- Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
- / ISBN・EAN: 9784042735014
作品紹介・あらすじ
ニューヨーク暮らしにうんざりしていたサイモン・モーリーは、九十年前に投函された青い手紙に秘められた謎を解くため〈過去〉――一八八二年のニューヨークへ旅立つ。鬼才の幻のファンタジー・ロマン。
感想・レビュー・書評
-
とある極秘プロジェクトの一員として《過去》へ行ってみないか? ある日、イラストレーターとしてNYの広告代理店で平凡な日常をおくっていた主人公サイは、見知らぬ突然の訪問者からそう誘われる。
《過去》へ行くといっても、なにも「タイムマシン」のような機械が登場するわけではない。それは、アインシュタインの相対性理論に基づいた仮説に則っており、自己暗示による催眠術を援用することで狙いを定めた時空へと移動できるとするものである。職業柄すぐれた観察眼と描写力を備え、もともとノスタルジックな事物に人並みならぬ関心をもっていたサイはずば抜けた適応性を示し、プロジェクトの期待をあつめいよいよ《過去》へと向かうのだった。
向かった先は「1882年のニューヨーク、マンハッタン」。ガールフレンドの出自にまつわる謎めいた「遺書」の秘密を探るため、サイみずから志願したのだ。歴史を書き換えてしまう恐れから、「けっして干渉してはならない、観察に徹せよ」というのがこのプロジェクトの「鉄則」である。それゆえサイの「志願」に難色を示す上層部であったが、最後、このプロジェクトの発案者であるダンジガー博士の鶴の一声によってめでたく承諾される。そのとき、ダンジガー博士からひとつ「依頼」をされる。NYのとある場所へ行き、そこで自身の両親の「出会いの現場」を目撃、その様子を一枚の絵にしてプレゼントして欲しいというものである。この「依頼」が、最後、この小説全体のオチにつながる。
順調にタイムスリップしたサイは、まだ摩天楼も存在せず、街をひとや馬車が行き交う19世紀末の牧歌的なニューヨークの光景にすっかり心奪われてしまう。延々と続く細かい情景描写は、たしかにときに読み進めるのを辛くもするけれど、「タイムマシン」という便利な道具が登場しないぶん、読み手を物語の世界へ導く上では必要不可欠だとも感じる。とりわけ、そり遊びの情景は楽しく美しいし、乗り合い馬車の中で女性のスカートの裾がふわりと触れた瞬間の描写など、その「生々しさ」に思わず息をのんだ。
ガールフレンドから託された古ぼけた遺書の謎を解き明かすなかで、サイはひとりの女性ジュリアと出会う。やがて、遺書の謎がジュリアとも無関係ではないということがわかり、ともに行動するなかでふたりは思わぬ「犯罪」に巻き込まれてしまう。このあたりは、ちょっとしたミステリー風味である。いっぽう、おなじころ《現代》では、サイらによるタイムスリップの成功を受け、これを政治的に「利用」しようとする思惑をもつ一派と断固としてそれは認められないとするダンジガー博士とのあいだで激しい対立が起きていた。《現代》に戻り、この騒動を知ったサイはプロジェクトから離れる決意を固めるも、最後にひとつ「やり残した仕事」があると言い残し、ふたたびある決意を胸に「1882年」へと向かうのであった。
この『ふりだしに戻る』は、ジャック・フィニイによるファンタジーであり、ラブロマンスであると同時にときにミステリ、ときにサスペンスであるが、それ以上に「科学発明とその利用」をめぐるヒューマニズの物語でもあるのだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイムトラベルものの古典。キングを読んでいてあとがきだか解説だかで触れられていたので手に取ってみた。いやあ、こういうのありなのか。牧歌的というかなんというか、環境を似せて念じるだけで過去のその時代にはいりこめる。心理的ではなく物理的にだ。こちらから向こう側へ同伴者を連れて行くのも、逆に昔からこちらへ連れてくるのも自由自在。もちろん科学的に間違いのない時間旅行などありえない(かどうかわからないが)のだから、無理を通すという点ではどんな作品も五十歩百歩であり、ならば書いたもの勝ちなのだろう。過去を改変することはできない、ならばいっそのこと。サイモンがとった最後の行動が気が利いている。まあもう戻らないのであればその結果がどうあれ、責任は負わなくて済むのだし。
-
タイム・トラベルの古典的名作。
しかし、やはり古典感は否めない。
1970年に書かれた作品だが、主人公は広告会社のイラストレータ。
CGなんて当然なくて、CM用のアニメーションの原画を手書きするのが仕事。
タイム・トラベルの方法が、秀逸。
なんと催眠術。というより、自己暗示(?)
それで過去に行けるんですか?行けるんです。
1970年のさらに90年前のアメリカは、びっくりするほど大昔。
汽車も自動車もあるけれど、基本は馬車。
当時の風俗や町並みなど、事前に充分勉強していったはずなのに、所々でちぐはぐな受け答えになってしまう。
主人公がイラストレータというだけあって、彼が書いた風景や人物たちのイラストが、臨場感を煽る。
で、何が古典感が否めないのかというと、タイム・トラベルという大事業に対する楽天的すぎる対応。
一応、タイム・トラベル後には、歴史が変わっていないか一々スタッフがチェックするのであるが、歴史が変わったかどうかって、検証できるものではないでしょう?
だって、変わってしまったらそれが正統となって、歴史として残っているだろうから。
変化の中にいる人たちにはそれが認識されないと思うの。
作中では「小枝理論」が、歴史は変わらない根拠となっているのだけど。
まっすぐ流れている水の中に小枝を1本入れたところで、小枝のほんの周辺は水の流れも変わるけれど、大勢に影響を与えるほどの変化はなし、というもの。
でも、小さな変化がさざ波のように全体に動きを与えてしまう可能性は考えないのかね、と思う。
またはパラレルワールド。
変化が起きた時点で、変化が正常となっている世界へスライドしていく。
無限スライドのパラレルワールド。
数々の楽天的ではいられない場合が、過去のSF小説の中で提示されている。
その辺がすこんと抜けている辺りが、古典なのかな、と。
それでもこれはまだ上巻。
下巻でどんなどんでん返しがあるのかないのか。
それはこれからのお楽しみ。 -
読んだのは古い本
従って、上・下にはわかれていない。だから、前半はけっこうペースが遅くなる。ニューヨークっていったこともないし、イメージがわからない。しかしながら、それはそれでとても楽しいものだ。風景がイメージできる筆力によるものだろうし、故福島正実さんの渾身の訳にもよるだろう。
遺言のミステリーとタイムトラベルと少しのラブストーリー。すべてのタイムトラベルものの骨格がここにある。そこにミステリーの味付けがあり、人を動かす愛がある。いい作品だなぁ。しかもこの時代に。感動ものだな。 -
ゲイルズバーグの春を愛す、を想起させる
好きだねー、古き良きアメリカ
描写のギアが変わるのが分かる -
タイムトラベルSFの名作。遠い昔に読んだが、再読。
タイムマシンなど技術の力を借りるのではなく、精神力でその時代の人間になりきることで肉体ごと時間旅行するという、突飛なアイデア。
政府の秘密プロジェクトの一員として選ばれたサイモンは、実験台として十九世紀のニューヨークに飛ぶことに成功する。あくまで実験として始めた旅行だったが、出来心でガールフレンドの養父にまつわる手紙の謎を解明しようとするうちに過去のニューヨークの街並みと人々にどんどん惹かれていく。
手紙にからむある陰謀を嗅ぎつけたところで上巻は終了。 -
十数年ぶりの再読。存外に読みにくくてビックリしています。
-
タイムマシンを用いず、
意識をコントロールすることで
時空間を移動するタイムトラベラーの話。 -
う~ん…私には合わなかったかな。前半はそこそこ面白かったのですが、後半にかけて盛り上がっていくのかと思いきや逆にスケールダウンしていった印象。SFというよりノスタルジー小説として読むべき作品でした。昔のアメリカに特に思い入れのない人間に取っては、ちょっとしんどい。