太平洋戦争 日本の敗因6 外交なき戦争の終末 (角川文庫)

制作 : NHK取材班 
  • 角川書店
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レビュー : 7
  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041954171

作品紹介・あらすじ

絶対国防圏の戦略拠点が次々に陥落、日本の上空が米軍機に完全に支配され、敗戦は必至とみえた昭和二十年一月、大本営は「本土決戦計画」を決めた。本土での地上戦ならば一度は勝てる。一矢を報いれば、無条件降伏だけは…。沖縄が本土決戦の捨て石とされ、住民もろとも焦士と化していた時、日本が和平工作の全てを託そうとしたソ連は、「ヤルタの密約」通りに、米ソ共同の軍事訓練を行っていた。

感想・レビュー・書評

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  • 第二次世界大戦開戦以後、日本の同盟国・ドイツはヨーロッパ戦線において快進撃を続けていました。一方日本は、北方の安全を図るため、「日ソ中立条約」を締結しています。こうした世界情勢をひとつの開戦理由として、日本は太平洋戦争へ踏み込みました。
    ところが、頼みにしていたドイツの進撃は一転し連合国側の優勢へ、日本も初戦の勢いをなくし、太平洋戦線において劣勢にたたされていきます。ここで日本が重要視したのが「対ソ外交」による「講和」の実現でした。

    しかし、ソ連は「日ソ中立条約」が有効であるうちから、連合国側にたって対日参戦することを内々に決定していました。こうした世界情勢の変化を敏感に察知することなく、ただひたすらに甘い「対ソ外交」の「幻想」を頼りにしていたのが当時の日本政府でした。
    在モスクワ日本大使は、日本政府の「対ソ外交」認識の甘さ、肌で感じるソ連の思惑や動静を日本本国へ打診し続けました。しかしその意見は重んじられることなく、ひたすらにソ連を仲立ちとする「講和」に日本政府は執着します。

    こうして日本が手をこまねいている間、8月6日広島・9日長崎へ原子爆弾が投下されます。そしておそれていたソ連の対日参戦。9日未明、ソ連は満洲国国境を越えて怒涛の勢いで進攻しました。
    本書は、日本の対外認識や世界情勢の変化に対する認識の甘さ、あまりに杜撰な希望的観測を一貫して指摘し、戦争における必要なひとつの要素、「外交」の重要性を訴えかけています。
    (読了:2006年9月21日)

  • 新書文庫

  • シリーズ通して勉強になる。NHKの文章なので、作家の個性が入らない分、教科書的にいいと思った。それだけに突っ込み不足の感も否めない部分はある。全体を通して単なる批判でしかないのも気になった。

  • 4041954177 269p 1995・8・10 初版

  • 満州事変以来、軍部に引きずられてきた日本は、すでに外交能力を喪失していた。
    本来、軍事は政治の一部であるべきなのに、当時の日本では、政治が軍事の一部になってしまっていた。
    陸海軍が戦力を失う中で、政府は戦争を終結させるという最大の外交課題に取り組むことになる。
    そしてここでも「根拠のない希望的観測」と「独善的思考」が働く。もはやこのふたつは日本人の体質なのか。

    結局、ポツダム宣言の受諾は、天皇の聖断によって決断された。
    太平洋戦争では開戦から終戦にいたるまで、日本の政治はまったく機能していなかった。

  • (2007.09.22読了)(2007.07.09購入)
    シリーズ「太平洋戦争 日本の敗因〈6〉」
    「太平洋戦争 日本の敗因」シリーズ最終巻です。
    日本陸軍は、本土決戦で、アメリカ軍に打撃を与えてから、有利な条件で和平に持ち込むと考えていたようですが、武器弾薬がない状態で、果たして打撃など与えることができたでしょうか?
    沖縄戦でも、アメリカ軍の上陸に対して何の攻撃もせず、上陸させてから持久戦に持ち込むということだったようですが、日本本土への上陸をためらうことになるほどの打撃を与えることができたのでしょうか。
    自分で始めた戦争をいつやめたらいいか決められず、最後の一兵になるまで、戦うことしか考えられなかったのでしょう。軍隊とは、戦うのが目的の集団だから、それでいいのでしょう。諸悪の根源は、天皇の統帥権というものにあるということなのですが。

    ●本土決戦(24頁)
    本土決戦では、一度は絶対勝てる。二度は難しいけれど、一度勝てば、アメリカも損害を極力避けようとしていたのですから、それを契機として戦争を有利に導くことができる。
    ●独ソ和平(62頁)
    ドイツと同盟を結びソビエトとは中立関係にある日本がその立場を利用して、互いに交戦状態にある独ソを講和させる。この構想は、日本が世界大戦で優勢に立つための対外戦略として、戦争中、主張され続けてきた。
    (日本は、最後の最後まで、ソビエトによる連合軍との和平仲介に期待し続けた。ところが、ソビエトは、1945年2月のヤルタ会談で、ドイツ降伏後2,3ヶ月で対日参戦すると約束していたのです。)
    ●沖縄戦(102頁)
    1944年10月3日、統合参謀本部は「太平洋全軍は1945年1月20日に硫黄島、3月1日には琉球に前進せよ」と指令を出している。
    上陸までの半年間、アメリカ軍は沖縄の地理の把握から、日本軍の戦力の見積もりまで、微に入り細にわたって情報収集を行っている。
    天候上の理由などにより、沖縄上陸は4月1日に変更された。アメリカ軍の上陸に際して、日本軍からの攻撃は一切なかった。
    アメリカ軍の兵力55万人に対し日本軍は10万人。艦船はアメリカ軍1500に対して日本は約70。その他、兵士の装備や質などを考慮すると、日本軍が上陸戦の一撃だけで壊滅することは明らかだった。
    沖縄守備軍の任務は、沖縄にある人と物を使って本土決戦までいかに粘り、時間稼ぎができるかという一点だけだった。
    ●本土決戦の準備(106頁)
    沖縄戦が始まったとき、本土決戦のための動員の最中でした。本土決戦といっても、配備する兵もないし武器もない。何の用意もできていない。
    ●ソビエトの動き(202頁)
    ベルリンが落ちて、ベルリンからソ連兵がモスクワに帰ってくる。モスクワに帰ってきた兵隊がそのまま極東に送られてゆく。関東軍を打ち破るに十分な兵力を送るには3ヶ月かかる。輸送が激しくなったのは5月初めだから、8月の初め1週間から10日ぐらいの間に戦争が起こるだろう。モスクワの日本大使館から日本の外務省にそのような連絡を送ったが誰もそれを気にしなかった。
    ●ポツダム宣言(242頁)
    7月26日、米英中三か国の名で、ポツダム宣言が発表された。
    主な条件は、軍国主義の抹殺、日本国土の占領、領土の縮小、武装解除、戦争犯罪人の処罰などである。天皇制については触れられていない。
    28日、鈴木首相は、ポツダム宣言を黙殺し、戦争完遂に邁進すると発言した。
    8月8日、ソビエトのモロトフは、日本の佐藤大使に、日本への宣戦布告を伝えた。佐藤大使からの日本への電報は日本に届かず、日本軍は、ソビエト軍の奇襲攻撃を受ける。
    (2007年9月30日・記)
    ☆関連図書(既読)
    「失敗の本質」戸部良一・寺本義也・他著、中公文庫、1991.08.10
    「太平洋戦争の失敗10のポイント」保阪正康著、PHP文庫、1999.12.15
    「日米開戦 勝算なし」NHK取材班著、角川文庫、1995.05.25
    「ガダルカナル 学ばざる軍隊」NHK取材班著、角川文庫、1995.05.25
    「電子兵器「カミガゼ」を制す」NHK取材班著、角川文庫、1995.07.10
    「責任なき戦場 インパール」NHK取材班、角川文庫、1995.07.10
    「レイテに沈んだ大東亜共栄圏」NHK取材班、角川文庫、1995.08.10
    (「BOOK」データベースより)amazon
    絶対国防圏の戦略拠点が次々に陥落、日本の上空が米軍機に完全に支配され、敗戦は必至とみえた昭和二十年一月、大本営は「本土決戦計画」を決めた。本土での地上戦ならば一度は勝てる。一矢を報いれば、無条件降伏だけは…。沖縄が本土決戦の捨て石とされ、住民もろとも焦士と化していた時、日本が和平工作の全てを託そうとしたソ連は、「ヤルタの密約」通りに、米ソ共同の軍事訓練を行っていた。

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