時刻表昭和史 増補版 (角川文庫 み 9-7)

著者 :
  • KADOKAWA
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (329ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041598085

作品紹介・あらすじ

昭和八年、老いたハチ公を眺めてから、初めて子ども同士で山手線に乗ったのは小学校一年生のときのこと。二・二六事件の朝もいつものように電車を乗継いで小学校に通い、「不急不要の旅行」を禁止された戦時下にも汽車や電車で出かけていた私は、終戦の日も時刻表通りに走る汽車に乗り、車窓風景に見入っていた…。時刻表好きの少年の眼を通して、「昭和」という激動の時代と家族の風景、青春の日々がいきいきと描き出される、宮脇俊三の体験的昭和史。

感想・レビュー・書評

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  • 特になにも考えずに宮脇さんのだから、って読み始めたんだけど、かなりよかった。
    宮脇さんの子供のころからの鉄道とのかかわりを書いてるんだけど、途中で戦争が始まったあたりをうっかり外で読んでて涙ぐんでしまった。
    空襲があっても電車は走ってたし、終戦の日も電車は走ってたんだってことを知れたのがよかった。

  • 戦前から終戦までと、増補版で戦後数年間の鉄道をベースにした自分史。渋谷ハチ公の現役の姿を見ていたことに驚きと羨望。戦争に突き進む時代に、鉄道は政策・燃料の両面から翻弄されたのだが、その中で宮脇少年が日本各地へ鉄道旅行に出かけて行ったのがすごい。国策として私鉄を国有化していった戦前・戦中がなかったら、日本の鉄道はこれ程までに発展しなかったかも、と思いながら読了。著者が筆を置いたすぐ後の時代に、百閒先生が『阿房列車』を走らせているのだがから面白い。

  • 紀行作家・宮脇俊三の半生記。早熟な鉄道少年の目を通じた、戦前・戦中そして敗戦直後(ここは蛇足と思いますが…)の日本の姿が鮮やかに綴られています。

    初めて読んだ時は、内容にただ感心するばかりでした。
    2度目は、著者のボンボンっぷりにちょっとカチンと来ました。
    そして今、このあまりにリアリティを持った歴史読本に対し、改めて感動を覚えています。

    昭和は遠くになりにけり。
    だけど決して忘れてはいけない、忘れられない、手放せない1冊。

  • 2001年(増補版底本1997年)刊行。

     戦前から戦後直後における著者の旅行記(もちろん鉄道利用。著者の小学生から大学時代)である。

     個人的には、増補前の底本(戦前の旅行分が掲載)は読了済みなので、増補相当分のみ読破した。
     著者の視点で見れば、昭和20年8月ではなく、昭和23年7月ダイヤ改正こそ戦前・戦後の区切りであったという。これこそまさに、筋金入りの「鉄」と言う以外の言葉が見つからない。

     その本書のなかでも、印象深いのは、玉音放送の時もその後も、列車は止まることなし、という件である。「鉄」に仮託してはいるが、与えられた職務に忠実に邁進していく日本人の良い面をこれほど表した件はないであろう。

  • 14/08/26、ブックオフで購入。

  • 戦前戦中戦後の未曾有の混乱期に
    こんなにも列車に乗れていたのか?
    鉄道を中心に当時の世相や時代背景が
    脳裏に広がる‥

    増補版を恐らく久しぶりに読み返してみた
    第一印象だ

    中でも米坂線109列車は記憶に残る
    天皇の放送は聞き取りにくく難解であった
    よくわからないながら浸透してくる
    ものがあった
    放送が終わっても人々は棒のように
    立っていた。ラジオの前を離れて良いものか
    迷っているようでもあった
    時は止まっていたが汽車は走っていた❗️
    間もなく女子の改札係が坂町行きが来ると告げた
    こんな時でも汽車が走るのか信じられない
    思いがしていた。けれども汽車は入ってきた

    昭和15年と言えば大政翼賛会が発足した年だ
    私は中学生だったが一人で汽車に乗ることに慣れてあちこちに出かけていた
    日曜の列車はひときわ混雑していた
    これでいいのかと私は思った
    もっともその私も慰問文を書きながら
    用もないのに汽車に乗っていたのである
    不急不要の旅行はやめよう、のポスターが
    駅々に貼られるようになったのはこの頃だった
    それは不急不要の旅行者が多いことの証左
    でもあった

  • 宮脇俊三さんは自著の宣伝めいた発言をほとんどしないのですが、本書は例外に属するやうです。特に若い人に読んでもらひたい、と宮脇さんとしては特別に思ひ入れのある作品ださうです。初版の「あとがき」には、かう書かれてゐます。

    「駅々に貼られた旅客誘致のポスター、ホームに上れば各種の駅弁が装いをこらして積んである。冷房のきいた社内、切符を持たずに乗っても愛想よく車内補充券を発行してくれる車掌。
     そのたびに私は思い出さずにはいられない。不急不要の旅行はやめよう、遊山旅行は敵だ等々のポスター、代用食の芋駅弁を奪い合う乗客、車内は超満員でトイレにも行けず、座席の間にしゃがみこむ女性、そして憲兵のように威張っていた車掌。
     汽車に乗っていて、ときどき私は、いまは夢で、目が覚めると、あの時代に逆戻りするのではないかと思うことさえある。二度とめぐり合いたくない時代である。それゆえに、絶対に忘れてはならないと思う」(「あとがき」)

    昭和8年の山手線に始まり、昭和20年の米坂線109列車までを取り上げてゐます。丁度日本が戦争に向かつて行く時代から挫折を味はふ時代に重なつてゐるのです。
    初期作品に良く見られた諧謔調は鳴りを潜め、あへて感情を抑へた文章であります。これが大変効いてゐます。

    そして有名な、山形県今泉駅前で聞いた玉音放送のくだり。駅前で放送が終つた後でも、人々は動かずにラジオから離れずにゐました。そこへ汽車が来ます。ここは何度読んでも胸がつまるところであります。

    「時は止まっていたが汽車は走っていた。
     まもなく女子の改札係が坂町行が来ると告げた。父と私は今泉駅のホームに立って、米沢発坂町行の米坂線の列車が入って来るのを待った。こんなときでも汽車が走るのか、私は信じられない思いがしていた。
     けれども、坂町行109列車は入ってきた。
     いつもとおなじ蒸気機関車が、動輪の間からホームに蒸気を吹きつけながら、何事もなかったかのように進入してきた。機関士も助士も、たしかに乗っていて、いつものように助役からタブレットの輪を受けとっていた。機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだがと私は思った。
     昭和二〇年八月一五日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである。」(「第13章 米坂線109列車」)

    本書は「増補版」といふことで、14章から18章までが追加されてゐます。確かに著者の語るやうに、鉄道史における戦後は、昭和24年頃まで続いたのであります。特に21-22年あたりが、日本の鉄道史最悪の暗黒時代といはれてゐます。米国に全てにおいて力の差を見せ付けられ、敗戦国であることを嫌でも思ひ知らさせる屈辱の数々。
    宮脇さんはここまで書かなければ完結しない、と思つてゐたやうですが、終戦時の今泉駅で燃え尽きたさうです。なるほど13章以前と14章以後では、文章の濃淡にかなり差があります。
    しかしそれでも、この増補版でやうやく「完全版」として世に出た訳であります。その意味は大きいでせう。
    今後も読み継がれることを切に願ふ書物のひとつでございます。

    http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-272.html

  • 俊三少年は東京育ちだが、政治家であった父親の実家は四国香川県東部の引田町にあった。それは長距離旅行の大義名分になる。ある時母親と一緒に帰省する話が持ち上がる。さて、どの経路にしようか、東海道・山陽筋には幾多の名門列車が運転されている。一番目当ての列車では途中駅降車が深夜になる。接続の便の良い列車では面白みがない。旅行直前まで時刻表を検討しつつ眠れぬ夜を過ごす少年。
    時は経て昭和20年8月15日正午。俊三青年は東北地方の田舎町の駅に居た。全国で多くの人がこの瞬間を回顧しているが、ここでも青年の目は戦時下にあって一部能力を欠きつつも正確に運行されていた列車を見逃さなかった。

  • 昭和元年生まれの著者が、第二次大戦中の日々の出来事を多感な少年の目で捉え、さまざまな鉄道を巡る体験と織り交ぜてつづっています。歴史小説としても鉄道紀行文としても秀逸。玉音放送が流れた昼下がりにも鉄道だけは時刻表通りに走っていた、という静かな描写が心にとてもしみました。

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著者プロフィール

宮脇俊三
一九二六年埼玉県生まれ。四五年、東京帝国大学理学部地質学科に入学。五一年、東京大学文学部西洋史学科卒業、中央公論社入社。『中央公論』『婦人公論』編集長などを歴任。七八年、中央公論社を退職、『時刻表2万キロ』で作家デビュー。八五年、『殺意の風景』で第十三回泉鏡花文学賞受賞。九九年、第四十七回菊池寛賞受賞。二〇〇三年、死去。戒名は「鉄道院周遊俊妙居士」。

「2023年 『時刻表昭和史 完全版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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