- Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041456125
作品紹介・あらすじ
好寄に満ちた視線が行き交うトップレス・バーで、真知子はただ一人の男を思い、踊る。カズさんとの交情は、潔らかで高貴だった。得体の知れない熱い血が突き上げる-。恋に落ちた二人はヴァレンタインの夜、警察の手入れで逃げ出し、カズの故郷へと向かった。夫婦となり、新生活が始まるが、閉塞感と運命は、二人を否応なしに試練へと導いてゆく。惹かれ合う男と女の本能を、異才・中上健次が描き尽くした究極の性愛の物語。
感想・レビュー・書評
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突き詰める所までいった路地シリーズから一転、当時の中上の筆力による最期の長編。
中上の良いとこも悪いとこも全て入った、中上にしか描けない男と女の物語。
前提として、正直チンピラにもなり切れていない馬鹿男と見る目の無い主人公に感情移入する読者は居ない筈。
ただ、彼らの世界の中で真剣に人を愛している彼らは美しい。ラストも含め、読んで良かったと思える綺麗な作品だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「男と女。五分と五分」というキー・ワードが何度も出てくる。別世界(舞台)に生きる女が地上に降りて恋をするとそこに悲劇が生まれる。五分と五分の関係とは思えないな。女は強し。
中上健次の作品を読んだのは十年ぶりくらいだろうか。彼も都会を描いていたんですね。知らなかった。でも、やはり、和歌山の土地描写、ねっとりとした感じは懐かしい感覚だった。
さて、映画を観てみますか。 -
文学
これを読む -
中上の作品を読み進んでいると、棟方志功の姿が思い浮かぶ。古い映像で見た棟方の姿は、版木に一心不乱に向き合い、同じ箇所を何回も何回も、執拗に見えるくらい彫りを加え続けていた。それ自体は人を殺傷すらできる彫刻刀を、まるで本来、人や自分自身の身体を傷つけるために振り上げたものを、そうする代わりに版木に向かって線を刻み、乳房や女陰など自分の身体に存在しない器官はことさらに強く太く鋭角的に線をくわえ、そうすることで私たちの観念や想像をはるかに越える像を立ち現れさせる。
「軽蔑」では、“相思相愛の男と女、五分と五分”といった核となる言葉が、他の中上作品同様、技法的に何回も何回も繰り返される。その言葉が出るたび、私たちの胸中に強く太く描線が刻まれ、単なる男と女の物語として読み始めた読者の心に、読み進めるうちに、棟方の版画作品のように、聖なるもの俗なるものそのほかのあらゆるものがすべてその強く太い描線によって浮かび出されたかのように、読者はありふれた男と女の真知子とカズさんに手を合わせ、幸せを祈り不幸を悼み、2人の物語に自分の人生観を濃く重ねることができる。
しかし、私たちのように平凡に日々を安穏と生きる者は、この本を閉じれば、強く太く描かれた物語の登場人物の人生とは明確に区切られた日常空間に引き戻される。棟方作品に魅かれる者が、仏教界や宗教界に精神ごとどっぷりつかるとは限らないのと同じ。私たちは、人生について深く悩み、傷つき、死を考える前に、棟方が自分に彫刻刀を向ける代わりに版木に自分の魂を刻み付けたのと同様に、この作品を読み進めることで、自分の中の爆発しそうな魂を、本を閉じるのと同時に封じ込めることができるということになるのかなどと考えたりもする。
その一方で中上は、読者が心の中にもつ獣のように暴れる魂を、その一身で肩代わりしたかのように、この作品を書き終えた直後の1992年8月に逝ってしまった。
(2011/6/13) -
重い恋愛小説で、正直入り込めず。。。ヤクザっぽかったり、トップレスバーの踊り子なのに、お互いに対しては純粋すぎて、不器用すぎて、痛々しい感じ。
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真千子は言う「男と女は五分と五分」と。
夜の新宿、身一つで生きてきた真千子。
身一つでカズの故郷へ。
夜の新宿、ある意味拳一つで生きるカズ。
真千子を伴い故郷へ。
都市生活者と僅かな半径で生きる者の意識差。
真千子の言葉は通用しなかった。
戸惑、好奇、しがらみ、因習、嫉妬、・・・・・コンプレックスが生む軽蔑。
不寛容、絶望、覚悟・・・・・・"空気"に追いつめられる二人。
中上健次最後の作品は割とシンプルな純愛作品。
幼稚な二人の幼稚な純愛の果ては実に不様で無残。
けれども美しい。
そして凄く切ない。
読後感はホントに居た堪れない切なさだった。 -
日本映画チャンネルで「軽蔑」を観た。どう見ても歌舞伎町でNo.1のトップレスダンサーには見えない鈴木杏は置いといて、物語が中上っぽくない。
(終盤、腹を刺された一彦が商店街を走る「勝手にしやがれ」なシーンに被る憂歌団、あれは反則でしょ。)
・・・と原作を読んでみることにする。
中上健次といえば、濃厚で重厚な物語、むっと匂い立つような生々しい性描写で読むのに結構体力がいる作品のはずが、どうもこの作品は違う。
サクサクと読める。新聞連載だったからか、性描写もほとんどない。中上色が希薄。
田舎の土地の因習、人間関係になじめずに居場所を見つけられない真知子は泣いてばかり。どうしようもなく半端なヤクザ者の一彦は、これといった見せ場もないまま物語は進む。
このだらだらとした日常はある意味、非常にリアリティがあるけど、物語としてはねぇ…。
ただ、最後の場面は、素晴らしく中上らしい終わり方。
手を伸ばせば届きそうなところで踊りながらも、手を触れてはいけない、非現実の存在としてのトップレスダンサーに真知子が戻るのは、自らがこの世の者でなくなるということ? そうなるとラストも特別な意味を持つ。
「軽蔑」というタイトルもどうとっていいのやら。 -
本編より解説の方がいい本って、なんだか微妙な気持ちになる。
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手を伸ばしてさみしいに触る、降る星のように愛されながら遠くで腕を広げて待っているかなしいやみじめさに触れる、触らずに生きていかれないほどに人間が弱い生き物だから、それがどんな感触であっても自分以外の体温があったから。共有できないことはわかっている。共有できないことにうちひしがれれば、自分以外の誰かの影にさわれる、ひとりじゃない、そうまじないのようにとなえる。
中上健二の書く女性は何処か男性の目やにおいを感じる。中上がどこまでも男性だったからなのだろうか。 -
軽い、中身も軽い。