- 角川書店 (2009年1月24日発売)
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感想 : 26件
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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784041456118
作品紹介・あらすじ
紀州、そこは、神武東征以来、敗れた者らが棲むもう一つの国家で、鬼らが跋扈する鬼州、霊気の満ちる気州だ。そこに生きる人々が生の言葉で語る、”切って血の出る物語”。隠国・紀州の光と影を描く。
みんなの感想まとめ
紀州の土地と人々の物語を描いたこの作品は、著者の故郷への深い思いが込められています。短編集形式で、和歌山の各地を巡る中で収集された土着の逸話や人々の声が、リアリティを持って伝わってきます。特に、土地の...
感想・レビュー・書評
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作者の魂の故郷とも言える和歌山のルポタージュ。
ぐるぐると縁の深い土地を回りながら、土着の逸話やそこに住む人々の話を、10p弱で区切った短編集形式。にも関わらず内容は重く、非常に読み進め難い。
作者の思い入れが強すぎて、あまり楽しんで読めなかった印象。ただ、故郷を通して彼の伝えたい事・想っている事は感覚で入ってきた。他作をスムーズに読むには必読書なのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
p.1980/5/31
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中上健次の思いつくまま、紀伊半島の各所を巡って土地の人に話を聞くという取材のやり方。私はとても信用できるなと思ったし、例えその聞いた話がオチも落とし所も何もなくても、それこそが真実なんだということ。土地の人の話したがらない様子や視線、行政の立ち入り方、それら全てが血肉となってこの本を作っている気がする。リアリティの深さに感心した。
紀州出身なので、土地勘もあるし最後まで本当に楽しく読めたし、勉強になった。 -
著者の唯一とも言えるノンフィクション。熊野地方を1年近く旅をしたルポである。歩くのではなく車を使う。したがって行ったりきたりもする。
全編に渡って「差別」をキーとしている。和歌山はそうなのか。中にも書かれているが東北の人間にはわからない事だという。そう私には全く分からない。 -
作者が意図していたようなルポになっている。
この生々しさは日本では唯一無二のものかもしれない。
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中上健次と一緒に歩き、立ち止まり、考える
差別という物の怪を
この国の闇の構造を
この本はそのための手がかり -
枯木灘や岬を復讐するようにこのルポルタージュを読んだ。
差別、被差別の感覚は、ざらっとした感覚として持っていたけど、内面をえぐるような表現で、心を揺さぶられた。
そして、改めて島崎藤村の破戒を読みました。 -
久しぶりに読んだ、中上健次。
本書は中上健次が残した唯一のルポルタージュと言われているが、読んだ感触としては私小説に近かった。この、紀州全域を回る旅路は、現実の旅でありながら、自己の内面へ、内面へと向かう旅路だったように思えてならない。
なんというか、『枯木灘』などの代表作が、小説という散文作品に昇華する前の、もっと生々しい部分を直に読んでいるような思いがした。 -
鬼らが跋扈する「鬼」州、霊気の満ちる「気」州、中上氏の原点である紀州を巡るルポタージュである。彼が問うたのは自身の源流と紀州サーガであり、それらを霧のように包む被差別と非差別を解き解し、剥き出しの本質を探り出そうとしている。作中の突然の屠殺願望などは、中上氏のなかに眠る「濁った高貴な血」の放出なのかもしれない。
紀伊半島は紀伊山地を挟み近畿至近にありながら隔世感がある。私自身串本に観光へ行ったことがあるが勉強不足でその隣に「枯木灘」があることも知らなかった。その「路地」で育った(いわゆる部落)中上氏は、紀州の溜へ足繫く通い、血脈と被差別について推敲を重ねる。
ルポタージュという形式でありながら、ドキュメンタリーのような周到な準備と緻密な取材があるわけではないが、時々の出会いと発見に触れ、自身の思考を醸成していく過程が興味深い。 -
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紀州に横たわる漂泊者と非人の歴史。私が産まれた頃にはリアルだった歴史の残像。東日本にいると全く理解出来ない、この皮膚感覚。
分からないから読むのですよ。 -
2017年9月10日に紹介されました!
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どこかで紹介されているのを見て、いずれ読んでみたいと思っていた中上健次ではあるが…重かった。他の作品に手を伸ばす気には今はちょっとなれないけど、いずれじっくりと読んでみよう。
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「紀州」を散文化する試み。というのも、否が応にも紀州には物語や詩(うた)が溢れているから。熊野の森や海のみならず、差別でさえすぐに、1つの旋律をなしてしまう。しかしそのために失われてしまう紀州という現実がある。そこで中上健次は旅に出た。人一倍物語に塗れた身を禊ぐべく。
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中上健次を初めて読んだ。
「地霊」というのか、なんというのか…「穢れ」と「神聖」は隣り合わせなのだ。隣り合わせなのに、相手を否定しないと成り立たない。
ただただ、「すごみ」を感じる。すごまれるとすくむしかない。これは相手に対する恐怖でない、何か荘厳なものへの気持ちなのだ。いや、すくむのではない。ある、いる、という事実を認知することだけが必要なこと。あたりまえのことをあたりまえにすればいい。ただ、それだけのことだ。 -
小説ではなく、ルポというかドキュメンタリーというか、ノンフィクションの紀行文です。中上の故郷・紀州の被差別部落の人々から聞き書きした「語り」中心の構成になっていますが、作者がここでは小説の書き方はしないというようなことを意識しているにも関わらず、表現が詩的&抽象的すぎて逆に幻想譚めいてくる不思議。直接的な言葉や、具体的な地名を書けないという制約がもしかしてあったのかもしれませんが、かえって差別の現状は伝わり難いような印象を受けました。ただ、こういう試みがなされたこと、方言そのままの生の声のようなものが書き留められたことにはそれなりの意義があると思います。差別について考えるためというよりは中上作品への理解を深めるためのツールとして読んでおくべきかも。
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ルポと小説の間の「物語り」とでもいうのか。
こういうかたちの作品は貴重だと思う。
読みながら何かに触れているような手応えがあった。 -
こんな日本語、平伏すしかない。
なにこの迫力。
読後、これまで読んだ中上作品をたまらない気持ちで再読した。 -
和歌山をえぐるルポ。
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著者プロフィール
中上健次の作品
