- 角川グループパブリッシング (1972年5月8日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (416ページ) / ISBN・EAN: 9784043209019
作品紹介・あらすじ
現代政治の混迷は、西欧の政治理論の無定見な導入と信奉にあるのではないか――。勝海舟の大陸的ともいえる先見の洞察力と、生粋の江戸っ子気質は、徳川幕府と江戸の町を護り、時代の混乱を最小限にくいとめた。その政治的な手腕は薩長閥政府の中にあって一服の清涼剤であり、今なおその魅力を失わない。海舟が晩年、問われるままに残した小話は、今も我々が改めて自身を省み、そして帰るべき途がどこにあるかを示している。
みんなの感想まとめ
変化の激しい現代社会において、勝海舟の先見の明と江戸っ子の気質がいかに重要であったかを考えさせられる内容が特徴です。彼の言葉は、理屈に囚われず生きることの大切さを教えてくれ、時代を超えて共感を呼び起こ...
感想・レビュー・書評
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世の中は時々刻々と変化している。機が来たかと思えば、機は去っている。髪の毛1本を入れる隙間もない。常に変化する世の中で、すべてのことをつまらない理屈(小理屈)によって対応しようとしても上手くいかない。世間は生きている(動いている)。理屈は死んでいる(止まっている)。勝海舟『ひかわせいわ』1897
学者になる学問は容易だが、無学になる学問は難しい。『海舟全書』
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気節のみ高くて、現在に功能のない行為で一身を終るのは、感心が出来ない。成程潔よいといふ褒辞は下るであらうけれども、世の中に対して少しも利益がない。渋沢栄一『雨夜譚あまよがたり』1887
真似はその形ではなく、心を真似よ▼もうこれで満足だというときは、すなわち衰えるときである▼商業を否定する朱子学は誤り。孔子(論語)は商売を重視した。渋沢栄一
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榎本武揚詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
若い頃に歴史の本で触れた勝海舟は、私にとって「歴史的な偉業を成し遂げた人物」という印象が強かった。幕末から明治という激動期を生き抜き、江戸城無血開城を実現した偉人。そのイメージが先に立っていた。しかし今回『氷川清話』を読み進めると、そこには単なる偉人伝ではなく、驚くほど生身で、観察眼と大局観に満ちた一人の人間が立ち上がってきた。歴史的な功績を知るよりも、人間としての振る舞い、ものの見方や人への洞察に圧倒され、改めて「勝という人物の魅力」を実感する時間になった。
まず強く感じたのは、勝が人を観る目を持っていたことだ。相手の性根や行動の癖を鋭く見抜き、政治や組織での一手一手をどう読んでいたか。その観察眼は、ただ人を批判するためではなく、人間という存在そのものを理解しようとする態度に根ざしている。今の政治を見ても「他人の手は批判できても、いざ自分がやると不甲斐ない」という構図は繰り返されている。勝はそれを冷徹に見抜き、人間は学ばないのではなく「学べない」存在なのだと喝破しているように思えた。そこに彼の人間理解の深さを感じた。
そして、勝の言葉で最も心に残ったのは「不平不満も進歩のもと」という一節だ。愚痴や不満は誰にでもある。だがそれをただの不満で終わらせず、時代を動かすエネルギーへ転換する視点こそが大事なのだと、勝は語っている。いま私たちが暮らしている社会も、閉塞感や行き詰まりの空気が漂うことが多い。そんな時に「不平不満」を否定するのではなく、前に進む力に変えよと教えてくれる。これは単なる幕末の教訓ではなく、現代にそのまま生きる言葉だと強く思った。
また、勝の「余裕」や「余地」という感覚にも共感した。事態や人間関係を主観と客観のどちらかで決めつけるのではなく、その両方を行き来しながら、さらに少し距離を置いて眺める。感情に流されず、かといって冷淡にもならない。その「間合い」を大切にする姿勢に、現代の私たちが学ぶことは多い。焦りや即断が評価される今だからこそ、あえて余白をつくり、時間を置いて判断する視点が必要だと感じた。
行動の面では、彼の徹底ぶりに驚かされた。コピーのない時代に、辞令や手紙を正副二部作り、全て残していく。こうした地道な作業を根気強く続けたからこそ、後に大きな決断や交渉の場で揺るがない基盤を持てたのだと思う。華やかな逸話に隠れて見過ごされがちだが、日々の小さな積み重ねが歴史を動かす力になる。そのことを実感させられた。
さらに、長崎で外国人と交流し、近代国家という観念に早くから触れていた経験も、勝を特別な存在にしていた。西洋をただ真似るのではなく、「人が動く仕組み」を理解して利用する。その柔軟さと現実感覚は、日本人の模倣精神をうまく活用しながら、多くのことを成し遂げる推進力になった。江戸城無血開城という歴史的な事件の背後には、理念だけではなく、こうした現実的な人間理解が横たわっていたのだと思う。
一ヶ月かけて読み終えたのは、決して易しい本ではなかったからだ。だがその分、読み進めるたびに新しい発見があり、勝の人間性に触れることでワクワクし続けられた。歴史書の中で人物は立派に描かれることが多い。けれど『氷川清話』では、勝の欠点も迷いも含めて描かれており、逆にその人間らしさに親しみを感じた。偉大さとは欠点を消し去ることではなく、それらを抱えながらも大局を見据え、粘り強く行動することなのだろう。
ページを閉じた今も、勝の言葉が頭に残っている。「不平不満も進歩のもと」。嘆くことは簡単だが、それをどう使うかが人間の値打ちを決める。勝海舟が生きた幕末から明治という大転換期は、現代に重ね合わせれば混迷の時代と変わらない。歴史の中の人物を読むことは、結局は自分自身の生き方を問い返されることなのだと、改めて感じた。 -
江戸城無血開城と、なかなかGoodな風貌が印象的な勝海舟のリアルな言葉が、たくさん。
西郷さんの事を、高く評価していたり、転換期の国政への視点、また明治31年位の人達に対する足りない点など、今の現代人にも通じていて、ふーんと思えて面白い。
先日、散歩した洗足池で、たまたま勝海舟夫妻のお墓にお参りしたし、何かの縁?
国を動かす人の考え方は、自分には関係無いようで、自分に落とし込める部分もあるし、ちっちゃいこと考えすぎな点など、これ勝さんも指摘してます、生かせる内容でした。
折に触れて、読み返すと元気になる本。 -
赤坂の氷川神社は、勤務先の以前の事務所近くにあり、年始のお参りに行ったこともあります。この近くに住まう勝海舟の晩年の語録を集めたのが、この本です。
江戸で生まれ育った勝の言葉は、平明で物事の核心を良く押さえています。一方、時勢や雰囲気といったものに飲み込まれることなく、客観的に物事をとらえることができる心根の強さも感じさせます。
江戸末期から明治への体制の大きな転換の中で、時代の熱狂に巻き込まれることなく至誠を貫ぬいた勝ですが、実に明治32年まで存命しています。その間、顕職や栄達が盛んであった世情を、どのように思っていたのでしょうか。 -
本書とは直接関係はないが、海舟と南洲に纏わるお話を一席。
題して「洗足池碑文の謎」(ダイジェスト)。
(全編は、「西郷隆盛語録」に記した)
散歩コースである洗足池に着くと、池畔にある勝海舟の墓に挨拶して、その隣にある海舟が自費で建てた西郷隆盛の書を刻んだ碑文を隅から隅まで毎回じっくり読むのが日課となって久しい。
碑文の前には、大田区の教育委員会が作った解説の札が立っていて、その碑文に刻まれているのは、西郷隆盛が若い頃、沖永良部島に島流しにあった時に、死を覚悟して作った「獄中感有り」と言う有名な漢詩だと教えてくれる。
しかし、西郷どんの達筆の草書体を毎日、文字通り手でなぞっている内に、大変なことに気が付いてしまった。
碑文に刻まれていたのは、立て札に書いてある有名な「獄中感有り」ではない!ということに。
碑文が作られたのは、西南戦争で西郷が自刃してから、2年後のこと、今から140年以上前のことだ。
その間、碑文が「獄中感有り」そのものではなかったことに誰も気が付かず、大田区は立て札で堂々と碑文は「獄中感有り」だと解説で謳い、図らずも人々を欺いて来た、と言える。
ほとんどの人が、立て札を読んで、碑文をチラリと眺めて「獄中感有り」の碑文を見た気になって、立ち去って行く。
碑文に刻まれているのは、一見すると日本で最も有名な漢字詩である「獄中感有り」だ。
しかし、それは「一見すると」なのだ。
なぜなら、この碑文には、ある一文字が欠落しているのだ。
その欠落によって、書は本来の七言律詩の体をなさないばかりか、意味もガラッと変わってしまうことになる。
最初、それは碑文を作った勝海舟による改竄だろうと推測した。
迫力ある書を活かすレイアウトをすると、どうしても一文字入り切らず、それを海舟が思い切って取り除いたのだろうと推理したのだ。
碑文を良く見てみると、大きな雄渾な書体で書かれた詩文の後に、小さな文字で「獄中有感 西郷南洲」と刻まれている。
問題は、その小さな文字の横だ。
そこには、何かキズのようなものがある。
小さなキズのようなものをよく見ると、それは詩文から欠落している一文字だった。
欠落したある文字とは「無」の文字だ。
これも海舟の仕業と解釈することが出来る。
レイアウト上、詩文から欠落された文字を、そのまま欠落させるのは忍びなく、碑文の隅っこに取ってつけたように小さく残した、と考えれば腑に落ちる。
しかし、そうではなかった。
その碑文の横に建てられた徳富蘇峰による「海舟•西郷両英雄の顕彰碑」が新たな展開を示してくれた。
海舟の邸宅の庭を借りて住んでいた蘇峰の業績を調べてみると、彼が西郷隆盛に関する書物を出していることを知った。
国会図書館に蔵されているその書をパラパラとめくっていて「あっ!」と声を上げた。
何故なら、西郷が大久保利通に与えた書が、碑文の書そのものであることを発見したからだ。
その書には、碑文と同様、一文字が欠如しているばかりか、欠落した「無」の文字が、まるで書の汚れのように、端っこに取ってつけたように残されているではないか。
ということは、有名な詩文を改変したのは詩文の作者である、西郷本人だったということだ。
(勝海舟改竄説を唱えたことを勝先生に謝らなければならない。)
この書の所有者は「勝精」とある。
勝子爵家を継いだ勝海舟の養子(最後の将軍徳川慶喜の十男だ)。
だから、この書を勝海舟が所有していたことは間違いない。
しかし、この書の元々の所有者は、勝海舟ではなく、大久保利通なのだ。
西郷が自らの詩文を改変して大久保に送っていたと言うことだ。
「無」の欠如した詩文を読んでみると、下野した西郷の大久保に対する宣戦布告であるとしか読めない。
西郷は盟友大久保に、私の「誠」は、大久保のそれと相容れないことを詩文で伝えてていたのだ。
明治政府のトップであった大久保は、西南戦争で西郷を殺した翌年、紀尾井坂で暗殺される。
その時、大久保は西郷の手紙を読んでいたと言う。
その手紙の一通が、この「改変•獄中有感」だとしたらどうであろうか。
それこそ、小説やドラマとなる。
生前の司馬遼太郎に伝えたら、彼の作品にそんな場面を織り込んだのではないか、と勝手に推測している。
大久保の死後、大久保所有の書を入手したのが勝海舟だ。
彼は、大久保が暗殺された翌年、西郷の二回忌に、その書を碑文に刻ませている。
本来の「獄中有感」とは異なった「改変•獄中有感」は、西郷が大久保に対するメッセージとして与えたもので、その意図を察知した勝海舟が碑文に刻んだのだろうというのが、ここまでの推理だ。
と言うことは、この「改変•獄中有感」の意図を理解していたのは、それを書いた西郷どん本人、書を受け取った大久保利通、書を入手してその意図を理解した勝海舟しか居なかったと言うことになるだろう。
洗足池には、幕末維新の熱い風がまだ吹いている。 -
お酒の席で会社の偉いおじいさんのすごい昔話を聞いているような感覚があり、楽しく読めた。
ただ、後半は「最近の若者はダメだ」という感じの説教臭い話が多く、ややうんざりする部分もあった。 -
半藤一利氏が座右の書として推されていたので手に取ったが、確かに抜群の一冊だった。人生の中で何度も読み返すことになると思う。
私を捨て、公のために大きく考えることを突き詰めれば、誠を貫くというシンプルな生き方に行き着く。小賢しい知略は小さな利や目先の毀誉褒貶を得ることはあっても、国家百年の計の前には無力となる。
その極意は、身命・勝敗を度外視し、危難に淡然として向き合う胆力。文武の「武」の重要性についても改めて考えさせられた。 -
”<抄録(抜き書き)>
<きっかけ>
人間塾 2018年11月課題図書” -
勝海舟伝。勝が思う、要人たちの印象や人となりなどを、過去のエピソードと共に話した内容が書かれてある。西郷隆盛のイメージが少し具体化した。
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明治維新時の幕臣、勝海舟の晩年の語録。
明治30~31年頃(勝海舟73~74歳頃)に赤坂氷川神社傍の勝邸において、弟子たちが聞いた回顧談をまとめたものと思われる。
「・・・人間に必要なのは平生の工夫で、精神の修養ということが何より大切だ。いわゆる心を明鏡止水のごとく磨き澄ましておきさえすれば、いついかなる事変が襲うてきても、それに処する方法は、自然と胸に浮かんでくる。・・・それゆえに人は、平生の修行さえ積んでおけば、事に臨んでけっして不覚を取るものではない」
「人には余裕というものがなくては、とても大事はできないよ。昔からともかくも一方の大将とか、一番槍の功名者とかいうものは、たとえどんなふうに見えてもその裏の方からのぞいて見ると、ちゃんと分相応に余裕を備えていたものだよ」
「もしわが守る所が大道であるなら、他の小道は小道として放っておけばよいではないか。知恵の研究は、棺の蓋をするときに終わるのだ」
「あてにもならない後世の歴史が、狂といおうが、賊といおうが、そんなものはかまうものか。要するに処世の秘訣は「誠」の一字だ」等
その豪放かつ率直な物言いは、『プリンシプルのない日本』の白洲次郎を思い出させる。
西郷隆盛との談判で江戸城の無血開城に導き、明治新政府でも旧幕臣の代表的役割を果たした勝海舟のプリンシプルが伝わってくる。
(2009年8月了) -
おじいちゃんの武勇伝を聞いている気分になる。歴史上の人物が身近に感じられる本だった。
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語り口は大言壮語風だが、江戸城を無血開城に導いた勝海舟の言葉だけに説得力がある。特に、外交についての考え方は、現代の我々にとっても大いに参考になると思う。特に、ロシアが対馬を占領しようとしたときの英国公使を使って英国から圧力をかけさせるなど 「夷を以て夷を制す」やり方は、さすが。
勝が天下の人物として特に認めたのは、横井小楠と西郷南洲(隆盛) の二人とのこと。中でも西郷の胆力は繰り返し言及していてる。
胆力を養え、無我の境地に到達せよ、余裕を持て等々、若者(当時の書生)への人生訓も多く含まれている。剣術と禅学の修行が役だったとのことだが、日頃の自己鍛練で身につくものだろうか。勝のような偉人の場合、天性のもののような気がする。
巻末の勝海舟伝も併せて読んで、勝海舟の偉大さが改めてよく理解できた。勝と比べれば、福沢諭吉もだいぶ小さく思える。 -
幕藩体制瓦解の中、数々の難局に手腕を発揮、江戸城を無血開城に導いて次代を拓いた勝海舟。晩年、海舟が赤坂氷川の自邸で、歯に衣着せず語った辛辣な人物評、痛烈な時局批判の数々は、彼の人間臭さや豪快さに溢れ、今なお興味が尽きない。本書は幕末維新の際の大立者・勝海舟晩年の口談であり、海舟の人となり、当時の国内外の情勢を知ることのできる好読物である。
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独特の口調で、幕末~明治の政治や人物、そして哲学を語ってくれる。笑えるエピソードや、本当かどうか疑ってしまうような内容もあるが面白い。よく出てくる「ひっきょう」という言葉の意味が解らなかったので調べた。ひっきょう (副)その物事や考えをおし進めて最後に到達するところは。結局。要するに。201311
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当時のことを、当事者の言葉で読めるという時点で面白いのですが、
それもあの勝先生の言葉ですからひとしおです。
胆力だとかよく言いますけど、こういう人物は最近見かけませんね。
「大事に当たって国家の安危と、万民の休戚とを一身に引き受け、そして段々呼として、事を処理するような大人物は、今の世に何人あるか。」
と勝先生も嘆いておられましたが、現代ではこれが皆無な訳です。
僕は高校で世界史を選択してたので、けっこう知らない人名が出て来て、
その分面白さ半減だったんでしょうね。
日本人なのに、授業で選択してないからわからん…
なんて状況でいいんですか? -
実践しようと思った教訓がいくつかあった。
人間大事なのは誠とのこと。
勝海舟の作品
