ぼくがぼくであること (角川文庫 緑 417-1)

著者 :
  • KADOKAWA
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レビュー : 22
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041417010

感想・レビュー・書評

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  • すごい。これが児童文学か?小6の子供が主人公なだけで、ただの児童向け読み物とは思えず。「常識や慣習といった束縛にとらわれず、自分の頭で考えてみよう。そのために、外の世界に目を向けよう」という思いがある。
    ラスト、自分の家が燃えたのにも関わらず感じてしまうすがすがしさは、やはり今までの束縛が壊れだしたからだろう。結局のところ、何も問題は解決していない(解決しそうな気配はあるけれど)。それでも前向きな気持ちになるのは、自分の頭で考えだした人が行動を始め、今までの束縛から逃れだしたからだ。

  • 夏休みのある日、小学校六年生の秀一が突然家出をした。その波紋は、静かに深く広がって激しく家庭をゆさぶった。家出先で出くわしたさまざまな出来事−−−ひきにげ殺人事件の目撃、武田信玄の隠し財宝の秘密、発行の少女夏代との出会いなど−−−が微妙に絡みあって、教育ママの母親や優等生の兄妹の重圧から彼を解放する。
    家庭が持つ強さともろさの二面性を児童文学の中にみごとに描き、読み物としても抜群におもしろい話題作。

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    夏代のキャラクター、特に最後の祖父との会話がグー。

    過去ではなく今が大事(リアル)という夏代のセリフがいい。さすが山中恒、子どもにこういうことを言わせてしまうところがとてもいい。模範的な児童文学にはなかなかできない芸当である。ジェネレーションギャップがテーマ。上記の部分にもつながっている。子どもが自分たちの今を主張。その意味では「ノーライフキング」とも通じるところがある。

    活き活きとしたストーリー・文体。秀一が手紙を盗まれたことを知り吐くところがよい。

  • 秀一が家出するのも無理はないなぁと思った。
    母親と妹が出てくる度に、ムカムカ、イライラ。二人の邪悪ぶりに気を取られて、著者の思いを汲み取る余裕がなかったかも…。
    大人がいつも正しいとは限らないし、子どもの味方とも言い切れない。そうした視点には変な説教臭さがなくて好感が持てた。
    ラスト間際、平田家にまさかの事態が降りかかる。これでやっと母親は世間体から解き放たれて、「自分が自分であること」に気付くのかな。

  • すごい迫力。権力と生きることを誠実に、またギリギリまで問うた人にしか書けない物語。20年前に一度読んでいるのだが、すっかり内容を忘れていた。情けない。しかし、私も辛苦を嘗めて、やっと本書を読めるようになったのかもしれない。子どもの視点の凄さを思い知った。

  • 親と子達の物語。
     母親を嫌うようになった子供たちの様子が描かれいるけどこんな小学生いるか?と思ったが境遇によってはいるのかもしれない。作者が子供の時に体験した事を文章にしたらこうなるのか...言葉が大人ぽっくて小学生に思えなかったが、作品の時代背景や戦国時代についてふれている関係なのかな。

    家出をモチーフに親と子の関係をうまく物語りに取り込んでいました。さすが児童文学の最高傑作で考えさせられました。そして正直に面白かったです。

  • 児童文学の最高傑作。何度でも読みたい。私が大人になってから理解した「私は私であること」がこんなにも分かるように描かれている。

    5人兄弟の中で一人だけ出来が悪いと毎日小言を聞かされている秀一が、夏休みの十数日間の家出を経て「僕」の自由は誰にも侵せないことを知り、教育ママの城が崩壊するまでの話。読み始めは、母にガミガミ叱りつけられ妹に告げ口され、学校では廊下に立たされと萎縮してしまいそうな主人公・秀一に共感した。成績が悪いと言っては一時間も小言を聞かされ、隠したテストを見つけられては他の兄弟と比較され、兄弟にはバカにされ、母親の行き過ぎた教育ママぶりに友達もできない。本当に秀一を勉強ができるようにさせたいのなら、誰かが勉強を見るようにさせたり他の兄弟と比べることをやめて彼が前進したら褒めたり、秀一のペースに合わせて行動を起こすべきだろう。なのに一方的に叱りつけ感情をぶつけるだけで、これでは秀一がくさるのも当たり前だ。
    そんな秀一も夏休みにどことも知れない田舎の家に泊まることで変わってくる。いや、変わったのでなく、元々の秀一の性が出てきたのだろう。嘘をつきたくない、お礼はきちんとする、これらは秀一から自然に出てきたものだ。
    そうして清涼になり自宅に戻った秀一を待っていたのはいつもの母と、世界の見方の変わった自分だった。そう、母は理不尽である。誰も自分の自由を縛ることはできない。あれだけ疎ましく感じていた妹も動物園のサルのように感じる。母は哀れだ。
    他の兄弟も母を疎んでいることが分かり、母の牙城は崩壊する。本当に家出から戻ってからの世界の見え方の移り変わりが見事。環境は何も変わっていない。ただひとつ、「僕が僕であること」。昔の出来事は関係ない。子供にとっては今が全てなのだ。大人だからと言って子供を好きなようにしていい訳ではない。私は私、あなたはあなた、私とあなたは違う。そんな当たり前だけどはまってしまうと抜け出すのが難しいことを秀一と夏代は知る、知っている。同じ人間ではないからしたいことも違うし、衝突するかもしれない。でもそれがごくごく当たり前のことなのだ。

    本との出会いは縁である。この本に出会えて良かった。解説で紹介されていた本を次は読みたいと思う。
    本当にこの本は心が洗われる。子供の頃に出会い繰り返し読みたかった。今読んでも遅いという意味ではなく、それだけ確かなものを残す本だから。

  • 流し読みでは何度も何度も読んでしまった。良い児童書は大人の鑑賞にも耐えるの見本だと思う。
    主人公と同じ年頃の子供が読んで、ちゃんと本の主旨が伝わるものなんだろうか?

  • なんとなく手にとって読んでみたら、主人公は小6の男子。
    ちょっと反抗期。
    うるさい母親。

    なんとも自分の境遇に似ている・・・。

    読めば読むほど、母親が鬱陶しい。

    私が読み終わった後、小6の息子が読み始めたので、
    「この母親、ママとかぶる?」と聞いてみたら、やはり「すごーくかぶる」とのことで。

    普段の自分を大いに反省するきっかけとなった良い1冊でした。
    すごく前の作品とは思えない今読んで共感できる本でした。

  • 子供向けの読み物と思って油断した。

    兄弟の中で、ひとり、出来が悪いと母に毎日小言を言われる主人公、秀一。兄の良一、優一、姉の稔美、妹のマユミ。ほかの兄弟は、成績もよく、母の小言を言われる事がない為、秀一だけが一人、母の小言を受ける事になる。

    この本が書かれた当時の時代背景が、今とは違うから、「全学連」などという耳慣れない言葉も出てきて、少々分かりづらい部分もあるけれど、この本の世界に引き込まれる。

    妹のマユミの告げ口から、母との言いあいになり、軽い気持ちでした家出が大きな事件になり…。

    ここまでめちゃくちゃな母親はないだろう、と思いながらも、これに近い母親はきっといるだろうと思う。
    この母親がしたこと(秀一宛ての手紙を勝手に読んだり、秀一が受け取れないような細工をしたり、秀一が出した手紙を盗んだり)は、今の時代なら子供の人権を踏みにじる行為として完全に非難されることだろうし、あんな結末にはならないんじゃないかと思う。
    母親は子供から訴えられてもしょうがない行為をしているし、この本が書かれた時代だから、こんな母親でも、ある程度容認されてしまっているけど、今なら絶対に許されない。

    で、最後まで読んでいった時に、もしかして私、この本を子供の頃に読んだかも知れないと思った。
    たぶん、この本を読んだ時に、「親の言う事を聞く事」が正しいという考えは間違ってると思って、各家々に、法律のように決まりを作ればいいのにと考えた気がする。
    そうすれば、親が間違った事をしたり言ったりしたら、親も子供に謝らなければならなくなるし、子供が親に対して、言ってる事や、やってる事に矛盾があると思った時に、はっきりと言う事が出来る。
    親は親であるから正しいのではなくて、親でも間違う事はあるし、その時は、相手が子供でも謝らなくちゃダメだよな、と子供ながらに思った。

    そして今、私は親になっているけど、あの頃の、子供の頃のに抱いた気持ちを、忘れずにいるかというと、忘れてはいないけれど、実行できているかというとそうでもなくて。
    親でも子供に謝るべき時は謝らなくちゃならないけど、年を取ると、素直になれなくなる。変なプライドが高くなったり。でも、気をつけなくちゃ。

    時代背景が違うから、今の時代ならとても考えられないほどの酷い事をした母親でも、最終的には家族から受け入れられて、家族が再生していくことを示唆したようなラストになっているけれど、今の時代に同じような設定でストーリーを書いたなら、最後は、母親は自分のした事の報いで、家族から見捨てられてもしょうがないんじゃないかと思った。
    この本が書かれた時代に、ここまで酷い母親が存在したのかどうかは分からないけれど、「親の言う事は絶対」という考えの親が存在したであろうとは思う。
    今は親と子が、友達のようなフレンドリーな関係になっているから、このような親子関係は考えられないし、そういう親子関係を異常と感じるけれど。

    読み始めの、冒険ものかなにかかな、という軽い気持ちが、読み終わった時には、色々な思いが渦巻いていた。
    親になって読むと、また子供の頃に感じた思いとは違う思いを抱く。
    子供は、これを読んで何を感じるのかなぁ。

  • 児童文学の名作といはれてゐます。
    学生時代に友人から薦められて購買だけはしたのですが、私は本については頑なに自分で選ぶのが好きで、人から推薦されるのはあまり読まない。それでそのまま放つてゐました。
    で、最近本棚があまりに汚いので少し整理してゐたら、本書を再発見、何気なく読み始め、そのまま最後まで読了してしまつた。

    主人公の平田秀一くんは小学6年生、5人兄弟の下から2番目であります。優秀な(と母親が思う)他の姉や兄、妹に比べて、秀一は1人出来が悪いといふことでお母さんに怒られてばかり。
    話の弾みで家出をする羽目になりますが、それをきつかけに、とんでもない事に巻き込まれていくのでした...
    少年向けなので、登場人物の性格付けも極端にはつきりと描いてゐます。特に母親は戯画化が激しい。かと言つて有り得ない設定かといふと、発表当時の世相を考へますと、この母親はいかにも実在しさうな感じを与へます。兄弟姉妹の中でも、出来の良い子供とさうでない子供に対する対応が明らかに違ふ親は珍しくなかつた。
    もちろん親のいふ「出来の良い子」は、学校の勉強が良く出来て親や先生の言うことを良く聞く子供で、その逆は悪い子なのでありました。

    家族の問題を通じて、自分とは何かを探す少年を描いてゐるのですが、まあそんなことはどうでもよろしい。もしこの本を大人が子供に与へるならば、余計なことを何も言はずに渡して欲しいですね。
    何しろ読み物として、まことに面白く出来てゐます。一気に物語の世界に引きずり込む力を持つてゐます。さうして『ぼくがぼくであること』を読んだ少年は、必ず自力で次の本を選ぶことでせう。

    http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-39.html

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著者プロフィール

1931年北海道小樽市生まれ。児童読み物・ノンフィクション作家。戦時下を描いたノンフィクションに『ボクラ少国民』シリーズ(辺境社)、『少国民の名のもとに』(小学館)、『アジア・太平洋戦争史』(岩波書店)、『戦争ができなかった日本~総力戦体制の内側』(角川書店)、『少国民戦争文化史』(辺境社)、『戦時児童文学論』『靖国の子』(大月書店)などがある。

「2017年 『戦時下の絵本と教育勅語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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