シティ・オヴ・グラス (角川文庫 赤 オ 4-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784042664017

作品紹介・あらすじ

ニューヨーク、深夜。孤独な作家のもとにかかってきた一本の間違い電話がすべての発端だった。作家クィンは探偵と誤解され、仕事を依頼された。クィンは、ほんの好奇心から、探偵になりすますことにした。依頼人に尾行するようにいわれた男を、密かにつける。しかし、事件はなにも起こらないのだが…。アメリカ新世代作家として最も注目される著者の衝撃的デビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • いやーえらく面白かった。ミステリアスな物語、思弁的かつパズルめいた構成、心地よいリズミカルな文章、おかげで先が気になって気になって、目覚めた瞬間に本を開いてしまうほど抜群に面白かった。

    なのに、なんなんだ、読了後の、このなんとも言えない嫌〜な気持ちは……。

    なぜだか知らないが、猛烈に腹が立っているような気もする。そういえば直前に読んでいたのがウルドゥー語文芸作品だったから、「読み合わせ」が悪かったのかもしれない。

    ニューヨークと言えば世界の大・大都会だ。資本主義の本丸みたいな場所でもある。しかも本書の主人公はインテリの白人男性作家(特に人種の説明がなかったからたぶん白人)で、30代なかばにして妻子を亡くした悲しみのまま、偽名に身を隠しつつ、探偵小説などを書きながら、ニューヨークのアパートで暮らしている。要するに足腰ぴんしゃんした優雅な世捨て人だ。

    そんな彼に奇妙な電話がかかってきて、まるで自分が創作した登場人物のように私立探偵をやるはめになる、というお話なのだが、とにかく、何が起きても、誰が出てきても、全部クィン氏というか「ポール・オースター」氏の分身であり、独り相撲でしかないという印象がだんだん強まって、読みながらじわじわ真綿で首をしめられるような心地がした。

    まあそれで都会人の孤独を表してるのだろうかとも思った。でも、本当に苦しんでいるわけでもなく、常に微妙にオシャレと余裕を感じるのである。

    都市生活者とは、畑を耕したり、鶏を屠殺して羽を抜いたり、害虫と戦ったり、訳の分からない隣人と折り合いつけたり殺し合ったりといった、手触りのある現実から乖離した暮らしを送っている人間で、特にインテリになるとその度合いは増す。

    だから僕らインテリゲンチアには言語という現実を抽象化するツールしか残っておらず、それをもて遊ぶしかやる事がない。狂いそうだァー!僕は一体誰なんだッ。これは堕落だッッ。もう、破滅にむかうしかないッ。あゝ僕らはなんて可哀想なんだらう。

    こんなの高等遊民のぼやきとしか言いようがないではないか。

    なのにそれをあたかもカッコいい事であるかのように古典や聖書を交えて書き連ねているのが、また絶妙にシャクにさわる。高尚な顔つきで公衆便所の掃除をしてみせる金持ちの嫌ったらしさを感じる。

    それなのに、それなのに、黄ばんでゆく壁紙をみて黄ばんでゆくんだなとボンヤリしてる描写などいちいち妙に共感してしまうし、ピーター・スティルマンの演説には痺れるし、やたらとメモる姿も自分を見てるようだし、ルービックキューブみたいな、パズルのような構成の妙も心の底から楽しいと思ってしまう。

    挙げ句の果てには、このアメリカ人男性ポールオースター氏の作品は「知的」で面白いではないか、また読みたいと欲望してしまう自分もいて、なおさら腹がたった。面白かった。

    ちなみに「ポール・オースター」で検索をかけたら、息子さんが薬物過剰摂取で亡くなったという2022年のニュースがヒットした。ヘロインの誤飲で亡くなった娘(2歳)の事件で裁判を控えていた最中の死だという。

    『シティオブグラス』の主人公と同じ名前だった。これは父親と息子の物語でもあるから、もしかしたら偶然ではないのかも。ポールオースター氏はどんなつもりで息子にダニエルとつけたのだろう。こうなると後味の悪い結末のように感じてしまう。

  • 確か、中学時代に買った本。3回目の読破。今回は落ち着いて読めた。 狂ったように転落していく物語。読後は虚無感に襲われるが、また読んでしまう物語。忘れられない一冊です☺️ また、読むのだろうな

  • 2009年1月13日~14日。
     再読。
     あれ、こんな話だったっけ……前に読んだ時の記憶がまったくない……。
     ミステリーでも無ければハード・ボイルドでも探偵物でもない。
     自己の喪失物語、になるのかな。
     いくつかの謎が残っているけど、それは必然なんだと思う。
     解決しちゃいけないんだろうと。
     面白かった。

  • 1989年の単行本だから、34年ぶりの再読である。当然のことながら内容はまるで覚えておらず、ただ当時はオースターにハマってたしか『偶然の音楽』くらいまで読んだ記憶がある。
    これ、柴田さんの訳じゃないのね……。新潮文庫の『ガラスの街』は柴田さんの新訳なのか……そっちも読んでみたい。

    内容だが、これはやはり大好きな安部公房の『燃えつきた地図』を思い出させる、人を追ううちに「自分失くし」をしてしまう、存在の不確かな人の話だ。
    自称探偵が書いている「赤いノート」が出てくるが、こうしたノートを軸にしたのが安部公房の最初期の長編『他人の顔』や後期の傑作『箱男』『密会』だ。オースター、安部公房好きなんだと思うんだがどうなんだろう。カフカとかリルケとか。

    200ページ弱と読みやすいが、思わせぶりな文学論(ドン・キホーテのくだりなど)やニューヨークの地図説明をすっとばしてさらに省エネ。
    「ポール・オースター」氏が作中に出るなどはいいけど、最後にいきなり書き手(私)が顔を出すなどのメタ表現など、ちょっとそぐわず破綻した感じの構成になっているが、雰囲気はいいぞ。まあ処女作に近いというわけで、その辺は許されちゃう範囲だ。

    『偶然の音楽』『リヴァイアサン』等、後半の単行本は売っ払っちまったが「ニューヨーク3部作」はまだ持っているので読み直そう。

  • 個人が無くなっていく。不思議な小説。都市とか、世界とかに自意識が乗り移って、最終的にその自意識はノートに書かれていた筆跡、つまり人の意識ですらなかったと分かる。

  • 主人公であるクインは自分を自分以外のものになぞられる(なぞれえられていく)。小説の作者、、小説の主人公、Pオースター、ヘンリーダーク、ピーター、ピーターの父親…。いったい個人を規定するものはなんなのだろう。我々は自分が自分であるように思っているが、個人は置き換え可能、別に自分でなくてもOKということなのか。

    聾唖者への募金代わりにもらったペン→言葉は声ではなく文字として重要ということか?

    ピーター・スティルマンが自己の来歴を語る長いセリフは非常に効果的。細かい部分はおかしくないが全体が破綻している。「リング」に出てくる呪いのビデオのような怖さがある。

    4-5ページ:ニューヨークは非在の場所。自己存在の否定。
    13ページ:電話よりメール。なんだか自分みたい。バベルの塔のくだり。重要なんだ
    ろうけど意味がわからない。
    106ページ:バベルの塔が立ち上がってくるところは圧巻。
    Pオースターとのドンキホーテ論議はなにを意味しているのだろうか?
    (本を読みながら気になるところをピックアップしてたがここで力尽きてしまった)

    とにかく非常におもしろかった。『鍵のかかった部屋』を読んだときは「不条理小説」的な印象が強く心底楽しめたかというとちょっと疑問のような気もするが、これは読了後もう一度読み返してしまったぐらい楽しめた。

    「個人」と思われているものが「都市」の中でいかに崩壊して溶けていくかというところがとてもおもしろい。「都市」の中では誰もが置き換え可能な存在ということか。

  • これは”本の雑誌40年の40冊”から。しかし、しまった!”ガラスの街”も所有してるのに、こっちを読んでしまった… 同時に購入した訳じゃないとはいえ、同じタイトルだってことくらい、すぐ分かるよね… たとえ分からんにしても、新潮文庫版のオースター通し番号が"0"になってることには気付いたんだから、そこで分かれよっていう… 将来的に読み直すことがあるとすれば”柴田訳”の方だから、そっちを残しておこうとは思うけど、是非読み直したい!とまでは思わない内容だけに、今回の選択ミスが悔やまれます。ってか、件の”本の雑誌”特集で取り上げられていたのが、こっちの角川版だったんだもの… って内容に関して全く触れていないけど、ミステリかと思いきや意外に何も起こらない、不思議な触感の一品でした。

  • 2015/11/18 読了

  • 現在は新潮文庫から柴田元幸さんの新訳で『ガラスの街』として刊行されており、この角川文庫版は絶版である。探しても探しても見つからなくて柴田さんの新訳の文庫が出て購入してから発見。柴田訳も読んだけれど改めて、オースターが初めて日本に紹介されたときの訳で読んでみる。オースターのその後の作品につながるエッセンスが感じられる。『最後の物たちの国で』へとつながりそうな部分だとか。柴田訳以外でオースター作品を読んだのは初めてなのでなんだか新鮮な気分だ。改めて『ガラスの街』も再読してみようかな。

  • オースターのデビュー作は、日本ではミステリ扱いだったようです。
    探偵が謎を追う話だから?

    探偵はいません。
    いるのは依頼人と、探偵に間違われた作家と、探偵に間違われた作家に間違われた作家だけ。
    謎はあるけど、解決はありません。

    常軌を逸した父親から、常軌を逸した育てられ方をしたピーター・スティルマン。
    精神病院に収容された彼の父が釈放されるという。
    父に殺されるのではないかと怯えるピーター・スティルマン。

    父の動向を探ってくれと頼まれた、作家のクィン。
    いや、クィンが頼まれたわけではないのだが。

    深夜、クィンの家の電話がなる。
    「もしもし?ポール・オースターさんをお願いします。」
    連日かかってくる、私立探偵ポール・オースターあての電話。
    クィンはオースターになりすまし、毎日父親を尾行し、行動の意味を探る。

    あとでわかることだが、この作品の中でもポール・オースターは作家であり、私立探偵ではない。
    では、なぜこのような間違い電話がかかってきたのか?

    言語の研究を極めた父親の、行為の意味は?
    ピーター・スティルマンおよび彼の妻は、信頼できる依頼人なのか?

    普通にミステリを読むように読んでいくと混乱します。
    突然人称が変わったかと思うと、話は思わぬ方向へ。
    謎はあるけど、解決への道は辿りません。

    バベルの塔の頃に戻り、人類が一つになれる言語の研究を続けるスティルマンの父。
    本名のダニエル・クィン。ペンネームのウィリアム・ウィルソン。自分が作り出したマックス・ワークというキャラクター(私立探偵)。
    名前を付けることで使い分けられるそれぞれの人格。
    狂気と人格から見る『ドン・キホーテ』論。

    ミステリではないけれど、これはこれで読みどころがいくつもあり楽しめる。

    「日本の書評は、エッセイだ。何をも証明していない。」と、アメリカの大学教授が村上春樹に言ったそうだけど、やはりアメリカでは何かを証明するのが小説の評論というものなのだろう。
    作中人物のポール・オースターが、自身の『ドン・キホーテ』論について説明するセリフ。
    「わたしは何かを証明するつもりではないんですから。実際、遊び半分で書いてるんです。想像的読書論とでもいえばいいかな」

    なんかよくわからないけど、想像的読書論、いいねって思いました。
    私の場合は妄想的読書論かもしれないけど…。

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