ドグラ・マグラ(下) (角川文庫 緑 366-4)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041366042

作品紹介・あらすじ

昭和十年一月、書き下ろし自費出版。狂人の書いた推理小説という異常な状況設定の中に著者の思想、知識を集大成し、”日本一幻魔怪奇の本格探偵小説”とうたわれた、歴史的一大奇書。

感想・レビュー・書評

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    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4041366038#comment

    ※※※※わりとネタバレ気味ですのでご了承ください※※※※

    舞台は大正15年11月20日。語り手の青年は精神病棟で目覚めたが記憶が一切ない。
    そこへ医学教授の若林博士が現れ、青年の記憶を取り戻すためにいくつかの書類を見せられる。
    いま青年が読んでいるのは、若林博士の前任者で、一ヶ月前の大正15年10月20日に自殺した精神科医の正木博士が書き遺した書類だ。
    上巻は正木博士の『空前絶後の遺書』の途中までだったので、下巻は正木博士の遺言状の続きで始まる。
    ここで語られるのは、2年前に母を絞殺した疑いを持たれ、さらに数ヶ月前には従妹で婚約者のモヨ子を殺した呉一郎(くれいちろう)のこと。 

    この極めて不可思議な遺言状を読み終えた青年がふと顔を挙げると…、なんと眼の前に一ヶ月前に自殺したはずの正木博士がいるではないか!
    (ーー?)になった青年と読者に対して正木博士は「君は若林博士に騙されたんだ。私は死んでいないし、今日は大正15年10月20日だよ」という。

    正木博士の話は続く。
    呉一郎の千年前の先祖は、中国で玄宗皇帝と楊貴妃に仕えた絵師の呉青秀だった。青秀は玄宗皇帝が国政を顧みないことを諫めるためにある絵巻物を献上しようとする。それは自分の妻を殺し、遺体が腐っていく様子を描き記すということだった。
    だが青秀は絵を完成させることができない上に、新たな死体を求める死体愛好者になっていく。都にいられなくなった青秀は、死んだ妻の妹と海に逃げるが、途中で自殺する。その妻の妹は、日本に辿り着いて息子を産んだ。
    青秀の血筋と遺した絵巻物は、呉一郎の代にまでに繋がっていた。
    呉家の代々の男たちは、青秀の巻物を見ると気が狂い殺人狂となった。それは正木博士が『胎児の夢』『脳髄論』で書いてきた「細胞レベルでの遺伝」であり「心理遺伝」なんである。

    そこで、呉一郎の母と婚約者モヨの絞殺事件に話が戻る。
    呉一郎はモヨ子を殺して絵を描いた。だが呉一郎を殺人狂にさせた者こそが真犯人であり、それは呉一郎に「見ると殺人狂になる」巻物を見せた人物だ!

    …あれ、真犯人とか言う話になってるぞ。そうだ、この小説って「推理小説」だったっけ。

    読者は割りと初めから「記憶喪失の青年が呉一郎なんでしょ」としか思ってないし、青年も「自分が呉一郎なんですね」と察する。

    ところが話はそんなに簡単には行かないのであった。
    青年が窓から外を見ると、正木博士の提唱した「精神病患者解放治療場」があり、そこには呉一郎その人がいるではないか!
    「ではぼくは呉一郎ではないのか??」「君こそが呉一郎の秘密を知る重大な鍵なのだ」

    話が混乱、主人公も混乱、読者も混乱。しかし「正木博士の論文」が終わったらかなり読みやすくはなったぞ。

    このあとは正木博士の過去語りとなる。
    正木博士と若林博士は学生時代からの旧敵だった。だが呉家の精神病理を知った二人は精神病研究のために協力することになった。呉家に今後男児が産まれたら巻物を見せて狂わせよう。そのうえで「解放治療所」で治療すれば、自分たちの「精神病理学説」の正しさが証明されるではないか!
    その、二人の実験対象が呉一郎なのだ。

    …えーっと、事件を解決するために、事件を起こすのか(--メ)

    推理小説としての犯人探しは、この後「呉一郎に巻物を見せて発狂させた人」とか、呉一郎の母の絞殺犯人について仄めかされていく。しかしこの『ドグラ・マグラ』が「読んだら気が変になる」といわれるのはここからでしょう。

    上巻に出ていた正木博士の論文、『キチガイ地獄外道祭文』『球表面は狂人の一大解放治療場』『脳髄は物を考えるところに非ず』『胎児の夢』。
    これらはまず『奇想天外の遺書』の中で語られる。
    そして下巻の正木博士の過去語りで、論文を書いた状況や正木博士の真意、さらには論文の内容が実証までされていたことも明かされる。
    これだけでもなんか凄い(・・;)んだが、最後まで読むと、その意味さえどうでも良くなるようなさらに大きな枠があったことが分かる。ヽ(  ̄д ̄;)ノ

    結局この『ドグラ・マグラ』は読者自身が見ている夢なのか、人間の精神は自分の精神の中に閉じ込められているのではないか。
    この出られない感覚。この読了感が醍醐味であり「気が変になる」所以なのだろう。

    ………ブウウーーーンンンーーーンンン………。

  • 再読したくて探したら行方不明に(T ^ T)
    その為、再度購入σ^_^;
    (感想は上巻と同じです)
    再読したくて探したら行方不明に(T ^ T)
    その為、再度購入σ^_^;

     日本ミステリ界の三大奇書。(『匣の中の失楽』も合わせて四大奇書と言われることもあります)
     読むと精神が崩壊する等々。

     私が目を覚ました時、記憶を失っていた。隣の部屋からは女性の声で『お兄様』と呼びかける声。
     ここはどこで、私は誰で、どうして、こんな場所に閉じ込められているのか……。
     そこから始まるのは奇書にふさわしい物語。

     初めて読んだときに思ったのが、ミステリの概念とは?

     記憶を失った私が閉じ込められているのは精神病院で隣にいるのは私の許嫁だというところから物語ははじまります。

     そこまではいいのですが、私の記憶を戻すために精神科医の若林博士から渡された小冊子である『キチガイ外道祭文』が読み返すたびに凄いなぁ。

     ここで繰り返される『オノマトペ』の効果とまるでお経のような文章を延々と読んでいくと、わけがわからなくなるのは当然とも思います。ですが、私はこの『オノマトペ』の使い方が強烈で好きなんですね。

     天才的な感覚で使われているこの『オノパトペ』、読んでいる方はそれに取り込まれていくような気がしてもおかしくはないと思うんですよね。

     そして、殺人事件に自分が本当に関わっているのか、隣にいるのは本当に己の許嫁であるモヨ子であるのか、正木博士は変死を遂げていながら、どうして自分を若林博士に託したのか等々。

     何回か読んでますが、読み終えたときに答えが出なくてもいいのかもしれないのかもしれないということかもしれないです。

     これは『虚無への供物』を読んだときも思いましたし、『匣の中の失楽』もそうなのかもしれないなぁと思ったりもします。

     ほぼ同時期に読み始めた埴谷雄高さんの『死靈』は形而上文学と言われる作品ですが、『ドグラ・マグラ』と表裏一体の作品なのかもしれないなぁと思う時もあります。共に20代の時に出会ってますからね。手当たり次第に本を読み始めた時期で、そこからいろんな影響を受けていた時代です。(こちらはミステリではないですし、ドストエフスキーの影響を強く受けている埴谷さんらしい作品です。でもドストエフスキーとは私は相性が悪いんですよねぇ~)

     因みに『死靈』は当時出たばかりの村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』と比較されている評論を読んで、読み始めました。未完になってしまいましたが。

     そんなことを思い出しながら再読を終えました。

     面白かった(*^^*)

  • この本はすごすぎます
    もう二度と生まれてこないと思います
    私は上巻から読んでいてなぜ胎児の夢を繰り返し説明するのか不思議に思っていました
    胎児の夢→胎児がお腹の中で人間の進化を見てる
    つまり遺伝子というものが形を成す過程を見ていることを言っている

    はじめはミスリードばかりが多く真実が見えませんでした。
    呉一郎の父親正木博士がなぜここまで自分(主人公)のことを息子と言えないのか。離魂病というのを患ってるのか。
    最後の主人公の言葉に
    「俺はまだ母親の胎内に居るのだ。大勢の人を片っ端から呪い殺そうとしているのだ。しかしまだ誰も知らないのだ。ただ俺のものすごい胎動が母親が感じているだけなのだ。」
    主人公の見ている世界が壁を隔てて見てる理由も夢のように曖昧で不合理的な世界に納得も行きます。
    正木博士は胎児の夢を胎児は恐ろしい世界でその過程を見ているから母胎にでてきた時産声を出すと言っていました。
    主人公はまだ胎動の中で遺伝子の過程を永遠と繰り返しこれからの遺伝の形質が現れる優先遺伝を選別しこの遺伝から発生する未来を見ている。
    それを考えると絵巻物は呉青秀の遺伝子なのかもしれない。
    現に主人公は母体から出る瞬間呉青秀を見ているため
    彼の遺伝が強いのでしょう。
    また、しきりに出るブーーンこの音は胎動の音だと思いました。小説内では時計の音と言っていましたが胎児が産まれるまでの時間を表す比喩表現なのかなと思いました
    呉一郎は推定明治40年の12月に生まれると父が言ったように離魂病を最後に患った今日11月20日に呉一郎はもう産まれてくると考察しました。
    これからこの遺伝子を背負い生まれる呉一郎の呪い殺す遺伝を赤子がどうにか受け止め克服するために胎児の夢は見てるのだと信じたいです笑
    人間は皆キチガイと正木博士が言っていたのは赤子がキチガイなこの胎児の夢を永遠と見せられるてるからなのかも知れません。
    この発想力と精神力ものすごいと思います
    感動しました
    この本は生命を感じるほどの力作だと思います

    • マメムさん
      初コメです。
      三大奇書と言われる本作が読めるりんさんに尊敬です♪
      初コメです。
      三大奇書と言われる本作が読めるりんさんに尊敬です♪
      2023/05/04
    • りんさん
      マメムさん初コメありがとうございます!
      ドグラ・マグラは何度も読むのを断念しかけてますが読めて良かったです笑
      マメムさん初コメありがとうございます!
      ドグラ・マグラは何度も読むのを断念しかけてますが読めて良かったです笑
      2023/05/04
    • マメムさん
      りんさん、お返事ありがとうございます。
      諦めかけても読了しちゃう所も凄いです♪達成感も格別でしょうね^_^
      りんさん、お返事ありがとうございます。
      諦めかけても読了しちゃう所も凄いです♪達成感も格別でしょうね^_^
      2023/05/04
  • 読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。
    読み終わりましたが、精神には異常をきたしておりません。




    ……いや、正直なところ、毎晩寝る前に読んでいたら、その間ずっとヘンテコな夢を見る日々が続きました。後半を徹夜で読んでいたら、始終微弱な吐き気に悩まされるハメになりました。はい。

    凄い本だった。
    読み終わった瞬間、再読が決定した。
    半分も理解できていない気がするが、以下感想。

    読み始めてすぐに衝撃を受けたのは、作者の言語感覚。「語感」というものをこれほど有効に利用した文章も珍しいのでは。カタカナをはじめ、三点リーダや大活字の使い方がとにかく巧い。「こういう表記をしたら、読者はこんな印象をうけるだろう」ということを知りつくしている感じ。字面を眺めているだけでその禍々しさに当てられてしまいそうだ。「脳」ではなく「脳髄」と書くからこそ成り立つ世界。

    その一方で、かなり笑えるワードチョイスを見せてくれるのも隠れたポイントかと。いや、だって、チャカポコチャカポコでアンポンタン・ポカンですよ?アタマ航空会社専用の超スピード機『推理号』ですよ?何という素敵なセンス。笑いを殺すためにほっぺたの内側を噛みしめながら読んだ。電車で隣に座ったおじさんの私を見る目が忘れられない。

    そして言わずと知れた構成の妙、もとい、妙な構成。
    率直に問いたい。読ませる気があるのか?上巻にチャカポコやら脳髄論文やら胎児の夢やらをあんなに詰め込んだお陰で、何人の読者が挫折すると思っているんだ。いくら何でも遺言書が長すぎるとは思わなかったのか。下巻に入ってからも参考人の供述責めかと思えば急にめちゃくちゃ読みにくい古文を交えてみたり、いったい何がしたいんだ。アハアハアハアハ……じゃ済まされないぞ。
    と、思わず声を荒らげてしまうような構成となっております。こればかりは、読んでみないと何とも言えない。いや読んでも何とも言えない。

    まさに幻魔怪奇探偵小説。本当に理解しようと思ったら、この本だけを繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し読むことになるんじゃなかろうか……。

    あれこれ書いてきたが、最後に未読の方々のために以下を強調しておきたい。決して読めない本ではない。かつての私のように躊躇っている方がいらっしゃったら、是非一度挑戦されたし。本書はきっと読書人生のうちで忘れられない一冊になるだろう。いろんな意味で。

    付記。
    大学の図書館で最後のページを読み終わってしばし呆然としていると、友人が後ろから覗き込んできて一言。「あ、それ中学んとき読んだわ。」……私は思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまった…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

  • 「奇書」。なるほど。

    とっても疲れた!が、面白い!
    同名の小説を発見するところが超不気味!
    一番怖いかも。メタなのかもうわけわからん。。。

    とにかく主人公がかわいそうすぎたな。
    本人も謝れって言ってたけど、本当、もっともです。

    冒頭と結末がループしているように、これはきっと終わらないんだろう。
    明るくとる(?)としたら、モヨ子の胎児=主人公説があるらしいけれど、シンプルに胎児(=呉一郎=主人公)の夢なのかな、と。
    呉一郎が生まれる前の世界で、自分が生まれた後どうなるかを見ている。
    未来は変えられず、延々見ているだけ。というような・・・?



    頭がおかしくなってきそうなのでここで終わり。。。


    「……よく考えてみると、私はまだその中から、私の過去の記憶の一片だも、思い出していないのであった――私は何者――という解答を自分自身に与えることができない。」

  • 論文パートや"キチガイ地獄外道祭文"等のパフォーマンスが乱舞していた上巻と比べると、まだ読みやすく感じた。
    探偵小説風味が増しており、後半の謎が明らかになっていく部分は、読んでいて面白かった。
    ただ理解出来ているかと言われると話は別...というのもどこまでが真実でどこまでが虚構なのかが、曖昧な部分も多く、正直なところ、なんとなくでしか把握出来ていない部分も多い。そこら辺はネットの考察サイトを後で見るとして(他人任せ)
    なんだかんだ読みづらい部分もあって、他の作品よりは時間がかかってしまったけど、それでも読んで損は無かったと言える作品でした。 

    話変わるけどある意味この作品ってヤンデレ系妹萌え小説の走りだったりしない?

  • 再読。下巻に入っても続く正木博士の長い長いふざけた遺言書、さらにその遺言書の中に組み込む形で、呉(くれ)家にまつわる因縁話=死美人の絵巻物の祟りで代々発狂男性続出、あるお坊さんがお祓いして仏像の中に封じ込めるも・・・という経緯がようやく明かされる。そんなわけで上巻終盤でようやく出てきた「呉一郎」の名前、なぜ呉一郎(20才)が、16才のときに実母を殺害し、さらに今回、従妹で許婚の美少女・呉モヨ子を殺害(未遂)に及んだのか、先祖代々の「心理遺伝」について追及される。

    中国、玄宗皇帝の時代の天才画家・呉青秀(ご・せいしゅう)(※架空の人物)が、楊貴妃の侍女だった美しい妻を、皇帝を諌めるためという激烈な忠誠心から九相図(六図で挫折したけど)を描くための犠牲にするも無駄に終わり発狂、そこへ妻そっくりの双子の妹が現れてなんやかんやあって結局その双子の妹のほうが日本へ辿り着いて呉青秀の子を産み落としたのが呉(くれ)家の先祖、という、死美人絵巻の発端話が迫力があっていい。ここにリアリティがないとなぜ呉家の男子が代々発狂するのかに説得力がなくなっちゃうもんね。

    そんなわけで長い長い遺書を読み終えた記憶喪失の青年は当然、自分こそが呉一郎では?と思うわけだけど(読者的にもここは一致で確定なんだけど)作中ではそうは問屋が卸さない。実はまだ生きてた正木博士と、腹黒い若林博士の対立関係が表面化、青年は両博士の思惑に翻弄される。

    推理小説として、真犯人は誰かという部分に焦点を当てるなら、殺人自体の実行犯は呉一郎だけど、そうなるように仕向けた(心理操作した)人間が果たして誰なのか、そしてその実験は20年前から始まっていたと序盤から明言されている以上、その人物は呉一郎の誕生にも関わっているはずで、つまり彼の父親が誰であるかという問題とも密接にかかわっており、結局専門知識がありこの研究に死力を尽くしている正木、若林両博士のいずれかが、殺人教唆者であると同時に呉一郎の父親ということになる。

    ただ、この小説自体の醍醐味は、犯人捜しではなく、小説全体の特殊な構造のほうにあると思う。もしかして「私」は、何度も10月20日を繰り返しているだけなのではないか?という、ループものSFとも解釈できるオチ、作中に登場する「ドグラ・マグラ」という小説ノート(おそらく作者は「私」自身)の存在による無限マトリョーシカ状況、そしてすべてが「私」の狂気が作り出した妄想である可能性(博士やモヨ子の存在すらも)など。

    「胎児の夢」や「心理遺伝」の内容は、けしてキテレツではない現実に通用する説だと思うし、序盤は不審だった一郎の母親の行動などは謎が解けるにつれてきちんと伏線回収されるあたりお見事。モヨ子ちゃんは可哀想ですね。ずっと6号室で泣いてるだけだし。

    余談だけど若林博士(大男で顔が長い)は出てきた瞬間から脳内キャストが嶋田久作でした。そもそも芸名の由来は夢野久作らしいし、再び実写化することがあるなら是非出演してほしい(笑)なかなかに過激な表紙絵作者は、俳優としてのほうが有名な米倉斉加年。耽美でデカダンで、バイロスあたりを彷彿とさせる。

  • 読み終えてからずっと酔っ払っている感じです。

    ブクログには文庫版しかデータが無かったのでこちらで登録しましたが、700ページ強を一冊に纏めたハードカバー版で読みましたので、精神よりも先に腕の方がおかしくなりそうでしたが、それ程に夢野さんの魂が込められた大作でした。

    脳科学、精神医学の世界で実際にあったような気がする(うろ覚えですが)理論を用いて、ステキなステキな狂った世界を構築されています。
    (夢野さんのステキな〇〇という表現が大好きで、今後使わせていただこうと思います。)

    胎児の夢で書かれていた『胎児よ 退治よ 何故躍る 母親の心がわかって おそろしいのか』この一文に心理遺伝の全てが投影されている気がして、鬼才っぷりに度肝を抜かれました。

    まさに『幻魔怪奇探偵小説』ですが、かの江戸川乱歩さんですら追悼文でドグラ・マグラについては一切触れなかったというのを知り、現代においても唯一無二の古典として残り続けているのはかなりの偉業なのではないかと。
    死ぬまでにこのステキな世界に触れられて良かったです。

    暫くは酔いが醒めなさそうで、頭の中でブゥーーンブゥーーン、スチャラカチャカポコと、時計と木魚が鳴り続けております。
    あれは本当に時計なんでしょうか。

  • 思考、感情があっちこっちに飛ばされ、とても面白い。推理小説?と呼んでいいかな。
    下巻を読んだ後は、もう一度上巻を読み直すのをオススメ。印象が全く変わる。
    捉え方次第でグッドエンド、バッドエンド、キツネにつままれたようなエンドに持っていかれ脳が騙されます。

    上巻は、心理や遺伝について丁寧に説明がある。
    下巻の後半から、ようやっと殺人事件の詳細が記されるが……上巻で丁寧に説明されてたことが腑に落ちてくる完璧な伏線回収。

    補足
    本作品では下記の2点の論文?が展開されており本筋に深く関わってくるので簡単にまとめる。

    ①脳は考えるところにあらず
     →脳は解釈するだけのところ。脳で考えてる気になると脳に騙される。

    ②胎児の夢の考察
     →胎児は10ヶ月の間過去までに先祖が経験した出来事を夢として見ており追体験をしている。そのため何世代も前の性格を遺伝することもある。

  • 思い返せば、多くの本好きに漏れず、たしか中学生か高校生のころに角川文庫の上下巻を手にして、幻惑された。
    凄まじいことだけはわかるが迷宮入り。それは迷宮のままにして。
    高校生か大学生のころに松本俊夫の映画を見ていた。
    それから10年近くのうちに、散発的に夢野久作とは出会ったり別れたりを繰り返し。
    たとえばアンソロジー。
    たとえば映画。小嶺麗奈、浅野忠信、京野ことみ、黒谷友香が出演した石井聰亙監督「ユメノ銀河」モノクロ。SFっぽく翻案したものもあるとか。
    たとえば漫画。電脳マヴォ佐藤菜生「何でも無い」のウェブ漫画、佐藤大「脳Rギュル」、ドグラ・マグラについてはイースト・プレスの「まんがで読破」シリーズや、ドリヤス工房の「ドリヤス工場の有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。」とか。
    一番は実はラジオドラマ。例としては「死後の恋」「悪魔祈祷書」「何でも無い」「少女地獄 冗談に殺す」「少女地獄 殺人リレー」「瓶詰の地獄」などから都度都度衝撃を受けては遡って原作を漁ったり。
    と、実は十年以上二十年以下、ずっと夢野久作には触れ続けていた。
    ところ、いま読み返してみて驚く。
    「しっかり血肉化されている!」

    ざっくりあらすじを書けば、
    (1)めざめ、若林に導かれて(2-5)読み、(6)気づくと正木がいて語り、考え、また眠る。それだけ。
    そこそこあらすじを書けば、
    (1)めざめ、若林に導かれて読むのは、
    (2)「キチガイ地獄外道祭文ー一名、狂人の暗黒時代ー」
    (3)「地球表面は狂人の一大解放治療場」新聞記事。正木談。
    (3’)「絶対探偵小説 脳髄は物を考えるところに非ず=正木博士の学位論文内容=」記者による正木の聞き書き。アンポンタン・ポカン君が演説で代弁。
    (4)「胎児の夢」
    (5)「空前絶後の大遺言書―対象15年10月19日夜ーキチガイ博士手記」吾輩は遺書「天然色、浮出し、発声映画」(正木の見聞きしたものを映画として娯楽的に提示)
    (5’)画面上正木博士喋る。「法医学教室屍体解剖室大正15年4月26日」(下巻へ)「正木と若林の会見」
    (5’’)「心理遺伝付録…各種実例」「その一 呉一郎の発作顛末ーW氏の手記に拠るー 第一回の発作」「第一回の発作」「第一参考 呉一郎の談話」「第二参考 呉一郎伯母八代子の談話」「第三参考 村松マツ子女史談」「右に関するW氏の意見摘要」「右に関する精神科学的観察」(正木の筆)
    (5’’)「第二回の発作」「第一参考 戸倉仙五郎の談話」「第二参考 青黛山如月寺縁起」「第三参考 野見山法倫氏談話」「第四参考 呉八代子の談話概要」
    (5続き)「呉一郎の精神鑑定」「解放治療場に呉一郎が現れた最初の日(大正15年7月撮影)」「その2か月後(大正9年撮影)」「その1か月後」
    (6つまり1の続き)「どうだ……読んでしまったか」正木が話す正木VS若林。いつしか正木VS私の構図に。
    (6’)私の反逆を受けて正木は退室。私は外を歩いて帰ってくる。
    詳しいあらすじは、読書メモに。

    (1)から(5)まではだいたい憶えていたのだ。
    連想されるのは、
    たとえば中井英夫の諸作や埴谷雄高の「死霊」、北杜夫「楡家の人びと」、色川武大『狂人日記』などの小説たち、
    たとえば「セッション9」、スコセッシ「シャッターアイランド」、ギリアム「12モンキーズ」、イーストウッド「チェンジリング」、フォアマン「カッコーの巣の上で」、サドを題材にした「クイルズ」、といった精神病院を舞台にした数々の映画、
    思想においてはフーコー「監獄の誕生」や「狂気の歴史」、三木成夫「胎児の世界」など、など……。
    「何を見ても何かを思い出す」を信条としているとはいえ、ここまで連想されるとは。
    さすが集大成、作者の生きた20世紀前半を飛び越えて、古今東西あらゆる芸術のハブになりうる作品なのだ。

    「どうだ……読んでしまったか」という声が、不意に私の耳元で起った……と思ううちに室の中を……ア――ン……と反響して消え失せた。
    から始まる(6)以降。
    細部を憶えていないにせよ「血肉化しているので記憶しているかどうかは問題ない」段階で、すでにあった。
    つまりは迷宮が私に実装されていたのだ。
    迷宮は何度も迷宮として楽しみたい、から、私は誰か、真犯人は誰か、までを無理に断言しない。
    いつまでも先延ばししながら夢野久作の文体を享楽していたいから。
    (ここで連想したのは黒沢清監督「キュア」。)

    いずれまとめて夢野久作を。

    詳述はしないが連想する。
    「カリガリ博士」からの影響。
    ドストエフスキーの長広舌が生み出すカーニバル空間(バフチン)による時間の伸び縮み、
    夏目漱石「こころ」の長ーい遺書。
    人、場所、物、にズームアップすると面白そう。
    当時の精神医学や精神分析が最新潮流だったと。
    宮沢賢治の例もあることだし、文学と、精神医学および精神分析に始まる無意識の需要、さらには精神薬学がいかに精神分析や無意識を駆逐していったかといった精神医学史には、今後目線を注いでおきたいところ。

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著者プロフィール

1889年福岡県に生まれ。1926年、雑誌『新青年』の懸賞小説に入選。九州を根拠に作品を発表する。「押絵の奇跡」が江戸川乱歩に激賞される。代表作「ドグラ・マグラ」「溢死体」「少女地獄」

「2018年 『あの極限の文学作品を美麗漫画で読む。―谷崎潤一郎『刺青』、夢野久作『溢死体』、太宰治『人間失格』』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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