- Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
- / ISBN・EAN: 9784042920014
作品紹介・あらすじ
世界的ロングセラー『死ぬ瞬間』で死の概念を変え、生涯を通じて「生と死」の考察に深いまなざしを注ぐ精神科医キューブラー・ロスによる、最初で最後の自伝。スイスで過ごした少女時代、難民救済活動、ナチス強制収容所で出会った蝶の壁画の謎、医師への道、結婚とアメリカへの移住、終末期医療と死の科学への取り組み、夫との別離、体外離脱体験、詐欺及び殺人未遂被害、ヒーリングセンターの設立、放火によるすべての焼失…。魂の名医が綴った、愛と死と生の秘密。ページをめくるごとに、希望と感動が溢れてくる一冊。
感想・レビュー・書評
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大学の先生が個人的に勧めてくれた。「著者はあらゆる意味で恵まれた人なんだろう」と感じた。単位は落とした。
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死とは生きること。身近であること。断絶してはいないこと。患者の気持ち、家族の気持ち。自分が死ぬということ。見えないけど確かに存在するもの。
途中、スピリチュアルになりすぎて❓❓❓の部分があったが、それ以外はよかった。 -
■医学、哲学、宗教の域を超え、死をとおして生の意味・目的を探求した医師の熱い人生■
まずタイトル訳が美しい、そして著者の生き方も強く美しい。
著者はスイスで厳格な家庭に生まれ、父に反発しながら自らの理想・信念に従い、人生を切り開いていく。本著は医師であり、死の研究者である彼女が自らの人生を振り返り綴った自伝である。医師として生涯をかけて生と死の最前線でいのちの意味を探求し続けた著者だからこそ、彼女の語る言葉は強い説得力を持つ。
本書は不屈の精神と行動力を持つ著者の波乱万丈の人生を描いた自伝として十分おもしろいだけでなく、僕を次のような疑問と向き合わせた。
僕は何のために生まれてきたのだろう、どう生きるべきなのか、何を目指すべきなのだろう。
これらの問いはいずれも「生」についての問いだ。もちろん答えなんてさっぱりわからない。おそらく死ぬまでわからない。
ただ、人生の終着駅として死を置いてみると、現在地と行き先の心配をせずにはいられない。僕の「死亡」駅にはどんな景色が広がっているのだろう。これは著者はもちろん、一般的にもよく言われるように、“どう生きたか”にかかっていると思う。
著者はこうも言う。
“死にゆく患者のことばに耳をかたむけさえすれば、生について無限に多くを学ぶことができるのだ。”
生についての問いに答えてくれるヒントは「死」にあるようだ。
不治の病、貧困、災害、老衰、戦争…妥当か理不尽かにかかわらず世の中ではいたるところで様々な死が生まれる。にもかかわらず僕はこれまで人の死というものをリアルな存在として正視したことがないことに気づかされる。
TVの向こう側でも構わない。現実に存在する個々の死に目を向け、耳を傾けることで、今ここにある生の意味と重みを実感することができるのかもしれない。 -
「死の受容の五段階」のエリザベス・キューブラー・ロスの自伝。
死後の世界を唱え、多くの人の支持を失ったとされるロス。しかし、ロスの人生はそんな程度のものではないのである。
若き日のロスはナチスが荒らした地域の復興ボランティアに駆けつける行動力を持っていた。スイスの医大ではユングを見かけていたが、話しかけたらその魅力に抗えずに精神科医になってしまいそうだからと声をかけなかったエピソードは笑った。
死に臨む患者達をそうでないかのように扱うことに疑問を持つだけでなく、初めての講義に当事者を登壇させる破天荒さ。離婚の原因となったのは死後の世界を唱えたからではなく、スピリチュアルな方向へ行き、ヒーラーと活動を共にしたからだったのか(そのヒーラーとは後に離別)。
エイズの患者達の住む場所をつくろうとして放火や地元の反対に遭うエピソードもすごい。
死への心理を分析するクールな学者などいない。この本にいるのは破天荒でバイタリティに溢れた死に臨む人々の為に様々なことをし続けた一人の女性だった。
ロスさんロックっす。 -
尊厳死やリビングウィル、ターミナルケア、ホスピスといった概念がない時代、「死」という存在が恐れられ、医療現場においてタブー視されていた時代、「死」に真っ向から対峙したエリザベスキューブーラーロス。
がん告知なども進み、以前より死が忌避されなくなった現在。
それでも人々はまだ「死」を持て余している。
以前、私の友人の父ががんに冒された。
友人から報告を受けた時、なんと言葉をかけていいのか正直なところ解らなかった。
愛する人を失うかもしれないということは、想像するだけでもとてもつらいことだと感じたし、頑張ってなどと安易に言葉をかけることは出来なかった。
泣きながら、私には知っていて欲しいと話してくれた彼女に、結局私は「無理しないでね。お父さんに私たちがしてあげられることを考えよう」という当たり障りのないことしか言ってあげる事は出来ず、それすらも当事者でない自分の口から発せられると、偽善めいて聞こえ、これが正解なのかすごく悩んだ。
その後、友人の父を見舞う機会ができた。
彼を囲んで、友人と招待された私達は、「病気」や「死」といったものには全く触れず、友人との思い出や、友人にまつわる会話や日常会話をした。
「あなたの娘さんは、あなたの愛に包まれて育ち、こんなに素敵な女性に成長しました」ということを伝えられたらいいと思った。
病床のお父さんは、終始無言で私達の会話を聞き、その表情からは何も読み取る事はできなかった。
見舞いにきて、何も出来ない自分のふがいなさを痛感した。彼の手を握りたい衝動にかられたが、握ってからかける言葉は何が正解なのか解らず、
結局沈黙を貫き通した。
「希望を捨てないでください」と生への執着を促すのが正しいのか
「お疲れさまでした」と死は怖くないものだと示唆するのが正しいのか
心に言葉は浮かぶのだが、どちらも正解ではない気がした。
実際、余命を宣告された後、回復する人、宣告された期間よりずっと長く生きる人もいる。
だから、希望を失わないことは大事だと感じていた。
それに対し、死は怖くないものなどと、経験もしたことの無い私がそんな気休めのようなことを言うのは無責任だと感じたし、希望を捨てることにつながると思っていた。
本書を読んで、友人の父とそこまで面識のない私には、沈黙が正解だったのだと感じた。
本書の221ページにリンダという少女がでてくる。白血病におかされ死の床にあった彼女は両親の計らいで見ず知らずの人間から励ましのバースデイカードを大量にもらったが、彼女が本当に求めていたものは、たとえ善意であっても見ず知らずのものから押し付けられた好意ではなかった。
彼女は両親や親戚からの心のこもった見舞いを欲していたのだ。
このことから、友人の父と交流のない私が、彼にかける言葉など持てるはずがなかったのだと解った。
実際、私は普段から両親となら死に関することを話し合うことが出来ていたのだ。
母は人工呼吸器による延命は望んでいないという事を既に明言しているし、父からはお葬式で流して欲しい曲を伝えられている。
両親が病床にあるさいには、友人の父にはかける言葉を持たなかった自分にも、おのずとかけるべき言葉が浮かんでくるはずだ。
そして本書を読んで、死を受け入れること=希望を捨てることではないということを知った。
むしろ、死を受け入れ、精神の安定を手に入れてからこそ、回復する可能性が生まれるのかも知れないと感じた。
死を頑に否定することこそ、死に囚われているのかも知れない。
また、エリザベスの宗教観も共感することが多かった。
宗教そのものに拘泥し、表面上で敬虔な信者の、教えに矛盾した行動に不信感を抱いている自分の考えに近いものを感じた。
また、本の後半で語られるエリザベスの霊感に関しては、ばりばりの理系の私には理解するのは難しいものがあった。
しかし、彼女が嘘をついているとは思わない。
例え、彼女が見たものが、彼女の脳が作りだした幻影であったとしても、確かにエリザベスの心には彼らは存在したのだろう。
考えさせられたのは、エリザベスの正義についてである。
彼女はとても強い人間だ。自分を投げうって弱い人間に手を差し伸べられる素晴らしい人だ。
本書では、エリザベスの死にゆく患者との対話や公開セミナーに対し「患者を食い物にしている」という批判をする医者や、エイズの子供達の養子として育てる施設を作ろうとした際に反対し、彼女に対しひどい仕打ちをした住民たちが悪者として描かれている。
私は誰かを悪者として糾弾することを躊躇ってしまう。
一見悪い事をしている人や私にひどい仕打ちをしてくる人に対し、実は原因は私にあるのでは、自分も似たような事をしてないかと自問自答してしまうからだ。聖書の「他人の目のおがくずを指摘する前に、自分の目の中の丸太を取り除きなさい」という言葉を遂行しようと、悪い事をしている人を無理に肯定しようとしている私と、さらりと悪い人として書いてしまうエリザベス、どちらが自然体でどちらが正しいのか。
悪人と、心が弱い人を隔てる境界線はなんなのか。
本書の260ページにおいて、治療が上手くいかず死に行く患者に冷たく接する医者が出てくる。彼はほとんどの同僚から嫌われていた。しかし、彼をかばうナースがひとりいた。彼女だけは、彼が、死に行く患者を助けられない自分に意気消沈しているのを知っていた。
その医者は悪人ではなく単に弱い人間だったのだ。
また、本書において描かれる、エイズ患者を家で保護しようとするエリザベスにひどい仕打ちをする近隣の住民達。
かれらは悪人なのだろうか?
エイズに対する知識が無い彼らは、クリスチャンでありながら、感染をおそれエリザベスを追い出そうと家に火まで放つ。
過剰すぎる行為ではあるが、彼らは自分と自分の家族を危険から守りたいあまりに、道を見失った弱い人にも見受けられる。
事実、同じようなことは私たちの周りにも潜んでおり、いつそちら側の人間になってもおかしくない。
放射能での風評被害など良い例だ。
本書の122ページにナチスの収容所においてひどい目にあったゴルダという女性が出てくる。
彼女はこういう。
「あなたもいざとなれば残虐になれるわ。ナチスドイツで育ったらね。ヒトラーはわたしたち全員のなかにいるの」
収容所から解放された時、ゴルダはナチスに対する憎しみと怒りに苛まれた。ヒトラーと同じだった。彼女はいう。
「せっかく救われた命を、憎しみのたねをまき散らすことだけに使ったとしたら、わたしもヒトラーと変わらなくなる。憎しみの輪をひろげようとする哀れな犠牲者のひとりになるだけ。平和の道を探すためには、過去は過去に返すしかないのよ。」
一方、エリザベスは完璧な人間だったのか?
そうではないことを示す記述が本書の422ページにある。
エイズ患者と初めて対峙した時、エリザベスにも感染に対する恐怖が芽生え、そのような感情を抱いてしまった自分を恥じているのだ。
人間は弱い所はあると思う。エイズ患者を目の前にし、なんの衒いもなく抱きしめてあげることは強い心を持たなくては難しい。
悪人と弱い人間を隔てるもの。
それは、善い人間であろうと、弱い自分を叱咤しながら、自問自答を繰り返し、もがいているかどうか。葛藤しているかどうかにあるのだと思う。
エリザベスは511ページでこう言っている。
「神が人間にあたえた最高の贈り物は自由選択だ。」
そう、私たちは常に選択を迫られている。
悪人になるのは簡単だ。良い行いをするか悪い行いをするか、選択するのは自分なのだ。
しかしエリザベスのように自分を犠牲にしてまで、正義と思う道を貫くのは難しい。
弱い人間である私は、善い人間であろうともがいている。
本書にはこうあった。
「逆境こそが人を強くする」
「人生で起こる全てのことには肯定的な理由がある。峡谷を暴風から守るために峡谷をおおってしまえば、自然が刻んだ美をみることはできなくなる。」と。
もがいて、もがいて。
そしていつか来るべき時が来た時、目の前に助けを求めている人が現れた時、手を差し伸べられる人間でありたいと思う。 -
著者の人生が描かれたこの本には通常の人間には耐えがたい苦しみが書かれてある。しかし彼女は「人を救う」という目的の為、苦しみを喜びへと変えていく。医師としての資格もあり、医師として幸せに暮らすことも出来たのだが、彼女は精神科医としての勉強も始める。人の病は心からきていると気付いたからである。最後に彼女はイエス様にも会っている。
この本には人を救うことへの困難さ、知識の大切さ、意思の力が描かれている。
【九州ルーテル学院大学】ペンネーム:のんたん -
過酷とひとくくりに言えないほど、次々と起こる
非情な運命・・・それを乗り越える強き主人公。
医師への道も険しく、それを果たせば、次々と
難問が目の前に表れる。ふつうの人なら逃げ出したくなる
ことにも、毅然として立ち向かう。負けない。逃げない。
「誰だって生きていれば辛苦を経験する。つらい経験を
すればするほど、人はそこから学び、成長するのだ」
「逆境だけが人を強くする」
「教訓を学んだとき、苦痛は消えうせる」
何事にも偶然はない、必然と考えることの厳しさ、強さ。
書かれている言葉は、説得力をもって読む者に力を与えてくれる。
「生きなさい。振り返っていのちを無駄にしたと後悔しないように」
迷ったとき、心をこめてつぶやきたい言葉だ。-
私は強くなくちゃダメとは思いません。
でも、「神様は、その人に乗り越えられる試練を与えられる」という言葉は、信じてもいいかな、と思っていま...私は強くなくちゃダメとは思いません。
でも、「神様は、その人に乗り越えられる試練を与えられる」という言葉は、信じてもいいかな、と思っています。
ダメかも、無理かもしれない・・・でも、
できるだけやってみよう! と、思う心が
与えてくれる経験や学びはきっとあるかな、と。
人生も半ばを過ぎていますが、無理だな・・ダメだな・・・と思ったことも、すべて
意味があったなぁ、だから、今、ここ、自分だな・・・と思うのです。
気負わず、一所懸命。
この本は、その気持ちをさらに
後押ししてくれる作品でしたよ(^^)2012/08/02 -
「気負わず、一所懸命」
そうですよね、、、、良い時もあれば、悪い時もある。それを素直に受け入れるしなやかさが必要なんだろうなぁ。。。
私も出...「気負わず、一所懸命」
そうですよね、、、、良い時もあれば、悪い時もある。それを素直に受け入れるしなやかさが必要なんだろうなぁ。。。
私も出来るだけのコトはしたいと思って、日々を過ごします。2012/08/03 -
2012/08/03
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終末医療の先端を開いた高名な医師の自伝です。裕福な家の三つ子として生まれ、スイスで育った少女時代はモノクロの写真で昔懐かしいような…これが医者になってすぐに戦後のポーランドに何とヒッチハイクで渡って困窮する患者を救おうとした大胆な女性で、ものすごいです。ストレートな生き方で、騙されたりもしつつ、エイズが偏見を持たれていた時代から尽力した事には感服。後半スピリチュアルになっていきますが、これほど深く生死の極限に接して暮らした人も少ないでしょう。生きるとは何か?命は愛と成長のためにある…重いテーマで、とてもこの境地にはなれないと思いつつも、生きるヒントと勇気を与えてくれる書です。
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これは私のバイブルになる一冊です。絶対。
著者プロフィール
エリザベス・キューブラー・ロスの作品






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