。久しぶりに読み終わったあとにも考えさせられる小説に出会いました。W博士、M博士、挙句の果てには「私」までもが信頼できない語り部なので物語の解釈は様々であり正解がないところがお気に入り。作者の巧みな誘導により物語が進めば進むほど読者を混乱に至らす手法はいやらしいと同時に奇妙な体験を与えてくれる。核心に迫る部分ではのめり込み過ぎて駅を乗り過ごしてしまいました。最後に、願わくは「ドグラ・マグラ」の読んだ記憶を無くし、まっさらな脳髄でもう一度読んでみたい
    (記憶の遺伝に打ち勝てる前提で)。

    ブウウーーーーンンン

  • 高校生の時に一度読み、「まだ十分に理解できない。いつかリベンジしよう」と思っていたが、それから約10年が過ぎた今になって読み返しても理解が進んだ気はしない。
    「キチガイ地獄外道祭文」のくだりは声に出して読みたくなる。

  • ぞっとする、という印象であった。

    怖さというのは、ホラーというより無限のマトリョーシカというようである。
    マトリョーシカを開けるとマトリョーシカを開けている人間の姿が見える、しかしそれはどうみても自分の姿であるのだ・・・というような。

    たしかにミステリーであるのだが、話が脱線につぐ脱線。
    わずかな伏線を繋げば、全体像は掴めそうであるが、その全体像も果して本当なのか・・・?ということだ。ドグラ・マグラという作品が、「狂人の解放治療」の一環として出てくるあたり、作品全体がすべてウソである可能性すらある。

    ちなみに、純科学的な目線で見ると、「心理遺伝(細胞記憶)」というのは、基本的にあまり支持されている学説ではないそうだ。しかし内容を読めば分るが、まったく無下にできるものではない、そんな気はした。
    作中の正木博士が唱える「なんで外科や内科は薬で治せるのに、精神だけは閉じ込めるのだ?医者の胸先三寸で症状が決まってしまう」という主張はなんとなく分る気がした。いまも精神疾患への偏見はまだあるだろう。

  • 日本三大奇書の一つに数えられる、狂気の小説。
    構想と製作に10年を費やし、その発表の翌年に夢野久作はこの世を去っていることから、彼が命と引き換えに生み出した作品だと言われている。

    作中に登場する主要人物、呉一郎は精神病棟の隔離部屋で目覚め、記憶を失っている事に気づくと、その場に現れた医者から、自分がある精神異常を利用した犯罪に巻き込まれたと話をされる。

    呉一郎が自分の記憶を取り戻して行く過程で判明する不可思議な事柄は、本を飛び出し、その読者をも混乱させ、少しずつドグラマグラに隠されたとんでもないカラクリに気づいてゆく。

    その結末を知ってしまうと、もう一度読まずにはいられない、唯一無二の奇作。

  • 思い返せば、多くの本好きに漏れず、たしか中学生か高校生のころに角川文庫の上下巻を手にして、幻惑された。
    凄まじいことだけはわかるが迷宮入り。それは迷宮のままにして。
    高校生か大学生のころに松本俊夫の映画を見ていた。
    それから10年近くのうちに、散発的に夢野久作とは出会ったり別れたりを繰り返し。
    たとえばアンソロジー。
    たとえば映画。小嶺麗奈、浅野忠信、京野ことみ、黒谷友香が出演した石井聰亙監督「ユメノ銀河」モノクロ。SFっぽく翻案したものもあるとか。
    たとえば漫画。電脳マヴォ佐藤菜生「何でも無い」のウェブ漫画、佐藤大「脳Rギュル」、ドグラ・マグラについてはイースト・プレスの「まんがで読破」シリーズや、ドリヤス工房の「ドリヤス工場の有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。」とか。
    一番は実はラジオドラマ。例としては「死後の恋」「悪魔祈祷書」「何でも無い」「少女地獄 冗談に殺す」「少女地獄 殺人リレー」「瓶詰の地獄」などから都度都度衝撃を受けては遡って原作を漁ったり。
    と、実は十年以上二十年以下、ずっと夢野久作には触れ続けていた。
    ところ、いま読み返してみて驚く。
    「しっかり血肉化されている!」

    ざっくりあらすじを書けば、
    (1)めざめ、若林に導かれて(2-5)読み、(6)気づくと正木がいて語り、考え、また眠る。それだけ。
    そこそこあらすじを書けば、
    (1)めざめ、若林に導かれて読むのは、
    (2)「キチガイ地獄外道祭文ー一名、狂人の暗黒時代ー」
    (3)「地球表面は狂人の一大解放治療場」新聞記事。正木談。
    (3’)「絶対探偵小説 脳髄は物を考えるところに非ず=正木博士の学位論文内容=」記者による正木の聞き書き。アンポンタン・ポカン君が演説で代弁。
    (4)「胎児の夢」
    (5)「空前絶後の大遺言書―対象15年10月19日夜ーキチガイ博士手記」吾輩は遺書「天然色、浮出し、発声映画」(正木の見聞きしたものを映画として娯楽的に提示)
    (5’)画面上正木博士喋る。「法医学教室屍体解剖室大正15年4月26日」(下巻へ)「正木と若林の会見」
    (5’’)「心理遺伝付録…各種実例」「その一 呉一郎の発作顛末ーW氏の手記に拠るー 第一回の発作」「第一回の発作」「第一参考 呉一郎の談話」「第二参考 呉一郎伯母八代子の談話」「第三参考 村松マツ子女史談」「右に関するW氏の意見摘要」「右に関する精神科学的観察」(正木の筆)
    (5’’)「第二回の発作」「第一参考 戸倉仙五郎の談話」「第二参考 青黛山如月寺縁起」「第三参考 野見山法倫氏談話」「第四参考 呉八代子の談話概要」
    (5続き)「呉一郎の精神鑑定」「解放治療場に呉一郎が現れた最初の日(大正15年7月撮影)」「その2か月後(大正9年撮影)」「その1か月後」
    (6つまり1の続き)「どうだ……読んでしまったか」正木が話す正木VS若林。いつしか正木VS私の構図に。
    (6’)私の反逆を受けて正木は退室。私は外を歩いて帰ってくる。
    詳しいあらすじは、読書メモに。

    (1)から(5)まではだいたい憶えていたのだ。
    連想されるのは、
    たとえば中井英夫の諸作や埴谷雄高の「死霊」、北杜夫「楡家の人びと」、色川武大『狂人日記』などの小説たち、
    たとえば「セッション9」、スコセッシ「シャッターアイランド」、ギリアム「12モンキーズ」、イーストウッド「チェンジリング」、フォアマン「カッコーの巣の上で」、サドを題材にした「クイルズ」、といった精神病院を舞台にした数々の映画、
    思想においてはフーコー「監獄の誕生」や「狂気の歴史」、三木成夫「胎児の世界」など、など……。
    「何を見ても何かを思い出す」を信条としているとはいえ、ここまで連想されるとは。
    さすが集大成、作者の生きた20世紀前半を飛び越えて、古今東西あらゆる芸術のハブになりうる作品なのだ。

    「どうだ……読んでしまったか」という声が、不意に私の耳元で起った……と思ううちに室の中を……ア――ン……と反響して消え失せた。
    から始まる(6)以降。
    細部を憶えていないにせよ「血肉化しているので記憶しているかどうかは問題ない」段階で、すでにあった。
    つまりは迷宮が私に実装されていたのだ。
    迷宮は何度も迷宮として楽しみたい、から、私は誰か、真犯人は誰か、までを無理に断言しない。
    いつまでも先延ばししながら夢野久作の文体を享楽していたいから。
    (ここで連想したのは黒沢清監督「キュア」。)

    いずれまとめて夢野久作を。

    詳述はしないが連想する。
    「カリガリ博士」からの影響。
    ドストエフスキーの長広舌が生み出すカーニバル空間(バフチン)による時間の伸び縮み、
    夏目漱石「こころ」の長ーい遺書。
    人、場所、物、にズームアップすると面白そう。
    当時の精神医学や精神分析が最新潮流だったと。
    宮沢賢治の例もあることだし、文学と、精神医学および精神分析に始まる無意識の需要、さらには精神薬学がいかに精神分析や無意識を駆逐していったかといった精神医学史には、今後目線を注いでおきたいところ。

  • これを読むものは一度は精神に異常をきたすという売り文句(?)が有名な今作。

    昔から気にはなっていたものの手に取る機会がなかったのですがこの度、満を持して読み始めました。

    始めこそ、なるほどこんな話だったのねそりゃ気も狂うわと思ったのですがわりと、上巻は普通に読めちゃってびっくり。

    今の時代にはクレイジーなお話が多いので慣れてしまっているのでしょうか。

    下巻ではアッと驚く何かが待っているのかそれともこの感じのまま薄気味悪く終わるのか……期待です。

  • 1935年には奇書であったらしい作品。

    当たり前ですが、狂人の本でも狂気の書でもなくて、狂人を装って捻くれてみた正気の人の書いた本。怒るや呆れるには値しないので安心して読めます。捻くれの百鬼夜行ぶりが極彩色的で魅力的で、ポップカルチャーでは筒井氏や冨樫氏、米津氏の作品なんかに脈打つものを感じました。

    途中まで読んだところですが、現代は既にこの作品に影響を受け、またその先へ駒を進めた数多の表現・思想に満ちた時代であるからか、最早この作品の筋書きは色褪せていて、新味の魅力は感じないです。このような古ぼけ書をして「読破した者は皆気が狂う」という謳い文句は、今となっては幾分看板倒れではないのかな。この手の古典に刺激を受けられるかと思って読んだ私が浅はかだったのですが、正直言ってその点は肩透かしでした。残念。

    「みんな精神異常者ですよ」というのは現代中二病の走りのような世の見方ですが、今や殊更たいしておかしなことではなく、鼻息荒く暴こうとするほど特段秘匿されるような発想でもなく、閉塞感や憂鬱の種ですらなく、むしろそれを前提に社会・科学は築かれていることを踏まえて未来に関わっていくというのが現代の大人が普通に弁える態度だと思われるので、この作品を読むと今更随分初々しい話題に触れたなあという気持ちになります。もちろんこの作品があってこそ進められた知見が現代教養に息づいていることも感じられます。

    ロボトミー手術を批判する「カッコーの巣の上で」が1975年の作品であることを踏まえると、この作品の違った価値が見えてくるのかもしれませんが、そちらの探究はまだ先になりそうです。

  • 表紙が意味不明なエロ画像なのが残念すぎる。もうちょっとストーリーと関連のありそうな絵を選べなかったのか?中身の方だが、一部の主張に共感できる部分はあるものの、根底にある精神障碍への差別的視点が引っかかる。下巻の冒頭には有名なグロシーンがあるらしい。苦手な人は注意。

  • 一大奇書という触れ込み、そしてこの表紙からしてなんとなく敬遠していたものの読む事にした。

     意外にも奇書という感じはしなかった。確かに夥しい病名、キチ○イ、狂う等々の言葉が列挙されるので一般的な読み物では無いかもしれない。しかし構想に10年かけたとあって構成がしっかりしていて、文体も明確。序盤の記憶の無い「私」が感じる意識されるものの奇異な印象から、中盤以降の、「私」と読者が同じように書物を読み進めるという形式にいたるまで明澄に思える。「キチガ○地獄外道祭文」も七五調ならぬ七八調、その後も「ファウスト」や「フォーストロール博士」を連想させる部分もあり、どこか伝統的ですらあるように感じた。作中に「ドグラ・マグラ」が出てくることもあり、メタ的要素が今後どの様に花開くのか、博士二人と「私」と読者の平行関係、気の触れる要素として挙げられる夢や細胞の無限の反復がこの後いかに関係性を結ぶかを下巻で楽しみたいと思う。

     すこし気になったのは、脳髄の比喩としての電話交換局の部分。この説明に忌避されるはずの唯物論を感じてしまったのだが、読み方が悪かったのかな。文中にも結局考えないほうへ向かうと考えることになると書いてあったし、タイトルの由来宜しく、めぐり巡るということなのだろうか。

     それにしてもこれが1935年の作品とは恐れ入る。

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