獄中記 (角川文庫ソフィア 237)

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  • Amazon.co.jp ・本 (117ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784042119029

感想・レビュー・書評

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  • そうなると、誰もが書いてみたくなるらしい。
    塀の内へ至るまでの経過とその内での逼塞し貶められた、時間の流れが停止したかのような生活を経る中で、嫌というほど自らの内面を見つめ直す時間を与えられた時に書き記すものとは、すこぶる自己陶酔に浸るものではないかと考えていたが、どうも少し違ったようだ。

    全てが順調に進み時代の寵児として唯美主義とその快楽を貫いてきたオスカー・ワイルドが、全てを失い、否応のない拘束と規律の世界に閉じ込められ、深い苦悩に浸った末に彼が到達した最後の境地とは、謙虚に全てを受け入れ、悲哀の奥深さを感じることであった。もはや宗教や道徳や理性は彼の助けにはならないとなった時に、彼が見出した精神の方向性。それは、人間が感得し得る最高の情緒は悲哀だと達観した上で、外面が内面を表現し、形式が内容を啓示するような分かつことのできない存在の様式を顕わすこと。悲哀がすなわち究極の美となるとすれば、ワイルドは、悲哀と美とがその意味と表現において一体させた者として、そこに個人主義者キリストをみる。キリストと自らを重ね合わせ、芸術の中の最高の芸術を目ざす高らかな宣言をなしたワイルドであったが、それは、あたかもワイルド自身がキリスト殉教に擬えた精神の高揚でもあったのだろう。
    「人生における浪漫主義運動の先駆者としてのキリスト」と「行為との関連において考察される芸術的生活」の2つの主題について書きあらわしたいと意欲を示していたワイルドであったが、出獄後、『レディング獄舎の唄』を著したりしたが、世紀末の年、わびしくこの世を去ったという。
    まさにオスカー・ワイルドが、漂う暗闇の底より悶え苦しみながら発する魂の叫びがきこえてくるようだ。

  • 日本橋

  • 訳:田部重治、原書名:De Profundis(Wilde,Oscar)

  • 再読。手持ちの文庫は同じ角川だけどリバイバルコレクションの金ピカ表紙のやつ(旧仮名)。

    もともとはアルフレッド・ダグラス宛てに書かれた書簡なのだけれど、ロバート・ロスの手に託され、出版の際にはダグラスに関する記述は一切削除されたということで、この版で読む限りダグラスの影は全く感じられない内容。

    宗教や、義理人情エピソードが中心で、ゆえに、あまり良い言い方ではないけれど、ワイルドが投獄によって「反省」し「改心」したかのように読める。

    しかし妻子もあるのに、同性愛の疑いだけで投獄って、ひどい時代だったんだな・・・

  • 引っ張り出して再読。
    オスカー・ワイルドが収監されている間に書いた手記。
    内容としては耽美主義者だったワイルドらしく、芸術論が大半を占めている。シェイクスピアについて書かれたくだりは何度読んでも面白い。シェイクスピア、詩集しか持ってないけどw

  • イギリスにおけるルネッサンスを目指したオスカーワイルドが、昨今、地域によっては同性婚が認められだした現代からは隔世の感ある同性愛の罪により投獄された先から寄せた手記をまとめたもの。美は境界域にこそ存在する。転んでもただでは起きない追求心が刺さる。

  • オスカー・ワイルドっちゃ、同性愛者作家だよね?


    くらいの知識で読んでしまったのですが、
    解説を読んで、
    先に解説を読んでおけばよかった・・・と。


    オスカー・ワイルド、快楽主義者で、耽美な作風の詩人・作家だったとか。


    この獄中記は、同性愛の罪により投獄されたおりの手記です。
    実際には、同性愛の相手であったダグラスに向けて書かれたものだそうですが、
    本人の意向により、その部分は削除されて出版されたとのこと。
    その部分こそ、読んでみたかったような。


    哲学、思想、とくにキリスト教への見解が興味深いですね。
    逆に、本人自体の思想に対する掘り下げは、
    ちょっと物足りない感も。


    投獄されることにより、今までの生活・思想に対する考え方に変化があったのか、
    そもそも、投獄自体、「受け入れている」のか、それでも自分は「正しい」と、「反発」しているのか。
    その辺りも詳細には読み取れず、ただ、この投獄が自分の生活を変えてしまった、と。


    wikiと、本書の解説によると、出所したのち、失意のうちに、わびしいホテルでひっそりと死んでいった・・・と。


    オスカー・ワイルドの人生は、まるでキリギリスのようだと思いました。
    享楽にふけり、晩年、困窮のうちにわびしく終わっていく・・・。


    しかし、その人生は不幸でしょうか。
    「アリとキリギリス」では、ありが「いいもん」のように描かれています。
    けれど、一生「アリ」でいることは幸せか?
    そう、時々思います。
    一瞬でも、人生の「享楽」、「華」、
    それがあった方が、幸せなのではないか?
    ・・・まあ、それはきっと、個々それぞれでしょう。


    私は、オスカーの「快楽主義」というものを、もっと知ってみたいと思いました。


    最後に、とくに印象に残ったフレーズ。


    「キリストがちょっとした戒めの仕方でわれわれに言っていることは、すべていかなる瞬間も美しくあらねばならない、魂は常に新郎がいつ来てもよいだけの整いをしておかなくてはいけない、ペリシテ人的俗物根性とは想像によって照らされることのない人間性の一面にしかすぎないということである」

    「私の生涯で、不面目にして許しがたい、そしていつの世になっても侮蔑されてもよいただ一つの行為は、援助と保護を得んがため、社会に訴えることを自分に許したことだった」


    オスカーの魂の高潔さがうかがえるような気がします。

  • 名抜粋故の名著。私の聖典。

  • 外界の人々は絶えず動く生活の幻影のによって欺かれる。彼らは人生とともに回転して、その非実在性を、一層、拡大する。
    私はただ表現するだけでも、芸術家にとって生活の最高のかつ唯一の様式である……
    私を破滅に導いたのはこの私であり、どんな偉い人間でもまたつまらない人でも、自らの手によってのほかは決して破滅を来すものではない……

    彼は常に新たな自己の発想を確信し、揺るぎない真実として驕傲に充ちた―其れは最高の芸術家としての才能であり、あるべき姿勢であると想われる―思想を以て、作品を完成させる。
    芸術家として生きる彼は、表現を最上級且つ究極の生きる術とし、其れに適わないものを疎んで来た。
    彼の行き着いた場所は彼の目指して居た最高の位地では無い。終着点も、理想の極みも彼には存在し得ない。
    常に彼は新しい発想を現とし、其れに終る事は無い。過去を肯定しながらも、確信を求め続ける。

    キリストを讃えるこの著作も、彼の置かれた「現在」を象徴する表現たるもので、其所に謙遜の意は込められて居ても、彼の持つ「彼の表現に於ける欺瞞」は決して殺がれる事無く存在し続けている。
    それこそが、ワイルドの作品の素晴らしさであり、美の極みであるのだろう。

  • 100625(n 100723)

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著者プロフィール

1854年アイルランド・ダブリンに生まれる。19世記末の耽美主義文学の代表的存在。詩人・小説家・劇作家として多彩な文筆活動で名声を得る。講演の名手としても知られ、社交界の花形であった。小説に『ドリアン=グレーの肖像』戯曲に『サロメ』『ウィンダミア卿夫人の扇』回想記に『獄中記』などがある。1900年没。

「2022年 『オスカー・ワイルド ショートセレクション 幸せな王子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

オスカー・ワイルドの作品

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