ぼくがぼくであること (角川文庫 緑 417-1)

著者 :
  • KADOKAWA
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本棚登録 : 192
レビュー : 24
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041417010

感想・レビュー・書評

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  • すごい。これが児童文学か?小6の子供が主人公なだけで、ただの児童向け読み物とは思えず。「常識や慣習といった束縛にとらわれず、自分の頭で考えてみよう。そのために、外の世界に目を向けよう」という思いがある。
    ラスト、自分の家が燃えたのにも関わらず感じてしまうすがすがしさは、やはり今までの束縛が壊れだしたからだろう。結局のところ、何も問題は解決していない(解決しそうな気配はあるけれど)。それでも前向きな気持ちになるのは、自分の頭で考えだした人が行動を始め、今までの束縛から逃れだしたからだ。

  • 人生ではじめて読んだ小説。小説の面白さを知った思い出の本。

  • 夏休みのある日、小学校六年生の秀一が突然家出をした。その波紋は、静かに深く広がって激しく家庭をゆさぶった。家出先で出くわしたさまざまな出来事−−−ひきにげ殺人事件の目撃、武田信玄の隠し財宝の秘密、発行の少女夏代との出会いなど−−−が微妙に絡みあって、教育ママの母親や優等生の兄妹の重圧から彼を解放する。
    家庭が持つ強さともろさの二面性を児童文学の中にみごとに描き、読み物としても抜群におもしろい話題作。

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    夏代のキャラクター、特に最後の祖父との会話がグー。

    過去ではなく今が大事(リアル)という夏代のセリフがいい。さすが山中恒、子どもにこういうことを言わせてしまうところがとてもいい。模範的な児童文学にはなかなかできない芸当である。ジェネレーションギャップがテーマ。上記の部分にもつながっている。子どもが自分たちの今を主張。その意味では「ノーライフキング」とも通じるところがある。

    活き活きとしたストーリー・文体。秀一が手紙を盗まれたことを知り吐くところがよい。

  • 秀一が家出するのも無理はないなぁと思った。
    母親と妹が出てくる度に、ムカムカ、イライラ。二人の邪悪ぶりに気を取られて、著者の思いを汲み取る余裕がなかったかも…。
    大人がいつも正しいとは限らないし、子どもの味方とも言い切れない。そうした視点には変な説教臭さがなくて好感が持てた。
    ラスト間際、平田家にまさかの事態が降りかかる。これでやっと母親は世間体から解き放たれて、「自分が自分であること」に気付くのかな。

  • すごい迫力。権力と生きることを誠実に、またギリギリまで問うた人にしか書けない物語。20年前に一度読んでいるのだが、すっかり内容を忘れていた。情けない。しかし、私も辛苦を嘗めて、やっと本書を読めるようになったのかもしれない。子どもの視点の凄さを思い知った。

  • 親と子達の物語。
     母親を嫌うようになった子供たちの様子が描かれいるけどこんな小学生いるか?と思ったが境遇によってはいるのかもしれない。作者が子供の時に体験した事を文章にしたらこうなるのか...言葉が大人ぽっくて小学生に思えなかったが、作品の時代背景や戦国時代についてふれている関係なのかな。

    家出をモチーフに親と子の関係をうまく物語りに取り込んでいました。さすが児童文学の最高傑作で考えさせられました。そして正直に面白かったです。

  • 児童文学の最高傑作。何度でも読みたい。私が大人になってから理解した「私は私であること」がこんなにも分かるように描かれている。

    5人兄弟の中で一人だけ出来が悪いと毎日小言を聞かされている秀一が、夏休みの十数日間の家出を経て「僕」の自由は誰にも侵せないことを知り、教育ママの城が崩壊するまでの話。読み始めは、母にガミガミ叱りつけられ妹に告げ口され、学校では廊下に立たされと萎縮してしまいそうな主人公・秀一に共感した。成績が悪いと言っては一時間も小言を聞かされ、隠したテストを見つけられては他の兄弟と比較され、兄弟にはバカにされ、母親の行き過ぎた教育ママぶりに友達もできない。本当に秀一を勉強ができるようにさせたいのなら、誰かが勉強を見るようにさせたり他の兄弟と比べることをやめて彼が前進したら褒めたり、秀一のペースに合わせて行動を起こすべきだろう。なのに一方的に叱りつけ感情をぶつけるだけで、これでは秀一がくさるのも当たり前だ。
    そんな秀一も夏休みにどことも知れない田舎の家に泊まることで変わってくる。いや、変わったのでなく、元々の秀一の性が出てきたのだろう。嘘をつきたくない、お礼はきちんとする、これらは秀一から自然に出てきたものだ。
    そうして清涼になり自宅に戻った秀一を待っていたのはいつもの母と、世界の見方の変わった自分だった。そう、母は理不尽である。誰も自分の自由を縛ることはできない。あれだけ疎ましく感じていた妹も動物園のサルのように感じる。母は哀れだ。
    他の兄弟も母を疎んでいることが分かり、母の牙城は崩壊する。本当に家出から戻ってからの世界の見え方の移り変わりが見事。環境は何も変わっていない。ただひとつ、「僕が僕であること」。昔の出来事は関係ない。子供にとっては今が全てなのだ。大人だからと言って子供を好きなようにしていい訳ではない。私は私、あなたはあなた、私とあなたは違う。そんな当たり前だけどはまってしまうと抜け出すのが難しいことを秀一と夏代は知る、知っている。同じ人間ではないからしたいことも違うし、衝突するかもしれない。でもそれがごくごく当たり前のことなのだ。

    本との出会いは縁である。この本に出会えて良かった。解説で紹介されていた本を次は読みたいと思う。
    本当にこの本は心が洗われる。子供の頃に出会い繰り返し読みたかった。今読んでも遅いという意味ではなく、それだけ確かなものを残す本だから。

  • 流し読みでは何度も何度も読んでしまった。良い児童書は大人の鑑賞にも耐えるの見本だと思う。
    主人公と同じ年頃の子供が読んで、ちゃんと本の主旨が伝わるものなんだろうか?

  • なんとなく手にとって読んでみたら、主人公は小6の男子。
    ちょっと反抗期。
    うるさい母親。

    なんとも自分の境遇に似ている・・・。

    読めば読むほど、母親が鬱陶しい。

    私が読み終わった後、小6の息子が読み始めたので、
    「この母親、ママとかぶる?」と聞いてみたら、やはり「すごーくかぶる」とのことで。

    普段の自分を大いに反省するきっかけとなった良い1冊でした。
    すごく前の作品とは思えない今読んで共感できる本でした。

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著者プロフィール

1931年北海道小樽市生まれ。児童読み物・ノンフィクション作家。戦時下を描いたノンフィクションに『ボクラ少国民』シリーズ(辺境社)、『少国民の名のもとに』(小学館)、『アジア・太平洋戦争史』(岩波書店)、『戦時児童文学論』『靖国の子』(大月書店)などがある。

「2019年 『山中恒と読む 修身教科書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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