にんじん (角川文庫)

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  • 角川書店 (1962年7月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784042214014

作品紹介・あらすじ

その赤毛から、母親から「にんじん」と呼ばれる少年。母、兄弟からの過酷な扱いに耐えながら、愛を求め、自分を深く見つめていく少年の物語。永遠のロングセラー。

みんなの感想まとめ

愛情を求める少年の物語は、過酷な家庭環境と向き合う「にんじん」の複雑な心情を描いています。彼は母親や兄弟からの冷たい扱いに耐えながらも、時折見せる素直な一面が心に響きます。物語は一見シンプルに思える日...

感想・レビュー・書評

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  • 原題 Poli de Carotte by Jules Renard
    #英語 タイトルは見つからず。

    愛情を求める少年…でも残酷
    読み終えて複雑な気持ちに
    かわいそうな話、と単純化するのもピンとこないし
    不可解な余韻をくれた本

  • どんな話かは一言で言い表せない。一話一話が2~3ページで収まる短編集のような構成となっている。一見すると、にんじん一人だけが、他の二人の兄姉に比べて母親に冷遇されてひどいことをされるという悲しい話とも捉えがち。しかしにんじんがそのことに関して特別悲嘆にくれ続けているわけではない。日常のことに関して男子のよくある見栄心とかそういった感情が多く書かれている。それに、ではにんじんが聖人君子のような人間なのかと言われれば、ザリガニ捕りのために猫を殺したり、寧ろその対局にあるような行動が多い。そのため、一重に悲劇とは言い切れない。
    この話は恐らくにんじん目線での様々なエピソードを書いているもの。なのでこの話を読んでいくとにんじんの母親に対する心情なんかも段々わかってくる。わかってくるが、物語は特に終始進展も後退もない。一応、最後の話でにんじんは希望を父親に打ち明けるが、これまでどちらかといえば味方だった父親に打ち砕かれて終わる。ここの話で一気に父親に対する読み手の好感度が下がるなぁ。
    このにんじんと母親の関係はどうして生まれたのか、作中では語られない。そこもモヤモヤするし、晴れ晴れとした最後でもないし、読みやすい長さと文章にも関わらず意外とすっきりしない話だという印象を受けた。まぁ何に対しても1つのジャンルにして一言で言い表そうとするほうが無理があるのだろう。

  • 赤い髪の毛をした、少年が、母、兄、姉、父と過ごす日々を、
    綴った連作ショートショートといった感じだろうか。
    どうにもこれは著者の、自伝的な小説のようだ。

    ちなみに、
    この物語には、
    「子供を愛せぬ母と、母を愛せぬ子供との宿命的な対立(悲劇)」
    という解釈がまずあったらしく、
    それを訳者は、
    「むしろ、愛し合っているくせに、愛し合う手段を持ちえぬ、
    故の日常(喜劇)」と捉えているようだ。

    個人的には、前者というよりは後者に近しいとは思うものの、
    訳者のあとがきを読んだ限りでは深読み感は否めない。

    この物語の面白さは恐らくは読み手によって、内容が、
    まるで変わってくるというところだろうと思う。
    なぜならば、この著作の特徴を列挙するならば、
    ・残酷な描写がしばしば見られる。
    ・登場人物たちがそれぞれ残酷な面を持ちえている。
    ・コミカルに描かれているものの、総合的に観るとリアリティが高い。
    ・細やかな日常が綴られている。
    ・キャラクター性が強くて、それぞれの登場人物が活き活きと脳内で再生できるようになる。
    ・残酷な描写の裏には、所々不器用な愛情が見え隠れしている。
    ・物語から透けて見える著者の自伝的性質。

    となるだろうか。こうした特徴を持つ以上、正直、この物語は読み手によって、悲劇にも喜劇にも、自伝にも、何にでも変わりえるだろう。では、なぜこうした性質を持ちえてしまったのだろうかと言うと、それはつまりある種で屈折し、そしてある種で世界を残酷なまでにはっきりと見渡す慧眼を著者が持ちえていたからだろうと感じる。

    恐らくは家族それぞれが不器用で、うまく愛情を伝えることができずに、それでいて各々が高慢であったのだろう。つまり、周りから見ればにんじんは虐待されているようにしか映じないかもしれないが、しかし、にんじんは彼らを愛してもいるし彼等に愛されているということも理解しているので、憎みきることはできずに、どこかしらコミカルな要素が入りこんでしまう。しかし、にんじんの内には沸々としたうねりのようなものが残ってしまう。ストレスと言ってもいいだろう。それが歪みなにかしらの形で発散され、それが、にんじんのときおり放つ残虐性へと昇華(というとあれだが)されていく。また、彼は愛されているということを理解しながらもやはり自信がない。その自信のなさが、「やたらと醜い、醜い」と己の外見をこきおろす描写へと表出しているのではないか。

    この物語を読むときに、残虐性が目に付き、ついでコミカルな描写や人物性が目に付き、最後にそれでもどこかしらに漂う互いを思いやる愛情が目に付くのではないだろうか?個人的にはこの残虐性は胸糞が悪くなるところがあり、また、コミカルな部分もなんというか、虐められっ子が「遊んでいるだけだよ」と言い、虐めっ子が「じゃれあっているだけだ」と言うような、そういう胸をすくような奇妙な思いやりがあり、さらにはそれでも「本当は愛し合っているのだ」という都合のよさが目についてどうにも、胃がむかむかするような性質を持ち合わせているようにも感じられるのだが、これこそがおそらくはリアルなのだろうと感じる。たいていのひとが頭に描いている親子の関係というものはどうにも、理想化されたものであろうように思われるし、実際にひとってやつは過去の経験を美化する傾向にもあるので。

    例:親離れした子供が親を思い返すとき。学校を卒業した後に部活の顧問や部長を思い返すとき。退職した後で上司を思い返すときなど……、たいてい時間が経つと美化されるものであろう。

  • 雰囲気的に、ほのぼのとしたものを期待して手に取ったこの本。
    予想は見事に裏切られ、なんとも形容し難い、複雑…というか、あまり快い気分にはなれない本だった。
    平易な言葉で書かれていながら、理解しがたい、という複雑。
    何が理解し難いかって、その主人公の少年「にんじん」だ。
    平気で動物を惨殺したり、嘘をついたり。

    母親からは兄弟に比べても可愛がられない「にんじん」
    同情したくなるが、なんとなく出来なかった。
    それは、「にんじん」がただかわいそうな少年として描かれていないからかもしれない。

    でも、父親との抱擁をもとめる話や、可愛がってくれる名付け親のおじいさんとの
    話などは、素直な「にんじん」が描かれていて心地よい。

    この日常を切り取ったような短編のエピソードが並ぶ小説が、一見一般的で理解しやすいように見えて、実はかなり複雑、何を伝えたいのかわからない、といった印象を与えるのは、もしかして正当なことなのかもしれないと思った。
    それは、少年時代そのままの印象だ。

    不安、期待、怒り、悲しみ、複雑な感情が入り混じって、今なんかよりよっぽど
    心がいろんなことに敏感に反応してたな、なんて思い出した。

  • 毒親小説と言われているそうで、読んでみたいと思った。児童文学の単行本を子どもの頃持っていたけど一度も読み終えることができなかった作品。これはストーリーとしてはエンタメ的な「おもしろさ」はないけど、人としてとして考えさせられる作品だと思った。

    最終的には救いがあるけれど、この体験はトラウマとなって実体験をつづったこの作者の生涯にわたって影響したであろうと思う。

    解説はよみごたえあり。

  • 「にんじん」ジュール・ルナール著・窪田般彌訳、角川文庫、1962.07.15
    266p ¥300 C0197 (2021.07.03読了)(2021.06.28借入)(1988.08.20/55刷)
    長年の宿題の「博物誌」を読んだついでに「にんじん」も読んでしまいました。
    予想とは違った内容の本ですね。いたずらっ子があれこれ悪さを企んで親に叱られるという感じの物語とは、ちょっと違いますね。
    にんじんと呼ばれる末っ子の少年が母親からあれこれ意地悪されているという感じでしょうか? にんじんは意地悪されなれて平静を装っている、という感じでしょうか?
    全体を通しての話の筋みたいなものはなくて、エピソード集という感じです。
    ・登場人物
    ルピック氏
    ルピック夫人
    フェリックス 長男
    エルネスチーヌ 長女
    にんじん 次男・主人公

    (表紙カバーの袖より)
    「にんじん」―ルピック夫人は末の男の子をそう呼ぶ。髪の毛は赤く、顔はそばかすだらけだから。
    にんじんは部屋の片隅にうずくまりながら、家族のために役立つ機会を待ちぶせしている。が、母親の口汚いののしりと邪険な態度が、そんな彼の気持ちを打ち砕く。―
    愛に飢え、愛を求めながら、母親のあまりの反応のなさに悩み傷つく少年の姿を生き生きと描き、読者の感涙を誘う不朽の名作!

    【目次】
    めんどり
    しゃこ

    いやな夢
    失礼ながら
    尿瓶
    うさぎ
    鶴嘴
    猟銃
    もぐら
    うまごやし
    湯飲み
    パンきれ
    ラッパ
    髪たば
    水浴
    オノリーヌ

    故意の沈黙
    アガト
    プログラム
    盲人
    元旦
    往き帰り
    ペン
    赤い頬
    しらみ
    ブルータスのように
    にんじんからルピック氏への書簡選
    小屋
    ねこ
    ひつじ
    名づけ親

    すもも
    マチルド
    金庫
    おたまじゃくし
    思わぬ事件
    狩りにて

    最初の山しぎ
    釣りばり
    銀貨
    自分の考え
    木の葉の嵐
    反抗
    終わりのことば
    にんじんのアルバム
    「にんじん」の秘密  宗左近

    ☆関連書籍(既読)
    「博物誌」ルナール著・岸田国士訳、新潮文庫、1954.04.15
    (2021年7月3日・記)
    (アマゾンより)
    「にんじん」は母親から憎まれいじめられる子供の孤独と反抗であるという固定観念がある。しかし、母親はにんじんを憎んでいない。母親からの反応がないことに悩み傷つく少年の姿とみるのが妥当であろう。
    (「BOOK」データベースより)
    にんじんー。髪の毛が赤くてそばかすだらけのルピック家の三番目の男の子はみんなからそう呼ばれている。あだなをつけたのはお母さんだ。お母さんは、にんじんに夜の暗闇のなかをにわとり小屋の扉を閉めに行かせたり、おもらししたおしっこを朝食のスープに混ぜて飲ませたりする…。だが、にんじんは母親のいじわるにも負けずに成長してゆく。生命力あふれる自伝的小説の傑作。

  • 赤毛のアンの男の子バージョンに近い。
    子どもに読ませたい一冊。

  • これは大人が読む本だと今さら気づいた。子供の頃読んだ気がするがたぶん子供向け版だったと思う。赤裸々な自伝である。子供時代の思い出は無邪気なだけではないはずである。両親のいやな面を見たり、残酷なことを楽しんだり(動物だけでなく人に対しても)、異性に性的な感情を抱いたり。みんなが平気で忘れて向き合わない恥ずかしい子供時代。これこそがこの作品の素晴らしさだ。読んだきっかけは大竹しのぶのミュージカル「にんじん」を見たからだが、原作には悪役の母親も正義の味方の女中も純粋な主人公も出てこない。とても人間らしく、時に懐かしく時に失望させられるそんな家族、仲間、知り合いたち、にんじん本人だ。

  • フランソワ・ルピックは、赤い髪とそばかすのある顔のために、家族から「にんじん」という仇名で呼ばれ、不当な扱いを受けている。
    押し付けられる雑用、理不尽とも思える母親の怒り、自分に対して冷淡な父親をどうにかやり過ごし、時には皮肉とも言える視点で冷静に観察しながらにんじん少年は成長していく。

  • 題名が有名ランキングではかなり上位に来るであろう、しかし実際には読まないよなランキングでも上位に来そう、なんだけども、とりあえずにんじんが何を意味しているかは割とすぐに分かった。母親と息子の関係ってのは今も昔も重要なテーマなんだろうけど、こゆのを心理学的に読み解こうとする現代医学というかカウンセリングの類とか、無い時代には、本を読んで何かを知ろうとしたんだろうか。でもってこれが名作と持て囃されるのは、そこに何がしかの共感を得る人が多いという事なのか。
    しかしガキンチョの頃から銃をぶっ放すような時代を見るに、銃を規制するのと銃犯罪がなくなるのは全く関係ないっていう話か。動物を簡単にぶっ殺せなくなったのが問題という事で、銃犯罪の増加の原因はきっと動物保護団体にあるに違いない。

  • 日本ブック・クラブ出版のこども名作全集44を読了。同じ本がブクログ上(アマゾン上?)に無いので検索で一番上に出てきたこちらを登録。皆川博子の「空の果て」に出ていて手に取った。
    優しさは他人に与えても自らに返ってくることは稀だ。そうだとわかっても他人に与えることを止めない人間って、そうそういない。でも、世界はそういう人になかなか気付かない。

  • 愛に溢れた家族、愛に乏しい家族という矛盾した二つの家族の形が混在したルピック家。
    その中で、生きる「にんじん」。
    愛されたい、という悲痛な叫びが聞こえた。

    宗左近氏の解説を読み、なるほどと思った。

  • にんじんについて思うことは様々だ。
    ルナールの著書って非常に独特なのだ。
    フランスの作家は概して文章に独特な冷めたところが垣間見える。
    運が悪いと鼻にかけたような部分すら垣間見えることもあるのだが、ルナールのそれはなんというか独特、冷め切っている、いやむしろ異様に残虐な部分が垣間見える。
    前に『博物誌』を読んで私が感じたのは、文学的でも詩的でもない不思議な世界観だった。でもだからといって女性受けしそうなほんわかとした空気を持っている訳でもない。諧謔にとんでいるといえるのかもしれない。
    トゥーサンやギベールのそれだと、非常に近しいものを感じるが、ルナールはなんだか遠い。時代性のものか、と私は常にかたづけてしまっている。


    本著『にんじん』はルナールの自伝的な作品で、幼い頃の日常を描いている。
    こう聞くとなんだか、心温まるものを想像できるがそういったエピソードとしては非常に少ない。
    意地悪の度を超している母親、ひねくれの枠を大幅に超えた残虐性を秘めた少年。
    どちらかといえば、へこんだり気持ち悪くなったりする部分が多い。
    なんとも、


    それで巻末添付の文章を読んで思ったのは、この作品における解釈の違いだ。
    視点の位置の違いによって、これを少年の自我の芽生えと自立の物語と取るか、単なる虐待の吐露と取るか。
    正直それは読み手によって大きくかわるようだった。
    絶対にこっちだ、なんていう断定を私は感じないが、どちらにしろ残虐性に関する素直さというかセンシティブな表現は直質的ではないものとしては秀逸だと思う。


    結局やはりルナールってわからない作家だな、というのが私の感想。

  • 無邪気で強かなにんじんが大好きです。そんな彼なので、ときどき感情を露わにしてるときゅんとします。
    おしっこもらしちゃう話と、寮の話が好きです←

  • いじめられっ子の立場において
    家庭内に居場所を見いだしている男の子がいる
    彼は本当の名前を剥奪され
    「にんじん」というあだ名でしか呼んでもらえない

    家庭内にある歪みの中心に「にんじん」は立っていて
    そこに決定的な亀裂が入らないよう押さえている
    そんな「にんじん」を家族たちはむしろ
    愚図で意気地なしのどうしようもない奴だと考えている
    …そういう形で家族たちは「にんじん」を愛しており
    また「にんじん」も家族を愛してはいるのだが
    ときどきいたたまれなくなる彼は
    自分より弱い誰かを見つけてきて
    自分がされる以上の残酷な目にあわせたりもする

    さて、この家族たち…直接「にんじん」をいじめるのは主に母親だが…
    彼らの家庭生活における幸せはどこにあるのだろう?
    あまり世間体を気にしている風でもないのだけど

  • 小学生のとき、従姉からお下がり的にもたらされた本の一つで、
    ちょっとしたトラウマになったヤツ。
    子供だった自分は一読して、この鬼のような母は父の後妻なのか、
    それとも「にんじん」が夫妻の実子でないために
    不当な扱いを受けているのか?
    と、首を傾げたが、読み直してみると、そういう説明はなく、
    普通の家族であるはずなのに、
    歪な関係・距離感に陥っていることを確認してしまって、
    更に落ち込んだ。

  • これで一冊書けてしまうルナールがすごい。ただ滑稽に見せたいのでも悲劇的に訴えたいのとも違う。嘘でも本当でもない見せ方で経験と和解することができるのが彼だったのだとしたら、なんて偉大な書き手だったのだろう。個人的に背表紙の作品紹介は、?と思う。

  • ジュール・ルナールの代表作「にんじん」。10年ぶりに再読。
    家族全員から「にんじん」と呼ばれる時点で、すでに悲劇だが、特に母親から愛されないことへの反抗心と極端な自我を発揮する「にんじん」は強く、たくましい。
    父親との手紙のやりとりや兄弟との会話、挿絵の雰囲気などは、どこか滑稽で、愛情溢れる家族にも見えてくる。

  • 有名な古典なのですが読んだことがなかったので借りて読んでみました。なんてイヤな話だろうと思いました。

    自分も結構年齢を重ねているので(笑)作家が書かれたことが実際の出来事とは違うと言うことは理解できるだけの分別はついております。大体作家って自分のことはあまり悪く書きませんからねえ。
    (百閒先生然り、檀一雄然り、島村藤村然り、谷崎潤一郎…まあキリが無いですが)
    これ、子供時代に読んだらなんて酷いお母さんだろうと憤慨して終わっただろうなあ。今読むとにんじんも苦労したろうけれども両親も苦労したのだろうなあ…と思います。

    コミュニケーション不足、というかボタンのかけ違いというか話す言語がお互い違っているかのような違和感。愛されてないと信じる子供はいかほど残虐になれるのだろうか、と薄ら寒くなります。まあにんじんがひがみっぽい子供だったとしても親はもう少し彼を注目して見てあげる義務があったのではないかなあ、なんて思いました。

  • 家族関係がイマイチわからない。

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