ぼくがぼくであること (角川文庫 緑 417-1)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041417010

作品紹介・あらすじ

ひき逃げ事件の目撃、武田信玄の隠し財宝の秘密、薄幸の少女夏代との出会い……家出少年、小学六年生の秀一の夏休みは、事件がいっぱいで、なぜかちょっと切ない。学校、家庭、社会を巻き込む痛快な名作。

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりに読んで面白かった。ゲーム機やPCやスマホが無い時代の日常を今の若い世代は想像出来るかな?と感じた。

  • 昭和44年の作品ということだったが、展開が始まってからは(最初の主人公がどういう少年かというくだりがやや長い)どんどん話が繰り出されていき、面白く読めた。ただ、女は家事、男は稼ぎみたいな昔のテンプレート的な設定や会話は多く、そのあたりを今の子がどう受け止めるかは不明。
    五人兄弟(!)の下から二番目、小六の秀一は名前はりっぱだが、成績などイマイチ振るわず、兄弟姉妹の中でいつも駄目だと母親に言われ続けている。他の兄弟は皆、良くできる。
    あまりにも怒られるので、夏休みに家出を試みる秀一。もちろん計画性もなにもない(アホなので)。このへんまでは読んでいてもあまり楽しくない。
    しかし、飛び乗ったトラックがなんと交通事故を起こして、秀一は密やかな目撃者となり…。
    つばさ文庫になっているのが、どの程度手を入れたのか気になる。挿絵だけでも、少し昔の感じだせばかなり読みやすいかもしれない。

  • すごい。これが児童文学か?小6の子供が主人公なだけで、ただの児童向け読み物とは思えず。「常識や慣習といった束縛にとらわれず、自分の頭で考えてみよう。そのために、外の世界に目を向けよう」という思いがある。
    ラスト、自分の家が燃えたのにも関わらず感じてしまうすがすがしさは、やはり今までの束縛が壊れだしたからだろう。結局のところ、何も問題は解決していない(解決しそうな気配はあるけれど)。それでも前向きな気持ちになるのは、自分の頭で考えだした人が行動を始め、今までの束縛から逃れだしたからだ。

  • 眠くなるために読み始めたのに読破してしまった。大学の授業も教授も大嫌いだったけど、強制的に買わされた本がこんなにおもしろいとは思わなかった。もっとおすすめの本を聞いておけばよかったと後悔する一冊。

  • 少年の心に戻って、自分探しのすすめ

    所蔵情報
    https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/search?rgtn=B16437

  • 人生ではじめて読んだ小説。小説の面白さを知った思い出の本。

  • 夏休みのある日、小学校六年生の秀一が突然家出をした。その波紋は、静かに深く広がって激しく家庭をゆさぶった。家出先で出くわしたさまざまな出来事−−−ひきにげ殺人事件の目撃、武田信玄の隠し財宝の秘密、発行の少女夏代との出会いなど−−−が微妙に絡みあって、教育ママの母親や優等生の兄妹の重圧から彼を解放する。
    家庭が持つ強さともろさの二面性を児童文学の中にみごとに描き、読み物としても抜群におもしろい話題作。

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    夏代のキャラクター、特に最後の祖父との会話がグー。

    過去ではなく今が大事(リアル)という夏代のセリフがいい。さすが山中恒、子どもにこういうことを言わせてしまうところがとてもいい。模範的な児童文学にはなかなかできない芸当である。ジェネレーションギャップがテーマ。上記の部分にもつながっている。子どもが自分たちの今を主張。その意味では「ノーライフキング」とも通じるところがある。

    活き活きとしたストーリー・文体。秀一が手紙を盗まれたことを知り吐くところがよい。

  • すごい迫力。権力と生きることを誠実に、またギリギリまで問うた人にしか書けない物語。20年前に一度読んでいるのだが、すっかり内容を忘れていた。情けない。しかし、私も辛苦を嘗めて、やっと本書を読めるようになったのかもしれない。子どもの視点の凄さを思い知った。

  • 親と子達の物語。
     母親を嫌うようになった子供たちの様子が描かれいるけどこんな小学生いるか?と思ったが境遇によってはいるのかもしれない。作者が子供の時に体験した事を文章にしたらこうなるのか...言葉が大人ぽっくて小学生に思えなかったが、作品の時代背景や戦国時代についてふれている関係なのかな。

    家出をモチーフに親と子の関係をうまく物語りに取り込んでいました。さすが児童文学の最高傑作で考えさせられました。そして正直に面白かったです。

  • 児童文学の最高傑作。何度でも読みたい。私が大人になってから理解した「私は私であること」がこんなにも分かるように描かれている。

    5人兄弟の中で一人だけ出来が悪いと毎日小言を聞かされている秀一が、夏休みの十数日間の家出を経て「僕」の自由は誰にも侵せないことを知り、教育ママの城が崩壊するまでの話。読み始めは、母にガミガミ叱りつけられ妹に告げ口され、学校では廊下に立たされと萎縮してしまいそうな主人公・秀一に共感した。成績が悪いと言っては一時間も小言を聞かされ、隠したテストを見つけられては他の兄弟と比較され、兄弟にはバカにされ、母親の行き過ぎた教育ママぶりに友達もできない。本当に秀一を勉強ができるようにさせたいのなら、誰かが勉強を見るようにさせたり他の兄弟と比べることをやめて彼が前進したら褒めたり、秀一のペースに合わせて行動を起こすべきだろう。なのに一方的に叱りつけ感情をぶつけるだけで、これでは秀一がくさるのも当たり前だ。
    そんな秀一も夏休みにどことも知れない田舎の家に泊まることで変わってくる。いや、変わったのでなく、元々の秀一の性が出てきたのだろう。嘘をつきたくない、お礼はきちんとする、これらは秀一から自然に出てきたものだ。
    そうして清涼になり自宅に戻った秀一を待っていたのはいつもの母と、世界の見方の変わった自分だった。そう、母は理不尽である。誰も自分の自由を縛ることはできない。あれだけ疎ましく感じていた妹も動物園のサルのように感じる。母は哀れだ。
    他の兄弟も母を疎んでいることが分かり、母の牙城は崩壊する。本当に家出から戻ってからの世界の見え方の移り変わりが見事。環境は何も変わっていない。ただひとつ、「僕が僕であること」。昔の出来事は関係ない。子供にとっては今が全てなのだ。大人だからと言って子供を好きなようにしていい訳ではない。私は私、あなたはあなた、私とあなたは違う。そんな当たり前だけどはまってしまうと抜け出すのが難しいことを秀一と夏代は知る、知っている。同じ人間ではないからしたいことも違うし、衝突するかもしれない。でもそれがごくごく当たり前のことなのだ。

    本との出会いは縁である。この本に出会えて良かった。解説で紹介されていた本を次は読みたいと思う。
    本当にこの本は心が洗われる。子供の頃に出会い繰り返し読みたかった。今読んでも遅いという意味ではなく、それだけ確かなものを残す本だから。

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著者プロフィール

1931年北海道小樽市生まれ。児童読み物・ノンフィクション作家。戦時下を描いたノンフィクションに『ボクラ少国民』シリーズ(辺境社)、『少国民の名のもとに』(小学館)、『アジア・太平洋戦争史』(岩波書店)、『戦時児童文学論』『靖国の子』(大月書店)などがある。

「2019年 『山中恒と読む 修身教科書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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