わが闘争(下)―国家社会主義運動(角川文庫)

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レビュー : 30
  • Amazon.co.jp ・本 (418ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043224029

作品紹介・あらすじ

独裁者が語る恐るべき政治哲学・技術は、現代政治の虚構を見抜く多くの有力な手掛かりとなる。狂気の天才が、世界制覇の戦略と思想とを自ら語った、世界史上稀有の政治的遺書。

感想・レビュー・書評

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  • 上巻よりも更に斜め読み。難解。
    ほとんど頭に入ってないかも……

    私は否定的な感情を盾にしながら、覗き穴から常にチラチラ…怖いもの見たさとはこのこと。

    ヒトラー。彼が独裁者になる前の本である。
    国家社会主義ドイツ労働者党の党首として、彼は民主主義を民主主義で破壊し、最も優秀なヒトラーが大ドイツ帝国の復活を成すことに全てを懸けて行く。

    彼はユダヤ人を世界から駆逐し、共産主義を倒し、最も崇高なアーリア人種の世界を作ることを夢見た。

    その後、首相から国家元首として、独裁者に君臨し、ことごとく思想の具現化を進めるに至る。

    よくもまあ、こんな本を書いたなぁと思う。
    その時代にしか起こり得ない英雄的な発想と、狂乱の大衆扇動はたしかに、高揚感すらある。

    ちなみにヒトラーの首相就任演説は一見の価値有り。
    YouTubeなどでも見れるので、チェケラ!

  • 上巻同様の理由で星は3つ。

    上巻がヒトラー自身の神格化と思想の謳詠にあったわけだが、下巻は思考を凝縮化し仮想敵すなわちマルクシズムとユダヤ人を作り出し当時の大衆を惹き付け政権掌握をした手法と論説が述べられている。

    書籍としては読み難いこと極まりないしアドルフ・ヒトラーが書いたものでなければ読まなかったであろうが、「窮鼠、猫を噛む」が如く賠償と外圧に苦しみ追い詰められたドイツ国民が世紀の大悪人に希望の光を見つけて一縷の望みを託してしまったことに第二次世界大戦の悲劇がある。諸悪の根源をシンプルにヒトラー単独に帰すのではなく、人類すべての連帯責任であったことは留意する必要はあろう。

  • 上巻よりは読みやすかったけど、やっぱり分からんかったです


  • 我が闘争 下 
    アドルフ・ヒトラー

    第1章 世界観と党
    ・1920年二月に、ミュンヘンにて二千人の群衆に向けて、我々の新運動の第一回大公開大衆示威が行われた。
    この新運動が巨大な闘争のために必要な意義と必須の力とを得るためには、一つの新しい選挙スローガンを強要するのではなく、原理的重要性を持った一つの新しい世界観が先頭に立っているのだという信念を同志の中に目覚めさせる必要があった。
    恐ろしく破壊的な一つの世界観があらゆる武器を持って現存の秩序を撹乱しようとしているときには、弱々しく脆い防衛的スローガンをやめて、勇敢に攻撃の鬨の声を上げることが必要になる。

    第2章 国家
    ・1922年の頃には、早くも我らの新運動は今日まで生き残っているブルジョワ社会の人々から、現存の国家の地位を否定するものだとしばしば非難された。

    ・ごく大雑把に言って、国家は三つの観念に区別できる。
    ①ある政府の権力のもとに、自発的に集った人々の総和とみなす。
    ②同一の行政だけでなく、同一の言語であることを要求する。
    ③国家を、言語的に特色を持ち、統一された国家を形成している民族の権力政治的傾向を実現する手段と見る。数はかなり少ない。

    ・国家は目的でなく、手段である。国家は勿論、より高い人類文化を形成するための前提ではあるがその原因ではない。その原因は文化を形成する能力のある人種の存在のみにある。
    民族主義国家の最高の目的は、文化供給者としてより高い人類の美と品位を作り出す人種の本源的要素の維持を心がけることにある。

    ・民族主義国家は、学問においても国民の誇りを助長するための手段を認識しなければならない。世界史のみならず、全文化史もこの視点からこの視点から教えられねばならない。全ての偉大な行為への賛美の念は、自分の民族の一因としてのその幸福な完成者への誇りに鋳直されなければならない。
    また民主主義国家は、ある既存の社会階級に決定的な権利を主張するのではなく、民族同胞の全体の中から最も能力のある頭脳の持ち主を引き抜いて、官職や高官に就かせることがその課題なのだ。

    ・民族を愛するものは、民族のために喜んで身を捧げる犠牲によってのみ、これを実証する。ただ利益からのみ発するような国民感情は存在しない。

    ・国家は原則として、個々人を彼の仕事の種類によってではなく、その仕事をする姿勢と成果によって評価せねばならない。教育によって筋肉労働を軽視する非道を自ら打ち破るべきなのだ。
    労働には、純実利的なものと観念的なものの二つがある。実利的労働は物理的報酬につながり、そして現代は物理的報酬によって人間の価値を表せると考える。これが平等性の基礎を破壊している。
    人間が物理的享楽の為のみに生きようとしているのではないという原則を高揚するような時代が来ることを願う。

    第3章 国籍所有者と国家の市民
    ・今日、誤って国家と称されている構造の中には、国家の市民と外人という2種類の人間だけがある。後者は、その人種に関係せず、政治的間抜けであれば、誰でもなれる。こうして国家は毎年、この最早克服することのできない毒素を自己の中に取り入れるのである。

    ・民族主義国家は、その住民を三階級に分ける。即ち、国家市民、国籍所有者、外人である。
    国籍を保有しているだけでは、公的な官職には就けず、選挙にも関与できない。元の国籍と人種を精査し、教育と兵役義務の終了後の結果として、堂々と国家市民権が与えられる。ドイツの女子は結婚により初めて市民となる。この授与は何よりもの幸福と名誉でなければならない。
    国家の市民がドイツ国の主人である。国家市民は外国人に対して優先権を持ち、これはいつでも剥奪することである。

    第4章 人格と民族主義国家の思想
    ・民族主義国家社会主義国家の主要課題は、国家の担い手を育成し、維持することにある。
    民族主義的世界観は、単に人種の価値だけでなく、それと共に個人の意義をも認め、これをもって全組織の楚柱にするという点で、マルクシズムの世界観とは根本的に異なる。
    今日の世界の文明の多くは1人の人間がその発端を始めたものである。世界の進歩とは個人の人格によるものなのだ。

    第5章 世界観と組織
    ・民族主義国家は如何なる外見をしていなければならないかを知るだけでは十分ではない。寧ろその建設のほうがもっと重要である。

    ・世界観は不寛容たるべきだ。キリスト教も、その狂信的な不寛容さがあったからこそ疑いの入れぬ信仰を形成することができたのである。世界観とは以前の状態を代表するものが依然として同時に存続し続けることには耐えないのだ。
    政党は妥協に傾くが、世界観は決してそうではない。政党は相手を考えに入れるが、世界観は自己の間違いのなさを自ら表明する。

    第6章 初期の闘争 演説の重要性
    ・大衆を我々の信念や世界観の土台にまで導いてやることが、私の仕事だった。そしてそれには敵の手から直ちにその抗弁の武器を叩き落とす事が重要である。
    どんな演説の時にも、討論の際に出てきそうな相手の異論の内容や形式を想定して、前もって明確にしておき、そしてそれを自分の演説の中で隈なくやっつけることが重要である。でてきそうな反芻を自ら挙げて、その根拠の薄弱さを示すことも効果的だった。

    ・演説は書物よりも効果が大きい。人は自分が望んでいないものが書かれていない時、自分自身では好んでそれについて書かれたものには手を出さない。精々、簡潔さが売りのパンフレットやポスターが意見の異なる人々の場合にも、短時間の注意を惹くことができるだけである。
    対して、フィルムを含めたあらゆる形式の像は疑いもなくもっと大きな効果を持つ。多くのものは相当に長い文章を読むよりも、寧ろ具体的な表現を受け入れる用意ができている。

    ・民衆集会とは、運動の支持者になりかけているが寂しく感じている人々を力強く勇気づけるように働く大きな同志の像を初めて見せるものである。それだけでも集会には価値がある。
    初めて民衆集会に足を踏み入れ、そこで同じ考え方を持つ幾千人もの人々に囲まれるならば、その暗示的な陶酔と感激の力強い勢力に巻き込まれ、運動への確信とこれまでの真理性に対する疑いの念を深めるだろう。何千人の意欲と憧憬と力が、個々人の全てに蓄積する。
    疑いを持って、また動揺してこういう集会に踏み入った人が、内心で固まって集会場を去るのだ。

    ・演説の効果は時間にも影響される。朝や日中、人間の意志力は自分と異なる意図や意見に対してこの上ないエネルギーてわ対抗する。これに対して晩は、もっと容易に強い意志の支配力に屈することになる。

    第7章 赤色戦線との格闘
    ・党証や党旗といったシンボルが、心理的にどんな意義を与えるかを私はよく理解していた。ベルリンでマルクシズムの大衆示威を体験した時、雄大に活動する光景の暗示的魔力に、民衆がいかに容易く屈してしまうかを感じ、理解し得たのである。

    ・1921年11月、我々の集会は強制解散の憂き目に遭った。しかし我々の勇猛な50人弱の突撃隊は、700を越えた敵の全てを集会所から叩き出してしまった。我々の支持者の多くは包帯で覆われながらも、集会は続けられたのだ。

    第8章 強者は単独で最も強い
    ・1918、1919年には民族主義的と言われるグループや政党などが沢山出来上がった。これは自分の自然の発展の結果であり、設立者には全く罪はない。そしてこれらの中から早くも1920年には国家社会主義ドイツ労働者が、勝利者として次第に上昇し結晶してきた。ここでは、明らかに効果が少ない自分の運動をより強力な運動の犠牲に与すること以外に、輝かしいものとして示されることは
    ない。

    ・全てこの世界で本当に偉大なものは、共同戦線によって闘い取られたものではなく、常にただ1人の勝利者の成果だったということを、決して忘れてはならない。
    民族主義国家は、ある民族主義的協力団体の妥協的意欲によって作られるのではなく、ただあらゆるものに対して戦い抜いた一つの運動の鋼鉄のような意思によってのみ創られたのである。

    第9章 突撃隊の意味と組織に関する根本の考え方
    ・旧国家の強さは、君主政体・行政機関・軍隊の3本の柱に基礎があった。1918年の革命は、この政体を除去し、軍隊を解体し、行政機関を腐敗政党に引き渡した。
    だがそれによって所謂国家権威の最も本質的な支柱は打ち壊された。国家権威それ自体は全ての基礎となるこの三要素に基づいている。
    ①人気
    重要な基礎ではあるが、この基礎のみに基づく権威は非常に弱く、疑わしく、動揺している。
    ②強制力
    本質的に安定しているが、人気よりも力強くはない。
    ③権威
    伝統の権威。人気と強制力が結合したもの。それらがともにある期間継続することができる権威は、更にもっと硬い基礎の上に立つようになる。

    ・偉大な新しく形成された理念の欠如は、常に闘争力の制限を意味する。最高の目標と理想を見ない運動というものは、決して究極の武器を取り得ない。

    ・ドイツの防衛組織は自分の一定の政治思想を持たなかった。それは目的にかなう訓練と組織を持った自己防衛団に過ぎなかった。彼らは自己の高い意味で確信について語ることが出来なかったのだ。

    第10章 連邦主義の仮面
    ・連邦国家を我々は主権国家の連合と理解している。即ち主権国家が自由意志からほよ主権の力で結合して、共通の連邦国家の存在を可能にしまた保証する。
    国家社会主義の教説は、個々の連邦国家の政治的利益の召使ではなく、ドイツ国民の主となるべきものである。

    第11章 宣伝と組織
    ・理論的認識が豊富であるからと言って、指導者としての特性・資質が有能だという特性的証拠であると見ようとするのは、全くの誤りである。偉大な組織者は、偉大な理論家であるよりも先に、心理家であらねばならない。人間を知り、その弱点や獣性も計画と計算に入れるように努めねばならない。
    指導者であるということは、大衆を動かしうるということである。理念を形成する才能は、指導者の才能とは全く別のものである。

    ・運動の支持者とは、運動の目標に同意を明らかにするものであり、党員とはその目標のために闘うものである。支持者が受動的な形のでの認識を取るのに対して、党員はそれを広める勇気に根ざしている。十人の支持者に対して、いつも精々1人ないし2人の党員がいるだけである。
    支持者は宣伝によって運動に好意をもたせられる。宣伝は全体を理念の意味において説得し、この理念の勝利の時のために彼らを成熟させる。
    宣伝の第一の任務はその後の組織のために人を獲得することであり、組織の第一の任務は宣伝の継続のために人を獲得することである。

    第12章 労働組合の問題
    ・労働組合は、将来の経済議会ないしは職能代表会議の礎石として必要である。
    国家社会主義的労働者は、国民経済の繁栄が自己の物質的幸福を意味するということを知らねばならない。国家社会主義的使用者は、労働者の幸福と満足とが、自分の経済的な力の存立と発展の前提であることを知らねばならない。そして彼らは共に全民族共同体の代理人であり、擁護者である。

    第13章 戦後のドイツ同盟政策
    ・同盟とは、現在或いは将来において我が民族に役立つものであるか、害をもたらすものか、という観点以外のどのような見地からも決して考えてはならない。政党政治的、宗教的、人道的といった観点は完全に問題外なのである。
    この意味で、革命以後のドイツの外交政策は散漫そのものであった。

    ・抑圧されている国土は、激しい抗議でもって解放されるのではなく、戦闘力のある剣によって取り戻されるのだ。この剣を鍛造することが、一民族の国内政策上の指導の課題であり、鍛造作業を安全にして、戦友を探すのが外交政策の課題である。

    ・イギリスの願望は、大陸の一強国が世界政策的意味を持つまでに法外に上昇することを防止することにある。ヨーロッパ諸国家間相互の勢力関係に一定のバランスを保つことが、イギリスが世界を制覇するための前提と考えているからである。
    一方、フランスの願望は自己のヨーロッパでの支配的立場を確立し、ドイツの強大化を阻止することにある。
    このようにイギリスとフランスの外交的究極目標は永遠に矛盾するものとなる。ドイツにとっての今日の同盟可能性を吟味するならば、ただイギリスに依存することしか残っていない。

    ・ある国の政治はその国のために行われる。故に他国の政治的指導が「ドイツ贔屓」の見解に基づいて打ち立てるのとができるというのは、愚かな誤りである。

    ・ユダヤ人は自分達の至福千年王国の中に、日本のような国家主義国家が残っているのを憚り、それ故自分自身の独裁が始められる前に日本が絶滅されるように願っている。彼らは以前にドイツに対してやったように、今日日本に対して諸民族を扇動している。

    第14章 東方路線か東方政策か
    ・外交にセンチメンタリズムは不要である。国境は人間によって作られ、そして人間によって変えられる。一民族によって法外な土地獲得が成功するという事実は、それを永遠に承認しなければならぬということではない。それは精々、征服者の力と忍耐する人々の弱さを証明するだけである。

    ・我々国家社会主義者は、ヨーロッパの南方及び西方に向かう永遠のゲルマン人の移動をストップして、東方の土地に視線を向ける。

    第15章 権利としての正当防衛
    ・絶対にやむを得ないという理由もなしにまず武器を投げ出した諸民族は、歴史的諸例が示すように、次の時代で力に訴えて運命を変更しようと企てるより、寧ろこの上ない軽蔑と強奪を耐え忍ぶものである。
    卑屈な屈服の汚名は決して消し去ることはできない。血みどろの名誉ある戦闘の結果であれば、その自由の滅亡でさえも民族の再生の種子となる。

    ・1918年の武装解除は全くもって卑屈な屈服であり、以後数年間のドイツの政治家はもう哀れなほどに低劣であった。
    しかし、1922年のフランスによるルール地方の占領によって、運命は再びドイツ民族に再起の手を差し出した。フランスのこの行動はイギリスに本当に内心より背かせることになっただけでなく、新聞の絶えざる影響によってフランスを進歩と自由の闘士と見做す我が民族の所見を、急激にこの迷妄から目覚めさせたのだ。

    結語 
    1923年11月、その成立して四年目に国家社会主義ドイツ労働者党はドイツの全地域に渡って解散させられ、禁止された。1926年の今日では党は以前よりもずっと強大となり、また内部的にも堅固となって、再び全国で自由な姿を見せている。
    運動やその個々の指導者に対するあらゆる迫害も、誹謗も中傷も、何ら運動に害を加えることができなかった。運動の理念の正当さ、純真さ、その信奉者の犠牲的精神が今まであらゆる抑圧の中から以前よりも一層強力にこの運動を出現させてきたのだ。
    人種堕落の時代に最善の人種的要素の保護に没頭した国家は、いつか地上の支配者となるに違いない。

    解説
    ・ヒトラーの主張は今日、極めて非合理的で偏狭さと歪曲に満ちたものだと考えられている。しかし「わが闘争」でさヒトラーの主張がそれなりの首尾一貫性を持っていることも否定し得ない。

    ・ナチズムは「死んだ犬」ではない。
    人民は為政者の大衆操縦術に翻弄される運命にあるが、決して現在の我々もその例外ではないのだ。

  • 上巻は嫌悪感なく読める部分もあったが、下巻は読むところが あまりない

    民族主義的国家観
    *国家は 目的のための手段
    *国家の目的は 人種の維持
    *指導者の権威は下へ、責任は上へ
    *民族を存続させるために 歴史を学ぶ

    世論
    *世論の命令者になれ。大衆のしもべになるな
    *偉大な成果とは 世論と対立し、理解されないもの

    権威の3原理
    *人気*強制力*伝統(ある期間継続)

    宣伝と組織
    *宣伝の目的は支持者を増やす。支持者=同意者
    *組織の目的は党員を増やす。党員=一緒に闘う
    *宣伝がうまくいくほど組織は小さくていい

  • 本訳本1973年刊(底本1936年版)。全2/2。

     上巻同様、ロジックの要諦たるファクト、エビデンス、データが欠如し、全く面白くないが、上の政治宣伝、下の演説の項は、反面教師として理解すべきか。

     一方、経験に依拠する第一次大戦体験談は割と面白い。また、大衆を操作対象としてしか見ていないかのごとき書き振りは後々の状況を雄弁に語る。
     また、特に政治家の発言、政治的プロパガンダにおいて一方のみを善・良とする二項対立の言はかなり危険な兆候のよう。

    PS.対英には独仏共同が不可欠だが、ヒトラーは仏への軍事征服のみを想定?。これが彼の底の浅さか…。
    PS.戦前ドイツ的国家社会主義政策の内容を知る上では、下巻を再読してもよいかも。

  • 歴史教育について、ヒトラーの「歴史の中に将来のため、指針をうるために歴史を学ぶ」という記述には激しく同意するが、それがなぜ民族の存続のためという目的になってしまうのか。目的が間違うと正しい学びもいい結果をうまない。
    ものすごく全体を冷静の捉えてるところと、偏見に満ちて自分の小さな考えに凝り固まっている部分が共存している不思議な人。しかし、本はとても退屈な代物だった。演説の天才も執筆の才能はなかったか。

  • 読了

  • 2015/08/20【古】108円

  • 前半は組織論的な内容で読みやすかったが、後半が上巻同様読み難い。

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著者プロフィール

1889年オーストリア生まれ。1921年、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)党首となる。1933年、首相となってからは独裁的権力を握り侵略政策を進め、第二次世界大戦を引き起こす。1945年、ドイツの敗北に伴い自殺。

「2004年 『続・わが闘争 生存圏と領土問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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