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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784041501016
作品紹介・あらすじ
国家とは何か? 国家と自分とはどう関わっているか? 風俗・宗教・法、そして我々の「慣性の精神」――。生活空間と遠く隔たる異空間を包含するこの厄介な代物に論理的照射を当て、裸の国家像を露呈させる。
感想・レビュー・書評
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NHK『100分de名著』から興味がわいて読んでみたけど、私の凡庸な頭では正直ちょっと理解が追いついていない。
とりあえず、神話(古事記)が政治的な意図をもったものだということに目から鱗だった。
考えてみれば、歴史は勝者がつくるわけだし、当たり前なんだけど、政治と宗教は別物だと思っていた。
いやでも、仏教の檀家制度で戸籍を管理したって、どこで知ったんだっけ。キリスト教の布教と植民地支配の歴史だって十分に政治的だ。だから、神道が例外なわけはないのにな。
信仰心とは別に、宗教の物語性は共同幻想として機能しやすく、それが国家としてまとまるのに使い勝手がいい。じゃあ、宗教の共同幻想が薄れたいまの日本には、どんな共同幻想があるんだろう…と考えたけど、p.48に、神話では「習俗と生活威力とがからまった〈幻想〉の位相をしるには、あまり適していない。 」とあった。神話や宗教だけでは日本の国家としての共同幻想を捉えられないのか。
「国家」の共同幻想とはなにか。私の所属している「集団」の共同幻想ってなんだろう。難しい本だなあ、でも面白い。
本書を読んであらためて番組を見直すと、ほかの著作からの引用なんかもあり、さらに面白かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本書は1968年全共闘運動が盛んに行われていた時期に出版され、多くの若者たちに読まれた。
古事記や遠野物語などを引用しながら国家や宗教、規範の成立過程を分析し、それが幻想として構成されることを論じている。
本書が出版された当時と現代では大きく変化しているが、個人幻想、対幻想、共同幻想という概念をもとに、自分が生まれてから今までを振り返り整理することができた。
共同幻想に侵食されることなく、個人幻想も独善にならないようバランスを保ちたいものだ。
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共同幻想、対幻想、自己幻想のお話が、たいへん面白かったです。吉本さん、ありがとうございました。
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久しぶりにわからない本だった。
理解できないわけではないし、つまらないわけでもない。こちらの知識不足なのだろうか。
いくつかのキーワードの定義がなんともスッと入ってこなくて、そこが理解の妨げになっている感じ。
きっと、何回か読む本だと思われる。 -
ずいぶん前に買ったのだけど、なんだかフィットせず途中で放り出していた。まあ、時期的に再読。国家などが共同の幻想に過ぎないというアイディアは今から考えるとしごく常識的だったけど、当時の戦争体験、戦後60年代の国家との対峙などを考えると新鮮でプロボカティブな提案だったのかなあ、と想像してみる。40年代のサルトルと同じか、、な。吉本の文体も語り口もぼくはあんまり好みではありません、けど。
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吉本隆明氏は今日16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去しました。87歳でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
思い出にブクログに共同幻想論を載せます。
日本の戦後思想に大きな影響を与えてきた思想家であり詩人であり評論家でしたね。
共同幻想論は思想書としてではなく文学、ひとつの詩としても読むことができるのかもしれなません。 久しぶりに読み直してみます。 -
ぼくは、この日常を客観的に捉えようと試みるとき、たとえばエスノメソドロジー的な実践で、日常のぼくの周りにある、あらゆる一切を別の現象として捉えようとするとき、ぼくの目に映るのは、罵声をあげるだけのカオスだけだ。テレビのブラウン管以上の陳腐な日常が意味不明に映し出され、それこそ馬鹿の大騒ぎと言わんばかりに、彼らの中で蓄えられたエネルギーが、行き場もわからないまま、ただ飽和状態で、身体中の穴という穴から垂れ流される。
慣習や固定観念を排除して、もう一度対峙するとき、彼らは否応なく欲求だけを充満した悩める豚になる。それは別に今も昔も変わりはしないだろう。ただ豚の質が変化しているのは確かだ。
犬も食わないぐらいの陳腐な豚。
彼らはその自覚もないまま、さも人間らしく生きているように、そしてそれが当たり前であるかのように、自分たちの小さな世界で我が物顔で夢想しているのだ。
ぼくがこの豚小屋の中で、自らも豚として、多勢の豚とともに4年間も生活してきたのだと思うとぞっとする。それは予備校の2年間でも同様に言えたことだが、まだ予備校の方が豚じゃなく精神異常者の集まりだった分、人間らしかったような気がする。
ぼくは小屋の外にいる時間が比較的に長かったので、そこまで影響されていないが、ほとんどの豚は無意識的に豚の本能をすり込まれて、そこにある種の共同幻想が形成されているのだ。
そんな折に、ぼくは吉本隆明の「共同幻想論」を詠んだのだ。この作品が60年代当時、学生運動で血気盛ん暴れまわったアナキスト学生たちのバイブルとして、多くの若者にたぶん意味もわからず読まれていたという事実は、実に刺激的だ。
さらに吉本隆明は、今の時代の豚どもに同様に愛読される新鋭作家の父親でもある。しかし、その吉本ばななが「共同幻想論」や「言語にとって美とはなにか」といった思想書を書けるわけもなく、せいぜいホモとレズビアンの恋愛劇にとどまる。
「共同幻想論」で吉本隆明は、既成の思想を否定しながらまったく新しい独自の思想を作り上げようとしている。確かに左翼が喜びそうな、天皇制を示唆する部分もあるが、それ以上にアナキスト学生たちには、このまったく新しい日本人の思想が大きな起爆剤となったのだろう。
学生たちのそれぞれ自らの思想を正当化するための勇気を内包させながら、吉本隆明は思想における反体制の象徴として、アナキスト学生を活字によって先導したのだと言える。
その吉本隆明が後の「マス・イメージ論」などにも著し、一貫して語るのは、日本人独特の集団意識による他社依存の共同幻想である。そして、それは現代において豚に変貌した学生たちが如実に体現している。
それを明晰判明に理解するとき、今の日本における混沌とした現実がはっきりしてくるはずである。そうして、矛盾や軋轢、その他の腐った観念が、この染み込んだ身体から浮かび上がるだろう。 -
番組がなければ読了できませんでした。共同幻想論少しは、わかってきたつもり
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文章の難しさのあまり読み終わることを目的としてしまったのであまり頭に入ってこなかった。理解しながらゆっくり読めば良書なのは分かる。反省。いつか読み直す
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言っていることがわかるか?と言われたらわかるかもしれないんだけど、文体とか、問題意識とか、それが遠くなんだよね。渋谷陽一はこの本がすげえすげえってずっと言ってたよね。神話ってのの発生とか、つまり、中沢新一的な神話ってのが、例えばシンデレラとかの話とか、これらをどう読むとというサスペンスとして読むのがよいというのがやっとわかった気がする。社会以前から、社会へ、それには言語が大きくかかわる。そして、システム
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吉本隆明 「 共同幻想論 」著者が描いた幻想領域を 国家、部落、男女に あてはめた本。国家論として「国家は共同の幻想である」を展開。幻想は 夢とも心理とも読める。
遠野物語、ハイデガー、モルガンエンゲルス、古事記から幻想性を論述した 禁制(タブー)、他界(死生観)、母系制は面白い。対幻想はフロイトみたい。
幻想領域の3つの内部構造
*国家、法を問題とした場合 共同幻想
*男女間の問題の場合 対幻想(ペアになっている幻想)
*文学理論などの場合 自己幻想
禁制(タブー)の共同幻想
*その中の個人は 禁制の神聖さを強制されながら、その内部にとどまっている
*共同幻想は 現実と理念の区別が失われた心の状態で 共同的な禁制を生み出す
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古代から戦前までの共同幻想は、実は今のSNSと親和性があるのでは。そんな奇妙な思いにとらわれる。
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国家は共同幻想であるとして、
フロイト読解による〈幻想〉から始め、その論理的延長によって、記紀の日本〈国家〉成立のうちに幻想を見つけ出そうとする。
個人的幻想から家族的幻想、共同体的幻想へと広がっていく流れになっている。
筆者にとっては〈幻想〉であるということが特別であることのように感じられているようだが、いまやあらゆるものが幻想であるとも言える(それは逆に、真実性を必要としなくても、すべてが現実であるとも言える)。そういう前提に立ってしまえば、〈幻想〉であるという主張のみでは有効性は持たない。すると、別の点に重要性が移行するだろう。おそらくそれは、幻想の軌跡がイコール歴史であるということではないか。とすれば、この書は一つの歴史書と言えるのではないか。
そういった意味で、この著作は「不可能性の時代の歴史書」の側面を持つかもしれない。 -
図書館で借りて駆け足で読んだけど、これは後日ちゃんと腰を据えて読み直すべき
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学生のときに読んだが、正直なところ、難解でほとんど理解できなかった
今後も処分せずに本棚に置いておき、再読しようかと思う
ばななさんの父親というのにも驚いた -
うーん。
自己幻想から、対幻想から共同幻想というものが、
大事なのはわかる、分かるんだけれども
原理として建てたいのは分かるんだけれども、
この著書では前半までは対幻想、後半は共同幻想を扱う。
その対象は、想像力しか及びえないところにむかっていくため、
それを原理としておくにいはきつい。
個人が、何らかの社会に属する時に
非物理的な空間を媒介としていることを、
吉本はなんとかつかもうとしている。
その理路の底板になっているのは、
ヘーゲルとフロイトだ。この出会い。
しかし、この本は、時間切れと言われてしまったように、
途中で終わる。
このモチーフは、『心的現象論』『母型論』へ受け継がれているんだろうな。
まだだ、まだあきらめない。 -
世界を認識する方法として全幻想領域の構造を解明する際に、自己幻想、対幻想、共同幻想という3つ軸で、各々の相互関係と内部構造をはっきりさせればよいというのは非常にシンプルで明解。特に対幻想の疎外から生まれる共同幻想、そして共同幻想と逆立する自己幻想という関連性にはとても納得。この切り口の鮮やかさに団塊世代が引き込まれたのもわかるような気がする。
文学でも政治でも経済でもない総合性と現在性の両面からアカデミズムに陥ることなく世界を検証していくという人は現在でもあまりいないような気がする。で、世に蔓延るのは合理性・経済性やら、人道・情緒・感情主義という偏ったポジションでしかモノを語れない大学の先生や政治家ばかり。吉本にはもっと活躍して欲しかったし、死後の再評価はもっとされてもいいような。
大学時代に買って、パラパラめくっただけでずっと放置していたのをやっと読んだのだが、これ程の内容とは想定外だった。最後の中上建次の「思想が文学を死滅させ解体させた」というのはややオーバーな気がするが、文学者はそこまで打ちのめされたんだろうか??? -
7/18 p.12迄
7/17 読み始め 国家という幻想…自然科学者にとっての素粒子のようなイメージ…これは解決策なのか
歴史的事実を根拠 -
約1ヶ月半格闘した末、ようやく読み終えることができた!
わたしの読書人生の中で最強の出会い、のうちのひとつでした。
今後とも読書にハゲむべし!! -
全体の流れ
・マルクスを通じて国家は幻想の共同体という考えを知った
・「共同観念」の世界を考えるのに「共同幻想」「対幻想」「自己幻 想」を軸にして考えることにする
・この方法を用いて日本における「個々の観念」が「共同観念」に侵されてしまう病理を解析していく
・その題材として「古事記」「遠野物語」を利用する。
文学や政治、経済を統合して観察する視点として「幻想領域」を規定する。
幻想領域は、以下の3つに分けられる。個人の軸となる「自己幻想」、それに対応する「対幻想」上位構造である「共同幻想」。
3つの幻想領域の相互関係がどうなっているかを考えることで、いろいろな領域を考えることができる。
本文では「古事記」と「遠野物語」を題材にして「初期国家」という「共同幻想」がどのように成立してきたか、そして「共同幻想」がどのように「自己幻想」を犯しはじめたか。
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