芸術とはなにか (角川文庫)

著者 : トルストイ
制作 : 中村 融 
  • 角川書店 (1952年5月発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784042089223

芸術とはなにか (角川文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ひとつの演劇の上演のために、多くの労働者が裏方として働かされている。そしてその演劇を純粋に楽しめるのは一部の富裕層のみ…。どうも当時のロシアはこういう状況であったようです。

    トルストイはこうした状況を見て「これはいかん、真の芸術とは何か、真の美とは何か、を追求せねば」と奮い立ちます。

    まずトルストイが行ったのは、古今東西の「美」に関する学、即ち美学、の学説を検討することでした。

    僕自身は美学には明るくないのですが、どうも当時の学説の傾向として2タイプあったようです。

    ①美は絶対的なものの現れである。
    ②美は快楽である。

    トルストイはどっちも違う、と切り捨てます。

    まず①は、絶対的な美というのがどういうものなのか、いくら説明しても分かるものではないのだから、そういうものを美の根拠として持ち込むのはおかしい。

    学者はいくつかの芸術作品を例に挙げたりしていますが、それらだって所詮はその学者の「好み」に依っているはずです。

    では「好み」のものに触れることによって得られる「快楽」が美の本質なのかというと、これも違う。

    「まさか、食物の問題を論じる際に、食物の意義は、それを口にする時に受ける快楽にあり、などと考える者はあるまい。」

    要するに、美の定義を完全に客観的な基準から求めようとしても駄目だし、逆に美は完全に主観的なものと割り切ってしまうのも間違いだということです。

    トルストイにとって特に問題なのは、美イコール快楽、という考え方のほうです。これは宗教的意識が希薄になった人々は、もはや美の意味を個人的快楽に求めるほか無くなってしまったから生じたのだと掘り下げています。そしてその理論的根拠になったのが「美学」だというのですね。

    では改めて、芸術とは一体何なのか。ここからはくどくど要約して書くよりも、トルストイの言葉(の翻訳)をそのまま抜粋した方が話は早いでしょう。

    「我々は芸術が人々相互の間の交流手段の一つであることを認めないわけにはいかない。」

    これは、結論だけ言われても、えっ本当にそうなの? と言いたくなりますね。芸術を「手段」と割り切っていいのか。芸術にはそれ自体の意味があるのではないか…。

    で、少し読み進めると、

    「芸術は人が自分の経験した感情を他人に伝える目的で再びそれを自分の中に呼び起こし、一定の外面的な符号でそれを表す時に始まるのである。」

    なるほど、そういう意味で「手段」なのか。――でもこれは作家であったトルストイらしく、作り手の側から見た芸術作品の定義、という印象を受けますね。

    そしてここへ来て、彼はドンと定義します。

    「観衆、聴衆が作者の経験したのと同じ感じに感染しさえすれば、これで芸術なのである。」

    単純明快な結論です。ひとつの体験を、送り手と受け手が感覚的に共有できるような作品が芸術作品である、というわけですね。

    でもそんなに簡単に、感覚の共有ができるものなのでしょうか? すると今度はこう書かれています。

    「芸術の仕事というのは、理屈の形では理解しえず、納得できかねる場合もあるようなことを理解しうるように、することである。だから大抵の場合、真に芸術的な印象を受けると、それを受けた者には、自分はこれを以前から知ってはいたがただ表現することができなかったのだという風に思えるのである。」

    確かにそういう感覚はあります。特に僕は自分でも創作をしていますので、他人の作品で優れているものを見ると「あっ、この手があったか! 少し考えれば僕もこういうのが作れたはずなのに!」と悔しく思うことがあります。これもまた、「自分はこれを以前から知っていた」という感覚なのでしょう。

    ここで、僕とトルストイの考え方は一致しているように思われます。ある芸術作品が、芸術作品として優れているかどうかというのは要するに上手下手の問題だと思いますが、僕はより多くの人を感動させる=より上手な作品=より優れた芸術作品、だと考えています。

    さて、さらにこういう言葉もあります。

    「感染が強ければ強いほど、内容はさて措いて、つまりその伝える感情の価値いかんとは無関係に芸術としてはそれだけ優れた芸術である。」

    ここまで読むと、トルストイの芸術論の懐の深さが感じられます。他者との感覚的な交流が芸術の本分である、という結論だけを読むと宗教的な印象を受けますが、しかしその芸術作品の内容なんぞよりも「感染力」のほうが芸術にとっては肝要なのだと言うのです。このあたり、非常に合理的というか功利的な見方ですよね。

    伝えようとされているものが負の感情であっても何でもいい。芸術の真の価値とは、そうした感情の交流によって、より多くの受け手を感動させることができるかどうかなのだ! というわけです。

    明言している箇所は見つからなかったけど、きっとトルストイにとっては、道徳的な善悪の価値判断すらも、芸術作品を評価する際においてはひとまず保留しておくべきものなのではないでしょうか(道徳的価値判断から言えば、そうした態度はむしろ「悪」なのですけどね)。

    さて、だけど世の中には、どこでどう感動すればいいのか分からないような前衛芸術もありますね。さあ、そういった作品はトルストイ先生の目にはどう映るのでしょうか。

    「よく耳にすることは、評判の高い芸術作品について、それは非常に優秀なのだが、理解が非常に困難だ、という言葉である。(中略)優れた芸術作品であるが、分からない、ということは、ある食物について、それは非常に美味しいのだが、人々には食べられない、というのとまったく同じことなのである。」

    いやはや、見事にバッサリ切り捨てています。しかも説得力も抜群です。

    僕もこれにはまったく同感です。例えば日本の有名な推理小説に『黒死館殺人事件』というのがありますが、あれなどは「理解が非常に困難」な作品の典型です。やたらとペダンチックな上に、何が起きているのかよく分からない(笑)ストーリー。あの作品を褒める人は、嘘をついているかよっぽど頭がいいかのどちらかだと思いますが、どのみちそれは多くの人にとっては「食べられない」ものであります。

    トルストイの『芸術とはなにか』は、とりあえずこのような内容でした。文章は単純明快で、難しい箇所は一つもありません。また美学の歴史や、具体的な芸術作品の解説も書かれていますが、その辺りはすっ飛ばして読んでも大丈夫です。とにかく核の部分がシンプルで一本筋が通っているので、論説文としてはかなり読みやすいものだと思います。

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