怖るべき子供たち (角川文庫 (コ2-1))

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  • Amazon.co.jp ・本 (174ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784042047018

感想・レビュー・書評

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  • ジャン・コクトーの詩小説ということで、詩的な文章が映像的に映えていて、物語のハチャメチャ度からいっても(笑)、映画で観ても面白いかもしれない。永遠の「子供」らが繰り広げる、規律や倫理を無視した戯れに興じる姿が痛々しいと感じるのは自分が「大人」視線故か。
    弟ポールの同級生ダルジェロへの恋慕が怪我を呼び込むという死への序曲の象徴は、その後繰り広げられる「部屋」=遊び場での児戯への囲いとなり、母の死、姉エリザベートの夫の死は絶えず「子供」に留めようとする姉弟への象徴的な出来事であった。ダルジェロに面影の似たアガートやポールを心配しエリザベートに魅かれるジェラールは最初、姉弟と行動を共にするが、「大人」へと向かう彼らから弟ポールを手許に置きたい姉エリザベートのとった行動は「永遠」を保つための死への道であった・・・。
    将来のみえない混乱と精神の暗黒が、死への象徴と詩的文章の美しさを対称として、上手く表現された作品であったと思う。

  •  詩人ジャン・コクトーの代表作。ポールとエリザベートという姉弟の異常な愛憎劇と、彼らを取り巻く友人関係が、作品を貫く鮮烈な死のイメージとともに描かれる。物語はポールの心情変化を転換点として四幕(①雪合戦から母の死まで、②海への滞在からアガートの登場まで、③エリザベートの結婚から彼女の暗躍まで、④ポールの衰弱から姉弟の死まで)に分けることができる。①と④を繋ぐのはダルジェロという少年に対する憧憬だ。彼によってもたらされる白の雪玉と黒の毒薬は、本作に秘められた甘美な毒性を表すと同時に、ポールの心的変化を象徴する小道具としても機能している。
     本作では子供たちが暮らす「部屋」を舞台に見立てた演劇的手法が用いられ、密室劇の様相を呈している。「部屋」を埋め尽くす雑多な装飾は小道具として、大人たちの存在は――子供たちの演劇を理解し得ない医師やジェラールの叔父――我々読者とは異なった次元において、ある種の観客として作用している。現実の演劇に際して、観客は演者の内面を知ることができない。内面描写が可能な小説で演劇性を再現する上で、著者は「遊戯」という夢想状態を導入していると解釈した。ポールの夢遊病はその結果生じた歪み、差異の表象ではないかと思う。ポールの精神はその死後、物語冒頭で描かれた雪合戦の場面へと回帰して、読者すなわち「観客」を目にする。客席から舞台を眺めていたはずの我々が、舞台へと引き上げられ、ここでも構造の多重化が試みられている。
     文体は格調高く洗練されているが、極度に抽象化された表現がテクストの理解を妨げる。頭で理解するのではなく、上質なワインを味わうように触れるべきだろう。詩人ならではの技巧、とりわけ数珠のように繋がれた形容詞の装飾が胸に染みる。今回は角川文庫版を読んだが、原文との比較において従来訳より読みやすく、コクトーによる素描が収録された光文社古典新訳文庫版も入手したい。

  • 「小説詩」と呼ばれるだけあって少々読みにくいが、恍惚とした引き込まれる魅力がある作品。

  • 子供時代にのみ存在する、陶酔。それを丹念に描き出している。ただ美しいものに心惹かれ、破滅を恐れず、甘美な毒に酔う。子供時代は、死への執着に満ちている。そして、生へ向かう決意を持った時、人は大人になるのかもしれない、と思った。
    東郷青児訳は、いまいちだった。

  • 巻末の解説にもあったが、白い玉(雪玉)で始まり黒い玉(毒薬)で終わる悲劇と表現するとすっきりするか。白い玉は主人公ポールを子供部屋へと閉じこめるためのもの、そして黒い玉は彼を永遠にそこから出させないためのもので、いずれも投げつけたのはポールが少年時代に信奉していたダルジェロという友達である。とすると、陶酔は人の心を、大人のー秩序立てられたー世界から遠ざけ、子供のー混沌としたー世界へ繋ぎとめ、その心のまま大人になったポールは死ななければならなかった...ということだろうか。いずれにしても、全編を通して子供時代を混沌・無秩序と、大人(世間?)を理性・秩序と結びつける考えが支配しているのは確か。1929年の小説、にしては幼少心理の解釈に乏しすぎないか。いや、ギリシャ的な悲劇を志向しているのだったか。あるいは現代が子供を重く扱いすぎているのであって、本来こういうものであったのか。ーーー子供の心に空想に耽りがちな不可解さは確かにあると思う。しかしそれを大人のルールに当てはめて無秩序とみなすのは違う気がしてならない。彼らには彼らなりのルールが、秩序があるはずなのだ。あったはずなのだ、僕らにも。

  • 成熟を拒否し、通常の大人の世界に背を向けて、
    小さな「城」に引き籠もる子供たち。
    彼らは「外」へ出ていく代わりに、
    遙かな夢幻境へと旅立ってしまう……。

  • ・・・・ああ、これを読んだ15の頃(爆)
    私は彼らになりたかった。

  • 何と言って良いかわからない。とにかくすごい。タイトルそのまま。大人になる前に破滅に向かうしかない、子供の衝動と情熱と無邪気さ。衝撃的だった。

  • 原題 LES ENFANTS TERRIBLES

    やるべきことをやるのが大人で、やりたいことをやるのが子供。イギリスの格言だったかな?紳士の定義だったような…。

    大人は誰しも初めは子供だった、と言ったのはサン-テグジュペリですが、コクトーは永遠の子供を詩ってみせた。

    純粋で無垢なまま。まさに詩の表現そのもの。

    エリザベートとポールの姉弟は破滅したようで、してないんじゃないかな。当然の帰結のようで、行き着く先は望んだところ、だったように思える。

    みんな子供の頃には自分だけの世界があったはず。望んで大人になったわけじゃない。今思えばすごく不安定だけど、安らぎも確かにあった。

    自分だけの、自分だけが理解できる世界。世間のルールなんて知らない。そこだけで生きられるなら、もう何もいらない、というような。

    自分の思い通りにいかないジレンマ、他人が意のままにならないストレス、どうしようもないことに悲観し、躊躇なく自らの命を絶つ。

    欲望に忠実で、美しいまでに迷いがない、怖るべき子供たち。

  • 東郷青児 訳

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著者プロフィール

(1889年7月5日 - 1963年10月11日)フランスの芸術家。詩人、小説家、脚本家、評論家として著名であるだけでなく、画家、演出家、映画監督としてもマルチな才能を発揮した。前衛の先端を行く数多くの芸術家たちと親交を結び、多分野にわたって多大な影響を残した。小説『恐るべき子供たち』は、1929年、療養中に3週間足らずで書き上げたという。1950年の映画化の際は、自ら脚色とナレーションを務めた。

「2020年 『恐るべき子供たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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