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Amazon.co.jp ・本 (322ページ) / ISBN・EAN: 9784042916017
作品紹介・あらすじ
「ぼくだって、いつか人間になりたいよ……」イタリアで生まれ、世界中の子供たちから愛されてきた、あやつり人形の物語。芥川賞作家・大岡玲の現代訳で生き生きと蘇った!
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
テーマは、成長と自己発見の旅である。あやつり人形のピノッキオが、様々な試練を通じて人間になりたいという願いを抱く姿が描かれ、彼の無邪気さや無鉄砲さは、子供らしさを象徴している。物語には、忘れられない場...
感想・レビュー・書評
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梨といえば、連想するのが、『ピノッキオの冒険』だ。木切れから人形になって間もないピノッキオが空腹を訴えて、作り主のジェッペットから彼の朝飯用だった3個の梨を差し出され、最初は皮と芯は食べないといいながら、あとになって全部食べてしまう場面は、忘れられない。
忘れられない場面は、『ピノッキオの冒険』には沢山ある。気ままで、無責任で、率直で、変に素直で、無鉄砲なピノッキオは子供がその子供らしさで大人を惹きつける類の特徴を悉く備えていることが、大人になって再読した今、よくわかる。
自分が子供だったときに読んだ『ピノッキオの冒険』は、何か恐ろしい物語として印象づけられた。死んだ少女であるかのような仙女の初登場の仕方は異様だし、ピノッキオをペテンにかけるネコとキツネは嫌らしい。ロバになったまま死んでしまうトウシンはあまりにも悲惨、フカの腹の中でジェッペットと再会するピノッキオの運命は数奇すぎる……。
最近のファンタジーものが何か抽象的で、社会背景もおぼろげな中で、主人公が正体のはっきりしない敵を相手にむやみに戦うのに比べ、『ピノッキオの冒険』は具体的だ。社会背景も、大人や子供が抱える困難もくっきりと描かれていて、ピノッキオの行動が招く神秘や奇怪や美の場面を背後からがっちりと支えている。-
子ども向きのダイジェストしか読んだコトが無いのと、ディズニーアニメのイメージが強くて、、、(ピノキオが持っていたのはリンゴで、オネスト・ジョ...子ども向きのダイジェストしか読んだコトが無いのと、ディズニーアニメのイメージが強くて、、、(ピノキオが持っていたのはリンゴで、オネスト・ジョンに食べられちゃったような)。取って付けたようなハッピーエンドと、闇が存在したままなのがシックリこなかったなぁ。ディズニーアニメを元にした手塚治虫の漫画では、ピノキオがロバを率いて突撃するシーンがあったようなウロオボエの記憶が、、、と思い出しています。2012/04/24
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新聞連載 子供たちはこのお話を喜んだことだろうね
数々の受難を経て父の介護と労働にたどり着いたピノッキオ
献身、奉仕に人の喜び、幸せがあるのかもしれない
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伊集院光の深夜ラジオから。
読んだ訳が違ったのか、氏が感銘を受けたという箇所はさらっと読み過ごしてしまったが、同じくディズニーのアトラクションには乗ってみたいと思わされた。
お話としては、ピノッキオの迂闊さにイライラさせられ通しで、これをどう料理するとディズニーアニメになるんだろうと不思議になる。
昔いとこの家にあった小さな人形は、かしの木モックだったか、ピコリーノだったか。画像を見てもイマイチピンとこない。
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読友お二人の推薦本。子供向けの抄訳版ではなく、完訳版を読むのは初めてだ。芥川賞作家の大岡玲の訳文。読むのに時間はかからないが、思っていたよりはずっと長編。内容的には単純なお伽話ではなく、随所に苦みが散りばめられていたり、時には残酷であったりもする。ピノッキオは、子どもの持つある種の本質をシンボリックに表現したものだろうが、それはどちらかというと負の側面である。結末は明るく肯定的に終わってはいるが、それでも抜け殻となったあやつり人形は、どこか不気味さを漂わせているようだ。
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はじめに書かれたときは15章で終わっていて、「悪い子は結局こうなるんだよ。おしまい。」と、童話によくある救いのない結末だったそうです。
これでもかというくらいの不良のピノッキオに、読んでいるうちに「そっちに行ってはだめよ!」「目の届くところにいてちょうだい」「何回言わせたら気が済むの!」と、親であるかのような気分になる。だから嫌いにもなれず、ピノッキオと一緒に心を痛める。
牛乳のためにつらい仕事に堪えるピノッキオが、はじめに服を売って教科書を買ったジェッペットじいさんと重なった。
子どもが、昔してもらったことを自分もしてあげられるように成長する、という話には弱いです。
童話とは思えないくらい心にのこった。 -
ディズニーのアニメで衝撃を受け、オリジナルを読んでみた。1883年に書かれたイタリア童話の名作。作者のコッローディ氏は学校の教科書も執筆していたそうだから、多分に教育指導的目的からこの寓話は創作されたものと想像される。実に説教話のにほひがぷんぷん。子供たちを一堂に集めて朗読会など開き、「はい、こんな悪い子になっちゃいけませんよぅ」、と悪ガキどもを諭すような仕掛けがわんさか。ピノッキオがことごとく引っかかる悪への誘いに、「ピノッキオ~! ダメだよ~! 悪いお友達について行っちゃぁ!」と叫ぶ児童たちの姿が目に浮かぶ。まさにドリフにおける、「志村~! うしろ!うしろ~!!」状態だったのではと想像する。
(続きはブログで)http://syousanokioku.at.webry.info/200908/article_5.html -
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カルロ・コッローディ Carlo Collodi
生年:1826年
没年:1890年
イタリアの小説家、ジャーナリスト、評論家。フィレンツェに生まれる。ピーエ校で哲学と修辞学を学ぶかたわら書店でアルバイトを始め、知識人や作家、ジャーナリストらと交わったことで政治への関心が芽生え、その後執筆を開始する。1848年、第一次イタリア独立戦争に義勇兵として参加。その後日刊紙を創刊したり評論、戯曲、小説などを手がけたりし、旺盛な執筆活動に入る。1881年、借金返済の目的もあり、『ピノッキオの冒険』の原型となる作品を週刊「子供新聞」に連載として発表。その後中断を挟むが子供たちの要望で再開され、1883年に完結する。著書はほかに『蒸気機関車のロマンス』『ジャンネッティーノ 子供のための本』『ミヌッツォロ』など多数。
ピノッキオの冒険 (光文社古典新訳文庫)
by カルロ・コッローディ、大岡 玲
お人よしのジェッペットさんは、怒りたいのをぐっとこらえて、三個のナシをむいた。そして、皮はみんなテーブルの隅にまとめておいた。 ピノッキオはというと、最初のナシをたったふた口で食べてしまうと、残った 芯 を投げ捨てようとした。が、その腕をつかみ、ジェッペットさんは言った。 「捨てちゃいかん。この世にあるものは、すべて役にたつんだからな」 「だけど、ぼくは絶対芯なんか食べないよ!」ピノッキオは叫び、怒った毒蛇みたいなしぐさでジェッペットさんを見た。 「そんなこと、わかるものか。人生には、いろんなことが起きるんだから」彼は、辛抱強くおだやかに言い返した。
「ほらごらん」と、ジェッペットさんはさとした。「さっきわしが言ったとおりだろう。人間、あんまりえり好みしたり、お上品になっちゃいかんのだ。いつどういう目に 遭うか知れたもんじゃないんだから。世の中には、いろんなことがあるんだ」
「子供ってものは」とジェッペットさん。「なにか欲しい時には、みんなそう言うのさ」 「学校にも行くし、勉強もする。勉強して優等生になるよ」 「子供ってものは、なにかしてもらいたい時には、みんなそういう約束をするもんさ」 「ぼくはほかの子とはちがう! みんなよりずっといい子になるし、ウソなんて絶対につかない。おとうさん、約束する。なにか手に職をつけて、おとうさんが歳をとったら、ぼくがささえて楽をさせてあげるよ」
「学校に行ったら、今日は字の読み方を習うんだ。そして、明日は書き方、あさっては算数だな。そうしたら、精いっぱいはたらいて、お金をかせぐ。最初にポケットに入ったお金で、おとうさんに毛織りの服を作ってあげるんだ。いやいや、毛織りの服だって? 金銀でできた服にダイヤのボタンの方が、よっぽどいいや。気の毒なおとうさんには、それくらいのことはしてあげなくっちゃ。だって、おとうさんは、ぼくを学校にやるために本を買ってくれて、それでシャツ一枚になっちゃったんだからな。こんなに寒いのに……ぼくのためになにもかも犠牲にしてくれるのは、おとうさんだけなんだ」
だれでも知っていることだが、人は他人のことをかわいそうに感じると、泣くか、泣かないまでも、にじんだ涙をぬぐうふりくらいはする。ところが、この火喰い親方ときたら、ほんとうに心を動かされるとくしゃみがでてしまうという、おかしな癖があったのだ。まあこれも、他人に感動をつたえるひとつのやり方にはちがいないが。 くしゃみをしてしまうと、あいかわらず気むずかしげな顔だけはくずさず、ピノッキオにむかって吠えた。
「私をごらんなさい」と、キツネは言った。「勉強したいなんてバカな望みを持ったばっかりに、ごらんのとおり足を一本ダメにしちまったんですよ」 「私をごらんなさい」と、ネコも言う。「勉強したいなんてバカな望みを持ったばっかりに、両方の目が見えなくなっちまったんですよ」
そのうち、空が白みはじめた。追いかけっこは、それでも続いている。突然、ピノッキオの前に、幅が広くて深さもありそうな堀があらわれ、行く手をふさいだ。カフェオレ色の汚い水が、満々とたたえられている。
しかし、人から金や物を恵んでもらうのは、恥ずかしい気がした。なぜなら、ピノッキオは父親から、恵みをうける資格があるのは、老人と病人だけだ、といつも言い聞かされてきたからだった。この世で、援助をうけたり同情してもらえたりする、本当に貧乏な人たちというのは、年老いたり、病気になったりして、どうしても自分の手でパンをかせぎだすことができないからそうしてもらえるのだ。そのほかの人間は皆、働かなくてはならない。働ける人間が、なまけていて腹が減ったのなら、それは本人が悪いのである。
それからというもの、三十分と経たないあいだに、二十人の人が通りかかった。その全員に、ピノッキオは 施しを求め、全員がこう応じた。 「恥ずかしくないのか? 道でのらくらしてる 間 に、さっさと仕事を探しに行きな。そうすりゃ、自分でかせいでパンを買うやり方がわかるからな」 最後に、やさしげな女の人が、水がめふたつを持って通りかかった。 「やさしいおかみさん、どうかお願いです。水がめの水を、ひと口飲ませてください」のどが干上がって燃えるようになっているピノッキオは、そう頼んだ。
イタリアでは、読書の習慣にまったく縁遠い家庭であっても、聖書と『ピノッキオの冒険』だけは必ず家のどこかに置かれているものだ、というまことしやかな文句を、かつてイタリア語を学んでいた学生の頃に何かで目にした憶えがある。その真偽のほどは、もちろん、よくわからない。しかし、二十年ほど前に取材でローマを訪ねた時のこと、宿泊先のホテルのベッドサイドに新約聖書とともに、イラストも鮮やかな『ピノッキオの冒険』が並んでいるのを発見して一驚した経験はある。
私のこのささやかな思い出をもって、冒頭に記したことが真実であるとは到底断言できないが、カルロ・コッローディが十九世紀の末にこの世に生みだした木彫りのあやつり人形の存在が、現在のイタリアの暮らしの中にも確実に根づいていることを示しているのは明らかだろう。そして、作品の広がりもまた、全世界的なものだ。原書の初版が出版されてから百十年を経た一九九三年の時点で、およそ二百六十の言語に『ピノッキオの冒険』は翻訳されている。
「かつてフィレンツェでは、今日より少ない事柄を、今よりもずっと深く学んでいた。この矛盾は、現代の公教育省関係者の目には、一種のスキャンダルに映っているだろうが、彼らのうちの誰ひとりとして、この件についてあえて説明しようという者はいない。この世には羞恥心というものがあって、大臣たちにもその持ち合わせがあるということだろう。(中略) ピーエ校の学生は、それぞれ二種類に分けられる。まず、才能に恵まれよく勉強する第一種は、修辞学と哲学を修め、大学に進学したり、天賦の才を必要とする独立した職業につく。もう一種はというと、怠け者か、もしくは未熟な脳みその持ち主で、このふたつの欠点があるという証明書があれば、国の役人になる権利を得ることができる」
こうして、めでたし、めでたし、ということで、物語は終わるのだが、言うまでもなく、人間の子になったからといって、ピノッキオの未来がバラ色に輝いているわけではない。彼には、間違いなく「人間」としての試練が待っているのだろうし、それに打ち勝って「人間」のままでいられるかどうかも定かではない。ふたたび「弱さ」に負けて、「人間」である状態から転落するかもしれないのである。そうした「弱さ」については、作者コッローディは身に沁みて知っていただろう。では、ピノッキオが「ちゃんとした人間」でありつづけるために、いったい何が必要だと作者は考えていたのか。やはり、父なる神を信じ、その信仰によって得られる「自由」にもとづき「愛」を生きていくべきだ、と思っていたのだろうか。
一一月二四日(二二日説もあり)、フィレンツェの中心部、現在のサンタ・マリア・ノベッラ駅に近いタッデア通りの家で生まれる。本名は、カルロ・ロレンツィーニ。父ドメーニコ・ロレンツィーニは料理人として、母アンジョリーナ・オルツァーリは家政婦として、共に陶磁器製造で有名なジノーリ侯爵家に勤めていた。長男カルロが生まれたあと、九人の子供が誕生したが、生き延びたのはカルロを含め、三男パオロ、マリーア、ジュゼッピーナ、末息子イッポリートの五人のみ。ジノーリ侯爵家の庇護はあったものの、家庭は貧しかった。コッローディの家族とジノーリ侯爵家の縁は深く、のちに弟パオロはジノーリ家の陶磁器工場ドッチィア窯の支配人になっている。
この年から、ジャーナリスト及び出版人としてさらに膨大な仕事量をこなすようになった。文学・芸術・演劇の総合誌「アルテ」の編集主幹を務め、またフィレンツェの他の多くの定期刊行物に執筆をし、出版にも関わった。なかでも、「スカラムッチャ(小論争)」紙の創刊と発行には力を注いだ(この時も、父方の伯父ロレンツォに資金援助をしてもらっている)。演劇や文学、音楽についての批評を掲載する紙面で、タブロイド判型四ページ分にわたる記事のほとんどにコッローディは精力的に筆をふるった。五三年一一月一日に第一号を発行してから、五五年四月一三日までは毎週火曜日と金曜日の二回、五五年四月二一日以降は週一回土曜日に発売され、五九年四月までこの新聞は続いた。同じ時期、フィレンツェの「カフェ・ミケランジェロ」に集い、のちにマッキアイオーリ派と呼ばれるようになった画家たちと、コッローディは親交を持つようになった。「マッキアイオーリ」とは、「染み」や「斑点」を意味する「マッキア」というイタリア語由来の言葉で、自然描写を色斑で行う非伝統的手法を取る画家たちを揶揄する造語。この画家の一団は、イタリア統一運動を背景とする愛国心を称揚し、それにふさわしい新しいリアリズム画法の必要性を唱えた。コッローディもこうした主張に歩調を合わせるように、イタリア語の近代化を訴えた。 -
第107回アワヒニビブリオバトル&全国大会予選で紹介された本です。ハイブリッド開催。@全国大会予選。
2023.12.29 -
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#英語 The Adventures of Pinocchio
#原題 伊語 Le Avventure Di Pinocchio by Carlo Collodi
幼少時、TVアニメで描かれるおじいさんが不憫で辛かった。結末がこんな展開だったとは -
小さい頃に見たアニメのピノキオ物語で、嘘をつくと鼻が伸びてしまう事は覚えていたが、こんな波瀾万丈であったとは。。。この世では、いろいろと騙され、失敗し、自分も揺らぎ、後悔を心に刻まないと、一皮向けないのだ。面白く、あっという間に読み終えた。
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つい最近まで、ピノッキオの原作はディズニーだと思ってた。
イタリアの子ども新聞で、3年間連載された人気小説だったんだって。
原作に金魚と猫はいなかった。
ハメルンの大量誘拐事件が起きたのは1300年頃。
この話が連載されていたのはそれより500年後のことだけれど、当時のイタリアも子どもの誘拐とか多かったのかな?とピノッキオとろうそくの芯が連れ去られたシーンを見て思った。実際、どうだったんだろう。
クジャクって、自分に見とれるの? p.46
私も人間の子になりたい。 -
じつは「ピノキオ」をきちんと読むのは今回が初めて。
子ども向けの翻訳版もディズニーの映画もしっかり見た記憶がない。
新聞の連載をまとめた話なので若干矛盾があったりするけど、「これって子ども向け?」と思ってしまうエピソードもいくつか。
最後にピノキオはいい子になって人間になりました、めでたしめでたし、という話ではないことは確かだ。
登場人物も怪しい人ばかりだし、当時の世情に対する皮肉なんかもはいっているんだろうな。 -
Original title:Le Avventure di Pinocchio.
純真な操り人形が周りの人達の誘惑に負けては改心し、最後には人間の男の子になるお話です。
Desney作品でしか知らなかったので、
おじいさんに木で作られた人形、サメか大きい生き物におじいさんとのみ込まれて何とか脱出して人間の男の子になるとしか覚えていませんでした。
まさか、人間になるまでこんなにも沢山の困難があったとは。
章の始めに章毎の粗筋が描いていて、どんな風になるのかとワクワクして読んだせいか、
1日であっという間に楽しく読めました!
青い髪の仙女様とおじいさんとの再会は感動ものでした。 -
516夜
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記憶にあるよりだいぶ悪ガキでしたピノッキオ。でも憎めないんだなあ。
金貨のくだりとクジラ(ほんとはサメ)に飲まれるくだりは知ってたけど、ロバになるとことか、けっこう怖い。 -
これは有名な木でできた人形ピノキオの話です、だれしもが小さいころ絵本などで読んだことがある作品だと思います。ピノキオは嘘をつくと鼻がのびてしまうのですがそれがもとでいろんな話などがあって大変面白いです。
またピノキオは人間になりたいと思って人間になるためだったらなんでもしていたのでそこらへんがとっても切なかったです。
著者プロフィール
カルロ・コッローディの作品
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感想 :

挿絵を見るために図書館に予約しようかな、、、「ピノキオ」はウォルト・ディズニーのアニメーションの印象が...
挿絵を見るために図書館に予約しようかな、、、「ピノキオ」はウォルト・ディズニーのアニメーションの印象が強く、後は子ども向きの翻訳を読んだコトがあるくらい、、、原作とは、どれくらい違うのかなぁ、、、
原作との違いは…ジミー・クロケット…。ぜひ読んでみてください(笑)
ほー、ディズニー版では、ちょっとぴり頼りない良心を「大人の演技」をしていますたが、、、気になり...
ほー、ディズニー版では、ちょっとぴり頼りない良心を「大人の演技」をしていますたが、、、気になりますね。
原作ではないピノキオは、幾つか読みたい本があって、、、
ロバート・クーヴァー「老ピノッキオ、ヴェネツィアに帰る」 作品社
手塚治虫「ピノキオ」講談社 (記憶が曖昧なのですが、ディズニー版を元に、一味効かせているらしい)。。。