- 角川書店 (2003年4月25日発売)
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感想 : 27件
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784042131038
作品紹介・あらすじ
1923年のロンドン。クラリッサはかつての青春をふと振り返り、自問し始める――波乱の恋を捨てて堅実な結婚を選んだこの人生は正しかったのか。老いの不安と孤独を乗り越え、真の人生美を捉える傑作。
感想・レビュー・書評
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『ダロウェイ夫人は、お花は自分で買いに行こう、と言った。』(冒頭)
「人間のたゆたうような意識の流れを、こころに雨のようにそそぎここむ独特の文体」(カバーの文)で書かれた美しいダロウェイ夫人(50歳を過ぎた)がパーティを開いた日の一日の出来事。
なのだけれども、彼女の意識から意識がはみ出して、登場人物があたかも一人の人間の流れる意識のように現れ、様々な過去、今、行動していることどもを追っていく。私は映画が先だったので、構図を理解できたがちょっと筋がこんぐらかるかもしれない。
青春の日々、ヒロイン、クラリッサは魂の交流のような恋の相手のピーター・ウォルシュを振って、無難なリチャード・ダロウェイを選んだ。同じように心の友サリー・シートンを同性愛のように好きだったけど、ピーターを選ばなかったことで、仲たがいになってしまっていた。
気持ちの良い風の流れる六月のロンドンのダロウェイ邸で催されるパーティ、みんなが一同に会することになる。
ほら、筋は少しも複雑ではない。人生は様々なるやりかたで現れ、その人のおよばない力が加わってなだれ落ちる。こう書くとむなしいようだが、厭世的でもない。何事もないというわけでないが、あまりにも通俗的なほどの普通の日。
さて、あらすじは難しくないのだけれど、ヴァージニア・ウルフの新手法が読みどころ。
自分の頭の中だけで恣意した意識が、流れ出て他人の意識と触れ合って繋がっていくなどということは、神様でなければわからないのに、この小説ではウルフの虚構なのだ。
何とも不審な感覚なのだが、自分も経験しているのだろうか、わかるので不思議だ。知る由もないのだがテレパシーのような電流が飛び交っていて、キャッチしてその意識の流れを他者が続けていってるということもあるのだろうか。
解説にもあるようにそんな「意識の流れ」という新手法は気にしないで、美しい文章の流れで書かれているクラリッサの青春の日々を一緒に思い出し、自分の心は若い時とちっとも変わらないのだと思えば、喜びが湧いてくる読書だ。
クラリッサの娘、エリザベス(17歳)の青春が時代背景を加味してよく描かれていると思う。母クラリッサの青春の思い出を際立たせている。
だが、作家ヴァージニア・ウルフが序で述べている、考えていたもう一つの草稿の筋、結末と、作家自身の結末がこの作品に陰影を与える。(何かはあえて伏せるが)
私はこの本を読むのに時間が掛かってしまった。慣れない「新手法」が読みにくかったとも言える。興味があって図書館で同じ作者の「波」を借りパラパラと見たが、こんどはさざなみのようなモノローグの連続、読みづらいこと「ダロウェイ夫人」の比ではない。ほんとに噛み応えがあること!でも惹かれるのだなー。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ヴァージニア・ウルフの名前は知っていましたが、著書を読んだのは今回初めてです。
著名な作家の代表作であり、最も読みやすいとされている作品だということで期待して読みましたが、私には少し散漫に感じました。
大筋としては、51歳のダロウェイ夫人のロンドンでのとある1日を綴ったものです。主要な三人の登場人物の行動や感情が散発的に描かれ、私には読みにくかったのですが、文学作品的には「意識の流れ」と言われる新手法を効果的に使った最高傑作らしいです。
15歳で精神を病み、30歳で結婚、43歳で本書を発表、59歳で入水自殺を遂げたウルフの繊細な意識の揺れを、多分に感じる一冊でした。 -
「意識の流れ」技法を使った代表的作品。面白いけど、登場人物の内なる声を拾うのに結構疲れるので、集中力が必要な本。実際誰に発した声だかわからなくなるので、神様は本当に大変だと思った(笑)
ロンドンのある一日を綴った物語なんだけど、各々の人物がここではない何処かに思いを馳せたり、過去を振り返ったりするので今ここに存在する人は今だけで存在するわけでもなく、ここだけに存在しているわけでもないと当たり前のようだけど、改めて考えさせられた一冊。 -
久々に読みましたが、こんな感じでしたかね、すっかり忘れてました。
まるで人の間を吹き抜ける風が語るような感じで、次々と各人のモノローグ的描写が続いて油断すると自分がどこにいるのか分からなくなるという。おそらくこのせいで前回読んだ際はあんまり嵌らなかったんだろうかと。
あとPTSDの描写が痛々しい、シンプルな描写ゆえに余計にそう思う。平和を祈念することは間違った行為ではないと改めて思う次第。 -
この本、2003年発売当時に買って、始めの10ページくらいで投げ出して、2022年にもう一度取り出して読み始めて20ページくらいで投げ出して、2025年なんとかがんばろうということでやっとの思いで通読した。読みにくいのは訳のせいではなくこの書き方。意識の流れナントカというらしいけれど行間読まないと今誰がしゃべってんのか何が起こっているのかわからないという。これ1冊で1日のできごとしか書かれていないのだというのがわかった。6月17日はユリシーズの日なのだが、ダロウェイ夫人のこれはやはり6月らしいが何日かはわからない。で結局戦争で人生も精神も不調をきたした男は自殺して、これでよかったのかとこうじゃない人生もあったんじゃないかと思うダロウェイ夫人はパーティでどこかおかしくなってしまう、かわいそうな人たちの話だった、ようだ。1955年の翻訳版らしい。新訳はもっと読みやすいのかな。
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難しかった!『別冊100分de名著 パンデミックを超えて』の小川公代さんの解説を読んで、どうにか読み終えることができた。
一日のなかで、ひとは、こんなにも意識がうつろっていくのだろうか?私は今、そんな生活を送っているだろうか?毎日あっという間に過ぎ、体は慌ただしくしているが、意識の方はどうだろうか?他の人は、こんなにいろんなことを思いながら生きているのだろうか?
また、小川さんの解説にあった「横臥者」の視点。確かに、私の大きなターニングポイントになったのも、病人のときだったことに思い当たる。その後の人生で、(ダロウェイ夫人ほどではないが)ずっと心の奥底で病を意識していることに気づかされた。 -
意識の流れを組み込んだ文体というのは当時としては新鮮で画期的なものだったのかもしれないが、正直かなり読みづらかった。加えて何でもない登場人物が多く彼らの描写もそれぞれあり、かなりストーリーが入ってこなく内容が全然掴めなかった。
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滞ってたのを図書館への返却日に一気に読み終えた。「意識の流れ」ってこういうことかとぼんやり思うなど。一気の読み飛ばしたことで結果としてなんか感じられた気がする
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意識の流れがうっとうしい。生起する心象や記憶をそのまま書くという手法によって一体なんの話なのかわからなくなる。ダルドリー監督「めぐりあう時間たち」で鍵になる作品として登場していたので本書を手に取ったが、私には高尚すぎるというのが本音。
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2017/10/04-10/20
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六月のロンドン。心地よい空気が満ち溢れたセント・ジェームズ公園を、ダロウェイ夫人が歩いている。五十の坂をこして、自分がとても若いような気もするし、お話にならないほど老けたような気もする―。
人間のたうたうような意識の流れを、心に雨のようにそそぎこむ独特の文体と、新鮮な構図でまとめあげ、さまざまな人生を謳いあげる。
新手法をはじめて自由に使いこなし、見事な成功をおさめた、記念すべきウルフの最高傑作。<裏表紙より>
難解。再読の必要あり。 -
有閑階級の女性がだらだらと過去を振り返るお話。精神の流れを詳細に追って、文学に新境地を開いたウルフの野心作と称されているのだが、エピソードの区切りがわかりづくらくて、読みきれなかった。
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初めてのバージニア・ウルフ。一言で難解だった。要約してしまえば数行でいえてしまいそうな出来事を、精神の流れを主体として、登場人物に語らせ紡がれる手法で描かれた。ウルフ独特の表現であり、いわゆるナレーションがなく、登場人物の目線、もっと言えば独白のような表現で話が進行していくので、読み手の想像力と集中力が非常に必要になる。私は結構行ったり来たりしてしまって、はっきり言って筋をつかんでいないのが現在。それなので評価できる立場にないが、一応形だけでも読み終わったということで記しておく。「燈台へ」の方もいずれ読んでみたい。その時もう一度読み返そう。
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最後の一ページのために全てがあったのか。言いようのない衝撃。セリフの中にもあるが、俗なものをどう受け入れるかこの小説の鍵になる。これまで読んだどんな文学とも異なる作品。こんなにも開放して、人は正気でいられるのだろうか。
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読んでたらわけがわからなくてつまらなかった。
でも、考えさせられたり、感じさせられることもありました。 -
最初は読みにくくて、途中から転がるように面白くなっていく。というより一気に読まないと多分会話の流れや人物なんかがわかりにくい。
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ロンドン市内、ある一日。
議員の妻であるダロウェイ夫人は、家でパーティを開こうとしていた。
同じ日、第一次世界大戦から帰還した青年セプティマスは幻聴・幻覚に苛まれていた。
小説の「語り手」がくるくると舞うように移り変わり、1つの出来事が多層的な観点から語られる。
最初はこの独特なナレティブに慣れることが出来ず、とにかく手こずったけれど、頭の中で映像化しながら読むと、まるで映画を見ているような気分でスラスラ読めることが分かり、そうやって読めるようになったら突如として面白くなった。
どんな人生を歩めば幸せになれるかなど、誰にも分からない。お金を持っていれば、名誉があれば、愛があれば…。結局のところ、人は自分で選んだ人生の成否を自分で判断するしかないのだ。この小説の終盤で多くの登場人物が至った心境から察するに、ヴァージニア・ウルフはそういう結論を持ってこの小説を書いたのだろう。
だからこそ、人の正常・狂気を明確に線引きしようとする人物だけが、この小説の中であからさまな嫌われ者となっている。
それにしても、クラリッサやピーターのようなかなり俗っぽい人物をもしっかり描きだす一方、セプティマスのような完全に彼岸に行ってしまった人物をも描きだすウルフは、彼女自身はどのような精神状態にあったのか、非常に気になる。モダン・ライブラリー版への彼女自身のコメントを読む限り、晩年までかなり理知的な人ではあったようだが。
最後になるが、私が読んだバージョンは昭和30年頃の翻訳。正直、あまりにひどくて英文の原文を読んだ方がまだ分かりやすいのではないかと思うことすらあった。 -
恥ずかしながらウルフは初読。「意識の流れ」の手法を本格的に用いた作品。「意識の流れ」自体はさほど気にする必要はないが、意識の主体が前触れ無くコロコロ変わるので時々面食らう。フォークナーやジョイス程には怖く無かったよ。
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人間の孤独。
人々は分かち合う術も知らないで、各々の人生に沈み込んでいる。
どんな時代も完璧ではないけれど、生きるなら現代がいい。
著者プロフィール
ヴァージニア・ウルフの作品
