- 角川書店 (1997年12月18日発売)
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感想 : 40件
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Amazon.co.jp ・本 (256ページ) / ISBN・EAN: 9784041835067
作品紹介・あらすじ
カトリック神父のもとで育ったイラストレーター・理津子の前に、本能のままに生きる男・大西が現れた。精神と肉体の変化、個人と社会の関わりを残酷なまでに孤独な女性を通して描ききった力作長編。
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
人間の孤独や欲望、そして自己認識の過程を描いた作品は、主人公の理津子が本能に従って生きる男・大西と出会うことで、彼女自身の内面の葛藤を浮き彫りにします。食べ物や日常の描写が豊かで、特に美味しそうなスイ...
感想・レビュー・書評
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彼女の食べるものが美味しそうで美味しそうで。
凄く共感すると言うわけでは無いけど、なんだか切ない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『ドールハウス』に続く3部作の2作目。前作のヒロインもそうだったけど、今作のヒロインも歪んでます。とにかく痛々しい……ふわふわとして幸せな気分に浸れる恋愛小説を求めている人には向かない。
『私は男に飢えていた』という冒頭の文章が強烈。
そして最後も、男が欲しいと何度も繰り返している。
最後に自分の歪みみたいなものを自覚したところが、小さな救いなのだろうか? -
難儀だなぁ。スイーツ脳の女子にぜひ読んでいただき、まとはずれな感想聞いてみたい。とか、意地悪く思うほどに難儀なんですよ、この主人公。ドライバーは、柄のほうとわかっていても痛いっす。パスタおいしそう。本能、ね。
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「女である」ことを自分以外の誰かに明言されたい、その為に異性に抱かれたいと願う女性の話。
そしてそのような思想を、作者自らが後書きの解説でばっさりと斬っている。
恋愛や本能から離れた思想の部分で異性を利用しようとする者は、異性から欲情もされず抱かれもしないと。
主人公のように極端な環境で育たなくても、「自分が女である」という健全なイメージを持つことは現代社会ではなかなか難しいことなのかもしれない。
性に関する保守的な抑圧と(名ばかりの)男女平等の狭間にいるのが、私達という世代なのだろう。
本著を読んで「女とは何か」を考えた時、今のトレンドである「ゆるふわ」や「スイーツ」は作られた偽物の女性性なのだと強く感じた。
「女の子」や「女子」だと自らを偽らず、自覚的に「女」となりそれを楽しむこと、それが次世代の女性像なのかもしれない。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/737195 -
姫野カオルコ。凄まじい作家だ。
主人公のような人物を、現実には「こじらせた」人と言うのだろう。しかし、小説の中では、その凄まじさはたとえようがない。
これでもか、これでもかとつらいエピソードが続く。
性の貧困は、自分観の貧困、人間関係の貧困も招くからだ。
その中でも後の救いとなる、大西と食べるシーンは量感的で圧倒される。
あとがきを読んで、初めて主人公が救われたことに気付く。身体を取り戻したのだ、と。大西のおかげで。 -
読んでいて苦しくて疲れる。読者を勃たせない。笑
ありのままでいることを許されない幼少時期が内なる健やかさ、自尊心、女性性をねじまげ、上手に解消できないとやっかいなモノを抱えて生きることになる。よく分かる。 -
卑下しすぎて痛々しいなぁ…
きっと本当はキレイな人なんだろうに、と想像しながら読みました。
謙遜の域を超えた、本気の卑下は苦手。
どうせ私なんて…って、思うのは自由だけど聞かされるのは辛いです。 -
とても良かった。
食べ物の使い方も効果的で、奥底から欲する感じがあった。 -
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そういえば昔読んだな、、と思いながらまた読みました(笑)
主人公がいい年して処女、という設定は姫野さんの小説には多いですが、切なさがよく描かれていると思います。
あとは料理や食べ物がうまくストーリーにからみあって、「スピーディにいいタイミングで同時に出来上がり、出来たてを誰かにサーブし一緒に食べる楽しさ」っていうのがすごく出ていてそのシーンがとても好きです。やってみたい!と思うけど、私は料理が得意ではないのでできないと思って読んでました(笑)
全体的にトーンは高くないのですが、暗すぎることもなく、切なさがうまく表現されていて、これも姫野さんらしさだなぁと思います。 -
あまり共感できないけど、と前置きしつつ。
人付き合いから離れている上に処女厨を拗らせて孤独。それに耐えられず男が欲しいと叫んでる人。幼少期に無条件に愛され甘える経験が無いのは、かなり影響するのだろう。怖がらず、また人を批判ばかりせずに、歩み寄っていけることを祈る。
所々日本語が変で読みにくかったが、作者の個性という事で理解。 -
りっちゃんの思考は私には馴染み深いものばかりで、普段蓋をして見ないようにしている自分のひずみを思い出した。ひずみの海に溺れそうになった時はこの本を開き、ともに苦しみの中を泳いでいきたい。
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食事をするだけの男女。
なんだか憧れる。食の好みが一致していないと、こんな楽しみ方はできないだろうけど。
食べながら色々なことを話す。子供の頃のこと、個人的なこと。告白しているようで、スッキリ整理できそう。
信頼していないとできない話かも。
理津子は堅物というのかな? それがまた個性的でいいんじゃないのか。
我慢しているようでいて、自分に正直であるように感じる。 -
度々自分の事のように胸が痛くなるところがあった。
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主人公の女性は、悲しいほど「女」。なのに、どうしてなのか悲しく悲惨と言ってもいいぐらいに、女という性を生きづらく、人生を送っています。
いわゆる「ゆるふわスィーツ」とは真逆の生き方。女であることを戸惑いながら生きているのだけど、見方を変えればその生き方は心底から女である、とも言えるのではないでしょうか。
「喪失」の部分はおそらく、男性が読むとドン引きかなぁ…と思いながら読んでいました。
うーん、もっと頭空っぽにして生きればいいのに、とは思うのですが、これも一つの生き方なのでしょうね。
生まれながらに性別というのは選べません。神によって振り分けられた男女の性別ですが、彼女が例えば男性として生まれたのならどうだったのだろうかと思うと、興味深いです。
でもね、延々こうやってねちねちと悩んで苦しんで…というのは、もしかしたら女以外の何者でもないのかもしれませんね。
男性でも人生に思い悩むことはもちろんあるとは思いますが、こうやってねちねちと回想して自分を苦しめる部分、というのは根っからの女性なのかなぁと感じました。
女性という生き方を、とことん掘り下げて思い悩みながら生きていく、という生き方のワンノブゼムの1ケース。
さぞかしこれはしんどそうですが、逃げを打たない、という意味ではある意味潔く真っ直ぐな生き方だと思います。
ただし、自分はそんな生き方はイヤだし選びませんが(笑) -
本作における喪失とは、女性性の喪失であったようだ。処女三部作の二作目にあたるとのことだが、ドライバーで自分を掻爬しており、全作そうなのかしら、なにか痛々しかった。主人公理津子は幼少時カソリックの教義のもとに育ち、性を拒むようになっていたが、三十路をこえてやっと最後に男が欲しいと言わしている。しかし、その望みも達成させず、急に終わってしまっており、ちょっと主人公が哀れであった。
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913.6
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作者によると、本書は「ドールハウス」に続く作品で、三部作の第二部とのことである。
主人公の白川理津子は幼い頃教会に預けられて育ち、大人になってもその戒律でもって自分を律しつづける。女は美しくはかなく男に守られるもの、しかし自分にはそんな女である資格はない。それは傲慢である。分不相応である。そう自分に言い聞かせて生きてきた結果、5年間プライベートな友人と食事をしたこともないような、孤独な日々を送っている。理津子の心の寂しさや頑なさの起因が、ありがちで薄っぺらな女性のコンプレックスとは異なるところにこの作品の厚みがあるように思う。しかし一方で、大西という男の果たす役割が、作者の意図するほどには見えてこない気がする。文庫版あとがきは、作者自らが作品の主題や何かを論じるというめずらしいかたち。 -
主人公の卑屈さは自分も大いに共感し、
胸が締め付けられるシーンもあった。
「私は男に飢えていた」というキャッチコピー
にもってこいの冒頭から最後まで主人公は飢え続ける。
読んでて苦しい。切ない。
著者プロフィール
姫野カオルコの作品
