徳川御三卿〈下〉 (角川文庫)

著者 : 南原幹雄
  • 角川書店 (1998年1月発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041633328

徳川御三卿〈下〉 (角川文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 最後の最後まで かなりハラハラで
    ガーーーッと 読み進んだのに、
    最後の最後 スパッと尻切れで終わり過ぎというか、
    “え?終わり??”と ガクッときました。。。

    かなり いい感じだったのに、
    なんか 残念。。。

  • 病弱な長男家重に将軍位を譲った八代将軍吉宗は、万一、嗣子なきときのために備え、御両卿を創設しました。

    だがこれは同時に、御三家の格下げを意味しています。自藩の存亡を賭け、尾張、水戸両藩が動き出します!。

    ※御三卿とは徳川氏の一族である田安、一橋、清水の三家です。

    江戸中期、将軍家と御三家との関係が疎遠になったため、8代将軍徳川吉宗が自分の2子に御三家に準じて将軍家と密接な関係をもつ家柄として一家を構えさせた。

    徳川御三家は知っていても御三卿をご存知の方は少ないでしょう。御三卿の創設は、吉宗の生い立ちを抜きにしては考えられません。

    徳川中興の祖といわれる吉宗は紀州徳川家の相続から将軍にまで上り詰めたいきさつには、ただ運のよいシンデレラ・ボーイといえない謎があります。

    吉宗が実施した幕政改革は。幕府権力の確立に務め、増税と質素倹約の奨励。新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、目安箱の設置などの享保の改革また米相場の安定に苦心したことから、米将軍ともいわれています。

    母は紀州徳川家の召し使いで巨勢六左衛門利清の娘・浄円院(於由利の方)。実家は、紀州の地主で、古代の名族・巨勢氏の末裔を称する素封家でした。

    しかし、紀州藩主の母・側室の実家としては、身分が違いすぎます。(百姓の娘であったとも云われる)。

    和歌山城の大奥の湯殿番であった於由利の方は、徳川光貞の目に止まり、湯殿において、手がついたという伝説は有名です。

    母の身分に問題があったためか、幼年は家老の元で育てられ、やがて城中へ引き取られます。

    元禄10年(1697年)、14歳で第5代将軍・徳川綱吉に拝謁し、越前国丹生郡に3万石を賜り、葛野藩主となります。

    父・光貞と共に綱吉に拝謁した兄達に対し頼方は次の間に控えていたのですが、老中・大久保忠朝の気配りにより綱吉への拝謁が適ったのです。

    宝永2年(1705年)に長兄・徳川綱教(紀州藩第3代藩主)が死去し、次兄の徳川頼職が後を継ぎます。

    しかし同年のうちに父・光貞、やがて頼職までが半年のうちに病死したため(毒殺説もあります)22歳で紀州藩第5代藩主に就任します。

    藩主就任時には将軍徳川綱吉から一字を貰い吉宗と改名します。

    幸運だけと言い切れない闇の部分が、小説家の想像力をかき立てるようで様々な作家が吉宗の闇をテーマに書いています。

  • 宝暦八年正月、江戸城でおこなわれた清水卿創立のための地鎮祭。これは、田安、一橋とともに御三卿時代の到来を告げるものであった。一方、京都では竹内式部の尊皇思想が少壮公家たちの心をとらえ、江戸へと勢力を拡大していた。この過激な反幕府思想に尾張、水戸の両家が呼応し、御三卿と全面対決!権力を手中におさめるのはどちらか―。

    2009.12.2読了

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