悪による支配は言わずもがなとして、善が行き過ぎたらどうなるのかというテーマは、ドラゴンランス戦記から繰り返し登場している。
善が行き過ぎたクリンは、神々に請い願うのではなく要求することによって神々の怒りを招き、大変動がもたらされた。D&Dといえばアライメント、ここではLawfulまたはChaoticを取り扱っているように見える。
ドラゴンランス・セカンドジェネレーション以降では、GoodまたはEvilを語ろうとしているように見えるが、うまくいっていない印象がある。秩序があればEvilも悪くない支配体制を構築できるのではないかという試みは、Evilの支配体制を詳述しないことで成り立っていたように思う。誇りや名誉といったカッコよさを全面に出し、警察国家という実態を隠していたように思う。
そして、偏見や差別といったものをその埒外においてしまったため試みそのものが破綻しているように見える。そういったものが存在しないことこそがGoodであろう。それは理想だ。現実においても善き人々の中にも偏見や差別はある――それをよしとしてしまったことで、Good側を落としすぎたきらいがある。
それでも、いろいろあった後始末としてはよくまとまったのだろう。
本書もまた、善きものとされたもの、秩序を司るものが世界を支配した挙げ句のことをディストピアとして描いている。
キモとなる部分は絶品だが、そこに至る過程は粗く、粗さをごまかすためにくどくなっている。くどさの主要因はズィフナブ。