ラザロというアイデアは後年、『魂の戦争』に転用されていると感じられる。ワイス&ヒックマンは、一体の死者であればソス卿を描出できるのに、多数の死者だとゾンビ映画のようになってしまうのは何故だろう。
パトリンとサータンは神ないしは半神のような存在であるといわれながら、毎回ひどい目に合わされている。ハプロはレベルの低いパトリンなのだろうか。
主人公はなんらかの危機に陥らねばならない。そうでないと無双する主人公の周囲が受難することになる。それはわかるが、設定に反することを書かれるともやる。
日本語で読むことは現在できないが、続刊でなにか説明されるのだろうか。